閑話18 組する側
モーノさんの意識は、完全にアリシアさんの方へ向いていました。
このまま彼女を放置すれば、事態は余計に拗れてしまいます。ですが、下手に手出しすればあの魔女が会話を止めてしまうかもしれません。
そうなれば真実は闇の中。だからこそ、モーノさんは決して動こうとしませんでした。
一方で、数で有利な魔王側も戦闘を避けています。
疑問に思って観察した結果。ペンタクルさんの瞳からクローバーの紋章が消えている事に気づきました。
彼はベリアル卿と一戦交え、大臣たちからの猛攻を防いでいます。隠していますが、転生者二人と戦えるほどの余力は残っていないのでしょう。
両陣営とも、これ以上戦闘が長引くのは望ましくありません。
ですが、そんな空気を読めていないアリシアさん。彼女は魔女に対して敵意をむき出しにしていました。
「私はリデル家の誇りにかけて、お前らを倒す……!」
「誇り? キャハハ! その誇りってさー……」
魔女はドラゴンの背から見下し、蔑むように笑います。
自分は真実を知っている。何も知らないこの少女とは違うのだと……
「麻薬の売人としての誇りかな?」
「え……?」
先ほどまで真っ直ぐだったアリシアさん。その意思はたった一言によって揺らいでしまいます。
恐らく、敵はアリシア・リデルという存在を知っているのでしょう。彼女がずっと支えにしていた貴族としての誇り、それを崩す一言を的確に放ちました。
幼い剣士は武器を下げ、後ずさりをします。彼女は酷く動揺した様子で、モーノさんへと視線を向けました。
「な……何のこと……モーノくん……! こいつは何を言ってるの……!?」
「貴方のお父さん、セオフィラス・リデル。表向きは紅茶好きの帽子屋さん。だけど、裏では茶葉の仕入れルートを使って、麻薬の取引をしていたんだよ」
嘘か偽りかは分かりません。ですが、魔女は止まることなくペラペラと語り続けます。
「別名は『いかれ帽子』。国家公認で麻薬を作ってさ、敵対国家に流通させてたんだって! その影響で魔族は骨抜き。一人で魔王を追い詰めるなんて英雄だよ! 凄いねー!」
「ちょ……そのあたりでやめてあげた方が……」
「うるさいよラッテン。今良いところなんだから!」
「えー……」
仲間である道化師からもどん引きされる少女。今は彼女の独擅場でした。
強大な魔王軍が、圧倒的に不利な状況へと追い込まれた事実。それは、一人の商人によって齎された物でした。
このゲス外道な策略……間違いありません。ベリアル卿の入れ知恵に違いありません。
確かに、これなら魔力やステータスに関係なく国を滅ぼせます。魔女は狂ったかのように笑い、この非道な史実を嘲笑しました。
「ちなみにー、麻薬の材料になってる植物は東の国に群生してるんだって! あの恐怖の対象とされていた魔王が! 魔族が! 子供でも取れるような雑草で半壊だよ! おっもしろーい! キャハハハ!」
「いい加減にしろドロシア! お前の発言は倫理に反する! 現魔王、ペンタクル様の御前だぞ!」
我慢できなくなったのは、味方である獣王リュコスさん。彼はそう言いますが、ペンタクルさんの方は腕を組んで一言も発しませんでした。
魔王はただ、アリシアさんを憐みの目で見ます。それは同情からなのか軽蔑からなのか、私にも分かりません。
対して、少女は魔女の名を呼びました。ドロシア……その名に覚えがあるのか、彼女の動揺は一層大きくなります。
「ドロシア……? 本当にドロシアなの……? なんで……!?」
「アリシア! トリシュを連れて退くぞ……これ以上の詮索は無意味だ!」
魔王側の動きが止まったことを見計らい、モーノさんがアリシアさんを抱きかかえます。そして、私にアイコンタクトを送りました。
このまま三人で逃げるってわけですか。そう上手く行くとは思いませんが、ダメ元で彼に続きます。
草原を走り、王都へと戻れは魔王も手出しができないでしょう。ですが、この場には四人の幹部がいます。すぐさま、魔女のドロシアさんが浮かべていた炎のライオンを放ちました。
「逃がさないよ……私の大切なアリシアちゃん……!」
「貴方……いい加減にしなさいっ!」
ですが、突如乱入した少女が炎を突っ切り、ドロシアさんに対してキックを打ち込みます。接近戦は弱いのか、魔女は乗っていたドラゴンから転がり落ちてしまいました。
すぐに、エルフのラッテンさんが彼女の救出へと向かいます。ですが、精霊のアイルロスさんはまったく動く気がありません。
これは大きな隙ですね。乱入した少女は、狼少女のメイジーさん。彼女の働きに対し、モーノさんは笑みをこぼしました。
「よくやったメイジー。最高のタイミングだ」
「メイジー……へえ、神様なんて信じちゃいないけど、これには運命を感じるな」
逃げる私たちの前に、獣王のリュコスさんが立ち塞がります。
それだけなら、モーノさんと私の魔法で軽くあしらえるでしょう。ですが、彼はメイジーさんへと標的を定め、鋭利な爪を彼女に向けました。
同じ狼の獣人、二人の間にも因縁がある様子。これは、私たちにも手出しができません。
「獣王リュコスだ。お前だな。精霊獣の生贄から逃げ、人間に加担する裏切り者ってのは」
「ええ、裏切り者のメイジーよ。でも、言わせてもらうわ。私は食べられるために生まれたわけじゃない! 先に裏切ったのは、貴方たち獣人なんだって!」
敵の爪を自らの爪によって防ぐメイジーさん。その姿は一瞬にして獣の姿へと変わり、リュコスさんの攻撃に対して一歩も退きませんでした。
ですが、それでも彼女が押され気味です。加えて、今は立ち止まっている場合ではありません。
ペンタクルさんは逃げる私たちを横目で見ます。そして杖を一振りし、大地を大きく揺らしました。
これでは上手く動けませんね……ですが、地震の最中もリュコスさんとメイジーさんは戦いを続けます。
「お前を切っ掛けに、聖国は獣人への進軍に踏み切った」
「言いがかりよ。私だって、人間の奴らに奴隷として売られたんだから!」
ベリアル卿に会って間もないころ、彼は生贄信仰の存在を王に伝えたと言っていました。結果、王は獣人を邪心教と見なし、戦争へと発展したという話でしたね。
これもあの悪魔が齎した歪み。今も同種族でいがみ合い、傷つけあっています。
獣人二人の戦いを目にしたモーノさん。彼は何かを決心したのか、アリシアさんをその場に下します。そして、揺れる大地を踏みしめ、ペンタクルさんの元へと駆けていきました。
杖を振り、雷を落とす魔王。ですが、それら全てを容易く回避し、モーノさんは敵の懐へと入ります。
「一番、力の異世界転生者。やはりお前が最大の敵だ。さあ、来い!」
「いや、来ない。俺は戦うつもりなんて全くない!」
装備していた剣を地面に差し、彼は寸でのところで停止しました。初めから動きが悪いとは思っていましたが、どうやら戦闘の意思がなかったようです。
彼は剣から手を放し、完全にフリーの状態になりました。今、攻撃を受ければ終わりですが、魔王側もそこまで非情ではありません。
地震を解除し、眉をしかめるペンタクルさん。彼に理解してもらうため、モーノさんは語り始めます。
「俺たちを転生させた女神に会った。名はバアル。あいつは転生者を利用し、この世界に混沌を齎そうと考えていた。ペンタクル、お前はそのことを知っていたんだろ? だから、躊躇なく傷つけたんだ」
「ああ、そうだ。俺は怨の感情から生まれた存在。奴から放たれる不の感情は理解できた」
え……あの女神さま、バアルという名前だったのですか。
それに、彼女が世界の混沌を望んでいた? まあ、どうでも良いことですが、私だけ知らなかったというのは解せませんね……
何にしても、ペンタクルさんの行いは正当なもの。彼が悪人という認識がそもそも間違っていたのです。
だからこそ、モーノさんは剣を収めました。あの一件が正当化された以上、彼には戦う理由がありません。
「女神バアルとは和解できた。もう、お前が行ったことはどうでも良い。だが、バアルが行った異世界転生自体が、他の誰かによって仕組まれたものなら……」
「何が言いたい?」
「結論から言う。バアルの怨みを駆り立て、異世界転生を促した者がいる。奴の名は大天使サタナエル。堕天後の名は悪魔ベリアルだ!」
な……なななっ! この人は何を言っているのですか!
いえ……それなら、ベリアル卿が異世界転生を知っていた理由にもなります。まだ転生して間もないころ、あの時点で彼は私の正体を疑っていたのですから。
では、全てあの悪魔による出来レースだったというわけですか。ふざけないでください……どこまで人や世界を弄べば気が済むのですか!
常に冷静なペンタクルさんも冷や汗を流します。そして右手を上げ、メイジーさんと戦っていたリュコスさんを下がらせました。
「興味深い話だが……俺が信じるとでも? それをどこで知った」
「有能な妹がいてな。そいつが心通わせた領主の爺さん。あの人が身を挺して教えてくれたんだ……もう分かるだろ! この世界を蝕む敵は、お前の想像よりどす黒い何かだ!」
この説得は私にも向けられたものです。モーノさんは転生者五人で、悪魔ベリアルの野望を阻止すべきだと訴えていました。
確かに、彼の言うことは正しいです。ベリアル卿の野望は、転生者の力を合わせなければ止める事が出来ません。
ですが、私は貴方たちの誘いを何度も突っぱねています。今更、仲間面して作戦に加わる事なんて出来ませんよ……
それはペンタクルさんにとっても同じこと。彼は魔王、既に魔族としての作戦を遂行しています。今更、路線を変更する事など出来ませんでした。
「ならば、聖国ごとあの大臣を滅ぼすまでだ……!」
「それが奴の狙いなんだよ。力任せじゃ結局血が流れる……奴は嘲笑うだけだ!」
「では、この怨みはどうする! 聖国に民を奪われた怨みを! 数多くの種族から生まれた怨みを! 今更引き返すことなど出来はしない……消えろ! 俺の気が変わらないうちに!」
杖を突きつけ、この場は退くように命じるペンタクルさん。モーノさんはそんな彼を悲しい眼で見つめていました。
少年は振り向きます。見えるのは傷だらけになったメイジーさんと上の空なアリシアさん。とても、戦える状況ではありません。
退くべきだと判断したのか、彼は歯を噛みしめます。そして、私へと歩みより右手をそっと握りました。
優しくて暖かい……
ですが、私はその手を振り解きます。
「トリシュ……?」
「私は貴方たちと馴れあう気はありません。ですが、このまま何も知らずにぬくぬく暮らすのなら……」
決めました。
今、私がすべきこと。私にしか出来ないこと。
ここでモーノさんたちに付いていっても、聖国側に転生者が偏るだけです。平和を望んだとしても、結局は人間に有利な結果になってしまうでしょう。
力は拮抗すべきなんです。聖国側と魔王側、両方から働きかけることによって状況は動くはず。なら、私が組する側は決まりですね。
「私はペンタクルさんに付いていきます。クレアス国側を知りたいのです」
「正気か……?」
私はモーノさんを見ます。真っ直ぐな瞳で、「大丈夫」と強く訴えかけました。
根負けしたのか、彼は大きくため息をつきます。そして、アリシアさんを再び抱きかかえ、メイジーさんと共に王都へと走っていきました。
何も言わなかったのは呆れからでしょうか、信頼からでしょうか……? 誘いを断った私に、それを知る余地などありませんね。
ペンタクルさんは腕を組み、やれやれという様子で言います。
「散々抵抗した結果がこれか。呆れた女だ」
「うるさい」
ふて腐れつつも私はドラゴンに飛び乗ります。さあ、何処にでも連れていってください。
バカなのは自分でも分かっています。ただ、モーノさんとテトラさんに負けるのが気に入らない。だから、仕方ありませんよ。
ベリアル卿を倒すのは私です。一度決めた覚悟に変わりはありませんでした。
閑話終わり