6.イスファンへ
(side:リディアンリーネ)
翌朝、リディアンリーネは父親と別れを惜しみながらも兄と共に砦を発った。次の再会は一年後、結婚式の頃となる。
空は高く晴れ上がり、少し肌寒い様な風が吹いていた。
萌えいずる新緑の爽やかな香りに見送られ、イスファンとラティスハルクの一行は、一路イスファン国王都を目指していた。揃いの軍服に身を包んだ、とかく厳めしくなりがちな彼等は、街道の民を脅かさぬようことさら美々しく装い、パレードさながらに進む。
その中ほどの4頭立ての一際豪奢な馬車の中に、リディアンリーネは婚約者と共に座っていた。
その、ゆったりとした馬車の中から、小さく切り取られた空を眺める。
国境を離れ、故国から遠ざかっているというのに、見えるのが空ばかりでは特に実感も湧かない。ただ流れる雲や横切る鳥たちを眺めるばかりだったが、窓に寄ったところで、見えるのは周囲を壁のように並んで行軍する騎士のみ。
平和の証の婚姻であるのに、少々どころか息苦しい。
馬車から出られる休憩を心待ちにしながら、リディアンリーネは正面で書類を繰る婚約者を見るともなしに見ていた。
昨夜のダンスで少し縮まったかに見えた距離が、今朝はまた婚約式後の挨拶の時の様に遠い。王宮に着くまでに少しでも打ち解けられるようにとの計らいが、今は少々恨めしい。
はらりと頬にかかる金色の髪は、思い出の中の少年を思わせる。
―――りゅうの色と一緒……でもりゅうは緩くカールかかってたよなぁ
長く伸ばされ、首の後ろで一つに括ったリュスタークのそれは、真っ直ぐに背中に流れていた。
―――比べちゃダメ……
とは思うものの、ついつい思いを馳せてしまう。
今思えば無謀な事をしたものだと思う。いつ開けてもらえるかもわからない衣装箱の中に潜り込むなど。呻き声に気付いた騎士が蓋を開けて見なければ、父公爵は会談場所で娘の変わり果てた姿と対面する羽目になったはずだった。
常に誰彼となくかわまれ、寂しさと無縁に育ったリディアンリーネは、あの時初めて寂しい日々を過ごしていた。
外相としてイスファンとの交渉に当たっていた公爵は、長年の苦労が実りかけていたあの時、寝る間も惜しんで東奔西走していたし、前の年から父の補佐官をしていた長兄のリクハルトも同じく多忙を極めていた。
次兄のエルンハルトは在学中ながらも兄の補佐を始め、たまの帰省もほぼ王宮に詰めていた。実習と称して駆り出されることもしばしばで、卒業式さえ出ることが叶わず、後ほど卒業証書だけが送られてきていた。
二人の双子の姉たちや母親は、その年のデビュタントを控え夜会のための復習や、派閥の人間関係の相関図や話題の制限、お茶会の出席などやるべきことが多すぎて息をつく間もなかった。
広い公爵邸で誰にも会うことなく過ごす日々は、やがてリディアンリーネを突拍子もない行動に走らせる。
見てくるように言われた町の子達は人懐っこく、おずおず近づくリディアンリーネをすぐに仲間に入れてくれた。
初めて感じる外の世界はどれも興味深く、退屈も寂しさも感じる暇が無いほどだった。
殊に、りゅうに出会ってからは特に。
初めて見た時、絵本の王子様にそっくりだと思った。金の巻き毛に空色の瞳。乗ってる馬は残念ながら白馬でなく芦毛だったが、とても賢くリディアンリーネにもよく懐いてくれた。
その芦毛の馬に乗せてくれ、りゅうはリディアンリーネをいろんな所へ連れて行ってくれた。薬草や山菜を採りに行ったり、木の実を採りに行ったり。小さな湖で釣りをしたり水遊びをしたり。一度はイスファンの小さな村にも連れて行ってくれた。
初めて見るイスファンの村の人達は、途中で通ったラティスハルクの村と同じように素朴で温かだった。
―――一緒に遊んだあの子達、どうしてるかな…
過去に思いを馳せながら、いつの間にかリディアンリーネは夢の淵へと沈んでいっていた。
(side:リュスターク)
書類を繰りながら、リュスタークはイライラと修正を書き込んでいく。
昨夜の宴会で羽目を外し過ぎた数人のため、道中の警護と今夜の宿の警護の変更を余儀なくされていた。併せて、数人の近衛をリンらしき少女の探査に当てた為に…―――
アークから聞いたのか、命じた際のセヴェリの物言いたげな目を思い出してリュスタークは軽く首を振った。
―――分かってるさ、見つけたところで今更どうしようも無いことくらいは…
婚約の話に諾と答えた時、諦めたはずだった。
式の朝に思い出の場所に行ったのは、少年時代への感傷だった。が、直前に訪れたあの場所で見つけた幼い恋の欠片は、内に燻る熱に火をつけるのには十分だった。
10年一度も会うことの叶わなかった少女は、一体どんな風に成長を遂げたのだろうか。
今もストロベリーブロンドの髪をなびかせて、太陽のように笑うのだろうか。
―――変わらず約束の指輪を持っていてくれた君に、どう謝ればいいだろう
会って謝りたいのか、抱きしめたいのか。
ペンを握る手に力を入れてリュスタークは書類から顔を上げた。
馬車に乗ってからずっと書類を睨んでいるリュスタークに、文句を言うでもなく向かいに座っていた少女は、いつの間にかその瞼を下ろしていた。
神秘的な白銀の髪に夜空の星の瞬きを瞳に宿し、どこか物憂げに微笑む少女。
―――悲願のロスガルドの姫君か…
思い出の少女と正反対の少女を見ながら軽く首を振ると、上着を脱いでリディアンリーネにそっとかける。
―――欠片がもう少し早く見つかっていたら、リンを諦めずに済んだだろうか…




