42.距離
少し明るくなった室内で、シーツに包まるリディアンリーネを視界に捉えながら、リュスタークは静かに浴室から出てきた。
自然、足はその傍らへと進み、リディアンリーネの顔を見下ろしながら、ベットの脇で立ち尽くす。
自室に戻ることも出来なかった彼が、ゆっくりと彼女の顔を見ることが出来たのは、実に一月ぶりだ。
目を閉じ、深い眠りの淵へと沈むその寝顔は、無防備な幼さを湛え、リュスタークの目を惹きつけて離さない。
トニからの報告では特に変わりなしとのことではあったが、こうして見れば少し顔色が悪いようにも感じる。
―――今日は出かけないほうがいいだろうか
心配げな眼差しを向けながら、リュスタークが枕に広がるその髪を一房掬えば、滑らかな手触りのそれは、捉える間もなくするりとその指から逃げた。
「ん…」
身動ぎ、ぼんやりと薄く目を開けたリディアンリーネは、焦点の合わぬ瞳で辺りを見回す。見知らぬ天井、見知らぬ調度。そして…
「リューク様?!」
勢いよく起きればぐらりと目が回る。
―――あれ?
「急に起き上がってはダメだよ」
倒れかけたリディアンリーネを支え、ゆっくりとベットへ横たえる。
「大丈夫?」
「はい…」
「昨夜、来てくれてたんだね」
「倒れられたと聞いて驚いて…」
「ごめん、それは兄上のいたずらで…」
「はい、エドヴァルド殿下もシグルド様もそう仰られたんですけど、リューク様は目を覚まされないし、顔色が良いようには見えなくて…」
リディアンリーネはゆっくりと体を起こし、合わせた視線を申し訳なさそうに伏せる。
「かえってお手間をかけてしまい、申し訳ありません」
「いや、来てくれて嬉しいよ。私こそ心配をかけてすまない…」
「いえ。あの…ここは?」
くるりと室内を見回すのへ、リュスタークはベットの端へ腰をかけながら答えた。
「私の仮眠室だよ。よく眠れた?」
「はい。お恥ずかしながら…リューク様はどこで…?」
「ん?ああ、昨日の夕方からしっかり寝てしまったからね。やりかけの書類を片付けていたんだ。…で、とりあえずひと段落ついたから、久しぶりに一緒に城下に降りないかいな、と思うんだけど、どうかな?」
リュスタークの誘いにリディアンリーネは目を丸くする。
返事にはどこで寝たとも言ってない。おまけに話題を変えるかのような誘い。となれば、寝てないのは火を見るよりも明らかだ。
「え?でも、昨夜寝てないですよね?」
「まぁ、夜中はね。でも夕方からありえない位寝たから大丈夫だよ。リディの今日の予定は?」
「多分特に何も…マルヴィナに確認しないとはっきりとはお答えできませんけど、来客もお茶会も入ってないかと…」
一月の間部屋に戻る暇も無い程働いて、ようやく取れた時間なら休んだほうが良いのでは無いだろうか。はいと答えるのも躊躇われ、言いながら声が先細る。
俯向くリディアンリーネにリュスタークは胸の内で小さく溜息を零した。
仕事の切れ間の読めないリュスタークがリディアンリーネを誘えるのは大抵突然だ。それでもいつも嬉しそうに笑ってくれる彼女の顔に、今日は笑顔が浮かばない。
―――原因さえわかれば…
押して良いのか引けば良いのかも分からず、膝の上で握られたその手をそっと取る。
ぴくりと驚いたように動いたその手は、引っ込められることなくリュスタークの手に包まれた。
「ねぇ、リディ」
引いてはダメだろう、と俯向くリディアンリーネを見ながらリュスタークは考える。現にこの1ヶ月の間に、贈り物への礼状やメッセージへの返信はあっても、リディアンリーネ自身がリュスタークの執務室を訪ねてくることはなかった。
預けられた手は、緊張して力が入っているようではあるが、彼の手から逃げようとはしていない。呼びかけに上げられた顔も、困惑は浮かんでいたが忌避や嫌悪は浮かんでいなかった。
「はい」
「リディさえ良ければ、今日は一緒に過ごしたいんだ」
「でも…」
「イヤ?」
狡い聞き方だと思いながらも、リュスタークは強引に言葉を重ねる。
仮にも婚約者だ。特に変更出来ない予定もなく嫌だとは言いづらいだろう。案の定リディアンリーネは首を横に振った。
「じゃあ…」
「でもっ!」
一緒に、と言いかけたリュスタークの声に、リディアンリーネは被せるように言い募る。
「でも…休んでほしいです。昨日…寝てるだけだと言われたリューク様の顔色は悪くて…」
言いながら思い出したのか、リディアンリーネの身体がふるりと震えた。
「リディ…?」
「近くで大きな音がしても起きなくて…」
ぎゅっと眉が寄せられ、堪えきれなくなった涙がほたりほたりと溢れ落ちる。
「このまま……このまま起きなかったらどうしようかと……怖くて…」
「リディ…」
「こわ…」
「ごめん、リディ」
リュスタークは握った手をぐいと引き寄せると、その腕の中にリディアンリーネを抱き込んだ。
小さく漏れる嗚咽や、微かに震えるその肩に、抱きしめる腕に思わず力が入る。
「忙しくて寝不足だっただけなんだよ」
その耳元に囁くように言うのへ、リディアンリーネはイヤイヤをするように小さく首を振った。
「倒れちゃ…嫌です…」
「うん、気をつける」
「…ヤぁ……ふっ……っく」
「うん」
何度も小さく頷きながら、リュスタークは腕の中のリディアンリーネに優しげな視線を落とす。腕の中にぴったりと寄せられた華奢な身体。しがみつくようにその胸元に顔を埋める彼女に、堪えようのない愛しさがこみ上げてくる。
「リディ…す」
思わず零れそうになった想いの発露を邪魔したのは、遠慮がちに響くノックの音。
我に返り、慌てて離れようとするリディアンリーネをもう一度強く抱きしめ、リュスタークは小さなため息と共にそっと腕を離した。
応えの無い室内に小さく問いかけてきたのはアークの声だった。
「…主?」
「起きてる。連れてきたか?」
「はい」
「入れてくれ」
立ち上がり、リディアンリーネを振り返ると侍女の到着を告げる。
「ゆっくり準備をしておいで?一緒に朝食を摂ろう」
「はい」
「後でね」
そっと旋毛に口付けを落とし、リュスタークは扉へと向かった。
侍女が入るのと入れ違いに部屋から出ると、閉まった扉に背中を預ける。
「主?」
小さく溜息を零すリュスタークに、アークが揶揄うように声を掛けた。
「うるさい」
「お邪魔しました?」
「……いや、ちょうど良かった…流れでうっかりは良く無い…」
「え?!」
「…雰囲気も大事だよな」
「は?主?!」
ぶつぶつと言いながらリュスタークは扉から離れるとソファへ座る。
「どうするかな…」
「主、リディアンリーネ様はまだ15歳ですからね??」
「うん?」
慌てた様子のアークにリュスタークは首を傾げる。
「焦らずちゃんと優し…ぶっ」
「ばっ!!」
力の限り投げられたクッションは見事にアークの顔に命中した。
「何を言ってる!」
「…あれ?」
声を荒げるリュスタークに、今度はアークが首を傾げる。
「何の話でしたっけ?」
「一体何の話だ」
「…………ああ…」
「……悪かったな…」
「…ゴホ……いえ、失礼いたしました」
「まったく…」
「長期戦はどうなったんです?」
返せと合図するリュスタークにクッションを渡し、アークは紅茶の準備に戻った。
「話してたら好かれてる気がして、ついうっかり…」
「でしょうね」
「でしょうね?」
訝しげな視線にアークは肩をすくめる。
「昨日駆けつけたリディアンリーネ様は、真っ青もいいところでしたから」
「そうか…」
短く応えて、かちゃりと目の前に置かれた紅茶にリュスタークは手を伸ばした。
「主…」
「…ん?」
「リディアンリーネ様の準備ができるまでにはその口元、引き締めてくださいね」
再び飛んできたクッションを受け止めながら、何だかうまくいきそうだとアークの口元も緩んでいた。
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