4.婚約式 2
「あ~、アーク?」
「何でしょう、主」
司祭と式の流れを確認したリュスタークは、背後に控える従者を振り返った。
「お前、謀ったな?」
「何がでしょう、主」
「今日の私の仕事は?」
「祭壇の前に美しい姫と並び立ち、はいと答えるだけの簡単なお仕事です」
「だな。衣装も完璧。カンペも不要。式の開始は?」
「…3時間後ですかね」
「早過ぎるにも程があるだろう」
「遅れるよりましです」
「……」
「……」
「暇だな」
「暇ですね」
「……」
「……」
「……」
「執務でも、お持ちしましょうか?」
「7日分片づけてある」
「…帰ったら溜まってますね」
「言うな」
「……」
「……」
「葡萄酒、お持ちしますか?」
「式の前に酔いつぶす気か?」
「主、笊でしょう」
「……」
「……」
「よし、決めた。出るぞ!」
「えぇっ?!」
「同じ暇を託つなら好きな場所で託つ。約束だから誘ってやるぞ。お前もついてこい」
「あっ、主」
足早に歩きながら甲高く鳴らされた指笛に、芦毛の馬が馬首を返してリュスタークの元へと駆けてくる。
「鞍無しか、まぁいい。ルシー、休んでるとこ悪いが、いつもの所へ頼むよ」
軽く地面を蹴って馬に跨ると優しくその首を叩き、
「早くしないと置いてくぞ」
言いながら既に馬を走らせている。遅れまいとアークも自身の馬を呼んだ。
「もう既に置いてってますからー」
アークの叫びは残念ながらリュスタークには届かなかった。
置いて行かれたアークがようやく追いついたのは、既にリュスタークが望みの場所に到着した後だった。
「その馬本当に20歳馬ですか?」
馬から降り、固まったかのように地面に蹲るリュスタークへと歩み寄る。
「…アーク」
「俺の馬、現役ですよ?」
「アーク」
「ここまで離されるとショックです」
「アーク!」
「どうしました、主」
興奮を隠せないリュスタークにアークは首をかしげる。
見たところ特に何もない茂みと、特に手入れもされていない下生え。そこから何かを拾い上げると、リュスタークは振り返った。
「彼女だ」
「え?」
「彼女が来た」
「彼女?」
「リンが来たんだ」
「お会いに?」
「いや。でも間違いない」
確信を込めたその声は、驚喜を孕んだ興奮を隠しきれない。
「ああ、なんであの時帰ってしまったんだ!もう少し待っていたら彼女に会えたのに!!」
「なぜ間違いがないと?」
「朝来た時ここの下生えは踏み荒らされてなかった。しかもこの足跡とも言えない広範囲は……多分彼女が転んだ跡だろう」
「え?」
愛おしげにリュスタークは茂みを見やる。
「リンはちょっと慌て者でね。多分この茂みに髪が絡まってバランスを崩したのかな?引っかかってる赤毛と…そこの手をついたらしき後にこれが…」
開いた手のひらに乗せられていたのは、小さな蔦の葉を模した飾りだった。
「蔦の…葉…?」
「10年前約束の印に彼女に渡した指輪の細工だ。ちゃんと持っててくれてた…」
蕩けるような微笑を浮かべ、握りしめた拳にそっと唇を落とす。
「どうしよう…どうすればいい…」
「主」
「とりあえず街道封鎖か?」
「主」
「近衛はどれだけ動かせる?」
「殿下」
「そんなに時間は経ってないはずだから、周辺の町や村の宿屋を虱潰しにしても……」
「リュスターク殿下!!」
興奮するリュスタークの足元に跪く。
「アーク」
「お会いになって、どうされるのです」
酷いことを言おうとしている。
「想いを告げられるのですか?」
長い間、何年にも渡る努力を見てきた。平民の娘を迎えるにあたっての、根回しの苦労も見てきた。何より、少女のことを語る時の笑顔を、少女への想いを、婚約が決まった時の絶望を、知っている―――
「連れて帰れるとお思いですか?今日は殿下の婚約式です。お相手はあの、ロスガルド家の令嬢。イスファン国悲願の令嬢ですよ?彼女を見つけてどうされるのです。10年来の想い人を
愛人にでもされますか?それとも側室に?」
「………」
「和平の為に故国や家族と別れ、一人異国へ嫁いでくる16歳の少女に、婚約式の日に夫となる人物に愛人がいると知らしめるのですか?」
「…リン…」
「今見つかったところで、と。仰っていたではありませんか」
「ようやく影が見えたのに…」
手を伸ばせば届くほどの距離のはずだ。―――雲をつかむようだった、この五年に比べれば、吐息さえ聞こえそうなほどに
握った拳をもう片方の手で包み込み、祈るように額に当てて目を閉じる。
「殿下」
「すり抜けていくのだな…」
―――約束の指輪を、持っていてくれた彼女に
「殿下…」
「……リン…」
―――たった一目、逢うことすらできないのか……
「……」
リュスタークの眦に光るものが見えた気がしたのはアークの気のせいだったか
「一人に…してくれ」
きつく握りしめた拳を下ろし、顔を上げて言うリュスタークの声は震えておらず、開いた双眸に涙の跡はない。
「今更逃げはしない。必ず、式には出る」
ただ、
「しばらく一人に…」
「……はっ…」
ただ、その相貌からは、すべての表情が抜け落ちていた…―――
晴れ上がった空の下、厳かに誓いを繰り返すリュスタークを見て、アークは人知れず息をついた。ため息ともつかぬそれを、耳ざとく聞きつけた同僚が肘で小突いてくる。
「何だ?殿下の式の最中だぞ。不景気だな」
「いえ、何だか感慨深いなぁと、思いましてね」
「だな」
10年戦がないこと。
種付けた農地が荒らされることなく収穫を迎えることができること。天災に向けての備蓄ができ、余剰を他国に輸出できること。豊かになった税収で都市部だけでなく街道の整地が進んだこと。商人の行き来が頻繁になり、商品が多彩になったこと。盗賊が頻繁に出没するようになったが、暇になった騎士団の良い訓練になっている。
何より、家族が徴兵されることなく、生きているということ。
一つ一つは大したことがなくとも、戦があることが前提の時代には当たり前の事ではなかった。
戦禍に巻き込まれ、荒らされた農地は収穫できるものとてなく、徴兵、戦死によって起こる人手不足では収穫の人手が足りぬ。上がらぬ税収で街道の整備などもってのほかで、まして辺境部から王都までの街道の整地など、敵陣を誘致するようなものだ。
平和に寄る甘露は貴族のみならず、今や広く民にまでゆっくりと染み渡っていた。
そしてこの度迎えるラティスハルク国がロスガルド家の令嬢。彼の国との因縁の戦の発端となった美しい令嬢は、イスファン国ではロスガルド家の令嬢であったと、敗戦の屈辱と共に伝えられている。その姫との婚姻。
当初王族同士での婚姻が進められようとしていたが、どちらにも直系に姫がおらず傍系になるなら是非悲願の家の姫をと、言い出したのはイスファン国の方だった。
決まれば王家に王子は三人。王太子には既に正妃がおり、その腹には子供がいた。第二王子には結婚式目前の姫が。対して第三王子は婚約者も決めず、平民を迎えるために奔走している。
あっさり白羽の矢が立つのは自明の理であった。
平和の二文字を錦の御旗に婚姻を迫られ、数か月に及ぶ攻防の末、探し続けていた少女を諦め切れぬままにリュスタークは承諾したのだ。
軍部に身を置く身なればこそ、よりその意味が身に染みていたので―――
今、リュスタークの隣に立つ少女は、因縁の戦が頷けるほどに美しかった。
白磁を思わせる白い肌。整った顔立ち。夜空を思わせる深い藍の瞳には金の光彩が散り、背に流れる白銀に輝く豊かな髪には、細い金鎖が幾重にも飾られている。明るい空色のドレスには細かい銀糸の刺繍が施され、華奢な腰から幾重にも流れる生地が少女の動きにつれて煌めく様は、まるで水面が陽を受けて輝くように幻想的であった。
緊張を孕んで少し強張った顔はそれでも優しげで、二人が並ぶその姿はまるで一幅の絵のよう。
わぁぁっ
突然上がった歓声にアークは我に返った。
振り返った二人は祝福に応えて軽く手を振っている。
張り付いた笑顔に胸が痛んだ。
草原に敷かれた緋の絨毯の上を二人がゆっくりと退出するのを追いかけ、アークも参列者の輪を抜け出した。
「さて…」
エスコートされるままに天幕に導かれたリディアンリーネは、先程婚約者となった男と向かい合っていた。男の声を聴いたのはこれで二度目。柔らかなテノールは耳に心地よく響くのに、優しげな顔は微笑を浮かべているのに、何故か冷たい水でも浴びせられたかのように背筋がゾクリとする。
「式の前にお会いできず失礼いたしました。リュスターク・ラ・クレメンテスです。あなたを我が国に、我が婚約者としてお迎えできて光栄です、ロスガルドの姫君」
「どうぞお気になさらず、リュスターク殿下。リディアンリーネ・フェイ・ロスガルドです。貴国との平和の懸け橋となれる事、とても嬉しく思っております」
右手を胸に当て、淡々と騎士の礼をするリュスタークに、リディアンリーネは引きつりかけた口元を隠すように少し深めに淑女の礼を返した。
ゆっくりと顔を上げたその足元に跪き、手を取りながら見上げた少女はとても美しかった。緊張のためか少し強張り、血の気の失せた顔はその美貌を損なうことなく際立たせていた。優しげな顔立ちは僅かにあどけなさを残し、どこか懐かしささえ覚える。
―――彼女を愛するのは、とても簡単だっただろうに…
凝ったばかりの心さえ、鼓動を高く打つほどに。
だが、過去に囚われた心はそれ以上は動かない。
「一人我が国に嫁がれる貴女に感謝と敬意を。貴女を生涯の妻とし、その憂いを払う剣となり、盾となりましょう。我が親愛と誓いを貴女に」
ビクリと震えるその手を取り、そっとその甲に唇を落とす。
「お心、嬉しく存じます。私のこれからは殿下と共に」




