38.白い石と嫉妬
ドサリ、と体を投げ出すようにリュスタークはソファへとその身を投げ出した。
早朝から出かけ、漸く部屋に戻れたのはそろそろ日を跨ごうかという頃であった。さすがのリュスタークもその顔に色濃い疲労が現れている。
「一網打尽、ですか?」
「いや、さすがにそれは無理だろう」
だから南棟に厳戒態勢を敷いたわけだし、と苦く笑うリュスタークの前にアークは濃いめの紅茶を置いた。
「では、小物ばかりで?」
「ほとんど、な。だが思わぬ獲物が掛かったな」
「思わぬ?」
「ヨアキム・イミ・ヤルヴァ」
「それはまた…」
「取り調べ次第ではあるが、あんな所にいたのだ、先ず言い逃れはできぬし、させぬ」
「ですが彼は孤児院の方の…」
「根が同じだったのであろうな」
「まぁ予定より早いですが、資料もなんとか捕縛できる程度には揃っておりますし、今回の件に無関係を主張しましても、こちらで捕縛出来ましょう」
「とりあえず、リディの気掛かりが一つ減らせたかな…」
呟き、思わずといった態でリディアンリーネの部屋の方を見やる主に、アークは小さく笑みを零した。
「随分と心配をしておいででしたよ」
「…そうか……」
険しかった眉間がふと緩む。
「変わりは?」
「ございません。こちらも、兄君様方の奥方様の方も、お変わりなくお過ごしです」
「良かった。しばらくは気を抜かぬよう伝えてくれ」
「かしこまりました」
視線を扉口に向ければ、セヴェリが答える。
「ヤルヴァ子爵令息の収監先は?」
「左軍の地下牢へ」
「様子を逐一報告するようトルスティに伝えてくれ」
「はっ」
セヴェリが扉口を開け、護衛の一方へ指示を出すのを見やりながらリュスタークは置かれた紅茶に手を伸ばした。
ヨアキム・イミ・ヤルヴァは、リディアンリーネが助けたエヴェリーナ伯爵令嬢の婚約者である。
夜会の件もあり、軽く調べさせた時、不自然な昇爵が目に付いた。
元々ヤルヴァ家は商家だった。貴族になったのは数代前、西の隣国との折衝の功を認められて準男爵位を授爵されたのだ。それが間も無く男爵となり、子爵へと不自然に上がっている。
元々貧しくはない商家であったヤルヴァ家だ。全財産を投げ打てば低爵位の一つくらいは買えるかもしれない。
だが、いくらなんでも2つは無理だ。それが叶うならイスファンの商家は今頃皆爵位持ちになっているだろう。
―――となれば、不自然な金の流れを探せばいい。………が、ここまで尻尾を見せていないのだ。そう簡単に見つかりはしないだろう。
と、長期戦を覚悟した時目に付いたのが、数カ所に及ぶ孤児院への訪問回数だった。
調べれば訪問も寄付も多い。孤児院を調べれば、どの孤児院もヤルヴァ家が間に入っての養子縁組が異常に多いことが発覚した。そのどれを取っても決して悪いことではない。
だが…、10歳以下の子供の養子縁組がほとんどなく、大抵がそれ以上。
養子縁組を求める夫婦はほぼ幼い子を求める。嬰児に近ければ近い程養子先は見つかりやすかった。であるにも関わらず、それらの孤児院で養子先が見つかるのは、10を幾つか越えてから。尚且つその後の足取りはほぼ不明だった。
現状、その足取りを調査中で、中には国境を超えたとの情報もある。漸く先日孤児院で新たに養子縁組が決まったとの情報が入り、逮捕はその追跡を待っての予定だったのだ。
―――今回の捕縛で孤児達の行方も判明すればいいのだが…
月が夜空に登り、昼間の暑さが嘘のように涼やかな風が吹き抜けていく。
深夜の東屋で、リディアンリーネはぼんやりとテーブルに肘をついたまま、夜空を見上げた。その手には、変わり果てた約束の指輪が握り締められている。
リュスタークがりゅうだと分かって7日。
未だに自身がリンだと、告げる勇気の出ぬままに、鬱々とした毎日を過ごしていた。
何かあったのか聞かれた時に、告白できれば良かったのだろうが、一度飲み込んでしまった言葉は胸の奥で固まり、一向に上がってはこない。心配されているのがわかっているのに、鉛の様に重くなったそれを抱えたまま、リディアンリーネは笑ってみせるしか術がなかった。
今日もまたそんな1日を過ごすのだと、気の重いままに起き出してみれば、朝早くからアークがリュスタークからの伝言を持って来た。
部屋から出ぬ様にとのその言葉に、聞けば大掛かりな捕り物があるとか。久々に気がかりを忘れ、リディアンリーネは1日を心配のままに過ごすことになった。
どれほどの事件なのかは知らないが、王族であり、将軍職にあるリュスタークが、前線で指揮を取るなどとは思っても見なかった。
ずっと無役でしたからねと笑うアークは、さして心配している風でもなかったが、南棟に厳戒態勢を敷かなければならない程の相手に、無事に帰ってこれるのか…
気の休まる暇もなく1日を過ごし、ベットに入れられる寸前に受けた帰還の知らせに、どれほどホッとしただろう。
すっかり目の冴えてしまったリディアンリーネは、侍女達が寝静まるのを待ってそっとベットを抜け出したのだ。
―――良かった…ホントに…。…無事に帰ってきてくれて…
コロリと掌で転がした指輪に視線を向けながら、嬉しそうに微笑みを落とす。
明日からも、残党狩りや後始末で、しばらく忙しくなるとアークが伝えてきていた。
―――怪我をせずに無事に帰ってきてくれますように…
リディアンリーネを抱きかかえて訓練場を7周もした上で、けろっとしていたリュスタークだ。体を鍛えてないわけでは決してないのだろうが、だからと言ってそれで心配せずにいられるはずもない。
握り締めた両手を額に当て、リディアンリーネはいつまでもその無事を祈っていた―――
―――リディ…
一日の汚れを落とし、眠る前に月見でもしようかと足を向けた東屋には先客がいた。
声を掛けようとして、ちらりと見えたその掌の石に、リュスタークは我知らず言葉を飲み込む。
石に向けられた微笑みは、この7日、リュスタークが見たいと焦がれたものだ。
―――焦がれた…?
締め付ける様な胸の痛みは、ここ最近馴染みになっていたもの。
―――あれは、リディが一緒になりたいと思っていた男からの物か…
湧き上がる衝動は、彼女を抱きしめたいのか、揺さぶりたいのか……
それを抑える様にリュスタークは拳を握りしめた。ミシ…と、手の中のグラスが小さな悲鳴を上げる。
リディアンリーネは石を握りこむと祈る様に両の拳を額にあてた。
何かを一心に祈るその姿はいっそ神聖で―――
手の届かないそれを、腕の中に引きずり降ろしたくなる衝動と闘いながら、リュスタークは無理やり視線をリディアンリーネから引き剥がす。
やがて、部屋に戻るリディアンリーネを離れて見送ると、切ない光を宿した双眸を灯りの消えた窓に向けた。
―――リディ…
声にならぬ想いを視線に乗せる。
―――この手は、もう離してあげられないみたいだ…
望まぬ婚約のはずだった。
―――夜会で震えながらも背筋を伸ばし、凛としていた君
最初、守りたいと思った。兄の様に。
ころころ変わる表情や、衒いのない、その、笑顔を。
支えたいと思った。
―――遠い異国で、不満も漏らさず前を向いて立つ君を。
そして今、共に歩きたいと思う。
―――君を恋る、一人の男として…
しばらくその場に佇んでいたリュスタークは、やがて静かに踵を返した。
―――いつかでいい……この手を、握り返して…




