61 ☆ ウェストミンスターの鐘が鳴る ☆
どこかも分からない大広間。
ステンドグラスに囲まれた神々しい空間。
モーノさんの炎に巻き込まれた私は、なぜかこの場所に立っています。死んで天国に行ったというのなら、出迎えが欲しいものですよ。
なぜ、ここにいるのか。戦いはどうなったのか。それは後で考えることにしましょう。
とりあえず、先へと続く道は四つ。そのうち三つは大きな扉が閉まっています。四つの道にはステンドグラスが施され、それぞれの天使が造形されています。
中央、私の立つ場所。そこには三角形に目玉がついた謎の造形物が置かれていました。
台座には四つの道に対しての説明が彫られています。
勇気、正義、神に似たる者。
南、時計塔の間。
啓示、慈悲、神は我が力。
西、氷聖堂の間。
治癒、浄化、神は癒される。
東、森聖域の間。
懺悔、神罰、神の業火。
北、煉獄牢の間。
西からは冷たい風が吹き、北からは肌を焦がす熱気を感じます。東からは森の臭いがし、南からはチクタクと時計の音が聞こえてきました。
西、東、北は扉に阻まれて進むことが出来ません。となれば、南を選ぶ以外にないようです。
チクタクチクタク。急かすように時計の針が音を立てます。
私は大きな扉をくぐり、建物の外部へと足を踏み出しました。そこは開けたバルコニー。空は真っ暗ですが、この場所は目くらみするほど明るいですね。
それもそのはず、下に見えるのは眩いほどの近代的夜景。そして、目の前には高い高い時計塔がライトアップされていました。
白く光る時計盤、その上に誰かが立っています。私はバルコニーの手すりを掴み、身を乗り出しました。
彼が私を呼んだんです。方法は分かりませんが、瞬間的に場所を移動させたんでしょう。
あと少しで目的達成だったのに……なぜ邪魔をしたんですか!
解せない私とは違い、その人はとても楽観的な態度です。こっちに手を振りながら、時計盤の前で悠々としています。
「やあ、こっちだこっち。ハハッ、待ちくたびれたよ」
機械のような衣服を身にまとった青年。羽の付いた帽子にゴーグルを装着し、スチームパンクのような容姿をしています。
腰には剣を装備していますが、これもまた機械的なデザイン。明らかに、元いた中世的な世界観とは一致していません。
待ってください……それ以前に、この時計塔と夜景自体が全然中世じゃありませんよ! 説明を求めます!
「こ……これはいったいどういうことですか!」
「これか? これはイギリス、ビック・ベンの時計塔だよ」
違う。そうじゃない。
なぜイギリスの時計塔がここにあり、私はバルコニーからそれを見ているのかを聞きたいんです。
ですが、ゴーグルの人はマイペースでした。彼は時計盤から飛び上がり、宙を舞ってこちらへと移動します。そして、私の目の前へと華麗に着地しました。
近くで見るとイケメンな男性。彼がパチッと指を鳴らすと、何やら大きな音が聞こえてきます。どうやら、時計塔の時計部分が動き、扉のように開いているようですね。
中から見えたのは歯車による複雑な機械仕掛け。これが時計の中身ですか……ごちゃごちゃしてて全く分かりませんが、どうやら凄いもののようです。
「見ろ。この複雑な機械はいくつもの歯車によって構成され、規則正しく動いている。それは神の英知か、あるいは人間の進化か。どちらにせよ、これほどの造形美はないだろう」
彼、機械オタクなんでしょうか? それ以前に人間? さっき、ナチュラルに飛行してましたし……
色々考えていると、ゴーグルのお兄さんが自己紹介に入ります。
「ようこそ時計塔の間へ。私はピーター・カロケリ、こっちは相棒の妖精ベルだ」
彼の周りを飛ぶ光。森で見た妖精とまったく同じですね。
ピーターさんとベルさん、二人でこの時計塔の間を守護している様子。もっとも、ここがどういった場所かも分かりませんが。
私にはやるべき事があります。死んでないのなら、すぐに戻してほしいですよ!
「王都に戻してください! それとも、私は死んだんですか!」
「ははっ、まあ落ち着け。お前は死んじゃいないし、王都からも移動しちゃいない。ここは精神世界、時間の流れも恐ろしくゆっくりだ」
つまり、コンマ数秒が何時間にも感じる精神世界にいると? 確かに、時計塔の時刻が全く違うところを指していますね。
なんで私の精神にこの人が現れたのか、目的は何なのか。それを聞こうとしたとき、時計塔から懐かしいメロディーが響きます。
キーンコーンカーンコーン♪
キーンコーンカーンコーン♪
これって……
「学校のチャイム……懐かしい……」
「この曲はウェストミンスターの鐘という。毎日正午にビック・ベンではこの曲が奏でられる。日本の学校はこの音をチャイムとして取り入れているな」
うんちくをありがとうございます。ですが、流石にこれ以上は付き合いきれません!
私、どうなったんでしたっけ……たしか、モーノさんの炎魔法が目前に迫って……
「って、そんなことはどうでも良いです! 私は火に飲み込まれて……!」
「そう、火だ。丁度いい、これより授業を始めよう」
チャイム音と共に、ピーター先生のためになる授業スタート。もういいです……勝手に語ってください。
彼は人差し指を立て、そこにマッチほどの火を発生させます。私は上手いこと乗せられ、その火をじっくりと観察しました。
こうしてマジマジと見る機会、ありそうでなかったですね。
「火とは、物質の急激な酸化によって発生する熱と光の現象だ。炭素などの微粒子が高速で動くことにより、熱と光が生じる仕組みになっている」
うーん、おバカな私には難しい……
科学の話かと思いましたが、ピーター先生は続いて歴史の説明に移ります。
「錬金術や自然学の観点で言えば、火は四大元素の一つとして扱われている。哲学者ヘラクレイトスは、万物の起源は火と唱えていたな。また、中国の五行思想にも火は名を連ねている」
その人、私の世界の偉人ですか……?
もしやとは思いましたが、やっぱりピーター先生は私の世界を知っている。その上で現実世界の知識を私に教えているんです。
敵でしょうか……? 味方でしょうか……? 私が警戒姿勢を見せるのと同時に、彼はパチッと指を鳴らします。
「そして火は、戦争の武器としても使われる」
瞬間、先ほどまで見えていた夜景は一瞬にして消え、代わりに真っ赤な世界が視界に広がりました。
空高くに見える飛行機。そこから黒い塊が落ち、地上に落ちたそれは巨大な音を立てて爆発します。木造の家屋は次々に燃えていき、布を被った人々は逃れようと懸命に走っていました。
これは……空爆ですか。それも日本の……東京の……
第二次世界大戦の……
「やめてください……見たくありません……」
「目を逸らすなテトラ。これも火の形だ」
これも火の力……
怖い……火ってこんなに怖いんだ……
でも、私には関係ありません。私は戦争なんてしない。火による暴力なんて無関係です!
そんなことを考えていると、ピーター先生は再び指を鳴らしました。
「自分が戦争と無関係と考えているのなら、こんな火もある」
先ほどの赤い地獄は変わり、今度は黒い地獄に包まれます。
いくつも作られた巨大な工場。立てられた煙突からは、黒い煙が止めどなく舞い上がっています。まるで戦後の日本ですね。喘息で有名な四日市でしょうか?
何にしても、そこは鉄と煙が支配する黒の世界でした。
「ケホッ! ケホッ! これは……」
「環境の破壊さ。煙は大気を汚し、酸素を急激に奪う行為は温暖化を生む。多くの環境問題の根本には火があると言われている」
酷い……私と関係するところでも、火は悪い影響を与えているんだ……
人は何で火を手にしたんでしょう? 火なんて必要だったのでしょうか? ピーター先生はその疑問を神話によって答えてくれます。
彼が指を鳴らすことにより、また場面は転換しました。
「ギリシア神話のプロメテウス。彼は人を愛し、それ故に火を与える。結果、火を覚えた人は武器を作り、世界は戦乱に溢れかえってしまった。腹を立てた最高神ゼウスは、彼を磔にしてその肉を鳥に食わせた。いくら肉を食いちぎられても、神であるプロメテウスは決して死ぬことはない」
どこかの山にて、筋肉質の男性が岩に拘束されています。彼の周りには何匹ものカラス。鳥たちは再生する神の肉体を何度も抉っていました。
人に火を与えてしまったせいで、プロメテウスさんは苦しんでいる。彼から火を受け取ったせいで、人は戦争によって苦しんでいる。
火なんて無ければ良かったんです。きっと、プロメテウスさんは後悔して……
『後悔? してねえよ』
岩に磔にされ、鳥にその身を抉られつつもプロメテウスさんはニッと笑います。
彼と目が合いました。私に何かを訴えかけるような表情。真紅に染まるその瞳は、灼熱の炎のように燃えています。
そこに絶望はない。
『火は人と共にあり……!』
瞬間、場面は再び変わり、私の視界に大きな暖炉が映ります。
ここは雪国の一室ですか。暖炉の炎は暖かく、それによって調理された料理がテーブルの家に並んでいます。ああ、なんて幸せなんでしょうか……
「暖かい……」
「火は全てを焼き払う兵器であり、温もりを与える命の灯でもある」
ピーター先生が現れ、指を鳴らします。すると、今度は猛吹雪の中にある洞窟へと場面が変わります。
暗闇の中、焚火の火にあたるのは毛むくじゃらの人間。彼らは原始人でしょうか? こんなにも昔から、火というものはあったんですね!
「寒さに凍える彼らを救ったのはだれか? 暗い夜道を照らしたのはだれか? 辛いときも、楽しいときも、彼はずっとお前たちの側にいた。人類の進化は火と共にある」
また、ピーター先生は指を鳴らします。すると、今度は見慣れた現代の街並みへと変わりました。
何台もの自動車が走り、何人もの人が行きかっている。私が暮らしていた国、私が暮らしていた世界。忘れるはずのない日本の街並み!
もう分かりますよ! 車は燃料を燃やして走る! これも火なんですよね!
ピーター先生は笑っていました。これ以上の説明は不要と思ったのか、彼は授業のまとめへと入ります。
「火を崇めろ。火を敬え。するとどうだ。火は必ずお前の意思に答えてくれる」
火は友達なんだ。
人の味方なんだ。
ほんの少し、火の事が好きになりました。
「お前にとっての火とはなにか。私に見せてほしい」
「私にとっての火……」
私にとっての火は……
私にとっての火は……!
私は今、真っ赤な太陽を抱いています。
ここは元の世界。その両腕はモーノさんの炎魔法を包み、巨大な力を押さえ込んでいます。
火を崇めろ。火を敬え。火は友達なんだ。人の味方なんだ!
大丈夫、怖くないし熱くもない。辛いときも、楽しいときも、火は私の傍にいて助けてくれた。正しく扱えば、絶対に私の力になってくれる!
「だから、私にとっての火は……」
私はこの世界を彩りたかった。
みんなが楽しく笑っていられるなら、それが一番の幸せだった。
モーノさんと分かりあいたい。
戦争ばかりのこの国を変えたい……
だから私にとっての火は……
私にとっての異世界無双は……!
思いのまま、抱いた炎をそのまま天空へと打ち上げます。
瞬間。
それは虹色の光へと変わり、王都を彩る華が咲きました。
「たーまやー!」
「花火……だと……?」
気持ちのいい音共に打ち上げられた花火。これにはモーノさんも唖然とするしかありません。
そうです。これが私にとっての火! 夜空を彩る華です!
私たちが戦う城壁の下では、何人もの兵士や民衆が空を呆然と見つめています。花火なんて、当然この世界にはありません。初めて見たこのエンターテイメントに是非感動してもらいたいですね。
どうやら、私たちの戦いはギャラリーによって観戦されていたようです。
ショーを見てくれる人があんなにもたくさん。それって、興奮するじゃないですか!
ああ、頭が真っ白になります。
楽しい……
楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい。
楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい。
楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい。
輝け流星!
踊れ人形!
「流星の~! コッペリア~!」
私……
覚醒した……?
モーノ(こいつは毎度予想外の事を……ああ、ヤバいな。少し楽しくなってきた)
ちょっと詰め込みすぎた。