132 ☆ ゴシックの大聖堂 ☆
人魚さんとの対談を終え、ミリヤの村に戻った私。
何者かによって王都が襲撃されたと予測を立て、明日に備えて休息を取っていました。
旅の疲れもあってか、毛布をかぶった瞬間に熟睡します。難民たちが暮らす村だけあって、雨風を凌ぐ場所でも寒いですね。
今は冬ですし本当に寒い……寒い……
「って、寒すぎますよ! どういう状況ですか!」
眠ったはずの私は今、猛吹雪の中を一人立っていました。
一面に見えるのは真っ白な雪、それらは聖堂からの光によって照らされています。どうやらここは渡り廊下。大きなお城から、離れへと向かっている途中のようでした。
これは完全に夢ですね。そう言えば、大きな扉を潜って西へと歩いて行った記憶があります。まあ、夢なんですから疑わしいんですけども。
「これは前に進むしかありませんね。夢に振り回されるのも慣れて……」
「とりぴっち!」
渡り廊下を歩く私の元に、一匹の鳥が舞い降ります。青く美しい羽根を持つフラウラギルドの看板鳥、キュアノスくんでした。
まさか彼、夢の中にまで飛んできたとか……? って、そんなメルヘンなんてありませんよねー。ま、今まで散々メルヘンだったんですけども。
キュアノスくんは私の肩にとまり、聖堂の方をじっと見つめます。どうやら、行けと言っているみたいですね。
「なんですか、付いてくるんですか。貴方も物好きですねー」
「ぴぴっち」
賢者のように悟った鳥さんです。色々な場所を飛び回ったからか、私よりも情報通みたいですね。何にしても只者ではありません。
彼自身の意思なのか、シルバードさんの回し者なのか。敵なのか味方なのか。同行する狙いは何なのか。ま、疑っても仕方ないでしょう。
「寒いですから、私にくっ付いてくださいね」
「とりぴぴー!」
あー、表情はないですけど可愛いですねー。正直、少し寂しかったんですよ。
真っ暗い吹雪の中、長い長い渡り廊下を二人で進みます。初めは私を疑っていたキュアノスくんですが、距離が縮まったように感じますね。
今でも状況は分かりませんが、何だか勇気を貰ったような気がしました。
レンガ造りの聖堂内部。中は白を基調したデザインで、とても幻想的な雰囲気ですね。
人の気配はなく、静かすぎて少し身震いします。奥行きのある回廊に高い天井。天窓には装飾画が施され、場所によっては棺桶が安置されていました。
棺桶にはそれぞれ、芸術的な模様が刻まれています。恐らく、この中には皇位の御方が眠っているのでしょう。まるで、棺桶の博物館のようでした。
礼拝用の座席が並ぶ大広間、その先に黄金色の何かが見えてきます。
それは祭壇。救世主の生誕から死、復活までの物語が彫刻によって刻まれていました。
やっぱり、これはただの夢ではありませんね。だって、こんなに素晴らしい芸術作品なんて見たことないですもの。記憶にないものは夢に出ませんよ。
状況を考えていると。キュアノスくんが何かに気づきます。
「とりぴぴっ!」
「キュアノスくん、誰かいるんですか?」
彼の目線を追い、私をここに呼んだ人を視認しました。
祭壇の上、バルコニーのような場所に一人の女性が立っています。水色のサンタクロースという雪国衣装の彼女。以前と違って私服ですが、完全に知り合いですよ!
女性は手すりを飛び越え、目前に着地します。呆然とする私に向かって、彼女はとんでもない事を口にしました。
「おひさ~。みんな大好き、ゲルダちゃんにょら~」
様子がおかしい。
彼女は元ベリアル卿のメイドであるゲルダさん。その正体は大天使ガブリエルさまで、もう会えないと思っていました。
なので、彼女との再会は驚くべきことです。またお話し出来て嬉しく思いますが……
そんな事はどうでも良いほどに様子がおかしい。
「げ……ゲルダさん……? どういう事ですか!」
「ここはデンマーク、ロスキレ大聖堂だぴょ~ん」
「いえ、そういうことではなくて……」
毎度お馴染み、観光スポット案内です。
ここがどこかより、ゲルダさんの身に何が起きたのかを聞きたかったのですが。相も変わらず、彼女は透き通った瞳でど真面目に語っていました。
ふざけた語尾に変わっていますが、テンションは以前のままです。これが普通と信じてる様子なので、指摘した方が良さそうですね。
「何だか、以前と言葉使いが違いますが……」
「ピーターくんに真面目すぎるって怒られたにょら~。この言葉遣いをすれば、くだけた感じになると教わったぴょ~ん」
「それ、騙されてますよ!」
どうやら、前回の介入を怒られたようです。それに加えて、くっだらない嘘を吹き込まれてこの始末ですか……ピーターさんも相当に意地悪ですね。
ゲルダさんは少し恥ずかしそうな顔をしつつも仕切直します。まったく、ビックリするからやめてほしいものですよ。今の彼女は正しく大天使さまでした。
「では、改めます。ようこそ氷聖堂の間へ。ここは大いなる主のチャペル。急な呼び出しに困惑されたと思いますが、貴方の知らないところで事件が起きたのです」
「事件……? それって王都の襲撃ですか?」
「私の口からは言えません。そちらのお客様は認知されているようですね」
そう言って、ゲルダさんはキュアノスくんに目を向けました。
やっぱり、この鳥さんも普通ではないようです。まさか精神世界に入ってこれるなんて、夢と密接な関係にある存在なのかもしれません。
そう、ここは睡眠と夢の狭間。私が大天使さまからご教授いただく場所です。
今まではバルコニーで火。ガーデンで風についての指導を受けました。ですが、今回は特に何らかの脅威を感じているわけではありません。
「あの、ゲルダさん。今は別にやべー事はなく、特に教えてもらい事はありませんが……」
「いえ、結構やべーです。ここで水について勉強しなくては、将来的に詰むことになるでしょう」
えー! そうなの?
確かに、今回の旅で大海原へと飛び出し、人魚さんと対談を行いました。また、ギルドマスターのシルバードさんも水属性の魔法を扱います。水を学ぶにはいい機会なのかもしれません。
とにかく、これよりゲルダさんによる指導スタート。私はキュアノスくんと共に、彼女の言葉をしっかり耳に入れます。
「水、化学式は H2O。水素と酸素の化合物であり、凝固や蒸発を行っていない液体の物を示します。人体の60%は水によって構成され、地球の70%は水によって覆われているのです」
あ、分かりやすい。人と密接な関係を持っているだけあって、小学生にも理解できそうです。
彼女は右手に水泡を浮かべ、それを私たちに見せました。まあ、じっくり見ても水は水です。あまりにも身近すぎて、特に何も感じませんでした。
「西洋の四代元素、中国の五行にも当然名を連ねています。哲学者タレスの『万物の起源は水である』はあまりにも有名ですね。実際、生命にも産業に必須であり、文明は水のある場所から始まったとも言われます」
そうです。そうです。タレスさん聞き覚えがありますし、四大文明とその付近にある河川の名前も学校で勉強しました。水とは基本中の基本、ちゃんと教養として組み込まれているんですね。
私たちは水を良く知っているはずです。水が命の源という事も、生活において必須という事も常識と言えるでしょう。
ハンドベルを鳴らし、ゲルダさんは周囲の景色を変えます。ここは木々に覆われた山頂。今、私たちは大きなダムを見下ろしていました。
「水は必須だからこそ、人は支配しようとしました。川の水をせき止め、それを農業や上水道として役立てたのです。ですが、目的はそれだけではありません。ダムには治水という役割があるのですから」
再びハンドベルを鳴らし、ダムが建設される以前へと時間が遡ります。巨大な建造物は視界から消え、代わりに見えたのは一本の河川でした。
やがて、空は真っ黒い雲に覆われ、ポツポツと雨が降り注ぎます。時が経つごとに雨脚は強まり、川の流れも見る見るうちに速くなっていきました。そして……
「あ……」
「雨が降れば川は氾濫し、溢れた水は周囲を飲み込みます。それこそが水害。農業の被害だけではなく、人の命すらも奪う驚異となるのです」
川から溢れた水は山のふもとへと流れていき、やがてそこにある家々を飲み込んでしまいます。
当然、あの家屋には人が住んでいるでしょう。ですが、そんな事など水には関係ありません。広がり出せばもう、誰にも止めることは出来ませんでした。
ゲルダさんはハンドベルを鳴らします。次に彼女が見せるものは分かりますよ。大きな水害……河川の氾濫よりも更に上……
強大な海の脅威。
「聖書にて、神は地上を大洪水によって洗い流したとされます。確かに、人々の目にはこれが天罰として映ることでしょう。まさに、大自然の驚異。神が成せる所業です……」
現れたのは水の化物です。
何十メートルにもなる巨大な波。それが、人々の住む町へと伸し掛かったのです。
誰にも抵抗など出来ません。水は瞬く間に広がり、木も家も人も、全てを飲み込んでいきました。
家屋は跡形もないほどに潰れ、車は転倒し、巨大な船が地上へと打ち上げられます。異世界へと転生した私でも、この脅威は非現実と感じてしまうでしょう。
ですが、これは紛れもない史実です。
あとに残った物は全て瓦礫。何もかもが原型を留めていません。
生き残った人は泣き叫び、必死に助けを求めます。逸れた誰かの名を呼ぶ人もいますが、恐らくその人はもう……
「また、こういうのを見せるんですか……」
「インドネシア西部、スマトラ島北西沖にてマグニチュード9を超える地震が発生しました。この影響で起きた津波は、死者20万を超える最大級の災害をもたらしたのです」
火や風の災害とは規模が違います。20万なんて、もう私の理解を超えていました。
記載されたデータより、今助けを求める人の声が耳から離れません。この崩れ去った全てが、私の心を強く締め付けました。古代の人はこれらの災害を神からの天罰と捉えたのです。
また、ベルの音と共に景色が変わりました。
真っ新な大地の上、ある家族が動物たちに囲まれています。夫婦と息子三人で、彼らの横には大きな木の船が置かれていますね。
男は何もない世界に祭壇を作ります。そして、涙を流しながら神に祈りを捧げました。
『約束してください……! このような大洪水は決して起こさないことを! 私の意を組むのであれば、どうか空に虹を!』
やがて、彼の祈りが通じたのか、青い空に大きな虹が掛かりました。
彼がかの有名なノアさんでしょう。大洪水によって地上を洗い流され、主に選ばれた彼とその家族が箱舟によって生き延びたのです。
今、虹によって契約が交わされました。これより、神が滅びを齎すことは二度とありません。
ゲルダさんはベルを鳴らし、再び情景を変えます。最後に訪れたのは、夕焼けの光が照らす常夏のビーチでした。
「神がいるのか、神話は事実なのか。その確証などはありません。ただ、信仰を否定する権利は誰にもないのです。いったい、生命の水はどこから生まれたのでしょうか……」
オレンジ色の海、温かい南国の風。ゲルダさんと二人で良い雰囲気です。
水はどこまでも溢れていますが、それは本当に無限なんでしょうか? この当たり前は本当にいつまでも続くのでしょうか?
考えたって誰にも分かりません。私はゲルダさんの手を握り、自分の意思を語りました。
「私は神さまの事なんて分かりません。ただ、自分が正しいと思ったことをするだけです。それはこれからも変わりませんよ」
「正しいと思ってスピルさんを救ったのですね。では、この場でお礼を言わせてもらいます。ありがとうございました」
彼女は私と目を合わせ、丁寧に頭を下げます。やっぱりこの人は天使さまですね。人にはとても真似できない母性が溢れているように感じます。
ピーターさんはミカエルさま、ロバートさんはラファエルさま。もうとっくに気づいていますし、今更驚きもありません。
ゲルダさんたちが何者であっても、私にとっては大切な友人なんです。
凍える聖堂から見える雪、温かい常夏のビーチから見える海。
水は形を変えて、いつも私たちの周りにいます。
ほんの少し、水の事が好きになりました。