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青き石に寄せて(仮) ~決められた婚約者企画~  作者: 三杉 怜


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30.星降る夜に





街は朝から慌ただしい騒めきの中にあった。

空は朝から晴れ渡り、絶好の祭り日和を予感させている。

盛大な祭り、というわけでもないのに人出の多い理由は、明らかに恋人たちを狙った祭りであるせいだ。その為この日のアイニの人口は実に倍に膨れ上がり、街は朝から祭り目当てに集まった者たちで浮き足立っていた。

夕方からの祭りの準備をする者、視察の一行に対応する者。

時刻を告げる鐘の音さえ、何処か心あらずな印象を受けるその日、昨夜から一睡もできなかった者が一人居た。

年は壮年期を抜け老年期に差し掛かっている頃か。その男は昨夕、家族揃っての夕食時に娼婦の訪いを受けるという、一家の大黒柱の威厳が地に堕ちる経験をしたばかりであった。今朝も又、送り出す妻の顔は真冬と見紛うばかりに冷たかった。

そして今、無理やり笑顔を貼り付けた彼の顔色は、青を通り越して真っ白である。否、土気色と言っても差し支えないかもしれない。

その原因が、彼の前でにこやかに微笑んでいる。

10代半ば程の可憐な少女。先程紹介された言によると、第三王子の婚約者であるらしい。


―――同行していたのか!!


「リディアンリーネ・フェイ・ロスガルドです」


銀の鈴を鳴らしたかの様な、軽やかで心地好い声で挨拶をする少女は、昨夜の自分の所業を知っているのかいないのか。花の(かんばせ)に浮かべた笑みは、知っているのなら強かな、知らないのであればただただ可憐な挨拶。

どちらにせよ差し出された手を取らぬわけにはいかなかった。

軽く跪き、その指先に唇を近づけるだけの簡単な挨拶のはずだった。―――だが、気がつけばその手の甲を額に押し戴いていた。

挨拶を終え、顔を上げた彼の目に映ったのは、更に笑みを深めた少女の姿。


―――知っているのか!


その時彼の目に浮かんだのは懇願の色であっただろう。

(こいねが)ったのは贖罪か()り成しか。

決して口に出すことのできないそれを胸に立ち上がった彼に、少女は静かに声をかけた。


「大丈夫ですよ。貴方の願いは叶うでしょう。殿下に真摯にお仕えなさい」


総身に震えが走る。


―――初見に大失態を犯した自分をただ、赦すのか


「はっ」


嫌悪も忌避も、ただの一欠片も見せずに微笑み諭す少女に、彼は深く頭を下げた。

ただただ深く―――




ベルガ川の視察は滞りなく行われた。

不足していた書類も朝には揃えられ、各担当者が付き従い、掛けられた質問に遅滞なく答えていく。

アイニ悲願の工事。その熱の入れようが目に見えて分かるようだった。

お陰で予定より長くはなったものの、夕方には一通りの視察を終え、宿に戻ることができた。

日が落ちてからの外出を約して、リュスタークは自室へと戻った。アークもそれに続く。

可能なら少し仮眠を取っておきたいところではあるが、兎にも角にも…


「……くっ!」

「…っ!」


とりあえず1日なんとか耐え切ったが、人目のない自室へ戻り、互いに目のあった瞬間に吹き出す。

止まらぬ笑いに、扉前に控える近衛の口角も上がっていた。


「主、昨日の宿変えの理由は話されたので?」

「まさか。何もなかったんだ。わざわざ気分を害することを伝える必要はないだろう」

「あれ、えらい勘違いをしているようでしたけど」

「自業自得だろう。またリディが誤解を招く絶妙な受け答えをするから…」

「主が罰を与えなかったから余計に誤解したのでしょう」

「罰を与えたら、その原因を話さざるを得ないことがあるかもしれないからな。誤魔化したところで何処かから耳に入るかもしれないし」

「まぁ、聞いて気持ちのいいものではありませんからね」

「リディアンリーネ様は何と?」

「「私などにまで懇願なさるなんて、本当にこの工事が求められてますのね。あの様に責任者の方が我が事の様に懇願されるのなら、きっとこの工事は成功しますわね」と言ってたぞ?本当に我が事を懇願されたとは思ってもみなかった様だね」

「ま、当たり前ですよね、ご存知ないんですから」

「このまま耳に入れるつもりはない。皆もそのつもりで」


笑いを納め、周りを見回せば、アークを始め、扉前の騎士も一様に頷く。


「で、主。今夜はどちらに?」

「プサの丘に泉があっただろう。そこにしようかと思ってる。北の外門まで歩くから、そこに馬を用意しておいてくれ。少し離れるが、あそこなら星が綺麗に見えるだろう」

「はい」

「共はセヴェリを。あとは休んでくれて構わない」

「アンセルミもお連れください」

「…わかった。二人を陰共として連れて行く」




「疲れてない?」


祭りで賑わう大通りを通り抜け、リュスタークはリディアンリーネに尋ねる。


「大丈夫です。でもこれじゃぁ星は見えませんね」


煌々と焚かれた篝火が真昼のごとく辺りを照らしている。郭壁の内側は星祭りに来た人々で賑わっていたが、篝火の明かりで星が見えない事について、特に不満はない様だった。


「騒ぐ口実と、恋人といる口実が欲しいだけで、彼らは星が見たくて集まったわけじゃぁないからね」


苦笑とともに答えるリュスタークは、そのままリディアンリーネを郭門へと導く。


「馬には乗れると言っていたよね?」

「あ、はい。でも…」


リディアンリーネは自身の服を見下ろすも、馬に乗る格好ではなかった。


「相乗りするから、怖くなければそれでいいよ」


言いながら門番に合図を送ると、一頭の馬が引き出されてきた。墨を流したような真っ黒な身体に、賢そうな瞳が印象的な馬だった。

リュスタークはひらりと馬上の人となると、リディアンリーネを自分の前に引き上げる。


「少し離れたところに行こう。ここじゃ、まともに星が見えないからね」

「はい。お任せします」

「走るよ」


言って、郭門を出ると拍車をかける。

門を出るとガラリと変わる風景。あれだけ見ることのできなかった星々も、ただ門を出るだけで幾分はっきり見ることができるようになった。

日が落ちても続く暑さの中に、風を切って走る馬上は心地よい。


星明かりを頼りに、どれ程走らせただろうか。

次第にアイニの街の灯りが遠のき、林を抜ける。やがて開けた眼前には宝石を蒔いたかのような美しい夜空が広がった。

折しも今夜は新月。

月明かりに邪魔されないその夜空は、静謐ささえ湛えて二人を見下ろしていた。


「ふぁ……」


あまりの美しさに言葉もなくただ見上げる。

リュスタークに助け降ろされながらも、視線は夜空から離せない。

どれ程そうしていただろうか。バサリと音のする方を見れば、少し離れた場所でリュスタークが何かを広げたようだ。


「こちらへ…」


導かれるままに歩を進めれば、下生えの上に毛布が広げられていた。


「星を掬うのは真夜中ですか。あちらに泉があるので、時間が来たら行きますか」

「あ…時間…」

「今日は月が出てないのでこんなものを用意してみました」


くすりと笑ってリュスタークが取り出したのは、華奢で細長いランプの様な物の中に…


「これは…?」

「香時計というらしいですよ。丁度真夜中に燃え終わる長さに調整してあります」


長細い木切の様なものから薄く煙が立ち上っている。ふわりとエキゾチックな香りが鼻孔をくすぐった。


「あとは…星を掬うのはグラスで大丈夫?」

「はい。と言うか、掬った水を飲みたいのでグラスが良いです」

「?」

「習わし自体は掬うまでなんですが、友人の間で流行っているんです。掬った水を肌に付けると美肌に、飲むと…」

「飲むと?」

「……………………女の子の秘密です」


言いかけ、少し後ろめたそうに慌てて口を噤む。


「なんだかご利益が高そうな感じだね」

「…ごめんなさい」


戯けるリュスタークに小さく謝る。

大したことではないのになぜか言い出しにくかった。

「好きな人」と両思いになれるのだとは―――


「時間ですよ」


リュスタークの声に我に返り、グラスを受け取ると泉へと向かった。

水面には夜空の星が移り、手を伸ばしさえすれば掴めそうだ。

リディアンリーネはそっとグラスを沈めると、乱れた水面が凪ぐのをじっと待つ。

やがて、凪いだ泉からグラスを上げれば、その水面には瞬く星が移っている。



『でも現実はなかなか物語の様にはまいりませんわねぇ』



不意に蘇るユスティーナの言葉。


―――それでも…


リディアンリーネはじっとグラスの水面に映る星を見つめる。


―――それでも婚約者は、………私だわ…



蘇った声を振り払う様に首を振ると、両手にしっかりと掲げたグラスに、そっと口をつけ、飲み干した。







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