10 別れがあれば出会いがあるようです
生きとし生ける者、生まれたからには必ず死にます。
それは誰にも逃れることが出来ない運命で、決して覆してはいけない世の定理でしょう。
異世界に転生し、二度目の人生を約束された私。それは生命のルールに反していますし、同時に冒涜でもあります。
ではなぜ、私はここにいるのでしょう? 何のためにこの場所に呼ばれたのでしょう?
神の気まぐれでしょうか。定められた運命でしょうか。
今を生きることに精いっぱいで、一向にその答えにたどり着くことはできません。
私の買い手が決まって数日後。ついにその時が来てしまいました。
グリザさんに最後のお別れを言うために、私は檻の前に立っています。ずっと檻の中から外を見ていた私が、今は檻の外から中を見ている状況。
別に清々しいとも思いませんが、少し物思いに更けてしまいます。
グリザさんは鉄格子際に座り、私に背を向けていました。触れ合うことのできる距離ですが、檻の外と中とではあまりにも世界が違うでしょう。
それを分かっているのか、彼女はもの悲しそうにうずくまり、その場から動こうとしません。まったく、最後の最後というのにそっけないものです。
「私が先に出ることになっちゃいましたね。でも大丈夫です。私、いつかまた会えると信じてますから」
グリザさんは何も言いません。私に背を向けたまま、鉄格子越しにうずくまっています。
怒っているのでしょうか? 泣いているのでしょうか? 気を利かせて黙って消えるべきなのかもしれません。
ですが、そんなことはお構いなしですね。こっちには言いたいことは山ほどあります。たとえ一方的であっても、私はグリザさんに言葉を放ち続けました。
「グリザさんから教わったこと、絶対に忘れません。今度は檻の外で会いましょう。約束です」
グリザさんは何も言いません。顔を見せようともしません。
これはさすがにムッとしますね。私が檻から出たのは日頃の努力あってのことです。腹を立てるのは筋違い。抜け駆けのように思われるのは心外です!
怒っていないのなら泣いているのでしょうか? それにしても、何か返答をしてほしいものですね。
我慢のできなくなった私は、檻の外からグリザさんの肩をつかみます。
「ちょっと、聞いているんです……っ……!」
彼女の肩に触れた時、私は思わず飛びのいてしまいました。
お尻を床に打ち付け、その場に座り込みます。足が震えてしまって、立ち上がることもできません。
ただ、ショックで……何が起きているのか分からなくて……頭の中が真っ白になってしまいます。
昨日までは確かにあった彼女の温もり、何でそれを感じることが出来なかったのか……すでに答えは出ていますし、覚悟もしていました。
ですが、私の心はひどく乱れています。現実を全く受け入れることが出来ません。
地面を蹴り、座ったまま後ずさりをします。そして、無理に作った笑顔を見せ、ふらつきながらもその場から立ち上がりました。
これは精いっぱいの強がりです。
「わ……私、もう行きますね! ご主人様になる方を待たせていますから!」
もう、二度とこの場所に戻ることはないでしょう。私は檻に背を向け、ガクガクする足を引きずりながらその場を後にします。
この場所にグリザさんはいません。いるのは彼女の形をした別の何か。そう割り切って、真正面を見て歩くしかありませんでした。
ですが、私も人の子。物事全てをシニカルに見ることなどできません。
心の弱さからか、私は最後に振り返ってしまいます。そして、まるでこの場にグリザさんがいるかのように、誰もいない空間に向かって頭を下げました。
「短い間でしたが。ありがとうございました」
当然、返答があるはずもありません。
シュンとうつむき、再び前を向きます。もう、振り返ることはないでしょう。
最後に言いたいことがあって、特別にここまで来たのですが……これでは全くの無駄足ですね。早く商人さんのところに戻らないと怒られてしまいますよ。
薄暗い牢獄連を出ると太陽の光が目に入ります。
憎たらしいほどに眩しい光。いつも輝いていた彼女、グリザさんの姿が目に浮かびます。
そういえば、彼女と一つ約束がありましたね。
『二人で一緒にここから出よ。約束!』
自分の運命を分かっていたくせに、何を世迷言を言っていたのでしょう。
私は唇をかみしめながら、一人言葉をこぼしました。
「嘘つき……」
まんまと騙されたのは私。
負け犬の遠吠えです。
なんでしょうかね。
異世界転生……二度目の人生……最強のチート能力……
何もかも薄っぺらく聞こえてしまうのはなんででしょうか。
もし、神様から素直にチート能力を貰っていれば、未来は変わっていたのでしょうか? ここで潰えるはずだった命が、私の転生によって輝き続けたのでしょうか?
それは許される行為なのでしょうか? 運命を変える暴挙なのでしょうか? 神は認めてくれるのでしょうか? 世界に歪みは生じないのでしょうか?
答えのない疑問を抱きながら、私は商人さんと向き合います。彼はすべてを察した様子で、視線を遠くへと逸らしていました。
やがて、私に向かって自分の知識を語ります。
「スライムを掴みとる行為。遠い国の部族では一般的に行われ、理にかなった方法だと聞いている。お前がそれを知ってか、知らずに行ったかは分からないがな」
やっぱり、この世界でもスライムの特性に気づいた人はいるようですね。ただ、この国の文化にはなかった。そういうことでしょう。
魔法至上主義、武力至上主義。モンスターとは倒すもので、戦いによってすべてを勝ち取る世界観。戦争なんかも日常茶飯事で、それによって他の種族が根絶しようとお構いなし。
世は混沌ですか。まったく、趣味の悪いゲームに巻き込まれてしまったようです。
ですが、最初の難題はクリアしました。私は確かに進んでいますし、勝ち取ってもいるんです。商人さんがそれを証明してくれました。
「お前は賭けに勝った。お前を売った金は、奴隷たちのために役立てるよう手を回しておく。持って行け」
どういう風の吹き回しでしょうか。賭け事などした覚えはないんですがね。
ですが、私の行動で何かを感じてくれたのなら、こんなに嬉しいことはありませんよ。彼の好意によって、一人でもグリザさんのような人が減ってほしいものですね。
私はお礼を言います。お世話になったことが沢山ありますから。
「ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。むしろ、こちらから言わせてくれ」
商人さんは逸らしていた視線を私に向け、深々と頭を下げます。
「学ばせてもらった。ありがとう」
その瞬間、私の感情が揺れ動きました。とめどない何かが零れ落ちそうになりましたが、ギリギリのところでなんとか耐えます。
彼が学んだことは、私が持っていた知識だけではありません。たぶん、もっと大切なことを学んだのでしょう。
胸が痛いけど暖かい。そんな気持ちで一杯になりながら、私は言葉を絞り出します。
「どういたしまして」
笑顔でこんなことを言えたのは、この世界もまだまだ捨てたものじゃないと思ったからでしょう。この世界は絶望ばかりではありません。ここには確かに希望があります。
凄い魔法や強力なスキルなんていりません。私はもっと大切なものを商人さんからもらいました。
感謝の言葉ほど価値のあるものはないんです。
これ、強がりじゃありませんからね!
首輪を外され、ようやくスタートラインに立った気がします。
檻の中で学んだことは絶対に忘れません。たとえこれからどんな運命が待っていようとも、私は負けませんよ! 意地でも生き残ってやります!
さてさて、今後の命運を決めるのは私を買った主人様。その人が今、目の前に来ようとしています。
心臓がバクバク鳴ってしかたねーですね。もしかすれば、とんでもないエロおやじで、滅茶苦茶にされてしまう展開かもしれません……
いえ、きっとそうでしょう! だって、私未使用品ですもの! それを売りとしていた商品ですもの!
えべーですね。何とか逃げることを考えないと……なんて思っている時でした。
「少女よ。人間の幸福とはいったいなんだと思う?」
ふぁ!? 突然の謎哲学!? 私の横にはいつの間にやら、黒いマントを羽織った怪しい男が立っていました。
彼の隣には商人さんがいます。どうやら、この人が私を買ったご主人様のようですね。
鋭い目つきに、銀色の長髪をした男性。長身かつ痩せ形で、明らかに関わってはいけないような風貌をしています。年齢は三十路ぐらいでしょうか。
その姿は人間というより別の存在。まさにファンタジーに出るような魔法使いといった感じでしょう。私はこの人と上手くやっていけるのでしょうか……
ご主人様は吸い込まれそうな瞳で私を見つめ、一人哲学を語っています。
「幸福とは、何かの基準があって初めて実感できるものだと私は思うのだ。彼よりも裕福だ。だから私は幸福だ。彼女よりも貧しい。だから私は不幸だ。周囲を知らなければ、比べるものが何一つない。自分が不幸だと認識することもできないだろう」
「は……はあ……」
はい、まったく理解できません。そしてらちがあきません。
これがご主人様との出会い。第一印象はとにかく変な人。ヤバい人。こんな感じです。
そして、実際話してみると、やっぱり変な人でヤバい人。まあ、私にはお似合いのご主人様かもしれませんねー。
これからさらにカオスな運命が待っているでしょう。
でも、私は絶対に負けません。だから安心してください。
グリザさん……