122 ただ、友達になりたくて
雪降る聖夜祭。ベリアル卿主催のパーティー。
罠も疑いましたがなんてことはありません。最後まで何事もなく、祭事は幕を閉じました。
ま、そりゃそうですよねー。あの人がリスクを背負うとは思いませんし、客人たちを巻き込むのも趣味ではないでしょう。
それでなくても、会場にはAランクの冒険者がちらほら。この状況で仕掛けてくるおバカでしたら、とっくに出し抜いています。
「拍子抜けと言ったら不謹慎ですよね。ま、パーティーを楽しめたから私はオッケーですけどー」
「ふむ、どうやら本当に私たちを楽しませるつもりだったようだ。テトラ、ベリアルとお前は馬が合うのではないか?」
「ないです」
ご主人様、冗談きついですよー。
確かに敵対者同士が楽しい時を過ごすのは素敵だと思います! 暴力が嫌いで、お喋りによって状況操作もやります!
それで、私がベリアル卿と馬が合うって、あははーなに言ってるんですかー。
彼の考えは何となく分かります。こういうパーティーで油断させて、敵対関係をなあなあにする。ま、こんなところでしょう。
「今日は楽しかったですけど、あの人を止める事とはまた別です! 見過ごしはしませんから!」
「気合入ってるのう。しかし、今日は空回りじゃったがな」
バアルさまうるせーです。仕方ないでしょう! こっちのファイティングポーズをガン無視するような相手なんですから!
アスタロトさんの忠告を気にしすぎてしまったようですね。既に攻撃を受けているって、痛くも痒くもないんですから大丈夫に決まっていますよ。
パーティー会場からの帰り道。私たちは聖夜の街を歩いていました。
降り積もる雪は街明かりに照らされ、蝋燭の火と光の魔石でグラデーションを作り出しています。家々には聖アウトリウスさまを崇める剣の飾り付けがされていました。
今日は本当に来て良かったです。美味しい料理をご馳走になりましたし、同業者のエンタメも見れましたしね。
そんな私に、雪を踏み鳴らして駆け寄る少女が一人。ベリアル卿のメイド、スピルさんでした。
「テトラちゃーん、ちょっと用事があるんだけど。二人で街を歩かない?」
白い息を吐きつつ、寒さで顔を染めた彼女。よっぽど退屈なんでしょうかねー。まだまだ、遊び足りないという感じでした。
夕食は取りましたし、帰っても特別予定はありません。ご主人様が許可してくれれば、付き合っても良いですね。
「ご主人様、スピルさんと遊びに行っていいですか?」
「ふむ、特に問題はないだろう。私とバアルは先に帰っていることにしよう」
わあい、ご主人様優しい。こんなにゆるゆるだと主従関係じゃないですよねー。
許可が下りると、スピルさんは明るく笑います。そして、手袋を取って私の右手を握りました。
あ……温かい……炎の魔法使いですし、体温も高いんでしょうか? 寒さで冷えた手がじーんとしてきます。
「じゃ、行こっか!」
「はい!」
彼女に連れられ、雪の積もる橋を渡りました。
異世界の夜は物騒ですが、スピルさんと一緒なら安心できます。二人で歩く聖夜の街はきっと思い出に残るでしょう。
それにしても、いったい何の用なんでしょうかね。どこに向かってるかも分かりませんし……
ま、それは後のお楽しみですね。今は彼女と手を繋ぎ、歩くだけで幸せでした。
誰もいない街の教会。静まり返ったその場所に、スピルさんは足を踏み入れます。
今日は聖夜祭なのに不自然ですね。キャンドルの明かりだけが灯され、奉られた聖剣を照らしています。
周囲には色鮮やかなステンドグラスが施され、天使さまや聖人たちが描かれていました。私のような田舎娘には不相応な場所と言えるでしょう。
いったい、ここに何の用があるんでしょうか。スピルさんは後ろで手を組み、含み笑いをしながら天使さまのステンドグラスを見ます。
「今日のテトラちゃんの人形劇、すっごく良かったよ。神父さまに救われた女の子。あの子と自分を重ねちゃったよ」
「スピルさんはお腹が空いて倒れていたところをベリアル卿に救われたんですよね」
「そうだよ。だから、ベリアルさまに一生付いていくって決めたんだ」
スピルさんは本当のベリアル卿を知りません。彼の正体は悪魔で、人が醜く争うためにこのカルポス聖国を作ったんです。
混沌を望むことと人助けをすることはまた別。ベリアル卿は悪人であって善人でもありました。
だからこそ、彼の味方をする人は沢山います。スピルさんもその一人でした。
「ねえ、テトラちゃんもさ。ベリアルさまのお手伝いをしない? きっと、テトラちゃんなら期待に応えることが出来ると思うんだ」
「え……えっと……私はご主人様がいるので、あんまり他の人につくすのはちょっと……」
嘘です。普通にツァンカリス卿の下についていました。
だって、私とベリアル卿は敵対関係ですし……世界を戦乱に巻き込むお手伝いは出来ません。
敵対者の心を救いたいと思う私ですが、あの人だけは心の底から嫌いです。大切なものを奪われまくっていますし、思想が根本から違いますからね。
スピルさんは残念そうな顔をして、ゆっくりと私に近づいてきます。そして両腕を広げ、がばっと抱きついてきました。
「ちょ……いきなり何ですか……! 恥ずかしいですよ……」
「知ってるよ。テトラちゃんもトリシュちゃんも私と違うって……ベリアルさまの敵だって……」
驚きました。どうやら、彼女は私がベリアル卿を敵視していることに感づいていたようです。
うう……何だか騙しているみたいになっちゃいましたね。そういうつもりじゃなかったんですけど……
ですが、それでもスピルさんは笑顔を崩していません。全て分かっていたかのような表情をしつつ、彼女は続けます。
「あの人形劇、私とベリアルさまの出会いとそっくりだった。だけど違うんだよテトラちゃん。天使さまは私を救ってはくれなかった……私を救ったのは悪魔だったから……」
「……え?」
スピルさんはベリアル卿を悪魔だと知っている。それを確信する言葉が放たれた瞬間でした。
私のお腹に鋭い痛みが襲います。
何が起きたのか分かりません。唖然としつつ下を向くと、そこは真っ赤に染まっていました。
あ……私、短剣か何かで刺されたのか……赤黒い血は止めどなく流れ、教会の床を汚していきます。まったくの無防備だったので、何のアクションも取れませんでしたよ……
ようやく状況を理解しました。ただ涙を堪えつつ、短剣を抜くスピルさんを見つめます。
「スピルさん……なんで……」
「何でって、テトラちゃんは三つ勘違いしてるよ。一つ目は今日、パーティーに誘ったのはベリアルさまじゃなくて私ということ。二つ目は私がベリアルさまの正体を知らないと思っていたこと」
彼女はナイフに付いた血を舐めつつ、小悪魔的な微笑を浮かべました。
「そして三つ目、私はそんなに良い子じゃないよ……」
そうか……見誤ったな……
ベリアル卿は人の心を歪ませ、間接的に混沌を齎す存在。だからこそ、彼自体を警戒するというのがそもそもの間違えだったのです。
アスタロトさんの言った『既に攻撃を受けている』。それはスピルさんが毎日のように私に近づき、親交を深めていたことに他なりません。
気づいた時には、心にも肉体にも致命傷というシナリオ。
あはは……まずった……ですね……
「いつから……知って……」
「最初からだよ。ベリアルさまに君の存在を聞いて、それで私から会いに行ったの。人形劇の観客を演じてね……」
出会いの時から黒でしたか……人を騙してばかりいた私もついに騙されちゃいましたね……
スピルさんは血塗れたナイフを捨て、背負っていた木の杖を持ちます。そして、その先端に真っ赤な炎を灯しました。
炎はゆらゆらと揺らめきます。不思議とその動きは心地よさを与え、意識はいっそう深い闇へと沈んでいきます。
見えるのは火……聞こえるのはスピルさんの声だけ……
「偶然を疑わないと。王都でドラゴンと戦ったとき、わざとテトラちゃんが襲われるように仕向けたの。君の力を試したかったんだ」
彼女は杖の炎を私の傷口に当て、炙っていきます。意識は朦朧としていますが、痛みはちゃんと感じました。
床に腰を落とす私は完全にされるがまま。それでも、声だけはもれてしまいます。
「う……くう……」
「じっとしてて、傷口を炙って塞いでるの。テトラちゃんが悪いんだよ。心が強すぎて、私の幻術からすぐに覚めちゃうんだもん。大丈夫……こうしてればすぐに素直になるから……」
痛みすらも心地よくなります。そうか……あの炎が私の心を惑わしてるんだ……
バアルさまに作られた人ならざる存在。心まで誰かの思うようになったら、完全なお人形になってしまいますね……
そんなの嫌だよ……スピルさん……友達だと思ったのに……
助けを求めるように、私は彼女の目を見ます。ですが、その瞳は赤く濁っていて、とても話が通じるような状態ではありません。
ヴィクトリアさんの時と同じです。また……私は気づけなかった……
「ベリアルさまは異世界転生者に興味があるんだよ。だから、君を私好みのお人形にして、あの人にプレゼントするんだ。あーあ、残念だなー。私を助けた人が天使さまだったなら、テトラちゃんと本当の友達になれたのかな……?」
大丈夫ですよ……私は今でも本当の友達だと思ってるから……
スピルさんを歪ませたのはベリアル。あいつは彼女の素直で義理堅い性格を利用し、私とぶつかるように仕向けたんだ……!
随分と卑劣な真似を使ってくれるじゃない……貴方がどんな手を使ったって、私は絶対に負けない……!
だから立つ……!
心だけでは絶対に負けたくない!
「誰が救ったって……友達なのは変わりません。馬が合う人なら、自然と引き合うものですよ」
「あれ……? まだ正気を保ってるんだ。傷口は塞いじゃったし、まいったな……」
ゆっくりと立ち上がる私に対し、スピルさんは可愛らしく首をかしげました。
ですが、すぐにその表情は真剣なものとなり、杖の先端に灯った炎は激しく燃え上がります。知ってますよ……彼女の炎は幻術だけじゃありません。普通に戦ってもそこらの冒険者より強い。
なら、こっちもご主人様の操作で無理やり身体を動かします。傷口なんて関係ありませんよ。絶対に止めるって決めましたから!
「スピルさん……貴方が私の敵というなら、こっちも容赦なく……」
「無駄だよテトラちゃん」
あれ……? ご主人様の糸が降り注がない……?
いくら心を燃やしても、いくら助けを求めても、私の身体はまったく操作されませんでした。
こ……こんな事って……ご主人様に意思を送っても、テレパシーで繋がる事もありません。完全に彼との通信は遮断されてしまいました。
そんな……降霊術による操作がなければ、戦うことが出来ません。なんで……なんでこんな事に……
「まさか……最初の攻撃で……」
「そうだよ。私もただの魔法使いじゃないんだ。ちょーっと細工をして、君とネビロスさんの契約を一時的に切らしてもらったよ。頬の星が黒く染まってるの、気づいてないでしょ?」
スピルさんは悪魔契約の事も知っている……そして、その仕組みも私なんかよりずっと理解していました。
彼女はドジでおバカで、だけど明るくて優しい子……
そんな印象全てが、崩れ去っていくのが分かりました。