124 ヒーローは遅れて参上します
悪魔契約により強大な力を手に入れたスピルさん。彼女の魔力を受け、神聖な教会は禍々しい物へと変わってしまいました。
折れた聖剣、くすんだステンドグラス。その全てが幻影ですが、まるで本物のように感じてしまいます。
最初から異様に強いと思ってましたよ。悪魔契約を一時的にでも切るなんて、普通の人に出来るはずがありません。
全てはスピルさんの望んだこと。彼女は空中で優雅に足を組みつつ、私たちを見下ろします。
「これで、二人ともこの空間からは出られないよ」
「教会の神父たちはどこに行きましたか……」
「安心しなよ。ベリアルさまの館で眠ってもらってるからさ」
真っ先に神父さんたちを心配するゲルダさんに対し、スピルさんは無事であることを伝えました。
良かった……一線を越えていないのなら引き返せます。例え悪魔のような姿に変わろうとも、スピルさんはスピルさんですから!
ですが、それは鈍足異世界転生者である私の考えです。ゲルダさんは待ってくれないでしょうね。
彼女はベリアル卿のメイドという立場であり、本来はスピルさん側のはず。いったい、なぜ私を助けてくれるのでしょうか。
「ゲルダさん、貴方はベリアル卿のメイドさんですよね。私の味方をしていいんでしょうか」
「私が忠義を尽くす存在は常に一人。大いなる主だけです」
聖アウトリウス教徒としての正義感ですかね。ベリアル卿一派も一枚岩ではないようです。
一方は悪魔の力を借りた契約者。もう一方は熱心な聖アウトリウス信者。両方の衝突は必然だったのかもしれません。
見つめ合う赤と青のメイドさん。決して相容れない火と雪の魔法使い。
今、因縁の戦いが幕を上げようとしていました。
「死んだお婆さんが言ってた。星が一つ落ちる時、一つの魂が神さまのところへ昇っていくって……なんで神様は落ちる星を助けてくれないのかな。悲しいねゲルダちゃん……」
「世界の見え方は心の鏡によって変わります。良い物や美しい物は映らず、悪い物や醜い物は大きく映る。世界が憎いのなら、それは貴方の鏡がくすんでしまっただけの事です」
世界は理不尽です。神様は誰も助けてはくれません。
ですが、それをどう受け取るかは本人次第。ゲルダさんは全てを割り切っていました。理不尽も、悲しみも、目の前の現実も……
だから、親友一人殺すことに迷いはない。雪のように冷たい正義が、今振り落とされます。
「では、これより断罪を開始します」
百合の形をしたハンドベル。それをチリンと鳴らし、彼女は雪の魔法を発動させました。
吹雪く粉雪は私たちの前に積み重なり、やがて形となっていきます。見る見るうちに出来たのは雪像。大きな角を携えたトナカイの形をしていました。
こ……この場面で一人雪祭りですか! 遊んでいる暇なんてないでしょう!
そんな突込みを言う間もなく、スピルさんの攻撃が始まってしまいます。彼女はマッチのような杖を突きつけ、そこからシンプルな炎魔法を放ちました。
「そんな雪人形。一瞬にして溶かしてあげる!」
さっきより火力が高いですし詠唱速度も速い! すぐに逃げたいとこですが、右手をゲルダさんに握られています。
彼女の手はスピルさんと違って冷たい……ですが、不思議と安心できました。
青い魔法使いに引っ張られ、その場から走り出します。そして、雪のトナカイに飛び乗り、彼女の背中をがっちりと掴みました。
「テトラさん、行きますよ」
「行くって……どこに!」
「天国ですよ」
迫る炎。ですが、それが直撃するより先にトナカイが動きだし、間一髪のところで攻撃を回避しました。
せ……雪像が動いてる! 雪のトナカイは私とゲルダさんを乗せ、真っ暗い教会を駆けます。やがて、彼は床を蹴り、空中へと飛び上がりました。
キラキラと光る雪を散りばめ、空を駆け巡るトナカイ。まるでサンタクロースのような気分ですが、そんなにロマンティックな状況でもありません。
教会内に置かれたキャンドルの炎。それらが怪しく揺らめき、私たちに恐怖の幻影を見せます。
「神様は私を助けてくれなかった。それどころか、私の愛を認めず消し去ろうとしたの……ゲルダちゃん、君のような神様を信じる人が! 私の全てを滅茶苦茶にしたんだ……!」
悪霊、怨霊……人の形をした真っ黒い影が私たちを襲います。
これは幻影なんだ! 幻影なんだ! そう自分に言い聞かせますが恐怖の感情は拭えません。宙を駆けるトナカイでも逃げ切れませんよ!
まるで、スピルさんの心の闇を形にしたような幻影。それらを振り切ることは出来ず、ついに追いつかれてしまいました。
「変えてあげるよ……清く真っ白な君の心をね!」
「天にまします我らの父よ。願わくは御名を崇めさせたまえ。御国を来たらせたまえ。御心の天に成るごとく、地にも成せせたまえ……」
敵の攻撃に対し、ゲルダさんは無視してお祈りを開始します。
まさか、打つ手がなくなって神頼みですか! そんな、滅茶苦茶強い魔法使いなら何とかしてくださいよー!
なんて思っていましたが、その心配は杞憂でした。
彼女が吐く白い息。それらは吹雪へと変わり、空中で形になっていきます。
新たに作られたのは何十体もの雪人形。それらは全て、武装した天使の形をしていました。
「我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが許すごとく、我らの罪をも許したまえ。我らを試みにあわせず悪より救いいだしたまえ……」
雪の天使たちは槍を振るい、幻影を易々と消し去ってしまいます。
ですが、それだけではありません。彼らは標的を術の使用者、スピルさんへと変更します。敵を打ち滅ぼそうと、二十、三十にも上る兵隊が一斉に突撃開始しました。
こ……これがゲルダさんの魔法……
雪人形を自由自在に操り、まるで物語のように展開する力。流石のスピルさんもこれには真っ青でした。
「わ……私の幻影を打ち破った……それに、この数って……!」
「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン……」
白い息は雪となり、雪は天使の軍勢となります。スピルさんは炎魔法を次々に放ち、数体の雪人形を溶かしてしまいました。
ですが、それは焼け石に水。人形たちは秒単位で増え、ついには教会全体を覆い尽くしてしまいます。
な……何という規模の魔法ですか……一面を焼き払ったモーノさんの魔法にも匹敵する……? あまりにも規格外の魔力ですよ! 負ける気がしねーですって!
スピルさんは杖を振り払い、襲い掛かる雪人形を破壊していきます。悪魔の力を持ってしても抵抗できないのか、既に肩で息をしていました。
「そんな……こんな事って……! 私はベリアルさまと契約を交わし、特別な力を手に入れたの……! ただの人間が私に勝てるはずが……!」
「スピルさん、断罪の時です。主に祈りなさい」
百合のハンドベルを鳴らし、ゲルダさんは天使に一斉攻撃の指示を出します。
これは、圧倒的ですね……相手の連撃により、スピルさんは杖を弾かれてしまいます。瞬間、天使たちは容赦なく、彼女の胸に雪の槍を突き立てました。
幻惑の闇が晴れ、元の世界へと戻ります。目に映ったのは鮮血を流し、教会の壁に磔にされるスピルさん。とても、惨たらしいものでした。
「酷い……こんなの違う……違うんですよゲルダさん……!」
「違いません。悪魔信仰者への慈悲は不要。それこそが主の意思です」
主の声を聞いたわけでもなく……勝手にスピルさんの未来を決めるな……!
もう、後のことは知りません。刺されたお腹は痛みますが、それでも止まるわけにはいかない!
私はトナカイの背に立ち、そこから地上へと飛び降ります。ご主人様の操作はないため、着地と同時に身体へと衝撃が走りました。
い……痛い……お腹から血が噴き出し、たぶん骨も折れたかもしれない……
でも、構うもんか!
「スピル……さん……私が助けますから……! また……三人仲良く遊べますから……!」
「なんで……テトラちゃん……」
じわりと涙を流すスピルさん。私は重い体を引きずり、雪の天使たちを掻き分けて彼女に近づきます。
ゲルダさんは止めません。青く、雪のように冷たい瞳で私たちを見つめていました。
手を伸ばし、スピルさんの涙を拭きます。せっかくまた仲良くなれそうなんですし、涙を流すなんてダメですよ。
笑いましょう。私たちは笑いあうべきなんです……
「絶対助けます……だから、もう少し我慢してください……」
「もういいよ……テトラちゃんまで死んじゃう……!」
「死にませんよ……異世界転生者はチートですから……」
チートだって……不正行為だって構わない……!
楽しく生きるためなら、私はどんなチートだって受け入れる! それが異世界転生者のサガなら、魅せつけてやろうじゃないですか!
ですが、口だけなら何とでも言えます。身体は限界……意識の方も持ちませんね……
せめて……せめてご主人様と繋がれば……
降霊の糸さえ繋がれば……
「ごめんねテトラちゃん……契約の力……返すから……」
スピルさんが私の手を握ります。
その時、私の頬がジーンと熱くなりました。
恐らく、これはとっさの判断だったのでしょう。
自分が奪ったから、せめて最後は自分の手で返そう。彼女はそう思ったんでしょうね。
ですが、これは大正解でした。これが状況を打開する最善の一手……
ご主人様と繋がり、位置が特定されます。
そして、それだけではありません。
彼はある人物と既に接触していました。
この絶望的な状況を打開する最高のヒーローと……
「ゲルダアアアアアァァァ……!」
「はっ……!」
それは猛々しい叫び。
ステンドグラスをぶち破り、一人の少女が教会に乱入しました。
とても戦闘向きとは思えないドレス姿。フリフリのフリルを翻し、彼女は瞬時にゲルダさんを敵と判断します。
この突然の事態に対し、雪の魔法使いは表情を崩しました。すぐにハンドベルを構えますが、それよりも乱入者の方が速い! 速い!
「おっらあああああァァァ……!」
「ぐ……トリシュさん……ですか……!」
強化魔法を使い、ゲルダさんの顔面をぶん殴るトリシュさん! 魔法を使う間も与えず、すぐに二打目が腹部へと入りました!
わ……私と違って暴力的だー! ゲルダさんは距離を取り、ハンドベルを鳴らします。
一斉に攻め入る天使たちの軍勢! や……やべえです! 流石のトリシュさんもこれは無理ですよ……!
「トリシュさん……! 危な……」
「うるさい……うるさい……うるさい……! なんで……ずっと友達だと思ってた……こんな未来なんて望んでなかった……! どうして私の幸せを壊すの……!?」
彼女は……泣いていました……
まるで、私の代わりに泣いているかのように、絶えることなく雫を落とします。
全て察してしまったんでしょうか……薄々感づいていたのでしょうか……
もう、修復不能なほどに歪んでしまった事態。それでも戦う事しか出来ない自分に対し、トリシュさんは深い悲しみを感じているのでしょう。
少女は雪の天使たちを次々と破壊します。十体……二十体……
あの雪像が弱いわけではありません。トリシュさんの強さが規格外だったのです。
ですが、規格外なのはゲルダさんも同じこと。彼女は汗一つ流すことなく雪像を増やし、やがてその軍勢はトリシュさんを飲み込んでしまいます。
「そんな……」
「終わりましたね。しばらく眠っていてください」
飲まれ、出てこない彼女。
異世界転生者が……負けた……?
最強のチートですよ……! 癒の異世界転生者、誰にも負けない治癒魔法を持つ少女。そんなトリシュさんが負けるなんてありえません!
ゲルダさん、貴方は何者なんですか……! おかしいですよ……異常すぎます……!
私はご主人様の力によって、肉体を操作しようとしました。ですが、ドクターストップです。彼がそれを許してくれませんでした。
分かってますよ……限界なんでしょう……?
だけど……だけど……!
「嫌い……ゲルダも……スピルも……テトラも……みんな大嫌い……」
絶望が見えた時、トリシュさんの声が響きました。
彼女は天使の雪像を溶かし、崩れた雪の中から姿を現します。
その瞳は人形のように虚ろで、とても正気とは思えません。まるで、別の存在に変わってしまったかのようでした。
これは……知ってます……
私はこの現象を知っています……!
「なんで……なんで争うの……? 何で傷つけあうの……? 対外を認めれば優しい世界なのに……誰の心も痛まないのに……」
トリシュさんは泣きます。泣いて泣いて、枯れることのない涙を流し続けます。
やがて、彼女は両腕を広げ、転生者としての力を解放しました。
魔法とは違う別の力。教会にハートの形をした薔薇の花びらが舞い散ります。
「心臓の……ラ・ベル……」
その瞳には赤いハートの紋章。
今、五人兄弟で最も気のふれた御姉さまが目覚めます。
ディズニープリンセスではベルが一番好き。
あと、ゲルダの技は元童話に沿ったものとなってます。