65 人の心は難しいものです
目が覚めると、そこはベッドの上でした。
シーツが真っ白で高級ですね。窓の外を見ると王都の街並みが映ります。
トリシュさんにぶっ飛ばされた後、たぶんご主人様が運んでくれたんでしょう。そして、王都の宿屋を借りて安静にしている。これで間違いないですね。
いつの間にか服も白い普段着に変わってます。あの道化衣装では正体がばれてしまうので着替えさせるのは当然でしょう。
まあ、それはともかくとして……
「お腹すいた」
「第一声がそれ?」
呆れた様子で、狼少女のメイジーさんが言います。
うわ、びっくりした。どうやら、ずっと同じ部屋にいたみたいですね。彼女は椅子に座ったまま、私の方に体を向けます。
「ま、三日も眠りっぱなしだから当然ね。死んでるんじゃないかって思ったわ」
「ずっと看病してくれたんですか?」
「見張りに決まってるじゃない。他のみんなと交代でね」
上半身を起こそうとしますが、筋肉痛で滅茶苦茶痛みます。やっぱり、糸の操作によって無理やり動かしたつけが回ってきましたか。厄介なものです。
現状はモーノさんたちの捕虜状態。それに加えて、思うように動くことも出来ません。まあ、情報交換の必要もありますし、大人しく待つことにしましょう。
少しすると、メイジーさんが何かを持ってきます。
籠の中に入っていたのはパンとワイン。それをお皿の上でミルクでほぐし、スプーンですくって私の口に近づけました。
「即席料理、とにかく栄養摂取しなさい」
「はーい」
あ、優しい。ちゃんとパンを柔らかくしてくれました。
すきっ腹だからか、筋肉痛のせいか、最初の一口以降は胃が食べ物を拒絶します。でも、リバースすることなく、私はそれを平らげました。
呆れた様子でメイジーさんがため息をつきます。そして、その顔に優しい笑みを浮かべました。
「あとでアリシアとスノウちゃんに謝りなさい。分かった?」
「はい、分かりました……」
スノウさんは死神が見えると言い、私を止めようとしました。自己犠牲の未来が彼女には見えていたんでしょう。
本当に敵にも味方にも大迷惑をかけましたね。全面的に私が悪いので素直に謝りましょう。はい。
そして、モーノさんには私のことをきっちり話すべきです。これから、互いにどういう関係になるかも決めないといけませんしね。
それから数時間後。
王都の高級宿屋にて、私はアリシアさんとスノウさんにベッド土下座を披露しました。
ベッド土下座とは、文字通りベッドの上で頭を擦り付けて土下座をすることです。私のことを助けようとしたスノウさんには謝っても謝り切れません。
でも、優しい二人は笑って許してくれました。本当にすいません。もう二度としません……たぶん。
少しすると、新たに三人の来客が訪れます。どうやら、アリシアさんが連絡を取ったようですね。
一人目は転生者のモーノさん。二人目は彼と行動を共にしてるアリーさん。そして、もう一人はこの場にいるはずのない少女でした。
「テトラー!」
「た……ターリア姫! 城から出ていいんですか!?」
なんと、この国のプリンセスが普通に出歩いているではありませんか!
私の作戦通りなら、モーノさんが彼女の護衛についているはずです。ですが、それにしても自由すぎるでしょう! 仮にも先日私が誘拐したんですから!
勿論、普通はこんなこと許されません。ですが、ここには普通じゃない異世界転生者がいました。
「王様に頼んだんだよ。俺がいる限りは万に一つもターリアが傷つくことはない。だから城下町ぐらいは自由に歩かせろってな」
「城から出さなければ脱走するとあたちもごねたしな!」
ごり押しじゃないですか! これで良いのかカルポス聖国!
まあ、それはそれとして、何とか丸く収まってこちらも安心です。アリーさんとも上手くやってるみたいですし、一件落着ですよ!
ですが、やっぱり少し引っかかります。
アリーさんはモーノさんに仲間を皆殺しにされました。こんなにも容易く心を許せるものなんでしょうか?
「アリーさん、貴方はモーノさんに仲間を殺されました。憎んだりしていないんですか?」
「そこなんだよな……」
野暮かもしれませんが、仲間のふりをしてモーノさんの命を狙うとか。そういう事をされると困るんですよ。不自然な部分はハッキリとさせなくてはいけません。
アリーさんは困ったような態度を取りましたが、すぐに真剣な目をします。いずれ明らかにするつもりだったのか、彼は私たちに真実を語り始めました。
「実は今まで隠してたんだけどな。カシムの兄貴は俺の兄弟なんだ。正真正銘、血の繋がったな」
「そ……そんな……」
それは残酷な真実。アリーさんにはモーノさんを憎む理由があります。
ですが、彼の口から語られる感情は、さらにそれ以上に残酷なものでした。
「だけど、俺は兄貴が死んだとき、怒りや悲しみの感情なんて抱かなかった。安心し、喜んだんだ。『これで悪事をせずに済む』、『やった逃げ切れる』ってな……」
実の兄弟が命を落としたのにもかかわらず、得られた感情は歓喜。兄弟としての絆よりも、今の自分が幸福であることをアリーさんは選んだんです。
恐らく、無意識の内にそう感じてしまったのでしょう。自らが情けないのか、彼の瞳が僅かに潤みます。
「兄貴には……兄貴には何度も助けられたのに……小さいころからずっと守ってもらったのに……最低だ……最低だよ俺は……」
人の心とは繊細で難しいものです。心の異世界転生者である私にも、アリーさんの感情に気づくことが出来ませんでした。
モーノさんは黄昏るように、視線を窓の外へと移します。いったい何を考えているのか、それもまた心の問題。
もっと私は自分の能力と向き合わなければならないのかもしれません。
モーノさんの信頼を得るため、私はあらゆること全てを話しました。
二匹の猫の事、盗賊たちの事、冒険者の事、モンスターの事……
モーノさんにとってはしょぼいかもしれませんが、私にとっては大冒険です。
逆に、モーノさんも私に色々なことを話してくれました。
盗賊に襲われ、奴隷として売られていたメイジーさん。モンスターの襲撃を受け、家族全員を殺されてしまったアリシアさん。そして、魔王に国を滅ぼされ、死霊の身体となってしまったスノウさん。
彼女はシュネーヴァイスという王家の娘。滅んだ小国のお姫様だったらしいです。
「ターリアさん、私のようになっちゃダメですよ。国を……民を大事にしましょう」
「うん……」
そんなこと、ターリア姫に言っても仕方ないでしょう。滅びなんて、姫様一人にどうこう出来るものじゃないんですから。
モーノパーティーは私と逆の道を歩んでいました。盗賊やモンスターを憎む正統派の道。そこには確かに、彼らにとっての正しさがあります。
正解なんてどこにもない。あるのはモーノさんから語られる事実だけ。
「妖精殺しの獣人ヴィクトリア。あいつが殺した妖精は二桁をゆうに超えている。人間と妖精の溝は深まり、あと少しで妖精は魔王側に組するところだった」
「モーノくんはそれを止めたんだよ。戦争だって考えられたんだ」
ご主人様が言っていました。世の中には知らない方が幸せなこともあると。
だけど、私は言い返しました。知らない方が幸せなことと、知らなくていいという事は違う。だから、真実に踏み入ることを怠る理由にはならない。
色々な角度から物事を見ましょう。
それが、誇れる未来に繋がってるはずですから……
まだ体が痛みますが、リハビリがてら街へと出ます。
まあ、ターリア姫が買い物に付き合ってほしいと聞かなくて、渋々外に出たんですけどね。
彼女はあれも欲しいこれも欲しいと、お店というお店を駆けまわっています。モーノさんも昨日からそれに振り回され、心底参っている様子でした。
「モーノ! この服はどうだ! 似合うか!」
「ああ、可愛いよ」
やれやれといった態度で、彼はターリア姫の試着に付き合います。お洋服が好きみたいですし、今度ご主人様に紹介してみましょうかね。
ずっと、彼女はお城に閉じこもっていました。ようやく手に入れた自由を満喫し、周囲を巻き込んで大はしゃぎです。
一方、荷物運びをさせられ、姫様に拘束されるモーノさん。そこに自由はありませんでした。
「まったく、なんで俺が……」
「貴方は早足すぎるんです。自由も良いですけど、たまには誰かに歩幅を合わせるのも良いじゃないですか?」
「……まあ、たまにはな」
微笑ましいものを見るように、二人でターリア姫を見守ります。新しいことに挑戦する人は、本当に輝いて見えますね。
とにかく服という服を見て回る姫様。そんな中、彼女は一枚の男服を手に取ります。
純白に青いラインの入ったコート。モーノさんのイメージにそぐわない物でした。
「あたちの護衛としてつく以上。清楚なイメージが求められる。この服を着てみろ!」
「いや、俺は……」
こっちに駆け寄ったターリア姫は、モーノさんの黒いコートを無理やり脱がせます。そして、新たに白いコートを肩にかけました。
それは以前のイメージとは違う姿。光り輝いて見え、死を振りまく恐怖の存在とは思えません。
私はそんな彼を見て、ひとり言葉をこぼします。
「ほら、白のが似合う」
私の見立て通りでしたね。本人がカッコよく思っていても、他の人から見たら全く違って見えるものです。カッコよさなんて人それぞれなんですから。
私たちは服屋を出て、街の中央へと移動します。
そこには人々が集まり、皆さん中央の演説台に注目していました。どうやら、誰かが演説をしているようですね。
チリンチリンとベルを鳴らし、一人の男性が注目を集めます。彼の声は甘くとろけるようで、まるで質のいいテノール歌手のようでした。
「先日、姫君が誘拐されるという事件が起きました。ですが安心してください。彼女は無事救出されました。それは私たち聖国の勝利を意味しています」
両腕を大きく広げ、身振り手振りで巧みに語ります。
私はこの人を知っている……フラウラ周辺の領主であり、このカルポス聖国の大臣でもある男。真紅に燃える赤毛に、天使のような美貌を持つ男……
ベリアル・ファウスト、彼が見せるのは底知れない悪意……
「犯人は聖国に敗北した周辺国の者。主のお言葉を聞いた預言者、聖アウトリウス様への嫉妬が引き起こしたものと考えられます。なぜなら、彼の遺志を継ぐ私たち聖国民は優れた人種なのですから」
この世界は文盲が多い。ベリアル卿の演説は人々に思想を植え付けることでしょう。
彼を見る民衆の目は輝いていました。まるで英雄を見るかのようで、そこには確かな『正義』がありました。
ベリアル卿に対する嫌悪感。その正体がようやく分かります。
聖国民が周辺国への勝利を求め、自分たちこそが神に選ばれた存在と思う理由。その答えが演説の中にあったのです。
「主は私たちの味方です! 姫を危機に陥れたのは、悪魔に魂を売った敗戦国。彼らを罰することは主の望む聖戦と言えましょう。大切なものを守るため、私たちは戦わなければならないのです! 大いなる聖国のために!」
恐怖を感じたのか、ターリア姫がモーノさんの服を掴みます。
すぐに彼女を抱き寄せ、モーノさんは演説台に背を向けました。こうする以外に方法がないと思ったのでしょう。
一方、私はベリアル卿と目を合わせます。彼は私に対し、薄ら笑いを浮かべました。まるで「これが現実です」とでも言い放つかのように……
ゾッと背筋が凍りました。
ベリアル卿は悪事など働いていない。むしろ国民には英雄のように見られている。
それは、「どうにもならない」ことを意味していました……
人間の歴史、その中心となる人物は決まってある能力を持っています
それは演説力
戦争での功績や兵器の開発は確かに凄いけど中心にはなれない
異世界も同じで、魔法やステータスよりも人々はこの演説力に心を奪われる