98 ☆シャーウッドの森の声☆
どこかも分からない大広間。
ステンドグラスに囲まれた神々しい空間。
東西南北それぞれに大きな扉があり、そこに続く道にはステンドグラスの天使さまが描かれています。
神秘的かつ、幻想的な空間。中央には三角形をした目玉の造形物が置かれ、私のことをずっと見つめていました。
「また……来れた……」
以前、私はここに来たことがあります。
初めて『流星のコッペリア』になったとき、ここでピーター先生から『火』について勉強しました。
彼は全てを知る人、きっと力になってくれる。それを期待して、私は迷わず時計塔の間へと走ります。
ここまで来たなら大丈夫。ピーター先生に会えば……彼に協力してもらえば街は救える!
ですが、それはあまりにも浅はかな思考。
時計塔の間へと続く扉は固く閉ざされていたのです。
「そんな……ピーター先生! キトロンの街が大変なんです! 中に入れてください! ピーター先生!」
バンバンと扉を叩きますがピクリとも動きません。
私は愕然とし、肩を落とします。私がダメダメだから、ピーター先生にも見捨てられてしまったのでしょうか……?
じゃあ、なんでここに呼んだんですか……何が足りないというんですか……!
希望を失い、絶望に染まる心。ですが、その時でした。
どこからか、小鳥のさえずりが聞こえてきます。
同時に風が森の香りを運び、私の心を落ち着かせました。
ふと、後ろに振り返ると、別の扉が開いていることに気づきます。
南、時計塔の間とは別の場所。どうやら、風はここから流れているようですね。
東、森聖域の間。
これはもう、行くしかありません。
一面に広がる広葉樹の木々。天空から差し込む木漏れ日。
小鳥は歌うようにさえずり、リスがドングリを運んでいます。まさに大自然。ここは平和を形にしたような場所でした。
私を誘い入れた森の香り、それは土と落ち葉の香りです。
どこか懐かしいですね。そうそう、小学生のときに行ったキャンプでこの匂いを嗅ぎました。
少ししんみりしながら森を進む私。やがて光輝く、ひときわ開けた場所にたどり着きます。
苔に覆われた噴水、ウッドデッキによって作られたテラス。
人工物ですが自然に溶け込んでいます。まるで、森の中にあるヨーロピアンガーデンのようでした。
「綺麗な場所……」
さっきまで戦闘機に襲われていたのが嘘のようです。人間の進化を嘲笑うかのように、自然が全てを支配する空間……
やっぱり、ピーターさんがここに呼んだのでしょうか。私は誘われるように、森の庭を歩いていきます。
本当に人が入って良いのでしょうか? 少し申し訳なく思いつつも、ウッドデッキへと上がっちゃいました。
キシキシと音を立てる木の板。ですが、何かがおかしいですね。
板がきしむ音が後ろからも聞こえているのです。
私は恐る恐る振り返り、その存在と目を合わせました。
「びい……」
「し……鹿だー……!」
鹿だ! 鹿に後ろを付けられていた!
まだ角の生えてない小鹿ちゃん。私は恐れつつも、その頭をゆっくりと撫でます。
「ぴいー」
「あはは……いい子……」
良かった大人しい。よっぽど平和なのか、まったく私を恐れていませんでした。
はあ……ここに私を呼んだのは貴方ですか? って、絶対違いますよねー。せめてご主人様を呼んでほしいものですよ。
小鹿と二人、途方に暮れる私。そんな時でした。
突然、背後から何者かが手を回してきます。そして、その両手によって私の両目を覆い隠しました。
「だーれだ?」
「ひゃひい……!」
か……開幕セクハラ! 誰ですかマジで!
問いかけに答えるより先に飛びのく私。そして、そのまま一回転して後ろへと振り返りました。
ウッドデッキの上、立っていたのは緑のマントを羽織った青年。物腰柔らかく、優しくねっとりとした表情でこちらを見つめてきます。
こんなにエロくて気持ち悪い感じがする人は他にいません。そして、忘れるはずもありません!
「ろ……ロバートさん!?」
「テトラ、相変わらずステキだね。またキミに会えて嬉しいよ」
冒険者のロバート・アニクシィさん。嬉しいですけど、真面に登場してほしかったです。
彼は自らを天使と自称し、主の導きによって私をサポートしてくれました。ですが、この場所で突然現れるのには驚きです。
「何でこんなところにいるんですか!?」
「こんなところとは酷いなー。ここはイギリス、シャーウッドの森だよ。どう? 自然がステキだと思わないかな?」
「いえ、まあいい場所ですけど……」
はぐらかされたー。まあ、貴方はそういう人ですよね。はい。
森の管理人が現れた事により、小鹿さんはその場から離れていきます。本当にロバートさんがここを管理しているんでしょうか。それは、天使としてのお仕事?
やっぱり、ピーターさんと関係ありますよね。じゃあ、ピーターさんも天使……?
疑問が疑問を呼びます。ですが、そんな思考を掻き消すように、ロバートさんは爽やかに語り始めました。
「ようこそ、森聖域の間へ! ここは神様のガーデン、バルコニーでピーターくんに会ったんだよね? じゃあ、今度はボクの番だ」
相変わらずマイペースですね……ですが、こっちもそれどころではないんですよ。
今はキトロンの街が大変なんです。ここでお喋りをしている時間はありません!
「あの、ロバートさん。今は街が風で引き裂かれて……」
「そう! 風! 風だよテトラ! 聞いてよ! 風の声を!」
いや、お前が話し聞けよ! 結局、ピーターさんと同じだー!
ロバートさんが両手を広げると、シャーウッドの森に優しい風が吹き込みます。
気持ちいい……森の香りを運び、心が穏やかになるのを感じました。さっきまでは大切なものを切り裂いていたのに……
「風ってのはね。気圧の変化で起きる空気の流れなんだ。ほら、太陽の当たり方とか場所で地球の温度ってバラバラでしょ? その違いが高気圧と低気圧を生み、空気の流れは高気圧から低気圧に流れていくんだ」
ロバートさんによって語られる風の知識。うーん、やっぱり難しい……
おバカな私とは違い、歴史の上ではその研究が進んでいるようです。
「錬金術や自然学では、風は大気と同一視されてるね。自然学者のアナクシメネス、彼は万物の起源は大気と考えていたんだ。生命は呼吸をする。だから、命を作る大気は世界すら創ったんじゃないかってね」
ほへー、大気が……風が世界を作ったですか。飛躍しすぎてわけわかめですねー。
ですが、それも言い過ぎではないようです。なぜなら、風は人間の進化に欠かせないもの。ロバートさんは右腕を振り払い、周囲の景色を変化させました。
「でも、本当に人の進化って風が作ったのかもね。ほら、見てよテトラ!」
森の風景は消え、目に映ったのは大海原。今、ロバートさんと私は港に立っています。
沢山の人たちに見送られ、出向するのは巨大なガレオン船。大きな帆は風を受け、ゆっくりと沖の方へと突き進んでいきます。
そう、これは大航海時代のワンシーン。あの船は新天地を目指し、これから長い長い旅路が始まるのでしょう。
「こうやって船に帆を張って、人々は大海原に出たんだ! 風を味方に付けて、風の力で世界を知ろうと足を踏み出したんだよ! だけどね……」
私の手を握るロバートさん。すると、周囲の光景に再び変化が訪れます。
先ほどの青天とは打って変わり、大嵐によって荒れ果てる海。空の上、私は彼と一緒に先ほどの船を見ました。
風は牙をむき、船を滅ぼそうと襲い掛かります。このままじゃ……このままじゃ……!
「テトラ、時に自然は残酷なんだ。少し機嫌を損ねれば、人の命なんて一瞬で奪われてしまう」
「そんな……」
たくさんの夢を……たくさんの人々を乗せた船……
それは風に押し倒され、波に飲まれ、水中へと沈んでいきました。
大海原への冒険……新しい大地への夢……その全てが無残にも水泡に帰します。そうか……成功した人は偉人になり、失敗した人は命を失う。
それが冒険のリスク。風って残酷なんだ……
ロバートさんは私を抱き寄せ、さらに風景を変えます。
私が肌に感じたのは、ピリピリとする乾いた風。そして、目の前には巨大な化物が蹂躙していました。
何ですかあれは……風が渦を巻き、木々も家屋も何もかもを巻き込んでいきます。こんな風景、現実に存在するんですか……!
物だけじゃない……人も……動物も……みんな巻き込まれて……空へと打ち上げられて……
その悲惨な光景から目を逸らす私。それでもロバートさんは優しくも強く語り続けました。
「アメリカで発生した竜巻、トライステート。死者は700人を超え、合衆国史上最大の被害を出した竜巻だよ」
私は風の怖さに震えます。神様がいるのなら何で……何でこんな酷いものを作ったんですか……!
何もかもを壊す災害なんていらないじゃないですか! 風も自然も神様も、みんな嫌いになってしまいますよ……
気持ちが沈む中、再び風景が変えられます。目に映るのは一面の砂漠、そこには二人の男性が向き合っていました。
「彼らはエジプトの神だよ。左が太陽神ホルス。右が嵐の神セト。ホルスにとって、セトは父親であるオシリスの敵。今、その最後の戦いが始まろうとしているんだ」
ジャッカルの姿をしたセト神さま、彼は砂嵐となって宿敵の身体を傷つけていきます。一方、ハヤブサの姿をしたホルス神さまは、その猛攻に耐えるばかりでした。
黒い砂嵐。まさに邪悪その物に見えます。一目にして、この戦いの悪者がセト神さまだと判断できるほどでした。
「セトは卑劣な手段でオシリスを殺した。そして、今度は彼の息子を殺そうとしている。古代のエジプト人にとって、砂嵐とは害悪な存在。その化身であるセトは、一貫して邪神だったんだ」
やっぱり、昔の人にとっても風は悪だったんですね。
人を殺す風……物を壊す風……
風は何もかもを奪い去る巨悪……
『ふぅん、貴様の目は節穴か?』
また、風が吹きました。それは、セト神さまがもたらす豊穣の風。
砂漠は消え、緑豊かな花畑の上で彼は不敵に笑います。その姿はとても巨悪とは思えませんでした。
そう、これが神さまの二面性。ロバートさんは私の隣に立ち、ポンと肩に手を乗せます。
「嵐は全てを奪い、その地に豊かな土を残す。セトは恐ろしい破壊神であり、豊穣をもたらす神でもあるんだ。どんなに酷いことをしようと、信仰は決して失われない。それが神さまなんだよ」
宿敵を根絶しようと、争いを続ける破壊神。ですが、その争いによって土地は豊かになります。
人は競う、人は戦う。闘争は文化を発展させ、人類は更なる高みへと昇華する。
ロバートさんの力により、また世界の光景が変わります。
そこはどこかの競技場。長いレーン上、スタート地点で構えるのは屈強な陸上選手たち。
今、ここに新たな闘争が始まろうとしています。合図と共に、選手たちは一斉に走り出しました。
「追い風、向かい風! 風は気まぐれ、コンマ一秒を争う世界は彼によって振り回される。さあ、機嫌を損ねず捕まえられるかな!」
ロバートさんの声を受け、私は手を伸ばします。
風は気まぐれで困った奴。でも、私となんか似てます。
ほんの少し、風の事が好きになりました。
よーし、風を捕まえて仲良くなってやる!
私の異世界無双で……!
こちらへと突っ込む一機の戦闘機。
私はそのコントロールを奪い、天空へと急上昇させます。
この戦闘機……風の魔石を使ってる……
だから見える……右手を伸ばして、じっくり見極めて……
今だ!
風、捕まえちゃいました!
「本日二度目の登場! 流星の~! コッペリア~!」
五機の戦闘機。全ての主導権を握り、キトロン上空でアクロバットを披露させます。
この感覚……風を捕まえるこの感覚ですよ!
急旋回、急回転! 戦隊を乱さず、鉄の鳥たちはカッコよく宙を舞います。
やがて、その後方に五色の煙を吹かせ、空に大きな虹をかけました。
どうですか! このエンターテイーメントは!
「俺の……最高傑作が……」
「花火大会の次は航空ショーかよ。やってくれるな」
完全に放心してしまうジルさん。上機嫌で笑うモーノさん。
そして、突然のショーに恐怖しながらも興奮する街の人たち……
また私、何かやっちゃいました?
なんちってー!
バルコニーは人の進化を見張る
ガーデンは自然との調和
チャペルは神への信仰
ダンジョンは罪人への制裁
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