20.羞恥
ぽろぽろより、ぼろぼろという表現がぴったりな程流れ落ちる涙に、一番驚いたのは当の本人だった。
「…ぇ……あれ……」
リュスタークは浮かしかけた腰をもう一度おろし、無理矢理笑おうとするリディアンリーネの頭を抱き寄せる。
「人払いを」
きっぱりとした口調は反論を許さない。突然の事に心配そうに振り返りつつも、ラーナもマルヴィナも部屋の外に出された。
「アーク」
「問題ありません」
「任せる」
「はい」
静かに閉まる扉を確認してからリュスタークは視線をリディアンリーネに戻した。
声もなく涙を流し続ける少女を抱く腕を、少し緩める。
「誰もいないよ。もう声を出して泣いても大丈夫」
片手でリディアンリーネを抱きしめながら、もう片方の手で背中をあやすように軽く叩き続ける。
そんな小さな子供をあやすかのような仕草に、リディアンリーネは堰を切ったかのように泣き出した。
一度流れ出した涙はとどまることを知らず、嗚咽に肩を揺らす。
切っ掛けは郷愁だった。寂しさ、懐かしさ、苦しさ、悲しさ、怒り、諦念…
様々な感情が湧きあがっては流れていく。
どれほどそうしていただろうか。
漸くしゃくり上げるだけになり、涙の乾かぬ目でそっと抱きしめる腕の主を見上げた。
「あ…あの……お見苦ひぃ…っ…」
「それダメ」
謝ろうとしたリディアンリーネの頬を軽く引っ張ってダメ出しをする。
「…え?…な……」
「リディが泣いて、私が胸を貸した。少しはスッキリした?」
「はい、ありがとうございました」
「う〜ん、後ろも取ろうか?」
「…?…ありがとう……?」
「どういたしまして?」
よくできました。とリディアンリーネの頭をポンポンと叩き、席を外すと濡らした手巾を持って帰ってきた。
「胸を貸したついでに、膝も貸してあげるよ」
宣い、徐ろに膝の上に頭を倒す。
「え?…ちょ……待っ…!」
抗議を物ともせずに額を押さえられれば、起き上がることは不可能だった。
冷やすように瞼の上に手巾を乗せられる。
「ずっと我慢してた?」
「……」
「我慢してるとも思えないほどキツく、蓋をしてたのかな?」
尋ねる声はとても静かで穏やかだった。髪を梳く手が優しくて、再び溢れそうになった涙を止める為、固く目を瞑る。
「イスファンは嫌?」
リュスタークの言葉にリディアンリーネは首を振って応えた。
「好きになれそう?」
頷く。気候や風習に違いはあるが、おおらかで明るい人達はとても親しみやすそうだった。貴族はその限りでもないのだろうが、あからさまな敵意を向けられることもなく、リディアンリーネが紹介された限りでは、うまくやっていけそうだった。
「……私は?」
引き続き頷きかけ、固まる。
くすりと、上から笑いがこぼれてきた。
「そこはついでに頷いてくれなきゃ」
慌ててこくこくと頷くリディアンリーネの上に、ますます小さな笑いがこぼれてくる。
「置いてきた心を取り繕わなくてもいい。立派なお題目のついた政略結婚だけど、私たちは来春、誰より近い他人になる。ラティスハルクから嫁いでくる君だけが、悲しみを背負わないで。ゆっくり寄り添って歩いていけたら、私達なりの家族の形が見つかると思う」
真摯な声に手巾をとると、真っ直ぐな視線がリディアンリーネを捉えた。
慌てて体を起こしたリディアンリーネに悪戯っぽい笑みを向ける。
「泣きたい時は私の部屋へおいで。私のシャツで良ければ手巾代わりに提供するよ」
その言葉に、リディアンリーネは耳まで染めて俯いた。
「…あの…イスファンが嫌なわけじゃないんです。ただ、色々なことが急に起こり過ぎて、気持ちがついてこないだけで…」
「大丈夫。時間はあるからね。楽しい思い出をたくさん作ろう。まず手始めに、市場かな?」
「こないだのファラフェル美味しかったです!」
思い出したリディアンリーネの声が思わず弾んだ。
「アルマの店も覗くか。そういえばまだパテ買いに行ってなかったな。リディはお酒は?」
「まだ一度しか飲んだことなくて…」
「美味しかった?」
「はい」
「じゃ、いける口かな?今度試してみようか。アルマのパテはいい肴になるんだ」
飲み仲間の気配に、リュスタークは楽しそうに笑った。
結局、リュスタークはそのまま執務を休み、1日をリディアンリーネの部屋で過ごしていった。目の腫れの治りきらなかったリディアンリーネは、お茶会を欠席せざるをえなくなり、そのまま部屋に居座ったリュスタークの看病を受けたことになっていた。
その夜、リディアンリーネはベットの中で悶えていた。
―――あんな大泣きとか!どんだけ!!!
思い出せば思い出すほど羞恥に顔が火照る。
―――物心ついてから人前で泣くことなんてなかったというのに、よりにもよって婚約者の前で大泣きとか!
収まった涙がまたこみ上げてきそうだった。
―――私達なりの家族の形…か…
珍しく恋愛結婚だった両親を見て育ったリディアンリーネには、政略結婚での家族の形は思い描けなかったが、話に聞く冷え切った関係とも違いそうで少し安心する。
―――安心…?
(私のシャツで良ければ手巾代わりに提供するよ)
甦ったリュスタークの言葉に顔が火照るのは、羞恥のためか……
長い夜がゆっくりと更けていった―――




