43.兄と妹
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リディアンリーネが入城した折の夜会を最後にオフシーズンに入り、静かに息を潜めていた社交界は、秋が深まるにつれ徐々に息を吹き返していた。
領地に戻っていた貴族が三々五々、王都に帰ってきている。
ここ、ラティスハルクの大使館にも、徐々に届く招待状が増えていた。
まだ夜会が開ける程は帰って来ていないらしく、大抵が茶会で、たまに晩餐が混ざっている。
厳しい執務机に座り、さらさらとペンを動かすのはこの部屋の主、エルンハルトだった。
朝から既に10通を超える招待状に返信を書いている。似た文面のためそろそろ頭が混乱しそうだった。
サインを入れ、早く乾けとばかりにひらひらと紙を振るエルンハルトに気付いた侍従が、その手から紙を取り上げる。
「エルンハルト様」
「シモン」
「お行儀が悪いですよ」
「これで最後なんだ。あと頼んでいいか?」
「仕方ありませんね」
溜息と共に了承すれば、待っていましたとばかりにその手に紙の束を押し付ける。
「んじゃ、これが出席の返事を書いた手紙。こっちが代筆で構わない、出席の返事を出して欲しい招待状に、これが手隙の者で出席して欲しいもの。あと、こちらが丁重に断って欲しいもの」
「よろしいので?」
「日時が被ってるから仕方ない…慣れたら梯子も出来るだろうけど、まだ無理だな」
「かしこまりました」
「残りの仕事は後でやるから」
「はい」
扉へ向けて歩きかけ、ふと足を止める。
「そうだ、父上から手紙が来てたな?」
「こちらへ」
「ありがとう」
受け取り、手紙に目を通していく。読み進めるにつれ口元が綻んでいった。
「良い知らせで?」
「ああ、粗方準備が整ったそうだ。リュスターク殿下に手紙を書いてから行くよ。リディにもう少しかかると伝えてくれ」
「かしこまりました」
シモンが扉に向かうのを見送って、エルンハルトは机へと戻った。
楽しみにしているであろうリュスタークを思い浮かべながらニヤリと笑う。
上手くいけばいい結婚祝いにもなるだろう。式を早めることができないかと打診のあった時には驚いたが、今となっては春先よりよほど良い気がしていた。
「さて…」
ラティスハルクの大使館は貴族街のやや南にある。広い敷地には落葉樹が多く植えられており、気の早い紅葉が、見る者の目を楽しませていた。
その、大使館の一角。三階の一室に設えられた柔らかな雰囲気の部屋で、クッションを持ち込んだ出窓に腰を掛け、リディアンリーネはぼんやりと外を眺めている。膝の上に広げられた本は、先程から一ページも繰られることなく、ぼんやりと外に向けられた視線が落とされることもなかった。
「リディ?」
ポンと肩を叩かれリディアンリーネは我に返る。見上げれば些か心配げな顔で見下ろす兄の顔があった。
「…兄様」
「どうかした?」
「いえ、ぼんやりとしててごめんなさい。お仕事はもういいの?」
「ああ。元々リディのために開けてあったんだ。偶には仕事に遠慮してもらわなきゃな」
肩を竦めるエルンハルトにくすりと笑みをこぼしながら、リディアンリーネはソファへと移動した。
「仲良くやってるみたいだね」
「え?」
「リュスターク殿下と」
「…ええ」
小さく笑ってみせるその笑顔に、翳りが浮かぶのをエルンハルトは目を眇めて見つめる。
聞こえてくる噂では仲睦まじく過ごしているという話だったが、リディアンリーネの顔に浮かんだ表情は手放しで嬉しそうでもない。
「浮かない顔だね?」
「そんなこと…」
「結婚式のことは聞いた?」
「ええ」
倒れたと聞いて駆けつけた翌朝、一緒に朝食を摂りながらリュスタークから結婚式を早めたいと打診を受けていた。
はいと答えながらも素直に喜べなかったのは、自分がリンだと明かしていないからだ。
―――指輪を壊した時に、迎えに来てくれたらちゃんと謝ろうって決めてたのに
ずるずると延ばしてばかりいたが、結婚式が早まるとなればいつまでもそうとばかり言ってはいられないだろう。
そうでないなら一生秘するか。
だが、リディアンリーネ自身が気が付いたように、遅かれ早かれいつかは知れるだろう。その時、誤魔化し、嘘をつくことができるのか。
何度考えてもそればかりは否だった。
「……ィ、リディ?」
気が付けばエルンハルトが心配そうに覗き込んでいる。二、三度瞬きをし、視線を合わせると、エルンハルトはほっとしたように微笑んだ。
「気がすすまないなら、無理に早めることはないんだよ?取りやめにこそできないけど、予定通り春に式をするようにはできるんだから」
まだ確定はしていないのだからというエルンハルトにリディアンリーネは首を振って答えた。
「私は嫌なんて…」
「私は?リュスターク殿下は違うという事?でも、これは殿下からの申し出だろう」
訝しげに言うエルンハルトに向ける微笑みはどこか寂しそうだった。
「結婚式の話じゃないの。私が………私がリューク様に謝らなきゃいけない事を、先延ばしにしてしまってて…」
「言いづらくなった?」
「……うん…」
「…そうか。会えてる?」
「ここ一月ばかりはお忙しいみたいで…あ、でも今度一緒に城下に」
「城下?」
「うん。何か?」
兄の眉の寄るのへ首を傾げなから聞き返す。
「いや、最近どうも城下が騒がしいようだから…」
「変装してるもの、大丈夫よ」
「う〜ん、そう言う問題じゃないと思うけど…ま、殿下と一緒なんだから大丈夫かな?リディ、くれぐれも…」
「一人では出ません」
「よろしい」
澄ましてぴっと片手を上げて宣誓するリディアンリーネに、厳しい顔でエルンハルトは頷いた。
やがて、ぴくりと口の端が上がったのはリディアンリーネが先かエルンハルトが先か。
同時に吹き出した二人はしばらくの間くすくすと笑い合っていた。。
「そうだ、リディ。これを殿下に渡して欲しいんだが…」
「私信?」
差し出された封筒を受け取りながらリディアンリーネは聞き返す。
押してある封蝋はラティスハルクの紋ではなく、エルンハルト個人のものだった。
「殿下が早く知りたいんじゃないかと思ってね」
「結婚式の?」
「いや、リディ発案のあの計画の準備だよ」
エルンハルトの答えにリディアンリーネの顔が輝く。
「許可が下りた?」
「とりあえず下りたそうだ。父上が領土に確認の指示を送ったって。これはその件と、船のサイズや必要な物のざっとした箇条書き。正式な書類は国許から色々届いてからだな」
「楽しみね」
「だな。早ければ初の試行便がこの冬かな」
「冬…かぁ……また、喜んでもらえるか微妙な季節…」
「あはは、ちょっと思いついた使い方もあるから、まぁ、素直に楽しみにしときなよ」
少し悪戯げな顔で笑うエルンハルトに、小さく小首を傾げてリディアンリーネは頷いた。
一頻り、愉しげに話していた二人にタイムリミットを告げたのは、少し遠慮がちなノックの音だった。
来客を告げるシモンにリディアンリーネは慌てて暇を告げた。
「ごめんなさい、すっかり長居をしてしまって」
「またおいで」
「ええ兄様」
立ち上がり、扉へ向かうリディアンリーネをエルンハルトは呼び止める。
「リディ」
「なぁに?」
振り返ったリディアンリーネを、エルンハルトは優しい目で見つめていた。
「案ずるより産むが易し、だよ」
「え…?」
「リディが沈んだ顔をしてたら、殿下は心配するんじゃないか?」
「…兄様…」
「早く機会を見つけてすっきりしておいで」 「……ありがとう…」
心配性の兄に笑みを残して、リディアンリーネは大使館を後にした。
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