閑話12 襲撃
こんな世界、本当はどうなっても良かった。
ただ、二度目の人生を幸福に生きたいだけ。転生者としての使命なんて興味ありません。
巻き込んでほしくなかったんです。ですが、自分だけが取り残されるのも気に入らない。なにより、私はベリアル卿への執着に取り込まれていました。
彼の策略を妨害した時、言い知れぬ昂揚感を得ます。心臓が大きく鼓動し、もっと邪魔してやりたいと感じました。
この感情は世界を守りたいという願い……? ベリアル卿がもたらした災厄が、私の中にある『哀』の感情を揺さぶったんでしょうか?
哀しみで心臓がはち切れそうになります。ですが、私に哀を齎す彼が愛おしい……
私は哀しみの感情に愉悦を感じていました。それも当然です。なぜら、この感情こそが本当の私……
三番長女、癒の異世界転生者。
『哀』の感情から生まれたハート。本当の名前は心臓のラ・ベルです。
今日はベリアル卿のお付として、王都ポルトカリまで来ています。
先日の事件でゲルダさんが消え、スピルさんは謹慎処分なので呼ばれたのでしょう。これでも私は客人なんですが、更生としてのお手伝いも仕方ありません。
相変わらず王都は賑やかで正直苦手です。もっと静かなところでのんびりしたいものですよ。私はスピルさんやテトラさんと違って、催しは大嫌いですからね。
王宮へと入り、ベリアル卿は国王や他大臣たちとの会議に出席します。
部外者に聞かれてはいけない内容なので、私は別室で待ちぼうけ。正直暇でした。
しかもこの会議、無駄に長くて仕方ありません。私をこんな部屋にぶち込んで、適当なお菓子を与えて放置なんて酷すぎますよ。
日が沈み、いい加減にしろと思った時でした。誰かが部屋の扉をノックします。
「どうぞ」
「お邪魔します」
入った来たのは肩だしドレスのお姫さま。王子、ハイリンヒ・バシレウスさんの婚約者であるエラ・サンドリオンさんでした。
彼女とは一度、お茶会を共にしています。いえ、私が転生する前に何度か接触していますね。
最も、その時の私は悪役令嬢。完全にギスギスの関係でしたが、今は和解しています。そんな彼女がなぜこの場所に?
「エラさん、こんばんは。どうしたんですか?」
「ハイリンヒさまが会議中ですから、遊びに来てしまいました」
遊びに来ちゃいましたとは……貴方、一応姫でしょ……
スケジュールにうるさい彼女ですが、王子が会議中なので暇な様子。私がここに来ていることを知り、会いに来たのでしょう。
正直、気まずいですね。転生前のトリシュ・カルディアはエラさんに酷いことをしています。加えて、特に話すこともないので会話に困りますよ。
「結婚の準備はしなくて良いのでしょうか。ずっと、サンドリオンを名乗るわけにもいかないでしょう」
「今は魔王の件で混乱していますから、結婚は当分先ですね。恐らく、ハイリンヒさまが王になった時でしょう」
なるほど、彼女も色々と大変ですね。悪役令嬢として王子を奪おうとした私ですが、正直王族になるのは面倒でした。
エラさんは乙女ゲーの主人公のような人ですが、実際は違います。このカルポス聖国は軍事国家、政略によって満足に惚気ることも出来ないでしょう。
婚約破棄されて良かったですね。正直、ハイリンヒ王子にも興味はありませんでした。
ですが、彼女は私が転生者として生まれ変わったことを知りません。いまだに執着していると思っているのか、こんな事を聞いてきます。
「トリシュさんは、まだハイリンヒさまの事が好きなんでしょうか……? 私が貴方の婚約を邪魔して……」
「勘違いしないでください。私が狙っていたのは王族の席。王子に恋愛感情なんて持ち合わせていません」
ばっさり斬ります。正直、王族にも興味ありませんが、こう話すのが一番楽でしょう。
転生前のことは知りませんし、触れたくもありません。今の私は転生者としてのトリシュ・カルディア、政治に巻き込まれるのは真っ平ごめんですよ。
「今はベリアル卿の下について満足しています。過去の事は私の黒歴史であり、王族への執着もありませんから」
「やっぱり恋は人を変えますね。ベリアル卿とお似合いだと思いますよ」
は……? 何言ってんだこのメスガキ。
私はベリアル卿のことが大嫌いです。彼の全てを否定します。だから、邪魔してやりたいんです!
体が熱くなり、心臓が高鳴りました。変なことを言われたので、何だかおかしくなってしまいましたよ。
「あ……あの人はそんなんじゃ……!」
「顔赤いですけど」
「うるさい! うるさい!」
私は敵対者に憧れを抱いてしまったようです。ですが、だからと言ってベリアル卿側に組するわけではありません。
この感情は彼に苦痛を与える事によって得られるもの。歪みきった真っ黒な感情でした。
ですが、それで良いんです。
あの男を困らせる。それが私の異世界無双ですから……
二人で話していると、部屋の外が騒がしい事に気づきます。
既に日は沈み、外は真っ暗闇の中。こんな時間に使用人たちは何をしているんでしょうか。
声は徐々に増え、雄叫びや悲鳴まで聞こえてきます。物を落とし、何かが割れ、果ては武器の衝突音まで聞こえてくる始末。
明らかに異常でした。城に何かが起きたのは確実です。
「エラさん、様子がおかしいです。この部屋に待機して……」
「ハイリンヒさま……!」
乙女ゲーであろうと何だろうと、主人公は問題ごとに突っ走る傾向があります。それがたとえ危険な行動であっても、彼らは気にも止めません。
無力な癖に首を突っ込みたがる。今のエラさんがまさにそれでした。
このまま彼女に死なれたら夢見も悪いでしょう。私には誰にも負けない回復魔法がある。この城に何が起きようとも、絶対に切り抜けられる自信がありました。
だからこそ、部屋を飛び出すエラさんを追います。そして、その右手をがっしりと掴みました。
「緊急時に勝手な行動を取らないでください。貴方は姫でしょう? 安全な場所に隠れているべきです」
「あ! 猫です!」
「話を逸らさないで……」
呆れながらも、彼女が指さす方を見ます。そこに居たのは本当に猫でした。
マスケット帽をかぶった二足歩行の猫。赤いマントを羽織り、手にはサーベルが握られています。明らかに、この国に存在する種族ではありませんでした。
ですが現状、彼の風貌なんてどうでも良いですね。問題なのはあの猫がこの城に何を及ぼしたかです。
「あの猫さん……何をして……」
「見ないでください!」
私はエラさんを抱き寄せ、その視界を隠します。瞬間、マントの猫はサーベールを振り払い、背後から襲う二人の兵士を斬りつけました。
脳天を一閃。兵士二人が倒れるの同時に、周囲に鮮血が飛散します。
眼にも止まらない早業。敵に痛みすらも与えず、確実に即死させる驚異の剣技でした。
先ほど部屋の外で聞こえた悲鳴は、あの猫によって葬られた兵士の声ですか。既に何戦か交えたようで、彼の身体は返り血によって汚れています。
ファンシーな見た目とは裏腹に、かなりの強者であることは確実。ですが、何でこの城に……
「エラさん、逃げますよ。この城は不味い……何か異常なことが起きています」
「でも、ハイリンヒさまが! きっと革命ですよ……ハイリンヒさまのお命が奪われてしまいます!」
だとしても、貴方に何が出来るって言うんですか……
ほら、見てください。さっきの猫がこちらに気づきましたよ。今は自分の身を心配すべき時です。
私は肉体強化魔法を自らにかけ、敵に向かって拳を構えました。さて、エラさんを庇いながらどこまで戦えますか……
「貴方、何者ですか?」
「ニャハハ、これは失礼したニャ。吾輩は精霊、ケットシーのアイルロスと申す者ニャア。お嬢様がた、この城は危険ニャ。すぐに脱出するべきだニャア」
血染めの猫、アイルロスさんは髭を弾き、ダンディーな声でそう言います。
この城は危険って……その危険は貴方が及ぼしたのでしょう? 何人もの兵士を殺しておいて、随分と客観的に物を語るじゃありませんか。
彼の目的は分かりませんが、敵陣に単身で突っ込む度胸は大したものです。できれば、ここで手合わせはしたくありませんね。
正直、この城がどうなろうと知ったことではありませんし、今はエラさんも居ます。お言葉に甘えて、ここは避難を最優先しましょうか。
「エラさん、敵もそう言ってます。自分の身を守る事を考え……」
「エラ妃殿下! お下がりください……!」
「この化物は我々が始末します! ご安心を!」
私が逃げを考えた時でした。増援の兵士たちが到着し、一斉にアイルロスさんを取り囲みます。
城の廊下は決して広くなく、あの猫は袋のネズミといったところ。私はエラさんの手を引き、強化された身体能力によってその場を離れました。
前線で戦う騎士団とは違い、城の兵士たちはあまり強くありません。ですが、流石にあの人数で取り囲めばワンチャンあるかもしれませんね。
「薄汚い精霊め……覚悟ォォォ!」
「剣を向けたという事は、死ぬ覚悟があっての事と見受けられたニャ。では、せめて安らかに逝くニャ!」
が、無駄。可能性など微塵もなく、兵士たちは次々に斬り捨てられます。
あの猫が言うように、すぐにこの場を離れるべきでしょう。これ以上、エラさんを危険な目に合わせるわけにはいきません。
ですが、私は行動を躊躇します。
確かに、アイルロスさんは私たちに逃げるように言いました。ですが、もう一人の侵入者がそう考えているとは限らなかったからです。
「アイルロスさん、流石にこの人数は苦戦していますね。迅速に済まさなければ、王に逃げられてしまいますよ」
「ニャハハ、すまないニャ。吾輩は剣しか使えないからニャア。一人ずつ始末するしかないニャ」
警戒する私を無視し、犬のように尖った耳の少年が兵士の前に立ちます。その風貌から見るに、獣人族だという事が分かりました。
彼は牙を光らせ、兵士の一人に勢いよく噛みつきます。そして、そのまま肉を食いちぎりつつ、城の壁に彼を叩きつけました。
小柄な体でなんて力ですか……少年はペロリと血を舐め、意地糞悪く笑います。やがて、そんな彼の身体に変化が訪れました。
「さあ、狼が来たぞー! 逃げろ逃げろ!」
「こいつも……化物か……!」
私は彼と似た少女を知っています……
名前はメイジー・ブランシェット。モーノパーティーの一人で、狼の獣人へと変身する力を持っています。実際、キトロンの街で接触したことがありました。
あの少年もまったく同じですね。全身から毛が生え、牙と爪も鋭くなっていきます。可愛らしい見た目ですが、間違いなく狼の獣人でした。
「獣王リュコス。亡き先代の獣王、御父上の敵を取りに来たぞ!」
「吾輩ら二人。魔王ペンタクルさまの命にて、このカルポス聖国を落としに来たニャ!」
獣人のリュコスさん、精霊のアイルロスさん。
魔王の飼い犬と飼い猫。その二人が今日、少数精鋭でこの王宮へと攻め入りました。
嫌な予感がします……この二人だけで終わる気がしません……
私の中にある転生者の血が騒ぎます。因果が私を呼び、運命の時が近いことを暗示させます。
まさか、ここに来るというのですか……
五番、『技』の異世界転生者。魔王ペンタクル・スパシさんが……
閑話が本編(二度目)