50 私はご主人様を知りました
黒い服を着た茶髪の少年。彼は剣をドラゴンへと向けつつ、こちらに視線を移しました。
私と何度も対峙した異世界転生者、一番のモーノ・バストニ。彼は不敵な笑みをこぼしつつ、私のことをからかいます。
「大口をたたいた割には、随分と情けないな」
「ほ……ほっといてください!」
巨大な竜を前にしつつも、彼は顔色一つ変えていません。自分は勝てるという絶対的な自信を持っているのでしょう。
新たな敵をとらえたドラゴンは、鋭い爪によってモーノさんに切りかかります。ですが、彼は容易く攻撃を弾き、一切の抵抗を許しません。
それだけではありません。モーノさんは詠唱もせず、氷の刃を周囲に浮かべていきます。そして、それらを追い打ちとして、次々に放っていきました。
圧倒的な力。まさに、これこそが異世界無双ですか。
ちょ……ちょっとカッコいい……
って、不味い! 攻略される!
ダメです! ダメです! 私にはご主人様がいるんですから!
「こ……こんなことで私を落とせたと思わないことですね! 絶対に貴方のハーレムには加わりませんから!」
「お前、俺をなんだと思ってるんだ……」
ちょっと心を許したら、すぐに攻略しにかかるんですから。本当に危険です!
あーんな女たらしのチーレムくんに私は屈しませんからね!
やがて、手も足も出ない兵士たちは後方へと下がり、代わりにモーノパーティーの面々が加わります。
赤い被り物をした狼少女、メイジーさん。剣を装備した巨大化少女、アリシアさん。そして、リンゴの髪飾りをつけたの天然少女、スノウさん。
三人とも実力者でしょう。モーノさんはその中の一人、スノウさんに指示を出します。
「スノウ、二人を頼んだぞ」
「はーい」
おっと、ここでも彼女は戦いませんか。スノウさんは私とスピルさんの手を引き、ドラゴンから離れていきます。
ですが、すぐに助太刀出来るよう、野次馬たちより近い位置で止まりました。ここなら戦闘をしっかり見れますよ。
竜と対峙する三人の冒険者。その中の一人、アリシアさんの身に変化が起こります。また、あの巨大化魔法を使ったみたいですね。
「マキシマム! お前は私がぶっ殺す!」
巨大化魔法マキシマム。それにより、彼女はドラゴンと同じ大きさへと変化します。そして、普段からは想像もつかないような暴言を敵に向かって放ちました。
体が大きくなったこともありますが、モーノさんたちが戦っている場所までは距離があります。それでも、けたたましいアリシアさんの叫びが聞こえました。
いったい、何が彼女を駆り立てているのでしょうか。雄々しいというより、これは……
「なんか、怖い……」
スピルさんが私の言葉を代弁します。そうですよ! こんなのいつものアリシアさんじゃありません!
攻撃が続く中、決定打が放たれます。身体と同じように巨大化した少女の剣。それが、ドラゴンの左翼を切り落としました。
「グギャアアア……!」
ドラゴンの悲痛な叫びが響き、周囲に鮮血が飛び散ります。まるで、憎しみをぶつけているかのように、アリシアさんは剣を振り回していました。
そんな彼女をサポートするかのように、モーノさんが的確に魔法を放っています。これはメイジーさんの出番なしですね。
アリシアさんの巨体はドラゴンの逃げ道をふさぎ、剣は鋼鉄の鱗を破壊していきます。勝敗は目に見えていますが、それでも彼女の攻撃は止まりませんでした。
これはエンターテイナー精神に欠けますね……不機嫌になった私は、思わず皮肉をこぼしてしまいます。
「あれが由緒正しきリデル家の剣ですか……大層ご立派な家族なんですねー」
「リデルさんの家族は既にお亡くなりになっています。お母さんもお父さんも双子の妹さんも、ドラゴンによって奪われてしまったんです……」
そんな私に対し、スノウさんが説明してくれます。
やっぱり、ドラゴンに恨みを持っていますか。自分の家族を奪った竜と、今戦っている竜を重ねて見ているようです。
アリシアさんには悪いですが醜いものですね。人の憎しみというものは直視したくありませんよ。
やがて、モンスターに最後の時が訪れます。
興奮状態のアリシアさんを心配してか、モーノさんは立ち塞がるように間に立ちます。彼女にとどめを刺させるのは不味いと思ったのでしょう。ま、これには同意見ですね。
彼は無詠唱の炎魔法で、ドラゴンを一気に焼き払っていきます。地形を変えるほどの威力を持った業火。当然、硬い鱗を持ってしても防ぎきれるはずがありません。
身を焼かれつつも、竜は必死に何かを求めています。やがて、彼は……いえ、彼女は遠い山に向かって咆哮を上げました。
「グオォォォォォ……!」
「え……?」
あれ? 何で私はこのドラゴンが雌だと分かったんだろう。何か、不自然な感覚を受けたんですよね。
この咆哮……胸が締め付けられるように痛くなります。怒りとか、哀しみとか、モンスターが持たざるべき感情を私は感じてしまいました。
もしかして、彼女は泣いてる……?
そうです。このドラゴンの咆哮が、私には悲痛な叫びに聞こえてしまったのです。
「何ですかこれ……おかしいですよ……何かおかしいですよ!」
「テトラちゃん?」
心配するスピルさん。彼女には悪いですけど、私は相当の変わり者です。
畜生相手に同情してるわけじゃありません。ただ、こんな低地にドラゴンが現れた事といい、何かが引っ掛かるんですよ。
やがて、モーノさんの剣が竜を貫きます。この一撃がとどめとなり、彼女はそのまま息絶えました。
僅かな静寂の後、戦いを見ていた兵士や野次馬たちから歓声が上がります。声は街全体へと響き、モーノさんは一躍英雄となるでしょう。
歓喜に包まれる人々、変わり果てたドラゴンの亡骸。
頭の中にはあの悲痛な叫びが響き、心はすっかり空っぽになってしまいます。
なんで、こんな結果になったのでしょう? なんで、彼女は死ななければならなかったのでしょう?
勝者と敗者が生まれる世界。そんなことは分かっています。人々に囲まれるモーノさんたちを見つつ、私は悩み続けました。
事件が起きて数時間、日が沈みかけていますが街はまだ騒がしいです。
私は逃げるように街外れに移動し、うじうじと考え続けていました。飽きっぽいスピルさんはどこかに消え、今はご主人様だけが私の答えを待っています。
ま、一人で悩んでても仕方ないですよね。一応、彼に同意を求めましょうか。
「ご主人様、あのドラゴンは山の方から来たんですよね。さっき彼女はあの山に向かって咆哮を上げていました。あそこで何か事件が起きたんですよ」
「ふむ、それには私も同意見だ」
やっぱり同意しますか。
そうですよ! 怪しいのはドラゴンの故郷。私の指差す先にある山岳です。
「あの山の頂上、調べること出来ませんか……?」
「テトラよ。この世の中には知らなくても良いものが多々ある。今回の件、お前は知らない方が幸せだと私は思うのだが」
ええ、分かってます。私はカシムさんに嘘をついて、仲間の死を隠そうとしました。
でも、結局ばれちゃったんですよ。優しい嘘でも嘘は嘘。いつか必ず報いを受けるんです。
私の嘘は押し売りですからね。人にはやっても自分にはやりません。そう、私は自分に対してだけ正直者なんです!
「ご主人様、それは冗談ですか? 知らない方が幸せなことは確かにあります。ですが、それを知らなくていいと判断するのは違うでしょう。問題なのは、知ったところで何が出来るかだと思います」
「……なるほど、違いない」
いくら傷ついたって構いません。ただ、知りたくて知りたくて仕方ないんです。胸が締め付けられるように痛くて、誤魔化しようがないんです!
ですが、山を調べるのには問題がありました。ご主人様はそれを指摘します。
「ところでテトラよ。あの山は幾多もの冒険者が挑む天然のダンジョンなのだが。お前はいかにしてその頂上へと向かうつもりだ?」
「う……鳥のように飛べたらいいんですけどね……」
私は冒険者じゃありません。ご主人様の操作で一時的に能力を得ることは出来るでしょう。ですが、ダンジョンを突き進むほど操作が持続するはずがありません。
ご主人様の操作は私を無理やり引っ張ってるようなもの。どうせ、明日には今日のつけが回って筋肉痛に苦しむんです。
いよいよ方法がありませんね。でも、やっぱり知りたい……
「でも、行きますよ。何日……何カ月……いいえ! 何年たっても私はあの場所に向かいます! その時には原因はなくなっているかもしれませんが……」
このテトラ・ゾケルは口だけです。だからこそ、それには絶対の自信があります。
だから、私は大口を叩きます! 口だけは強く出たいんです! 口だけは負けたくないんです!
私の答えを聞くと、ご主人様は不敵に笑います。声は次第に大きくなり、やがて高笑いへと変わります。
「ふふ……ハーハッハッ! なるほど、理解したぞジブリール! どうやら、ここからは本気で向き合わなくてはならないようだ!」
「ご主人様……?」
また呼んだジブリールという名前。いったい誰……?
向き合う? 誰と? もしかして私のこと……?
そして、ご主人様の言った『本気』という言葉。
ご主人様の本気……? 今まで見せていなかったの……?
ここで私は全てを理解します。
ずっと、彼は本気ではなかった。それを確信する変化を感じてしまったのです。
ご主人様がマントを翻すと、それは大きく形を変えていきます。元は布だったそれは不自然にうねり、生き物のように脈動しています。まるで、体の一部みたいですね。
完全に変化を終えた時、ようやく何に変化したか分かります。それは宙を舞うために作られた大きな翼。紛れもなく、ご主人様の一部でした。
ですがこの翼、鳥とは違いますね。ドラゴン……いえ、真っ黒いそれはまるでコウモリのようです。
「鳥のように飛ぶ……か……分かった。ならば飛ぼう!」
ご主人様は大きく翼を開き、私の手を握ります。周囲には誰もいません。彼の変化を目の当たりにしているのは私だけでした。
マントを翼に変えた……? 違います。翼をマントに擬態させていたんです。
銀色の髪に青白い肌。長身で人間とは思えない風貌。私を握った手は冷たく、温もりを感じませんでした。
「ご主人様……貴方はいったい……」
「行くぞテトラ。私は悪魔ネビロス、人間界の観測者だ!」
人間という種族ではなく、それ以前に人と言う存在ではない。以前、モーノさんが言っていたことをようやく理解できました。
悪魔……そう、彼は悪魔だったのです。
ヴィクトリアさんが惚れた悪魔という存在。絵の中の存在ではありません。
今、紛れもなく。
私は悪魔に手を引かれ、宙を舞いました。