06 黒猫さんはとっても良い子です
奴隷が入れられた檻の中。私は自分の食事を獣人の少女に押し付けます。
黒猫さんは困惑しているみたいですね。そりゃ、いきなり貰ったら感謝よりも先に疑問が出るでしょう。私だって色々と疑ってしまいますよ。
やがて、彼女は複雑そうにご飯を押し返します。これは、受け取り拒否という事でしょうか。
「もらえないよ……だって……」
「じゃ、捨ててください。勿体ないですけどね」
でも、ケロッとした表情で言い放ってやります。悪いですけど、こっちも意地になっているんですよ。食べないなら本気で捨てますよ? 私は大マジですよ?
黒猫さんは更に困惑します。「彼奴め……なぜ頑なに食事を与えようとする。分からぬ。分からぬぞ!」って考えているでしょうね。ならその考え、ぶっ壊れる一言を放ちましょう!
「さっさと食いやがってください。目障りなんですよ」
「ひゃう……」
決まった……今の私、決まりまくってる……
自分で言うのも何ですが、これは最高にカッコいいでしょう。さあ、黒猫さん。このテトラ・ゾケルに惚れてもいいのですよ? 信者になっても良いんですよ?
「貴方は命の恩人です!」、「きゃーお姉さま抱いて!」。何でもこいです。私は今、貴方にとっての神になっていますから!
ぐー……
はい、お腹が鳴りました。台無しです。最悪です。
神はお腹なんて鳴りませんね。どうやら私は神ではなくて、ただのポンコツだったようです。
そんな私の様子を見た黒猫さんは何故か嬉しそうに微笑みます。は……恥ずかしい……顔が熱くなってきました。絶対赤くなってるでしょう。
彼女はご飯を私の前に置き、隣に座ります。そして首を横に倒し、あざとく笑いかけてきました。
「半ぶっこしよっか?」
「うう……」
私の意地はバキバキにへし折られました。はい、私の完全敗北ですね。神は貴方の方でした。
ですが、これは結果オーライです。さっきまで警戒していたのが嘘のようです。同じ飯に箸を付ければ、たちまち仲良しという事にしておきましょう。
無味無臭の雑穀粥を二人で分け、何とか飢えは凌げました。
全然少ないのですが、元々私は少食なので問題ありません。どうせろくに動くこともないんです。エネルギーを使わないので丁度いいですね。
食事の間、私は黒猫さんと会話します。まだ、互いの名前を知らない関係ですからね。まずは自己紹介からです。
「私はグリザベラ。グリザって呼んでね」
「テトラです。よろしくお願いします」
黒猫の獣人グリザベラ。こんな場所で捕まっているという事は、まあわけありでしょうね。
元いた世界には当然獣人なんて存在していません。完全に未知との遭遇状態です。でもまあ、種族間の問題はデリケートでしょうから、深く踏み入らないようにしましょう。
私が別の事を聞こうとすると、グリザさんの方が先に質問してきます。なんで初異世界の私が逆に質問されているんでしょうね……まあ、いいですけど。
「助けてくれてありがとう。なんで、あんな危険なことしたの?」
「さあ、何ででしょう。危険なことに関して無頓着だからですかね」
そんな事を聞かれても困ります。別に危険だとかそういう意識はありませんでした。ただ、一番手っ取り早い方法を選んだだけですから。
「ただ首輪を引っ張っただけです。あんなこと誰でもできる事ですよ。要は地上400メートルで平均台が出来るかどうかって話ですから」
「そ……それが出来ないんだよ! ケホッケホッ……!」
この獣人さんの癖でしょうか。むせ返って咳をしながら叫びます。
やっぱり、私ってずれてますかね。一度死んで、死への恐怖が麻痺してしまったのでしょうか。もしかしたら、色々なことが起きすぎてぶっ壊れてしまったのかもしれません。
でも、自分でこんなこと言ってるうちはまだまだ正常でしょう。だからこそ、真面目で真面な意見で答えてやります。
「むしろ、なにが怖いのか分かりません。人間生まれたからには必ず死にます。それが早いか遅いかだけの話しなんですから、ちっぽけなものですよ」
「そ……そんなこと言っちゃダメだよ! 全然ちっぽけじゃない! ケホッケホッ……!」
ありゃりゃ、いきなり怒らせてしまいましたか。何で怒るのかよく分かりませんが、私はこういう余計な一言のせいで友達が少ないんですよね。
グリザさんの顔色が優れません。彼女は胸を抑えつつ、訴えかけるように私の眼を見ます。
「私は……死にたくない……もっと命を大事にしようよ」
「……そうですね。分かりました」
これ以上余計な事は言いません。この残酷な世界を懸命に生き抜いてきたグリザさん。そんな彼女を論する力を私がもっているはずがありません。
こんな檻の中に閉じ込められて、ここから先の人生が絶望だと分かっていても、少女の瞳は一切の曇を見せません。生きたいという強い意思が伝わってきます。
それは心の強さなんでしょうか? 弱さなんでしょうか? 道化気質の私には理解出来ない意思なのかもしれません。
私たちは話しました。ここまで何があったのか、自分がどういう存在なのか。
その中で私は、自分が他世界から転生してきたことを明かしました。鼻で笑われることも想定済み、冗談として受け取られたのならそれも良しです。
ですが、グリザさんは笑いませんでした。私の言葉を一言一句信じてくれます。何ででしょうか? 何でそこまで私のような人間を信用するのでしょうか?
分からないですが、それでも嬉しいですね。彼女は親身になって私の言葉を聞きます。
「そうなんだ……大変だったね」
「まったく、本当ですよ! この世界はおかしいです! 狂ってます!」
この世界には奴隷制度というものがあって、種族の差別があって、外はモンスターと盗賊だらけ。本当に酷い世界です。こんな世界じゃ真面に生きれませんよ!
私の世界はもっと平和です。この世界のように不幸な人はいませんね。そうです、私の生まれた世界はここよりもっと良い世界なんですよ。
そんな浅はかな考えを、グリザさんの言葉が打ち砕きます。
「じゃあ、テトラちゃんの世界は戦争がなくて、誰もお腹を空かせてない天国みたいなところなんだね。そんな世界があったなんて……」
「そ……それは……」
ハッとしました。私の世界は天国なんかじゃありません。戦争はありますし、差別だってあります。私がそれに関わっていないだけの話しでした。
世界が豊かなんじゃありません。私が豊かなものを持っていた。この世界の縮図となんら変わりなかったのです。
「私の世界にも戦争はありますよ。それはどうしようもないです」
「そうだよね……天使さまだって争うんだから、人がやめるのは難しいよね」
天使……聞き馴れた言葉を耳にしましたね。私は自称神様の手によってこの世界に送られてきました。天使という存在がいても不思議ではありません。
そうですよ……私はあの神さまのせいでこんな目に合っています。なのに、私はあの人の事を何一つ知りません。
これは詳細を突き止めるべきでしょう。少しづつ、この世界で何をすべきか見えてきましたよ。
とにかく勉強勉強、異世界雑学の勉強です。
「天使さまですか。詳しく教えてください」
「そっか、別世界から来たから知らないよね。でも、聖書の内容は覚えておいた方が良いよ。縛り首にされちゃうから」
うっわ、物騒なこと言ってますね。どうやら、この世界の宗教観はかなり複雑なようです。
縛り首にするって事は、他に敵対する宗教があってそれを撲滅しようとしている事でしょう。何やら大きな力が蹂躙しているように感じます。
確かに、この世界で生き残るためには必要な知識かも知れません。グリザさんはその宗教について詳しく教えてくれます。
「天界っていう世界には天使さまがいて、大いなる主さまに使えてる。でも、その中で一番強いルシファーっていう天使さまが、主さまに反旗を上げたの」
「ルシファー……?」
あれれ、おかしいですね。この天使さまの名前、ものすごーく聞いたことがりますよ。異世界の天使さまなんて私には無縁のはずなのに……
もしかして、この世界と私の世界とはどこかで繋がってる……? 何だか複雑な構造が見えてきましたよ。
混乱する私なんて関係なしに、グリザさんは天界戦争について語っていきます。
「それで、ルシファー派と主さま派で分かれて大戦争。死闘の末、ルシファーは弟のミカエルさまに打ち取られて、魔界に堕天させられたんだって」
「それで、堕天使ルシファーは悪魔たちの王になったんですね……」
「なんだ、知ってるんだ」
私たちの世界で聞いた話と同じです。世界が違う以上、聖書や神話が同じという事はありえないはずなんですが……
本当に不思議な事だらけです。まだまだ勉強不足ですね。グリザさんから話しを聞いて、私はこの異世界について学ばないといけません。
そしてあわよくば、この世界と自分の世界を繋ぐ謎を解明したいな。って、流石に贅沢ですよねー。
話しを終えると、グリザさんはシュンとうつむきます。私の予想通り、彼女が聖書の内容を覚えているのには理由があるようですね。
「私の村はね。精霊信仰をしている獣人の村だったの。だけど、人間たちが異教徒狩りといって村を……ケホッケホッ……!」
「す……すいません……」
「テトラちゃんが謝らないでよ。戦争は仕方ないだから……」
彼女が奴隷に落ちた理由、信じているわけでもないのに聖書の内容を覚えている理由。全部分かってしまいましたよ……
国規模でこんなに胸糞の悪いことをやっていたら、世界が平和になるはずもありません。私はただ、この世界が嫌いになるばかりでした。
テトラ「天使とか悪魔って、よく物語に出てきますよね。何者?」
グリザベラ「聖書の中では、天使さまは神様に仕える世界の管理者。悪魔と堕天使は同一視されていて、神様に逆らって堕天した天使さまが悪魔だよ」