49 再び私は地を駆けます
私が宮廷道化師になって一週間と五日。ターリア姫とのお別れが近づいていました。
ですが、まだ私はそのことを話していません。とてもではありませんが、彼女に話す勇気がなかったのです。
今日も人形劇を披露し、一時的に姫を楽しました。しかし、人間というものは飽きる生物。舞台上の物語で楽しませるのも限界が近づいているでしょう。
「ふあー……退屈だ……」
姫はあくびをしつつ、ぼーっと窓の外を見つめています。
英雄願望とプリンセスとしての責任。決して交わらない二つが、ジレンマとして存在していました。
ただでさえ退屈してる彼女に、自分はもうおさらばなんて言えるはずがありません。「あたちも一緒に連れていけ!」って言うに決まっています。
任期を終えたらそれで終わりというのは卑怯ですね。宮廷道化師たる者、仕事を終えた後の事も考えなくてはなりません。
私は部屋の片隅で背景と同化している兵士。アロンソさんに話を振ります。
「アロンソさん、ターリア姫は外の世界に憧れています。こんな窮屈な部屋に閉じ込めていては、根本的な解決に至らないでしょう」
「それは理解している。しかし、姫を外出させる場合、多くの護衛をつけることになるだろう。気軽に行えることではない」
ど、正論ですね。やっぱ、警護とかそのあたりが大変になっちゃいますか。
それに加え、警護を多くつければターリア姫にとって鬱陶しいでしょう。やはり、ここは少数精鋭をつけるのが正解です。
王の信頼を得ていて、向かうところ敵なし、さらにはターリア姫への気遣いが出来て、ついでに私にも友好的。よし! これで完璧! 早速提案してみます。
「滅茶苦茶強い専属の護衛をつけるのは?」
「戦場に向かう騎士にその人員を割いている。城の警備兵ではとても手に負えないだろう」
あー、そうでした。カルポス聖国は軍事国家でしたね。
戦力は多ければ多いほどいいんです。身内の護衛のために人員を割くなんて、国民からの信頼を失ってしまうでしょう。
ターリア姫も災難なものです。プリンセスという立場に生まれたばかりに、冒険者の夢が潰えてしまったのですから。
私は姫の方に視線を移します。彼女は窓の外を見たまま微動だにしません。
ですが、その瞳に何かが映ったのでしょうか。すぐに姫は振り向き、口をパクパクと動かしました。
「ど……ドラゴンだ!」
「はいはい、似たような劇は飽きたって昨日言ってたじゃないですか」
「ち……違う……! 本物のドラゴンだぞ!」
なにを言い出すかと思えば……こんなところにドラゴンなんているはずがないでしょう。
私は呆れながら、窓の方へと向かいます。そして、ターリア姫の隣から街を覗き込みました。
瞳に映ったのは深緑の鱗に覆われた雄々しいドラゴン。彼は翼を広げ、我が物顔で街の上空を飛行していました。
「か……かっこいい……本当にドラゴンだ」
思わず、感想が口に出てしまいます。だって、初めて見たもの。
そんな私のことなど露知らず。やがてドラゴンは下界へと降り立っていきす。これって、かなりヤベー状況じゃないですかね……?
街の危機を察知したのか、ターリア姫が窓から身を乗り出します。
「今こそ……今こそ王家の力を見えるとき! さあ、かかってこいドラゴンめっ!」
「姫! 私の傍から離れないよう! テトラ殿もこちらへ!」
ですがその瞬間、後ろから状況を見ていたアロンソさんが、姫を抱き止めました。
当然の判断でしょう。ここは護衛のプロに任せ、私は街の方へと向かいます。
思いっきり私にも待機するように言っていますが、従う義理もないので無視ですね。扉を開け、城の外へと走り出しました。
「て……テトラ殿!」
やはり、嵐の前の静けさでしたか。
人里に下りてきた怪鳥ルフ。それとこのドラゴンはたぶん関係ありますからね。
まずは自分の目で事態を確かめなくてはなりません。
勢いに任せ、私は街を駆けていきます。
目指すはご主人様の泊る宿。やがて、視界にそれが映りました。
すでに、宿の前では二人が待っています。一人はご主人様、もう一人は先に合流していたスピルさんですね。
彼女と私は同時に口を開きます。ですが、両方とも動揺していて、まともな言葉が出てきません。
「ご主人様! ど……ドラドラドラドラ……!」
「ドラドラドラドラ……!」
「両方、まずは落ち着くべきだ」
ドラゴンです。ドラゴンが街に降り立ってしまったんです!
これはとんでもない事が起きてしまいました。動揺する私たちとは違い、ご主人様は冷静に状況を分析していきます。
「ふむ……珍しいことだが、あのドラゴンはルフと同じ高地に生息している。やはり、近場の山岳において、何らかの異変があったと見ていいだろう」
「のんきに分析している場合じゃないよ! 街が燃えちゃう!」
スピルさん曰く、ドラゴンは滅茶苦茶周囲を燃やすみたいですね。つまり、火を噴くという事でしょう。
草原や森ででかい芋虫や狼を見てきましたが、今回はその非ではありません。いよいよ、本物の化物という存在に遭遇してしまったようです。
さって、では向かいますかね。私の中に眠る道化気質が、混沌を求めてうずうずしているのが分かります。
一応という事でしょうか。ご主人様が念を入れて聞いてきます。
「テトラ、行くのか?」
「当然です。混沌あるところにこのテトラありですから」
興奮が収まらねえですね。この街が危機に瀕していると知りながら、私は内心楽しんでいました。
だってドラゴンですよ! 物語の中に存在する竜。それが存在しているのなら、眼に焼き付けるのが当然というものでしょう。
だって、私は異世界転生者なんですから。
目の前には火を噴く竜。そして、燃え盛るいくつもの家屋。
数人の兵士が住民の退避を促し、残りの大多数がドラゴンとの戦闘に赴いています。一目で、現状のヤバさを実感してしまいました。
これはおふざけできる空気じゃありませんね。ガチで人が死んじゃう奴じゃないですか……
「ドラゴンへの対応に追われて警備がざるです。このままもっと近づいてみましょう」
「私も頭おかしいって言われるけどさ。テトラちゃんも大概だよね」
あーあー、うるせーです。おふざけできる空気ではありませんが、こちとらガチでおふざけを試みてますから。道化の気まぐれをなめるんじゃねーですよ。
実際、私たち以外の人たちも、忠告を無視して野次馬と化しています。人っていうのはですね。たとえ危険な事態であっても、非日常を求める生物なんですよ。
私たちはさらにドラゴンへと近づきます。竜は王宮騎士に囲まれ、剣や魔法による攻撃をその身に受けていました。
ですが、あまり効いていない様子。硬い鱗に覆われ、半端な攻撃では歯が立たないようです。
炎に焼かれ、爪によって切り裂かれる兵士たち。そんな様子を見たご主人様は被害の拡大を懸念します。
「強いな……このままでは最悪の事態も考えられる」
そんな時でした。ドラゴンの大きな手が一人の兵士を鷲掴みにします。そして、そのまま飛び立とうと、翼を大きく広げます。
これは……やべー奴です! 私はあの人の事なんて知りませんが、目の前で命を奪われるのは絶対に嫌! ましてや、救う術を持っているのなら尚更です!
すぐに、ご主人様に向かって叫びました。
「ご主人様、力を貸してください!」
「承知した」
ご主人様は待っていたと言わんばかりに、私に向かって何本もの糸を絡めます。そして、それらを同時に引っ張り、私をドラゴンの元へと走らせました。
身体は一気に加速します。ですが、あくまでもそれは人間の領域。決して一線は越えません。
ご主人様の操作は万能じゃない。いくら無理やり体を動かそうと、私というベースが変わるわけではありませんから。
やがて、私は地を蹴り、ドラゴンの元へと大きく飛躍します。そして、瞬く間に掴まれた兵士を奪い返し、転がるように地上へと落下しました。
あ、着地失敗はわざとですよ。あくまでも私は無謀なことをした一般人。高度な動きをして、兵士さんたちにマークされたくありませんから。
すぐに地面に倒れていたところを他の兵士さんが介保します。
「いたた……擦りむいちゃいました」
「よくやった奴隷娘! 見事な働きだったぞ!」
これなら、ちょっと動ける大道芸人レベルです。顔を隠してさっさとトンズラしましょう。
ですが、獲物を奪われたことに腹を立てたのか、ドラゴンがこちらを睨みます。完全に目と目が合っちゃいましたし、これ不味いですよね……
なーんて思っていたら、ドラゴンはこちらに向かって火を放ってきました。
「グオオオォォォ……!」
「ちょ! 殺す気ですか!」
兵士さんが身を挺して守ってくれましたが、無視してヘッドスライディングで避けます。
不味いですね。こんなことを繰り返していたら、ご主人様の操作がばれてしまいますよ。
とにかく走って、ドラゴンから逃げました。すると、杖にまたがった女性が一人、空中を飛行しつつドラゴンを翻弄します。
「こっちだよー!」
「スピルさんナイスです!」
メイドのスピルさん。今にも墜落しそうなほど不安定な飛行ですが、しっかりとドラゴンを引きつけていました。
これをチャンスと見たのか、兵士たちは一斉に攻撃を開始します。ですが、やっぱり硬い鱗を突破できません。ドラゴンは尻尾を振り払い、彼らを纏めて薙ぎ払いました。
「くっ……退避退避! そこの女も安全な場所に!」
兵士たちは体勢を立て直すため、一時的にその場を離れます。まさか、モンスター一匹でここまで大事になるとは思いませんでした。
彼らが退避したことにより、空中のスピルさんがドラゴンの標的となります。しかし、どうやら彼女の飛行時間は限界のようでした。ふらつきながら、女性は私の隣へと降り立ちます。
「ふう……一息一息」
「ちょっと! 何でわざわざ私の方に来るんですか!」
当然、ドラゴンはこちらに狙いを定めます。不味いと思ったときはもう遅く、彼は私たち二人に向かって灼熱の炎を吐きかけました。
避ける時間はありません。この世界に来てから死を覚悟したのは何度目ですかねー。
私は奇跡を期待します。今までに何度も死に直面しましたが、その度に周囲から守られていました。今回だって、絶対に周りが答えてくれるでしょう。
やがて、私の予想通り、炎は何者かの剣によって振り払われます。
ですが、そのある人の顔を見た瞬間、私は唖然としてしまいました。
「モーノさん……?」
涼しい顔で炎を消してしまう一人の男。
傲慢で容赦がなくて、女ったらしな冒険者。
憎たらしくて仕方がない。私と同じ異世界転生者の彼。
モーノ・バストニその人でした。