31.始動
星祭りから帰城後、リディアンリーネは慌ただしい日々を送っていた。
建国祭直前に漸く近衛の編隊が終わり、外出の許可が下りるようになったため、この度念願の大使館へ行ってきたところだ。
ベルガ川への視察へ行った際の、ちょっとした思いつきを兄エルンハルトへ相談するために。兄が面白そうな顔をしたところを見ると、どうやら感触は悪くなさそうだと、リディアンリーネの部屋へと戻る足取りは軽い。
これから父親におねだりの手紙を書くのだ。
―――上手くいけば…
「リディアンリーネ様」
「アーク様」
部屋の前で書類の束を抱えたアークと行き逢う。
「兄上様は、お元気でしたか?」
「はい、相変わらずの様子でした。…そうだ、相談したいことがあったのです。急で申し訳ないのですが、1時間程、お時間のいただける時はありますか?」
「そうですね…ではこれから書類を置いてまいりますので、15分後にお部屋の方へ伺います」
「わかりました。お待ちしてますね」
リディアンリーネが部屋へ入るのを見送り、自身もリュスタークの部屋をノックする。
中からの応えに扉を開ければ書類の山と向き合うリュスタークがいた。
「お待たせしました」
「揃ったか」
「はい。追加の一昨日の調書に手間取っていたようです」
手元の書類を決済済みの箱へいれ、アークの持ってきた書類を受け取る。
「揃ったならいい。どうせ、今日明日に片付く問題じゃないしな」
「しかし、急ぎませんと、調書に上がっているだけで既に8件です」
「上がってこないものが何件あることやら…本来なら右軍の仕事だがな…」
「キヴィコスキ将軍にお渡しになりますか?」
「できるものならやっているが…とりあえず…」
眉間を解しながら数瞬考える。
「新人に任せた聞き取りはどうなった?」
「難航しているようです」
「人数を増やしてもいいが……潜入の得意なものに心当たりは?口が堅くて、できれば年若いものがいい。下働きに抵抗の無い者なら尚良いな。できれば5名。無理なら3名」
「…当たってみます」
「二人はどうだ?」
「一人入れ替えまして、このまま当面任せて見ようかと」
「では二人の調書を」
「未決の中に入れております。お時間のあるときにお願いします」
「分かった。当面以上だな」
「しばし中座しても?」
「構わない。こっちはしばらく掛かりそうだ。2時間後、騎士塔へ行く」
「それまでには戻ります。では…」
既に視線が書類に落ちているリュスタークに一礼し、アークは部屋を辞した。
扉の閉まった後、リュスタークはふと思いついたように顔を上げる。
「セヴェリ」
「はっ」
「共はお前だけで良い。アークに戻らずそのまま人を当たれと伝えてくれ」
「かしこまりました」
敬礼し、すぐに部屋を出たセヴェリはだがしかし、戸惑うようにその足を止めた。
「セヴェリ?」
開けたままの扉越しに不審げな声が掛かる。
「…殿下…既にアーク殿は見えないようです」
「廊下を歩ききるほど時間は経ってないはずだが?」
「はい。控え室を見てまいります」
「頼む。が、いなければ無理に探さなくても良い」
「はい」
セヴェリが背を向けるのを確認し、リュスタークは再び書類に目を落とした。
やがて戻ってきたセヴェリがアークの不在を告げると、小さく肩をすくめて頷く。
「そうか、煩わせたな。ご苦労だった」
「いえ」
「お待たせいたしました」
その頃、アークは既にリディアンリーネの部屋へと招き入れられていた。
「急にお呼びたてしてしまってごめんなさいね」
立ち上がり、迎え入れたリディアンリーネの数歩手前にアークは跪く。
「リディアンリーネ様、私に出迎えは不要にて…」
「あ…」
「又、不用意に謝辞を口になされてはなりません」
アークの言葉に困ったように眉根を寄せて、小さく首を振った。
「ダメね、なかなか慣れなくて…ありがとう。来てくれて嬉しいわ。相談したいことがあるの」
立つよう促し、向かいのソファを示す。アークは立ち上がるとソファの傍らに立ち、リディアンリーネの差し出した書類に目を通す。
「良ければかけて?」
「いえ、私は殿下の侍従ですので」
頑ななアークにリディアンリーネは困った様に笑みを浮かべた。
「1時間上を向いて話していては、首が痛くなってしまうわ。助けると思って座って?」
そこへ図ったようにラーナが紅茶を給仕していく。
「どうぞ?」
「まいりましたね……では、失礼いたします」
苦笑しつつ座るアークににっこり笑って書類を示す。
「用件は見ての通りなの。興味、あるでしょう?」
「はい。ベルガ川の通行・停泊許可の件ですね?」
アークの答えにリディアンリーネは目を丸くする。
「ええその通りよ」
「恒常的にお考えで?」
「できれば。でもとりあえずは実験的に何度か。今、父に手紙を書いているところなの。できれば通行できる船の最大サイズも教えてもらえると助かるわ」
「そう…ですね」
国防にも関わるため即答はしかねたが、実現すれば皆が平和を実感できるだろう。
―――だが、現状そこまで信頼が育っているかだが…
「お伺いしても?」
「?」
「この件でしたらリュスターク殿下の方が話が早いかと。殿下さえ説得できれば、トップダウンで今日にも許可が下りるやもしれませんよ?」
「ダメよ。それじゃぁ、意味がないわ。道筋がついたら国防にだって関わってくるでしょう?その辺をうまくいくように皆さんで考えていただきたいの。それに、欲しがってほしいの。うまくいけば、間違いなく生活が豊かになるでしょう?」
―――驚いた…解決策は見つけられていないけど、根幹の要所には気づいているのか…
アークは驚きと共に質問を向ける。
「でもどうして私に?」
「私の知っているイスファンの人の中で、一番これに興味を持っていそうだから…」
「確かに…」
「ベルガ川で思ったの。一番欲している人に関わって貰えると上手くいくって」
―――とばっちり?!
市長め…内心罵りつつも、アークは確かに欲しがっている自分を自覚していた。
「確約はできませんがお預かりしましょう。殿下に協力いただいても?」
「あの…まだ成功するかは分からないので…」
「充分です。多分面白がって色々考えて下さると思いますよ?」
「あの……はい…では」
小さく頷くのを確認し、アークは書類を持つ手に力が入るのを感じた。
「実現に向けて最大限努力するとお約束します」
アークの言葉にリディアンリーネは驚く。現状でここまで積極的な言葉をもらえるとは思っていなかったのだ。それへ、にっと人の悪い笑みを浮かべる。
「確かに現状私が一番欲しがっていますから。ところで―――」
「主、主!」
意気揚々とアークが部屋へとやってきたのは1時間をだいぶ回り、リュスタークの手持ちの書類が粗方片付いた頃だった。
「アーク、煩い」
「いやいや、これはちょっと興奮しますって」
「何だ?」
「主の姫が面白いこと始めようとしてますよ。取り敢えずはこれを」
「なんだ、お前、リディのところにいたのか?」
アークから書類を受け取りながら訝しげに眉根を寄せる。
「そんなことどうでもいいんですよ。それより早く書類を…」
「いや、良くないだろう…」
ぶつぶつ言いながら書類に目を通すリュスタークの両目が驚きに見開かれ、やがて楽しそうに細められる。
「へぇ…これをリディが?」
視察から帰って半月ばかり、リディアンリーネが熱心に色々調べているのは知っていたが、それをこのような形で目にするとは、思っても見なかったリュスタークである。
「今日兄君の協力も取り付けてきたみたいですよ?実現すれば受け入れ態勢も必要ですし、うちでも早く議題にあげましょう」
「アーク、落ち着け。取り敢えず地図と、船舶の資料を」
「はい」
「セヴェリ、騎士塔へ会議の欠席……は今日は無理か。代理…も…ムリだな。誰か天文塔へ遣って博士に面会の予約を。日時は明日の朝で。ムリなら明日の夕方で調整してくれ」
「はっ」
「あと、エルンハルト殿にも面会の申し入れを。日時は希望を聞いてきてくれ。それから―――」
次々に指示を飛ばし、急に慌しくなった室内には人の出入りが激しくなる。
控え室で待機していた騎士も動員してそれぞれ各所へと散っていった。
図書室より戻ってきたアークが机に本を置くのを、名残惜しげに見やりながらリュスタークは立ち上がる。
「会議に行ってくる。先に調べておいてくれ。そうだ、潜入の件はどうなった?当たれそうか?」
「潜入しなくてもいけそうです。後ほど相談させてください」
「分かった。じゃぁ、あとは頼む」
「はい」




