16 絶対に幸せになってやります
物事というものは、少しのほつれで瞬間的に崩壊するものです。
それは、余りにも早く起こってしまいました。
魔法の絵の具がどういうものか知ってしまった後。私は笑顔のまま、ヴィクトリアさんと一緒に暮らしています。
それは仮面で涙を隠しているのか、あるいは狂気に慣れてしまったのか。私自身にも分かりません。
私は知ってて彼女を止めていません。もう真っ黒ですよ。今ある幸せを壊したくなくて、何も言いたくなかったんです。
ですが、そのかいはありました。あんなことがあった後も、ヴィクトリアさんが笑ってくれています。
彼女は最高傑作である悪魔さんの絵と睨めっこをし、真剣に悩んでいました。
「やっぱりこの絵、何か足りないなー。ねえ、お姉ちゃん。何が足りないと思う?」
「うーん、そうですねえ……悪魔さんに完璧を求めすぎて、少女さんの方が厳かなんじゃないですか?」
「あ、それあるよ! ありがとう、考えてみる」
今日も白猫さんの笑顔が眩しいです。もうそれだけで十分でした。
もう、それだけで……
二人で話している時です。コンコンと入り口のドアが叩かれる音が聞こえました。
この世界にインターホンはありませんし、これは完全にノックですね。
今までになかったことですよ。こんな森の中にあるアトリエにお客さんが来るなんて……
ヴィクトリアさんの顔が強張ります。何を警戒しているか分かりませんが、その場に不穏な空気が漂い始めました。
「お姉ちゃんは下がってて。お客さんどうぞー」
彼女はそう言って、入口の方へと歩いていきます。私は心配になって、その後をこっそり付いていきました。大丈夫です。物陰から様子を見るだけですから。
ノックの音は消え、代わりに扉が開かれる音が聞こえます。私がいても、邪魔になるだけですからね。隣の部屋からひっそりとのぞくことにしましょう。
ヴィクトリアさんの目の前に現れたお客さん。黒い服を着た私と同じぐらいの歳をした男性です。
よ……良かった……てっきり、私たちを裁きに来た正義の騎士かと思いましたよ。一応、剣士をしているみたいですが、こーんなクソガキには負けねーですって!
だって、ヴィクトリア天才なんですよ。私たちに仇をなすなら、ちょちょっと追い払ってお終いでしょう!
彼女は警戒しながらも、いつも同じ態度でお客さんの相手をします。
「お兄ちゃん、こんにちわー。もしかして、絵の注文かな?」
「……いや、絵はいらない」
黒い剣士さんは、鋭い目つきでヴィクトリアさんを睨んでいました。それは、明らかに敵意を持っている眼差しで、話し合うことなど絶対に出来ないと分かってしまいます。
彼は何も言いません。怒っているのか、悲しんでいるのか、そんな表情でヴィクトリアさんを睨み続けています。
これは……何だかヤバいやつですよ。この人……ただ者じゃありません。
ですが、白猫さんは余裕の表情を崩しませんでした。絶対に切り抜けられる。その自信を持った様子で、剣士さんに問いかけます。
「えっと、どうしたの? 黙っていたら分からないよ」
「悪い。驚いていたんだ。聞いていた話の奴が、まさか年下の女だってな……」
聞いていた話……? それって、もしかして……もしかして……
魔法の絵の具のこととか……
「用件は一つ。俺は妖精王の命でここに来た」
「ウィンド」
剣士さんが自分の使命を明かした瞬間でした。ヴィクトリアさんの放った風が、入口の周囲を切り裂いていきます。
ちょっとこれ……完全に殺す気じゃないですか! ダメですよ……誰かの命を奪って、自分の幸せを勝ち取っても意味がないんです!
ですが、彼女の殺意は収まりません。何かを守るため、懸命に戦おうとしています。
確かに彼女は魔法の天才でもありますが、いかんせん相手が悪いですよ。剣士さんは今の一瞬で風の刃を避け、すでにアトリエの中に入っています。彼は剣によって接近戦を仕掛ける気でしょう。
当然、魔法使いのヴィクトリアさんがそれを許すはずがありません。後ろに下がって距離をとりつつ、別の魔法を発動させていきます。
「お姉ちゃん逃げて! ファイア!」
「アイス」
彼女は炎の魔法によって攻撃を仕掛けます。ですが、剣士さんから放たれた氷によって防がれてしまいました。どうやら、彼は剣だけで戦うのではなく、魔法も相当に使えるみたいですね。
炎と氷、互いに衝突して蒸気が舞います。これでは視界が塞がって、まともに戦えるはずがないですよ!
「けほっけほっ! ヴィクトリアさん!」
ヴィクトリアさんは逃げろと言いましたが、彼女を置いて逃げれるわけないです! 命の恩人なんです。私にとって大切な友達なんです。
この命を犠牲にしてでも、お供するに決まってるじゃないですか。私は妖精の虐殺を見過ごした悪人ですが、悪人には悪人の意地があるんです! ここまで進んだ覚悟があります!
絶対に正義の味方なんかに負けません。ヴィクトリアさんと一緒に幸せになってやります!
蒸気の中では、二人の魔法使いが戦っています。ヴィクトリアさんとは違い、剣士さんは視界が覆われたあの中でも正確に場所を掴んでいますね。
圧倒的に不利だと分かったのか、白猫さんは風の魔法によって蒸気をすべて吹っ飛ばします。ですが、相手もすでに魔法の準備に入っていました。
「ウィンド!」
「アース」
蒸気が晴れたのと同時に、せり上がった地面がヴィクトリアさんの足を殴打します。どう見ても、剣士さんが一枚も二枚も上手でしょう。
ですが、白猫さんは余裕の表情を崩していません。天才の自分が負けるはずがないという慢心。それが、彼女の危機感を麻痺させているのです。
「ダメです……逃げてくださいヴィクトリアさん……」
「凄いなお兄ちゃん。属性魔法を二つも使えるなんて、私と一緒だね!」
一緒……? 違います。違うんですよヴィクトリアさん……
私には分かります。あの剣士さんはまったく本気を出していません。まるで憐れむような冷たい瞳で、彼女を見下しているんです。
だから、結果は分かってます。勝てません。絶対に勝てないんですよ……
やがて、それを証明するかのように、剣士さんの手から新たな魔法が放たれます。
「ファイア」
「え……?」
彼が放ったのは灼熱の炎。その攻撃を受け、ヴィクトリアさんは作業場の方へと吹き飛ばされます。
氷の魔法、土の魔法、それに次いで彼は炎の魔法を使いました。私は基本的な魔法の知識を学びましたが、三属性の魔法を使うことが相当の規格外だと分かります。
だって、二属性を扱うヴィクトリアさんが天才なんですよ! じゃあ、三属性は何なんですか! 天才のさらにその上……
チート。
そうです。チートですよこれは……
この人……何番の異世界転生者ですか……!?
「そんな……属性魔法を三つ使えるなんて……そんな人、聞いたことないよ!」
「三つじゃない。四つだ」
その言葉とともに、剣士さんが一気に間合いをつめます。
私は思わず物陰から足を踏み出しました。そして、ヴィクトリアさんに向かって必死に手を伸ばします。
助けたい……助けたい……助けたい……!
私たちは幸せになるんです。ここでずっと、二人で一緒に生きるんです。その一心で私はただ手を伸ばしました。
でも、ダメです。弱っちい私の行動なんて、あまりにも遅すぎたんです。
銀色に輝く剣が、ヴィクトリアさんの胸に振り落とされました。
瞬間、彼女から貰ったシルクのローブが、その鮮血によって真っ赤に染まります。
妖精さんの犠牲で成り立った偽りの幸せ。その象徴である綺麗なお洋服が、真っ赤に汚れてしまいました。
もう手遅れにもかかわらず、私はその手で白猫さんに触れます。まだ温かい、ですがそれも今だけでしょう。彼女の胸は深く、赤くえぐれているのですから……
「ヴィクトリア……さん……」
「ようやく見つけた……こんなに近くにあったんだ……」
ヴィクトリアさんは自分の手についた真っ赤な血を見つめています。やがて、彼女は誘われるように一枚の絵へと歩き出しました。
悪魔と少女が描かれた大きな絵。悪魔に心を奪われ、翻弄された少女の最高傑作。これが彼女にとって最後の作品になってしまいました。
ヴィクトリアさんは自分の血を見て笑います。そして、絵画に描かれた少女の頬に赤い一筋の涙を描き加えました。
「できた……私の最高の……」
その言葉を最後に、まだ幼い少女が床に倒れます。
本来、私は彼女の死を嘆くべきなんでしょう。涙を流し、自らの行いを悔やむべきなのでしょう。
ですが、今はその暇すらもありませんでした。
私の友達の命を奪った剣士。彼がこちらに鋭い眼光を向けます。
目と目が合う二人。その時、私は天啓に撃たれたかのような衝撃を受けました。
髪の色も目の色も肌の色も、全てが日本人に見られない特徴。ですが、この人からは私と同類のにおいを感じます。
疑惑は確信に変わりました。彼は確かに異世界転生者。向こうは気づいていないようですが、こっちは全ての種を分かっているんですよ。
問題となるのは彼が何番の異世界転生者なのか。一番? 二番?
五番なら……殺される……!
「あ……うあ……」
「誰だ。話に聞いていないが、お前はこいつの何なんだ?」
逃げるんです。誤魔化すんですテトラ!
この人は私がどういった存在か理解していません。偶然、ここにいたお客だと偽るんです!
さあ、言うんです! 簡単でしょう!? 私は彼女の仲間ではないと言うんです!
『私たちずっと友達だよ!』
そのとき、ヴィクトリアさんの声が聞こえてしました。
そうですよ……私たちはずっと友達です。罪は二人で背負うって決めたじゃないですか。
どこの馬の骨かもわからない異世界転生者。そんな彼に、この絆を引き裂く権利がありますか?
ないですよ。私の答えは決まっています。
「私は彼女の友達です」
これは明らかな不正解回答です。ですが、後悔はありません。
だって、本当のことを言っただけなんですから。