13 彼女は悪魔に惚れているようです
私がヴィクトリアさんのアトリエに来てから数日が経ちます。
結局、どこにも行くあてのない私は、彼女の助手としてお手伝いさせていただくことになりました。
幸い、私には日本社会で学んだ知識があります。掃除、洗濯、炊事……全部、私の世界とは行い方が違いますが、最低限のことは出来るでしょう。
そんな私に対し、ヴィクトリアさんも何かを感じ取ったようです。
「うーん……お姉ちゃんって、やっぱり不思議だよね。分かった! 没落貴族でしょ!」
「私、そんなに貴族に見えますか?」
「見えないから違うかー」
う……さり気に毒舌ですね。そんなに私は貴族に見えませんか。そうですか。
ま、私はどうせ、神様や他の転生者からも見下されているど貧民ですよー。全然気にしていませんし、むしろその方が好き勝手出来てちょうどいいです!
そんなど貧民の私は、絵の具がこびりついたヴィクトリアさんの作業服を懸命に洗っています。
ここは森の中にある小川。そこで私は鉢に水をくみ、そこに植物の灰をぶち込みました。
ヴィクトリアさんから教わりましたが、この灰はこの世界における石鹸らしいです。当然、私の世界にある石鹸より全然漂白力は少ないですよ。でも、背に腹は代えられません。
とにかく、絵の具をとるには地道にもみ洗いです。ヴィクトリアさんは命の恩人。本気で洗うのが礼儀でしょう! 私は命を懸けて洗濯しますよおおお! ごしごしごしいいい!
「どうせすぐ汚れちゃうし、適当でいいよ」
「はふう……」
そんな私の気合をヴィクトリアさんの一言が折ります。
かんっぜんに空回りしてますねー。やっぱり私はポンコツでした。はい。
しばらくの間、ヴィクトリアさんと小川で黄昏ます。私が洗濯をしている横では、彼女が木のコップに何かを入れてかき混ぜていました。
何をしているのか気になってしかたねーですよ。洗濯を続けながらも、正直に聞いてみます。
「ところで、何をしているんですか?」
「絵の具を作ってるんだよ」
絵の具ですか……この世界はまだまだ発展途上、絵の具も最初期のものだと思ったほうがいいでしょう。
私は用意された材料を見ていきます。それらで判断する限り、どう見てもクッキングとしか思えません。とっとも美味しそうな何かが作れそうですねー。
「卵黄に蜂蜜、お塩に水……これを?」
「顔料に混ぜちゃうわけ」
あー、貴重な卵や塩が鉱物を砕いた粉と混ざってしまいます。これではもう食べることは出来ませんよ。
ですが、混ぜ合わせて出来上がったものは、私の知っている油絵の具に近いものとなっています。なるへそ、これで彼女は美しい絵画を描くんですね。
「水だけで絵の具を作るとね。すぐに固まっちゃうし、色落ちしちゃうの。こうやって卵黄をベースに顔料と混ぜると綺麗に重ね塗りもできるんだよ」
「ほへへー」
油絵の具が常識な私の世界では、ちょっと古い技術かもしれませんね。私は絵画を描こうとは思いませんし、この知識は役には立たないでしょう。
ここ数日、私はヴィクトリアさんから絵の技法や聖書のことをたくさん教わりました。彼女は楽しそうに語っていて、迷惑をかけてはいないと分かります。
ヴィクトリアさんはまだ幼いのに、自分の財産を守るためにこの森で生活しています。森にはモンスターがいますが、彼女は魔法の天才でもあるので簡単に撃破しちゃってますね。
ずっと、この子は一人で絵を描いていたんでしょうか。
もしかしてヴィクトリアさん。今まで寂しかったのでしょうかね……?
暖炉に火をくみ、それによって調理する方法をヴィクトリアさんから教わります。
掃除、洗濯、炊事、すべては私がこの世界についていくための勉強。やらせてもらっていることを感謝すべきですね。
彼女は心配なのか、懐いているのか、片時も私のそばから離れません。調理場のほうにパレットを移動し、そこで絵を描き始めてしまいます。
今、制作途中の絵はとある預言者様のワンシーン。机の上で勉学する青年を下っ端天使さまが見守っています。たぶん、この預言者様も後に大物になるんでしょう。
それにしても、幻想的で心洗われるような絵ですね。この絵だけではありませんが、ヴィクトリアさんの絵には変わった特徴があります。
それは、七色に輝く不思議な色。私の世界では見たことがない色で、どの作品にも所々で使われています。この色が、彼女の作る世界を最大限に引き立てているんでしょう。
まるで魔法です。心奪われそうで、気が狂いそうな七色の光……
「この、天使さまの周りに使っている色……綺麗ですね……」
「むふふ、そうだよ。この色こそが私が天才と言われるゆえん。魔法の絵の具なんだよ! 天使の美しさを表現するにはこの色が一番なんだ」
やっぱり、私の世界には存在しない魔法をつかった色みたいですね。主に、天使さまの光を表現するために使われているようです。
ヴィクトリアさんの描く絵には必ず天使さまが登場します。まあ、彼らを描けば宗教画を表現できるので、納得と言えば納得なんですがね。
ですが、天使さま以上に描くべき存在がいるように思えます。彼女の描き上げた絵には、ある重要人物が描かれていません。
そうです、この国の人たちが信仰する唯一神。主さまの姿が一度も描かれていないのです。
「ヴィクトリアさんって、天使さまや預言者さまの絵は描くのに神様の絵は描かないんですね」
「なに言ってるのお姉ちゃん。主さまはね。天使さまでもその姿をはっきりと見ていないんだよ。絵に描くことなんて出来ないし、それは許されないことでもあるの」
なにやら、暗黙の了解があるようですね。唯一神である主さまは偶像崇拝禁止。あの褐色ロリ三流神とはえらい違いです。
それにしても、やっぱり絵の方向性が偏ってますよ。私の世界での宗教画には、悪魔や弟子の裏切りといったシーンが数多くあります。
ですが、ヴィクトリアさんの絵は天使さまと預言者様ばっかりじゃないですか。そのあたりは好みなんでしょうかね?
「聖書には悪魔も出るんですよね。そっちは描かないんですか?」
「領主さまや貴族のみんなは影を嫌っているんだ。だから、綺麗に輝いている絵の方がちゃんと売れるんだよ」
あー、やっぱり需要の問題ですか。そりゃあ、おどろおどろしい悪魔の絵なんて、求める人はよっぽどの変人ですよねー。
ですが、それは商売の話し。ヴィクトリアさん自身はそういう絵にも挑戦しているようです。
「でも、私は悪魔のほうが好きかな。だから今、物凄い大作を描いているんだ。見る?」
「見る」
即答します。
何やら、見せたいオーラ全開ですもんね。そりゃ空気読みますよ。
調理を終えた私は、彼女の後を追って作業部屋のほうへ向かいます。ヴィクトリアさんが自分の趣味で描いた絵なんて、気になって仕方ねーですよ。
是非ともこの目に焼き付けたいところですね。
暖炉がある部屋から、画材の置いてある作業部屋へと移動します。
この中に悪魔が描かれた絵があるんですね。言われる前に見つけてやります……なんて思っていたら速攻で見つけてしまいました。
何枚か描きかけの絵が置いてある中、一枚だけ一際大きな絵画がキャンパスにかかっています。この作品だけは他の絵と気合の入れ方が違いますね。
「ひょっとしてこれですか? 完成しているように見えるんですが……」
「ううん、まだ何かが足りないだよ。売り物じゃないからじっくり考えようと思ってるの」
描かれていたのは黒い翼を携えた男性と、彼に向かって膝を落としている少女。場所は薄暗い森の中ですが、二人が描かれた場所だけ赤い月に照らされています。
男性の方が悪魔だと分かりますが、私の予想とは大きくずれていますね。彼からは重々しい醜悪な印象を一切受けません。
むしろ……
「すごく綺麗な人……本当に悪魔なんですか? むしろ、天使さまより……」
「美しいって思う? だとしたら、私の絵はちゃんと近づいているんだね。でも、本物はもっと美しいんだよ」
見てもないのにヴィクトリアさんは言います。どうやら、彼女は自分の思う理想の男性をこの悪魔に重ねているみたいですね。乙女パワー全開ってところでしょうか。
白猫さんは自分の描いた悪魔にメロメロです。天使の絵を描き続けているのに、本心は悪魔に心を奪われているなんて……なんだか面白ものですよ。
そんなヴィクトリアさんは突然、私に向かって質問を投げます。
「ねえ、テトラちゃんは天使と悪魔、どっちと友達になりたい?」
はい、正解ルートは悪魔と答えることですね。今回の場合、ヴィクトリアさんは自分と悪魔を重ねています。
でもでも、天使と答えれば自分が普通の人とアピールできます。あ、両方と友達になりたいっていうくっさい選択肢もありますね。
ですが、私はどれも答えるつもりはありません。捻くれ者の私は、本来あるはずのない四択目を回答するのでした。
「どっちも友達になりたくありません」
「え……?」
ま、当然困惑しますよねー。
でも、意地悪でこんなことを言ったわけじゃないんですよ。ちゃんと理由はあります。
「友達って、なりたいと思ってなるものなんですか? 他の人は知りませんが、私はそう思いません。自分と馬が合う人なら、自然と引き合うものなんじゃないですか?」
ドヤァ……これは良いこと言ったんじゃないですか? ど正論じゃないですか?
なんて考えていたら、ヴィクトリアさんに笑われてしまいます。
「あはは! だからお姉ちゃんは友達が少ないんだ!」
「ほっといてください!」
私が友達少ないことを知らないのに、勝手なことを言ってますねー。まったく、失礼な人ですよ! プンプン!
友達はちゃんと選びたいんですよ。
ヴィクトリアさん、彼女なら本当の友達になってもいいかもしれません。
ヴィクトリア「卵黄と顔料を混ぜた絵具。テンペラと言って、昔は一般的に使われていたんだ」
テトラ「この絵の具があったから、数百年前の作品も鮮明に残ってるんですね。古代人凄い!」