閑話22 くるみ割り人形
闇のように蠢くネズミたち。ラッテンさんの笛の音に合わせ、彼らは聖国騎士たちを食い尽くしていきます。
真面にやり合えるのは聖剣隊だけでした。彼らは陣形を崩さず、防戦一方ですが対抗姿勢を見せています。ですが、それも長くは持たないでしょう。
先ほどまでは互角でしたが、たった一人が参入しただけで一方的なものへと変わります。魔王八人衆、やはり彼らの実力は圧倒的でした。
「情けないねえ聖剣隊。もっとショーを盛り上げてくれないと!」
「なめるなよ下等なエルフが……! 我ら聖剣隊が最強とされる所以を知れ!」
一人の合図により、聖剣隊の騎馬兵は一斉に散開します。彼らはラッテンさんのネズミを無視し、それぞれ別のクレアス国兵へと攻撃を加えていきました。
これは駆け引きです。混戦状態で敵味方を判断し、驚異のスピードで攻撃を加えるネズミたち。数も多く、一見無敵とも思えるでしょう。
ではなぜ、使役者のラッテンさんは竜を下がらせ、自ら大地に立っているのか。
恐らく、音による操作は通りが悪いからです。せいぜい、数十メートルが限界。無防備な状態で演奏しつつ、なおかつ一定の距離を維持しなくてはなりません。
だからこそ、魔族たちは彼を守るように立ち回っていました。本体であるラッテンさんを落とすには、この兵を突破するしかありません。
「魔獣使いは使役者を狙うのが上等! ネズミどもは無視しろ!」
「やっぱり僕自身を狙ってきたね。でもざんねーん! 君たちじゃパワー不足だよ!」
例え立ち回りで優れていようとも、聖国兵では魔獣と魔族両方を突破できません。剣も魔法もすべて防がれ、何人もの騎士たちがネズミに襲われていきます。
ラッテンさんの言うように、ここまでが人間の限界でしょう。ですが、聖剣隊はこの状況をひっくり返す切り札を持っていました。
本来は指揮する立場、ですが戦えば圧倒的に強い。
聖剣隊隊長、カリュオン・ロッセルさん。
兵が分散したことにより、その大技が炸裂する条件が整いました。
「一刀入魂! 胡桃割りィィィ!」
単身でネズミの群れに突っ込む髭の男。彼は大剣を振り上げ、渾身の力で地面に振り落とします。
瞬間、凄まじい衝撃が周囲へと走り、魔獣全てを飲み込んでしまいました。残ったのは大きく抉れた地面だけ、相も変わらず凄まじい威力ですね。
あれほど苦戦したネズミが消し飛びましたか。生き残りはすぐに敵を認識し、肉を食いちぎろうと襲い掛かります。
が、それも無駄。ロッセルさんは最初の一匹を左拳で殴りつけ、続く二匹、三匹目に向かって叫びます。
「うおおおォォォ!」
「な……何だい! このおじさまは!」
声の衝撃により、残りのネズミも吹っ飛ばされました。この人、一人で何匹魔獣を狩るつもりですか! 他の聖剣隊とはさらにレベルが違います……!
ガシガシと人形のように走り出すロッセルさん。魔族の兵を薙ぎ払いつつ、親玉のラッテンさんへと向かいます。これには道化師も動揺せざる負えません。
崩れるポーカーフェイス。すぐにネズミを集め、自らの守りを固めました。
「ありゃりゃ、止まらないか……! なら、これでどうだ!」
「ネズミ退治か……面白い!」
十匹、二十匹! 束になって襲い掛かるネズミたち。
ですが、止まらない……止まらない! ロッセルさんは魔法を詠唱し、大剣に地属性魔法を付与します。そして、強化された剣を力任せに叩きつけ、魔獣を胡桃のように砕いていきました。
彼は右手の武器で敵をうち滅ぼし、左手で部下たちに合図します。その姿から希望を貰ったのか、聖国騎士たちは人形のように一糸乱れず動き出しました。
まるで人形軍vsネズミ軍です。
死が渦巻く戦場ですが、私は男たちの勇士に見惚れてしまいました。
「凄い……全く止まりません……」
「ピピピ……ガー……」
モニカと呼ばれていたゴーレムも呆然とした様子。完全にロッセルさんの気迫に押されていました。
あの眼は覚悟した眼です。キトロンで戦った時とはまるで違います。
使った魔力が回復したからか、彼は再び大剣を振り上げます。そして、それを勢いよく地面に叩きつけ、ネズミたちを纏めて叩き潰しました。
地面がひび割れるほどの衝撃は、空を飛ぶこちらもピリピリと感じます。気づけば、ラッテンさんを守る兵は全て消え去ってしまいました。
彼は苦笑いをしつつ、セイレンさんを守るグルミさんに視線を向けます。
「あはは……グルミー。僕、ここで死ぬかも」
「そうか、そいつは自業自得だな。お前さんは殺しすぎたんだよ」
「そうかもね。でも、まだ死ねないなあ……」
覚悟では負けていません。道化はこの世の元は思えないほど不気味なメロディを奏でます。そして、魔獣を更に先の状態へとシフトさせました。
恐らく、これがラッテンさんの切り札でしょう。魔界のネズミは全て一所に集まり、七つの首を持つ巨大な王へと変わりました。
まさにネズミの化物ですか……グロテスク極まりないですね。
「僕はラッテン・フェンガーだよ。君を殺す哀れな道化さ」
「自己紹介感謝しよう。私は聖剣隊が隊長、カリュオン・ロッセルである!」
「そうか、ロッセル隊長。お互い最高の旋律を奏でようか……!」
ネズミの王に飛び乗り、道化はそれを自在に操作します。あれなら笛の音がよく通りますね。ですが、負ければ確実に命を落とすでしょう。
既に、聖国騎士もクレアス国兵も状況を弁えています。二人の邪魔をしてはならない。自分たちは別の兵と戦うべきだと理解していました。
これは強者同士の潰し合いです。七つの首を持つネズミは涎を流し、ロッセルさんへと襲い掛かりました。
「ぎしゃあああァァァ……!」
「速い……!」
「ロッセル隊長……!」
聖剣隊のメンバーが声を放ちます。ですが、彼らの反応より隊長が劣っているはずがありません。
髭の男は七つの首の内、一つ目の首を大剣によって防ぎます。ですが、左右から二つ目と三つ目の首が牙を向きました。
七回攻撃はえぐいですが、全て見切れば良いだけの事。ロッセルさんは左手で襲い掛かる首を掴み、もう一つの首にそれをぶつけてしまいます。
続いて、四つ目と五つ目、六つ目が襲い掛かりますが、それは地属性魔法の発動によって対処します。足元から突き出た大地が、三つの首をぶっ飛ばしてしまいました。
「我ら聖国の正義をなめるなっ……!」
「まだだよ! 最後の首は防げないねー!」
最後の首がロッセルさんの左肩に食いつきます。そして、そのまま噛み千切ろうと顎に力を加えました。
赤い鎧がひび割れます。肉体まで牙が食い込み、そこから大量の血が流れおちました。
ですが、それでもくるみ割り人形は止まりません。彼は自慢の大口を限界まで開け、魔獣に負けず劣らないほどの勢いで噛みつきました。
もはや人間業ではありません。高いステータスと覚悟がこの攻撃を可能にし、ネズミの王に確かなダメージを与えました。
「ギギギ……ギギャアアア……!」
「ネズミ風情が……噛み砕くとはこうやるものだ!」
まるで本物のくるみ割り人形のように、彼は魔獣の頭部を噛み砕きます。これにはたまらず、ネズミの王は顎を緩めてしまいました。
左肩をほぼ喰いちぎられながらも、牙から逃れるロッセルさん。ですが、そんな彼に一息つかせることなく、ラッテンさんは突進を指示します。
すぐさま剣によってガードしますが、構わず突っ込んでくる魔獣。この重量を受ければ普通は吹っ飛ばされるはず、ですが髭の男は踏み止まってしまいました。
「まだだ……まだだまだだまだだッ! このカリュオン……! 決して膝をつくものかッ……!」
「これを踏ん張っちゃうんだ……弱ったね……!」
失った右肩からは止めどなく血が流れます。それでも彼は敵を押しのけ、右手の大剣に全ての魔力を集めました。
鑑定スキルを持っている私は分かります。あの魔力量は尋常ではありません。自らの命を燃やしてでも、ラッテンさんを倒すつもりですか……!
道化の表情が一気に崩れます。もう、ポーカーフェイスを決め込む余裕もありません。
それもそのはず、既に大剣は天へと掲げられ、詠唱も終了していたのですから。
「我が命を込めた最後の一撃! 受けよおおおォォォ!」
「あちゃー……やられたな……」
ネズミの王、その首一つに全身全霊を込めた『胡桃割り』が叩きつけられました。
衝撃は魔獣の他の首や肉体をも飲み込み、まるで隕石が衝突したかのように押し潰れていきます。凄まじい音に凄まじい風圧。それらを感じるのと同時に、大地は深く醜く抉れていきました。
既に人間も魔族もその場を離れていたため、巻き込まれた人はいません。ですが、地形を変えるほどの一撃は離れた兵たちすらも吹き飛ばしました。
「これほどの攻撃を人間が……!」
「ラッテンさん……!」
大地に出来たのは十メートル以上にもなるクレーター。ネズミの王はその中心にて、死骸となって潰れていました。
ですが、使役者のラッテンさんは無事です。全身傷だらけになりつつも、彼はその場から這って逃れようとしていました。
もう、笛を奏でる体力はありませんね。ですが、一刻も早く逃げ出さなければなりません。
なぜなら、全魔力を使い果たしたロッセルさんが、以前として立っていたからです。
「私は……勝利を手にする……聖国のために……!」
「怖いね……何が君をそこまで動かすのか……」
勝負はロッセルさんの勝ち。見事です。喝采を送りましょう。
ですがダメですね。オークのグルミさんと、私を抱くモニアさんが支援の準備をしています。彼らの参入で完全に詰みでした。
さて、どちらが先に動きますか。そう思った時でした。一筋の雷が、髭の男へと降り注ぎます。
「ぐ……が……」
「ラッテン、お前らしくもないな。だが、よくやった」
魔族特有の翼を広げ、魔王であるペンタクルさんが降り立ちました。
彼の雷によって、ロッセルさんは焼け焦げて崩れ落ちます。最後はあっさり終わりましたね。ペンタクルさんも魔王らしい余裕ある態度で……
「うおおおオオオォォォ……!」
「魔王様……!」
私の思考を払い、咆哮が響きました。
最後に……本当に最後に……
ロッセルさんは魔王に対し、一筋の斬撃を加えました。
突然の攻撃に驚きつつも、彼は切り裂かれた左腕を治癒します。ですが、その表情は驚愕に固まったままでした。
私も他の兵も、誰もが唖然としています。動くはずのない者が動いたのですから当然でしょう。
ペンタクルさんも決して手を抜いていません。最後の雷魔法は確実に命を奪う一撃だったはずです。
ですが、それでもロッセルさんは剣を振りました。
そこには理屈では説明できない何かがあったのです。
ペンタクルさんは目を細め、おもむろに自らの仮面を外します。
そして、力を使い果たし、動かなくなったくるみ割り人形に頭を下げました。
「ラッテンの治療に急げ。ミリヤの村はどうなっている? 残りの聖国騎士は?」
「それが……多くの者が退避しているようです! どうやら、囮の役目も兼ねていたようかと!」
「そうか、逃げた奴らは放っておけ」
彼は部下に指示を出しつつ、ラッテンさんの元へと足を運びます。そして、治癒魔法によって応急処置をしていきました。
役割は熟しましたが敗北は敗北。道化は申し訳なさそうに視線を伏せます。
「ごめんペンタクル……助けられちゃったね」
「お前は子供に愛されている。ドロシアも悲しむだろう。彼女らを泣かせなくて良かった」
ラッテンさんは道化師としても人気なんですね。恐らく、多くの子供たちが彼の死を嘆いたはずです。
子供たちが涙を見せなくて良かった。情が移った私はそう思ってしまいます。ですが、哀しみ全てが晴れたわけではありませんね。
無意識で歌うセイレンさんの目に涙が浮かびます。
彼女の歌はまるで鎮魂歌のように、空へと響いて行きました。