35.遠乗り
その日は朝から良い天気だった。
目覚めもすっきりと、何か良いことがありそうな予感を胸に、軽やかな心持ちで朝食の席に着いた時、リディアンリーネはリュスタークの訪いを受けた。
「おはよう、リディ。いい天気だね」
「おはようございます。ホントに。朝食まだでしたら、ご一緒にいかがですか?」
リュスタークはにこやかに近寄ると、立ち上がって迎えたリディアンリーネの頭頂に軽く口づけを落とす。
「ありがとう。ちょっと寄っただけなんだ。良かったら紅茶だけ貰えるかな?」
「はい」
頷き、侍女の方へと視線をやれば、既にラーナが準備にかかっていた。
「ベール、ありがとうございました」
カウチに腰をかけ、届けられた贈り物の礼を言ってからリディアンリーネは食事を再開した。昨夜届けられたベールは、薄いながらもしっかり目の詰まった織り方をされており、外からは中がうかがえないのに、中からは外が見えるという、不思議な織物だった。
「気に入った?」
「はい」
「それは良かった。早速使ってみたくない?」
「?」
紅茶のカップを持ち上げかけた手を止め、リディアンリーネは首を傾げた。
「実は昼過ぎまで予定が空いたんだ。良かったら朝食が終わったら遠乗りに行かないかと思ってね」
珍しく二つの会議が流れ、まとまった自由時間が取れたリュスタークが思いついたのは、いつかリディアンリーネとの会話に出てきていた遠乗りだった。
少々せわしなくなるかもしれないが、昼を挟んでいることだし、近場なら行けるだろうと誘いに来たのだ。
「行きたいです」
即答してから、ふと気付いたようにリディアンリーネはマルヴィナを振り返る。
大丈夫、と言うように大きく頷く侍女にホッとした面持ちで視線をリュスタークに戻した。
「今から、ですか?」
今にも立ち上がろうとするリディアンリーネの問いにリュスタークは笑いながら首を振り、傍に置いていた書類を軽く振って見せた。
即座に嬉しそうな様子を見せられれば、誘いに来た甲斐があるというものだ。
「いや、リディはゆっくり朝食を食べてて?私はちょっと叔父上の所へ、この書類を渡しに行ってくるから。着替えはしなくても大丈夫。初めてベールを被っての乗馬は無理だから、今日は相乗りで行こう。アンセルミもそのつもりで準備を頼むよ?共は君1人いれば十分だろう」
「はっ」
答えた後テラスの窓の側で警護を務めるアンセルミに指示を出す。
「東の森の泉に行く予定だ。場所を知らなければセヴェリが知ってる。いつも急で済まないね」
「いえ、すぐに下見を出しますから大丈夫です」
「頼むよ。じゃ、リディ。後で迎えに来るから」
足取り軽く出て行ったリュスタークが迎えに来たのは、それから小一時間ほど後の事だった。
乗馬ということで朝食を早々に切り上げ、今や遅しと待ちわびるリディアンリーネは、控える侍女達に生温く見守られながらソファと扉をそわそわと往復していた。
「姫様。そう落ち着きがないようでしたら、日焼け止めが塗れませんよ。いくらベールがあっても、日焼け止めなしに外にお出しするわけには参りませんからね」
腰に手を当て、鼻息荒く言うのはマルヴィナだった。
勢いに押され、リディアンリーネはソファに腰を下ろす。
「ごめんなさい」
おとなしく右手を出しながらちらりと視線を扉にやれば、マルヴィナはその右手を膝に戻すと左手をとった。
「姫様、塗ってないのはこちらですよ」
「あら?そうだった?」
やれやれと左手に日焼け止めを塗るマルヴィナに気もそぞろに返事をした時、待ちわびたノックの音が響く。
「お待たせ。出れるかい?」
ひょいと顔をのぞかせたリュスタークが尋ねるのへ、リディアンリーネは立ち上がることで答えた。リュスタークは、急に立ち上がったリディアンリーネの手を取り落としたらしきマルヴィナに視線をやると、くすりと笑って声をかける。
「急がないからしっかり塗って?」
「恐れ入ります」
リディアンリーネの準備が終わると、リュスタークは階下へとエスコートする。
南棟と王宮を繋ぐ回廊に待っていたのは、いつぞやプサの丘まで乗せてくれた青毛の馬だった。
馬首を寄せてくるその首を軽く叩くと、リュスタークはあっという間に馬上の人となる。次いでベールを被ったリディアンリーネを引き上げると城門へと馬を進めた。
王宮正面から出る馬車道と違い、大きく迂回する外周には所狭しと木々が植えてあり、ともするとそこが王城内であることを忘れそうだ。時折見える塀や、木々の向こうに見える高い尖塔が、辛うじてそこが王城であることを告げていた。
やがて城門を抜ければ、煌びやかな邸宅が並ぶ貴族街となる。内側から見えるとはいえ、随分と狭まった視界からリディアンリーネは馬上から見える貴族街を物珍しげに見回した。
「やはり馬車から見る景色とは違いますね」
「少しは開放感がある?」
「はい」
「そろそろ右手にエルンハルト殿がいる大使館が見えてくるよ」
行き交う馬車を追い越しながらリュスタークは右手を指す。
「まっすぐ行くと城下町に出る。今日は直接外に出るからそちらじゃなく北門に行くけどね」
そう言って馬首をそちらに向けると、リュスタークはその先の北門を通り抜ける。眼前に広がったのはなだらかな草原。
「少し走ろうか」
小さく声を掛け軽く馬の腹を蹴ると、馬は嬉しそうに嘶き、少しその歩を速める。
風を孕むベールごとリディアンリーネを抱き込むと、一路草原の向こうに見える森を目指した。
―――領地にいる時みたい
リュスタークにその身を委ね、爽やかな風をベール越しに感じながらリディアンリーネは嬉しそうに目を細めた。
リディアンリーネが馬に乗れる機会はそうはない。王都にいる時は勿論無理であったし、領地にいる時も兄達のうちどちらかが付き添える時でないと外には出してもらえなかった。
その内の大半が、妹に構いたい兄達と相乗りでの遠乗りであった。
田舎の領地故、2人の兄達も乗馬は下手ではなかったが…
―――星祭の時も感じたけど、リューク様の馬術ってすごい…
速歩にも拘らずあまり身体に揺れを感じない。
―――これが軍部に身を置いてる人の馬術なのかな
流れる景色を眺めながらリディアンリーネは思う。
残念ながら2人の兄は双方文官であったので、比較対象にはならなかったが。
―――こんなにうまいのはりゅう以来かも?
初めて馬術を習い始めた時、その揺れに驚いた覚えがある。
練習しても減らない揺れに、上達しないのだとちょっとばかり悲しくなった覚えも。
その内兄達に乗せてもらい、りゅうが上手だったのだと諦めと共に結論を出したのだけれども。
考え事をしているうちに馬は森に入り込み、その速度を落とした。
「大丈夫?疲れてない?」
「大丈夫です」
「もう少しだからね」
その言葉通り、しばらく行くと開けた目前に渾々と湧き出る泉と、群生した緑白色の百合の花が現れた。
「うわぁ」
リディアンリーネは馬から降ろされながら、感嘆の声しか出なかった。
通常の花よりも大きなその百合は、一本の茎から20程もの花をぶら下げるようにつけている。それが群生しているとなると、その光景はあまりに幻想的で一言では言い表せない。
「気に入った?」
「はい」
「そう?良かった」
言いながらそのベールをとってやり、木の根元に敷かれた敷布へと誘う。
青毛の馬は慣れているのか、少し離れた場所で草を食んでいた。
「もっと涼しい所の花なんだけどね。ここは直接陽射しがささないし、どうやら生育環境があったみたいで、いつの間にか群生するようになったんだ」
「百合…ですよね?」
リディアンリーネの視線はその葉に注がれていた。
そこには細長いスラリとした葉ではなく、丸みを帯びたハート型の葉が幾重にも重なっている。
「う〜ん、詳しくは知らないんだけどね、名前は確かに百合だよ。オオウバユリというらしい。あまりにも見事だから、名前だけは調べたんだ」
「ウバユリ?」
「花が満開になる頃には葉が枯れるものが多いそうだよ。だから姥百合」
「葉が?」
「そう、歯が」
自身の口元を指すリュスタークに、リディアンリーネはくすくすと笑いを零す。
「さぁ、休憩しようか」
「休憩?」
既にしているつもりだったリディアンリーネが、リュスタークの指す指の先を見れば、座っている敷布の片隅にバスケットが置いてある。
「グラスを出しておいてくれる?」
言い置いてリュスタークは泉へと歩み寄る。
リディアンリーネがバスケットを開けると、中にはグラスの他に軽食やフルーツが詰め込んであった。
グラスを出しながら落ちてきた影に顔をあげれば、水の滴る瓶を持ったリュスタークが、その水滴を拭っている。
「どうぞ?」
出されたグラスに瓶の中身を注ぐと、一方をリディアンリーネに差し出す。
「冷たい…」
グラスに口をつけ、驚きに目を丸くするリディアンリーネに、リュスタークは嬉しそうに微笑んだ。
「リディの計画がうまくいけば、城でも夏に冷たい飲み物が飲めるようになるね」




