12 白猫さんはとっても絵が上手です
目が覚めると、そこは白いベッドの上でした。
何日ぶりの安眠でしょうか。ずっと牢屋の固い床で眠っていたので、シーツのにおいがとても安らぎます。このまま横になっていたい気分ですね。
窓の外からは太陽の光が差し込み、鳥のさえずりが聞こえます。昨日までの日々が悪夢だったかのように、そこには穏やかな世界が広がっていました。
私は現実世界にいた時を思い出して二度寝しようとします。ですが、そんな私の目前に芳醇な香りの何かが差し出されました。
これは……パンですね。お腹が空きすぎて幻覚が見えているのでしょうか? そもそも、今私が眠っているベッドはどこから出てきたのでしょうか?
考える私の耳に、誰かの声が聞こえます。
「はい、あーん!」
どこかで聞いた少女の声。「あーん」と言ってるってことは、食べちゃっても良いんですよね? かぶりついちゃって良いんですよね?
ええい! もうどうでも良いです! 辛抱たまりません!
お腹が空きすぎて頭のおかしくなっている私は、そのパンを一気に頬張ります。
「はぐぅ!」
パサパサしていて口の中の唾液を一気に持っていかれます。ですが、そんなことが気にならないほど美味しい……美味しすぎる……!
まったくもって普通のパンですが、むしろ私の世界のパンより劣る味だと思いますが……それでも! こんなに美味しいパンは今までに食べたことがありません!
お腹が空いているから当然です。まさに死にかけの一口。美味しくないわけがない!
「うう……うまい……うますぐる……」
「安物のパンなんだけどなー。よっぽどお腹が空いていたんだね」
ベッドに身を乗り出して、私の顔をじっと見る少女。白い猫耳と尻尾の獣人で、純粋無垢に笑っています。こんな妹がほしいものですよ。
彼女は私が目を覚ますまで介保してくれたようですね。手に顎を乗せ、足をパタパタと動かすその姿はまるで天使のようでした。
「こ……ここは天国……?」
「あはは、違うよ」
猫耳少女はボケた発言を否定します。確かに、天国と言うには素朴すぎますよね。
木造の小さな小屋で、部屋のいたるところに絵が飾られています。床には所々画材が散らばっていますが、規則性があるので片付いてはいるのでしょう。
砕いた鉱物の独特なにおいが香ります。やっぱり、私を助けた猫耳さんは画家のようですね。彼女はしゃんと立ち上がり、手に持った絵筆を華麗に回します。
「私はヴィクトリア、ここは私のアトリエだよ」
「あ……危ないところを助けていただいてありがとうございます」
そうですそうです。私はこの子に助けられたんでした。ここまで運んでくれたんですね。
窓の外には森が広がっています。どうやら私は、偶然彼女の家の近くで倒れたようですね。助かりました。
ヴィクトリアさんは私のお礼に対し、気さくな態度で答えてくれます。
「全然気にしなくていいよー。じゃあ、ちゃんとしたご飯にしよ。お腹すいているんでしょ?」
た……確かにパン一つでは全然足りないほどお腹は空いていますよ。
ですが、私は獣人族の不当な扱いを目のあたりにしています。こんな森の奥に住んでいるということは、人間たちから差別の目で見られていることは確実。それで食料が手に入るはずがありません。
これ以上、私なんかが貴重な食料を頂くわけにはいきませんよ。ヴィクトリアさんは育ち盛りなんです。体を作るためにもしっかり食べなきゃダメですよ!
「い……いえ! これ以上、貴重な食料を頂くわけにはいけません!」
「やつれた顔でなに言ってるの。大丈夫大丈夫。私、こう見えても全くお金に困ってないから」
そう言って、彼女は自分の服装を見せつけます。
一見するとただの白い服ですが、なんだか輝きが違うような気がしますね。とりあえず、手を伸ばして生地に触れてみます。
こ……これはなんて軽くてなめらかな手触りなんでしょう! 違う! 違う違う! 綿やら麻とは全然違う!
「これ……絹ですか。蚕の糸で作った」
「そうだよ。完全完璧、混ぜものなしのシルクローブだよ」
超高級素材じゃないですか! 幼気な少女が何でこんな服を……
見せつけたということは、この世界で絹の価値が低いというわけはなさそうです。そういえば、絹は昔から高級素材の代名詞でしたね。童話でもよく聞きます。
お金持ちで画家で、彼女以外に家族の気配はなし。色々と複雑な環境が見えてきました。
「絵を売ってお金を稼いでいるんですか?」
「そうだよ。私は天才画家だから、お金なんてすぐに手に入っちゃうんだ。これ見てよ! 東の大きな国で文字を書くときに使ってる道具。珍しいでしょ! 私はこれで絵を描くんだよ!」
筆が珍しいですか……この世界での絵画はまだまだ始まりの段階ということでしょう。
紙はむらがあって茶色く薄汚れています。絵の具もチューブに入っているわけじゃなく、皮袋の中に鉱物や植物が砕かれて入れてあるみたいですね。どれも、超高級素材なのは確実でしょう。
部屋を見渡してみると、見たこともないような物がいくつも置いてありました。画材と一言で括っていましたが、キャンパスとパレット以外は全然わかりません。
「な……なんだか分かりませんが、凄いですね」
「そうだよ。だからお金のことなんて全然気にしなくていいの! あっちの部屋にシチューを作ってあるから早く早く!」
ヴィクトリアさんに手を引かれ、私はベッドから体を起こします。
まだ少しフラフラしていますが、歩けるまでは回復していますね。ようやく、私は地獄から這い上がったと再認識しましたよ。
すべては彼女のおかげです。まさに命の恩人と言って間違いないでしょう。
猫耳少女は無邪気な仕草で、私を隣の部屋へと引っ張っていきます。お腹もすいていますし、ここはお言葉に甘えるしかありませんね。
時間はお昼ごろでしょうか。私は椅子に座り、ヴィクトリアさんとまともな食事をとります。
メインはシチュー。ウサギか何かの肉と、森で取れた植物をごった煮したもので、塩によって味付けされていますね。肉の旨みと木の実の甘さが調和されていて、この世界ではかなり美味しい部類の料理だと分かります。
勿論、私の世界の料理よりは劣りますよ。ですが、ちゃんと塩や香辛料で味を調えているので、舌の肥えた私でも美味しくいただけました。
塩も香辛料も値が張るはずです。それを一市民が使うなんて考えられません。気になるので、遠回しに聞いてみましょう。
「これ、塩と香辛料を使ってますよね……こんなに美味しくて高級な物をすいません」
「だから大丈夫だよ。私は貴族のみんなに絵画を売って、お金をたーくさん貰ってるの。天才画家、ヴィクトリアと言ったら有名なんだけどな」
彼女の歳で高級な画材を使って貴族に絵を売るなんて……私の世界の歴史では考えられないことですね。
この世界での地位というのは、魔法や能力によって評価されるということでしょう。子供だからといって切り捨てられる私の世界とはえらい違いです。
ヴィクトリアさんは完全に自立していますね。これは、両親については聞かないほうがいい空気です。
グリザさんの例から考えるに恐らくは……いえ、考えるのはやめましょう。それより、彼女の描く絵画が気になります。
「ところでこの絵……すっごく綺麗ですけど、どんなシーンなんですか?」
「聖アルトリウスさまが大天使ガブリエルさまから神託を授かってる様子だよ。ま、私の想像画だけどね」
食卓の場に飾ってある絵画。台座から剣を抜いた少年に、百合の花を持った天使さまが語りかけている様子です。少年はイケメンに描かれ、天使さまはとっても美しく描かれてますね。
この一場面だけを見ても何が起きているか分かりません。ですが、この作品がガチガチな宗教画ということはよく分かります。
そういえば、グリザさんが大天使ミカエルさまの存在を教えてくれました。やっぱり、この世界の大天使さまは私の世界とまったく同じなんだ……
ヴィクトリアさんはかなりの宗教家なのか、さらに詳しく絵画を解説していきます。
「聖書の一文から考えたんだ。聖アルトリウスさまはガブリエルさまから自分が英雄になることを知らされ、王族だけが手にする聖剣を抜くんだよ。ガブリエルさまは神様のメッセンジャーだから、聖アルトリウスさまは神様の声を聞いた預言者ということになるね」
私が聖書の内容に詳しくないと見抜いたのか、彼女は熱心に聖書のワンシーンを語っています。
ま、お仕事としてたくさんの宗教画を描いてますもんね。そりゃー熱心な宗教家にもなりますよ。
ヴィクトリアさんは部屋に飾られた他の絵についても語っていきます。この世界の宗教を理解していない私にはありがたいお話かもしれません。
「こっちの絵はね。泉の精エレインさまが瀕死の聖アルトリウスさまに付き添い。最後にアヴァロンの地に訪れたシーンだよ。ここでアルトリウスさまは天に召されて、最初の聖教会が作られたんだ」
「ほへー」
先ほど見た少年のアルトリウスさんとは違い、こちらの絵は完全におっさんになってますね。彼は傷だらけになって倒れていて、それを泉の精が嘆いています。悲壮感がこちらに伝わってくる完成度ですよ。
天には二人の天使が描かれていて、アルトリウスさんに手をさし伸ばしています。聖人である彼を天界から迎えに来たということでしょうか。まさにクライマックスと言えるでしょう。
私は周囲の絵を見ていきます。どれも天使さまや聖人の絵が描かれているようで、宗教に関係するものばかりですね。風景画の類は一切無しです。
この世界での絵画とは、宗教画が一般的ということでしょう。
高級な画材を使うので、元が取れなくては意味がありません。貴族の好む聖書の内容を絵にするのが一番お金になるということですね。
だいぶ、ヴィクトリアさんのことが分かってきました。
私よりも若いのに、色々と苦労しているんですね。はい。
テトラ「キリスト教もイスラム教も神様は同じ、問題なのは救世主であるキリストを信仰するのか、ムハンマドを信仰するのかという事なんですよね」
ヴィクトリア「私の世界でも神様は同じ主さまだよ。でも、ここでの救世主様はアルトリウスさまで、聖アルトリウス教が信仰されているんだ」