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青き石に寄せて(仮) ~決められた婚約者企画~  作者: 三杉 怜


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29.触れた唇





気持ち良く晴れ上がった空。

格好の視察日和に、足取りも軽やかにリュスタークの部屋へとやってきたアークが、開口一番口にしたのは挨拶でもなく、仕事の話でもなかった。

多分に呆れを含んだため息をひとつ。


「…………主……」

「………うるさい…」

「とりあえず、窓を開けましょう、窓」


言いながらも既にその手は窓に掛かっている。

ちらりと振り返ったその視線の先で、グラスを片手にぐったりとソファの背にもたれるその姿は、どう贔屓目に見ても一睡もしていないようであった。


「過ごされましたか」

「…酔えてない……眠いだけだ…」


酔えてないということは、酔いたかったのであろう。どう考えても一晩で空けるには明らかに多すぎる量の酒壜がテーブルに並び、晴れ上がった空とは対照的な顔をしたリュスタークが眉間に深い皺を刻んでいた。


「今日が視察なのは覚えておいでですよね?」

「………抜いてくる…」


のそりと立ち上がったリュスタークは、それには返事をせずに浴室へと姿を消した。


「さて…何がありましたかね……」


慌てる様子もないところを見れば、忘れていたわけではなさそうだが、せめて自分が来る前に酒精を抜いておいて欲しかったと思うのは欲張りすぎだろうか。

酒壜を片付け、視察の資料を準備する。

濃いめのアーリーティが入る頃には、幾分ましな顔色になったリュスタークが戻ってきた。


「こちらが現状の地質調査。後、工事概要書に主要資材の見積もり、施工計画書。施工方法に施工管理、緊急連絡体制に対応管理書…」


渡される端から目を通して行く。暫くは書類を繰る音と、カップが皿に当たる音のみがその場を支配していた。


「現場組織図と主要器械使用計画書も合わせて提出するように伝えてくれ。後、分割同時施工を考慮に入れて、工期短縮の計画を練るようにと」

「はい」

「そうだ、杭材の最終決定における比較資料も頼む 」

「はい」


書類を戻し、軍服に袖を通す。テキパキと身支度を整えるその姿に、先程の疲れた様子は一変片も残ってはいなかった。

持参する書類を鞄にしまいながらアークはリュスタークに視線を移す。


「本当に抜けてそうなところが怖いですよね」

「酔ってないと言っただろう」

「普通は急性アル中で医務室コースでしょう」

「そんなヘマはしない」

「でしょうとも」


事実、リュスタークが酔いつぶれたところを、アークは見たことがなかった。


「何があったんです?」

「…何も………」

「何もって量ですかねぇ…」


元々酒好きな主ではあるが、浴びるように飲むのが好きなタイプではない。


「知りたかっただけだ」

「?」


ぽつりと漏らした言葉に首をかしげる。

リュスタークの視線は、下緒に刺そうとした剣の飾り紐に留まっていた。美しい模様の織り込まれた平織りのそれは、リディアンリーネの手によるものだ。


「お分かりになったので?」


アークの言葉にリュスタークは大げさなほどに肩をすくめた。


「少なくとも、私にとって酒が逃げ場にならないことは、分かったな…」

「それはご愁傷様で」


呆れを含んだ声で答えるアークの口角は僅かに上がっていた。

昨夜居室を辞した時にはリュスタークは通常運転だった。夜会で大きな動きもなく、溜まっている仕事もない。この状態で主の心を乱せるのは嘗ては一人。今はもう一人増えたようだ。ふと動きの止まった主の視線の先を、アークは目敏く目に止めていた。


―――知りたかった事が何であれ、心が動いたなら重畳


近頃の二人の様子を見る限り、そう悪い方に向かいそうではない。


―――ラーナ嬢に様子を聞いてみるか?




その夕刻。移動の疲労も見せず、到着早々に担当者と翌日の視察の打ち合わせをした後、リュスタークの一行は宿屋へと引き上げた。

工事予定地にほど近い河川の(ほとり)にある街アイニ。

王都イスファンから馬車でほぼ1日の距離にあるその街は人口5千人規模の小都市だった。

王都にほど近く、河川を使った流通の要でありながら、度々の氾濫で今一発展が望めなかった街であるが、この度の護岸工事か成功すれば中都市への発展も夢ではない。そのため、領主、市長及び工事関係者の熱の入れようは並大抵ではなかった。それは―――


「アーク…」


声を掛けたリュスタークは、朝の不景気な顔に輪をかけた不機嫌な表情を浮かべていた。


「はい主」

「このままここで待機……動くなよ?」

「は?」


宿の部屋の扉を開け、中を覗くと同時に静かに閉めたリュスタークは、隣の部屋に入ろうとしていたアークを呼び止め手招く。

待機を命じ、そのまま部屋へと姿を消すと、ややあって押し出されるように一人の女性が出てきた。

煽情的な薄衣を纏ったのみのその女性の職業は、5歳の少年にとて明らかであろう。


「悪い、市長が寄越したようだ。返してきてくれるか?あと、宿屋を変える。大至急手配してくれ。リディにはこれから知らせてくる」

「あ〜……はい」


何とも嫌な顔をしてアークは振り返ると、控える騎士に娼婦を送り届けるよう指示を出し、自身も階下に身を翻した。


―――婚約者連れの主に女を寄越すとか、阿呆か!ってか、王族の部屋に無断で娼婦を入れるとか!!


怒り心頭に発し、あまりの気分の悪さに吐き気すらする。

常に日帰りだった視察が宿泊となり、力が入ったのは想像に難くはないが、力の入れる所が違うだろう、と思う主従だった。とりあえず信用の出来ないところは引き払うに限る。



「折角落ち着いたところを申し訳ない」


急に宿を変えることを告げられ、新しい宿屋に落ち着けたのは空に星が瞬き始めた頃だった。部屋で食事を待ちながらリュスタークは謝罪する。


「いいえ、私は大丈夫ですが…お仕事に不都合があったりしないのですか?」

「いえ、あのままあそこにいる方が不都合なので」


随分と苦い苦虫を噛み潰した表情でリュスタークは首を振る。


「明日の日中は現場の視察になります。工事に興味があれば同行もできますが…?街は既にお祭りの様相になってますので気になるでしょうけど、騎士が同行すると悪目立ちするので、できれば私が案内できるまで……」

「一緒に行っていいのなら、ぜひ視察に同行させてください」


きっぱりと言うリディアンリーネに、リュスタークは嬉しそうに微笑む。

彼にとっては役職を得ての初の大仕事である。それへ興味を持ってもらえた事が素直に嬉しかった。


―――それに…


リュスタークは内心意地の悪い笑みを浮かべる。


―――リディを紹介した時の市長の顔が、実に楽しみだ…


丁度運ばれてきた夕食に会話が途切れる。

どれも初めて見るものばかりだったが、スパイシーな香りが食欲を(そそ)る。リディアンリーネは食事を前に、嬉しそうに目を細めた。


「ベルガ川は海に流れるので、ここアイニでは魚介の料理が豊富なんですよ」

「では、工事が成功すれば、王都にも新鮮な魚介が届きやすくなりますね」

「そうですね…夏はキツイかもしれませんが、冬にはいくらか届きやすくなるでしょう」

「イスファンの夏はそんなに暑いのですか?」

「そうですね、これからますます気温が上がりますから、真昼は外に出るのはリディにはきつくなるかもしれませんね」

「そんなに…」

「あまり暑いようでしたら、地下に水浴場があるので、そちらで泳ぐと少しは涼しいですよ?まぁ、そうは言っても、場内は涼しくなるよう様々な工夫がしてあるので、倒れるほどではないと思いますけど。そういえば、夏用のベールは持ってますか?」

「ベール?」

「夏は日差しがキツイので、外出にはベールが欠かせなくなるのです……が、……また、届けさせますね」

「暑くなると皆さん薄着になるのかと」

「そうなると、男としては目の保養で嬉しい限りですがね」


くすりと笑ってリュスタークは続ける。


「でも少なくともリディは、やめておいた方がいいと思いますよ?それだけ色が白いと、きっと夏の日差しを長時間浴びたら火傷をしてしまうでしょうから」

「日差しで火傷!?」


驚きに目を丸くするリディアンリーネを楽しそうにリュスタークは眺めた。

くるくると表情の変わるリディアンリーネと話していると、なんでもない事がとても楽しいことのような気がしてくる。

食事が終わっても話が尽きることはなく、漸くリュスタークが腰を上げたのは、月が中天に差し掛かる頃だった。


「そろそろ休まなくては…」

「はい…おやすみなさい……」


名残惜しそうに扉口まで送って出たリディアンリーネの顎を、振り返ったリュスタークはそっと掬う。


「リュークさ…」


絡んだ視線に一際胸が高鳴り、言葉に詰まる。

頬が朱に染まるのと、落ちてきた影が頬を掠めるのと、一体どちらが早かったのか。


「おやすみ、リディ」


零れる優しい微笑みを残してリュスタークは扉を閉めた。

触れられた頬に手を当て立ち尽くすリディアンリーネ。

収まらぬ鼓動に、今夜は眠れる気がしなかった―――






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