160 蠅の王ベルゼブブ!
聞いてない! って文句も言いたくなりますよ。
新たに参入したのはパイプを蒸した謎の紳士。彼は今まで戦ってきた人たちとは明らかに違います。
この世界の人ではありません。それ以前に人かどうかも疑わしい……
心の異世界転生者である私には分かります!
絶対に強い! 下手をしたらペンタクルさん以上に……!
何でラスボスクラスが街に降臨するんですか! すっげえ理不尽でしょうが!
流石のジルさんも固まっていますね。多分、ステータス鑑定でとんでもない物が見えたんでしょう。
眼鏡のずれを直しつつ、彼はパイプの紳士さんに問います。
「君は何者だい……?」
「申し遅れました。私は地獄の第二位、悪魔ベルゼブブです。今回、第一位ルシファー様の命によりクレアス国側のサポートに来ました」
やっぱり敵ですか……そりゃ邪魔してますからそうですよね。
ベルゼブブという名前はものすごーく聞き覚えがあります。それほど、元の世界でも有名な悪魔という事です。
二位という事は単純に悪魔で二番目に強いという事。加えて、一位のルシファーさんの命令って……
最悪ですね。なぜ悪魔さんたちがクレアス国側に……?
「目的は何ですか! ペンタクルさんと関係あるんですよね?」
「私たちの目的は悪魔ベリアルを冥界に捕縛する事。その為には、主の祝福を受けた転生者の力が必要です」
「私たちだって転生者ですよ!」
「ええ、ですが貴方たちは負けました」
ぐう……随分とはっきり言ってくれますね。
つまりペンタクルさん側と私たち側を天秤に掛け、勝ったペンタクルさんのサポートに動いたわけですか。ですが、それは不味い……
大天使ラファエルであるロバートさん、加えて大天使ガブリエルであるゲルダさんは私たちの味方です。悪魔さんたちがペンタクルさん側に付けば、それこそ天使と悪魔の代理戦争です。
混沌を望むベリアル卿の思い通りじゃないですか!
「大天使さまは私たちの味方です。天使と悪魔の間接的な衝突こそが、悪魔ベリアルの目的とも考えられます」
「ええ、その危険性はルシファー様に話しました。ですが、彼も聞かない。彼にとって、力こそが正義という事でしょう」
うわあ、ルシファーさんも相当厄介な人だあ……ベルゼブブさんは意外にも普通ですが、上司命令では説得出来そうもありませんね。
悪魔は虫眼鏡を取り出し、私とジルさんをしきりに観察します。まるで、こちらの考えを見通しているかのようでした。
「私は自分の考えが正しいと得心するまで熱慮する質です。明確な事実こそ疑わなくてはなりません」
「分かるよ。僕は科学者だからね」
どう考えても、ベルゼブブさんはルシファーさんに賛同していません。彼はジルさんと同じ研究者タイプでした。
隙があるとしたらそこしかありませんね。ペンタクルさん以上の力を持つ大天使。彼らに匹敵する力を持つのが上位の悪魔ですから。
聖書の存在に勝てるとは思いませんし、死の概念がない彼らを消滅させるなんてもっての外。
認めさせるしかない。
心の異世界転生者である私が、心で彼と繋がるんです!
例え相手が、最高位の悪魔でも!
「では、地獄の名探偵ベルゼブブ。今ここで異世界転生者の謎を暴きましょう」
「魅せてください! イッツショータイムです!」
本気で行かなければ速攻で終わりです。私は仮面を外し、その場でくるりと回りました。
大丈夫です。相手は悪魔、主に背いた存在といえど積極的な介入は出来ないはず。ましてや殺しなんて行えるはずがありません。
だからこそ、ベリアル卿は言葉で人を惑わしているんです。高位の存在が別世界に関わるのには、それ相応の制約があるのは確実でしょう。
「相手に攻め手がないのなら行けます!」
『待て、テトラ!』
ご主人様が制止するより先に、私はベルゼブブさんの懐へと飛び込みます。その瞬間、彼の身体は黒い煙のように周囲へと広がりました。
これは……ベリアル卿の闇の炎? いえ、違います。小さいですが確かに物体があります。
虫です。煙のように見えたのは全て小さな蠅。ベルゼブブさんは自らの身体を蠅に変え、飛び込む私を包み込んだのです。
ぞっと背筋が凍りました。不味い……ここに居るのは絶対不味い……!
「高を括りましたね。やはり唯の人か」
「テトラ、じっとしていろ!」
無数の虫全てが敵。彼らは一斉に牙をむき、私の身体に食いつきます。
痛みを感じるより先に食い尽くされる……! まさか、本気で人である私を殺す気ですか!?
また、死を覚悟しました。ですが、私にはそれを許してくれない仲間がいます!
ジルさんは風の魔石を鳥型のモンスターに変え、その羽ばたきによって虫を吹き飛ばしました。同時に、ご主人様が独断で糸を引っ張り、私の身体を敵から引き離します。
ここまでの動きに十秒もたっていません。全員が速く、全員が的確に動いていたのです。
「あ……ありが……」
「てめえ! 無茶のしすぎだってんだろ! ちっとは学びやがれ!」
「ごめんなさい……」
ジルさんに滅茶苦茶怒られます。まあ、当然ですね。はい……
確かに高を括っていたのかもしれません。ですが、無策で突っ込んだわけでもないので納得できませんよ! どうして人として生きている私を殺そうとしたんですか! 主に背く行為でしょう!
ベリアル卿や以前戦ったアスタロトさんとは違い、ベルゼブブさんには明確な殺意がありました。何か、私を殺していい理由がある……?
疑問に思ったとき、目の前にご主人様が降り立ちます。そして、マントを翻して敵と相対しました。
「ベルゼブブよ。私の契約者を殺してもらっては困るのだが」
「悪魔契約を行った者は人の世を捨てた存在。原則として処分は自由にしていいはず」
「言っただろう。私が困るのだ……」
そうか……大天使ガブリエルさんであるゲルダさんは、悪魔契約を行ったスピルさんを殺そうとしました。私は例外として処分していい事になってるんだ……
人の形に戻ったベルゼブブさんは冷徹に私を見下します。同じ敬語の悪魔ですが、人をリスペクトするベリアル卿とはまるで違いますね。
合理主義かつ研究熱心。典型的なインテリ生真面目タイプだと分かります。
こういう人は理をもって接すればちゃんと受け入れてくれるはず。ですが、残念ながらこちらに理がない……感情論に耳を貸すことはないでしょう。
「テトラ気をつけるんだ。あの人の能力は『虫』だよ。自身の身体を蠅に変換し自由に操作する。一匹でも残ればそこから再生するだろうね」
「正解だ。彼に物理的な攻撃は無意味だろう。加えて、細分化した虫による攻撃は小回りが利く」
ジルさんとご主人様から相手の能力を聞きます。ですが、知ったところで対処できないタイプですね。
ご主人様は糸人形のピノ君を取り出し、それを操って戦闘態勢を取ります。交霊の糸はすべて私から切り離され、彼を操るために使われました。
ちょ……ちょっと待てください! 私から糸を取ったら戦えないじゃないですか! ご主人様は私に死ねと!?
「あの、ご主人様? 私の操作は……」
「すまないテトラ。ベルゼブブはお前の命を奪うことに躊躇する者ではない。悪魔の問題は、悪魔である私が対処する。下がっていてほしい」
「ふざけんじゃねーですよ! 私たち、今までずっと二人で……」
「いや、私はお前をサポートに徹していただけだ。命を懸けていたのは常にお前だけだった」
そんな事、まったく気にしてないですよ! 私はご主人様やジルさんと一緒に戦いたいんです!
私だけ隠れているなんて出来ない……ですが、ご主人様も真剣な様子。ピノ君を躍らせ、空へと飛びあがるベルゼブブさんに対して構えます。
目に映るのは面妖な蝶の羽。それを羽ばたかせ、超高速でこちらへと迫ってきます。
加えて、敵の肩から生えてきたのはグロテスクな昆虫の節足。あれでご主人様を串刺しにする気だ!
「ご主人様……!」
「テトラ、ネビロスさんの指示を聞くんだ。僕は彼のサポートをする!」
ピノ君の右腕がナイフにチェンジされ、ベルゼブブさんの節足を受けます。同時に、ジルさんの銃口から炎の弾丸が放たれていきました。
魔石の力を受けた弾は、容赦なく敵を業火に飲み込んでいきます。ご主人様もそのサポートを利用し、人形をアクロバティックに後方へと下がらせました。
完全なヒット&アウェイ、即席ですがコンビネーションは悪くありません。しかし……
「技術……科学……そんな物でこの私を倒すことは出来ませんよ」
「くっ……虫か……」
糸の人形のピノ君、その間接に大量の虫が蠢いていました。また、ジルさんの銃口にも同じ虫が何匹も詰まっています。先ほどの一瞬で、それぞれの精密部分に侵入したのでしょう。
冷静さを崩しながらも、ご主人様は人形を滅茶苦茶に動かして虫を払います。また、ジルさんも魔石を使って銃を瞬間的に凍結させました。
て……敵の攻撃が見えない……地味ですがそれがむしろ怖い……!
「腑抜けましたねネビロス。貴方は人に感化されすぎた。死体を操れなくなり、そのような人形遊びに勤しむとは嘆かわしい」
「お前はつまらなくなったなベルゼブブ。大天使に負け、心を折られたのだろうか」
一切表情を変えないまま、ベルゼブブさんは虫の軍勢を放っていきます。すぐにジルさんは火と雷の魔石を取り出し、それぞれ犬と虎に変えて攻撃へと移りました。
焼き払われていく虫、ですが全く限がありません! ご主人様も虫たちを交わし、ベルゼブブさんの懐にピノさんを運びます。そこからナイフによって攻撃を加えますが、蠅の軍勢で出来た身体に物理攻撃は効きませんでした。
強すぎます……派手ではありませんが、確実に詰みの状態です! やがて、突然ジルさんの右手から血が噴き出しました。
「くっそ……」
「虫が食い込みましたね。観えなかったでしょう? 貴方たちは見ているだけで観えていない」
すぐに錬金術によって作り出した薬品を取り出し、負傷した手にかけます。すると、その強力な効果によって、体内に食い込んだ虫が表へと出てきました。
あの攻撃を防いだ……やっぱりジルさんもつえーですね。
ですが、それでも足りない……高位の悪魔と言うのは大天使にも匹敵する存在。今まで戦った敵とはまるで違います。
たぶん、ジルさんを殺すことはしないでしょう。ですが、ご主人様は分かりません。
交霊術での操作はありませんが、やっぱり私も無視できません!
「ご主人様、ジルさん! やっぱり私も……」
「ハンス! マルガ! テトラを連れてここから離れるんだ!」
土の魔石で虫を防ぎつつ、ジルさんがそう叫びます。すると、物陰から小さな双子が飛び出し、私を無理やりワッショイしました。
まさか、私だけ逃がす気ですか! ふざけんじゃねーですよ! そんな勝手なこと許してたまりますか!
当然抵抗します。ですが、ご主人様の操作のない私はただの少女、ホムンクルスである二人に対抗できるはずがありません。
「お姉ーたん、ダメダメノーノー」
「あいつ、ちょー危険。逃げ逃げエスケープ?」
逃げたところでいつか追いつかれます。ご主人様とジルさんを失うことになれば結局詰みですよ。
絶対にここでベルゼブブさんを止めなくちゃダメなんです! たぶん、ルシファーさんも敵側である以上、後回しなんて許されません!
無理やりでも降りようとしたとき、こちらに向かって何らかの攻撃が撃ち込まれます。それによって、少女のマルガさんが被弾し、吹き飛んでしまいました。
「マルガさん!」
「マルガ……!」
「あのさ……このボクを無視するなあああ!」
よろよろになりながらも、ジェットを吹かして飛ぶ黄金のゴーレム。
ドワーフの姫であるモニアさん。再び彼女に捕捉されてしまいました。
ベルゼブブ「最近はまともな犯罪が無くて嘆かわしい。私の頭脳が勿体ないですよ」
テトラ「犯罪が無いなら無い方が良いような……まさに狂人の名探偵ですね」