16.近衛の災難
その日、久々に騎士団の訓練場に下りてきたのは、第三王子の仮面を被った悪鬼だった。婚約者を迎えに行ってから一月。溜まりに溜まった執務に追われ、漸く片付いたから鈍った身体を解させて欲しいとやってきた悪鬼は、軽い準備運動の後、その場にいた全ての騎士を平らげた。
総勢60人程か。
丁度訓練場を使っていた近衛の、第8騎士団と第2・第3騎士団のの1部部隊が、完膚無きまでに叩きのめされ、ぐったりと休息を取っていた。
「鈍ってるなぁ…」
「も…うしわけ…」
「ん?いや、俺のことだけど。…や、でもお前らも鈍ってるから、訓練追加な」
何させるかな…と考え込むリュスタークの足元から
「主〜」
と、アークが呼びかける。
「大きな猫が剥がれてますよ…」
「今更だろ。ってか、お前いたの」
砂塵に塗れて胡座をかくアークに人の悪い笑みを向ける。
「いましたよぉ。せめて一太刀と思って、どさくさ紛れに背後から行ったんですけどねぇ」
「あ〜、あれお前か。騎士ならこないから、骨のある奴が入ったのかと思った」
「?」
「背後は感覚頼りだから手加減があまりできない。剣の腹は使うが肋くらいは逝く。今回は殺気がだだ漏れだったから多少手加減できたが、ヒビくらい入ってるんじゃないか?歩けるか?」
アークはリュスタークの従者ではあるが、軍人ではない。生まれ故に騎士並みに剣を扱うことはできるが、日常的に訓練をしているわけでもなかった。
リュスタークは多少心配の色を乗せてアークに視線を向けるが、当の本人は痛がる様子を見せるでもなく、盛大に顔を顰めて見せた。
「げっ!ヒビ!?…うっわ〜…マリーに何て言お…ほんと主に関わるとロクな事がない…」
「いや待て、それは自業自得だよな?」
「主の?」
「いや、何で俺の」
「はぁ…」
「…納得いかん…」
憮然とするリュスタークの足元で悄然とするアーク。
「とりあえず医務室行ってきます」
「ん。ところでなんでマリー嬢に言い訳の必要が?」
「誕生日にお祝いできなかったので謝罪に誠意を見せろとのことです」
「??」
「我が姫はお姫様抱っこをご希望で」
「お姫様抱っこ?」
「女性を横抱きにする抱き方ですね。女性の憧れのようですよ?」
「ふぅん?…で?誕生日、忘れたのか?」
「忘れるわけありません。でも一緒には過ごせませんでした」
「休みを取ればよかっただろう」
「主が寝る暇を惜しんで執務に励んでいるのに、休みを取る侍従がどこにいるんですか。…まぁでも、昇給より休暇貰えば良かったです」
「あ〜…すまない。…追加で余剰の仕事も結構あったからな」
「それは今に始まったことじゃないですからね。しかも正式に役職に就いたら増えそうですし。……肋にヒビじゃ、誠意を見せるのは延期ですね…」
「……変わろうか?」
「本物の王子がお姫様抱っことか…なんの嫌がらせですか…するなら主はリディアンリーネ様にしてあげてください。取り敢えず医務…」
腰を上げたアークの顔が盛大に引きつる。
「…そうだ…」
視線の先にはクリームを舐めた猫のような顔のリュスターク。ご丁寧に語尾には音符さえ見えた気がした。
「…ぅっ…わぁ…」
「セヴェリ!」
アークの胡乱気な視線を気にすることもなく、リュスタークは少し離れた所にいるセヴェリを呼ぶ。
「ドヤ顔してますけどね、そんな顔の時の主の思いつきはロクなことじゃ…」
ブツブツアーク言うに気付かず、セヴェリは足早に近付いてきた。
「どうされました殿下」
「追加訓練を申し付ける」
「はい」
「明日の朝、今日俺に伸された騎士の他、希望者は訓練場へ集合。そこの回廊から現れる侍女もしくは女官を順次横抱きで訓練所を一周。あ、走ると女性に負担がかかるだろうから、歩きでいいぞ。誤解を招きたくない者は妻女、婚約者の同伴を許可する。以上」
「弟よ…」
「なんでしょう、シグルド兄上」
豪奢な執務室で対する兄の顔は、今迄リュスタークの見た中で最低最悪に渋い。
苦虫を100匹はまとめて噛み潰した顔で重い口を開く。
「今日敵国が攻めてきたら、我が国は壊滅的被害に遭う」
「…?…ラティスハルクとの和平が実現していて良うございましたね?」
「そうではない!」
バン!と音を立てて机を叩くと理由を聞くよう促す。
「はぁ、何故でしょう?」
「第8近衛騎士団のみならず、当時任務に就いていた者以外、近衛騎士団、及び騎士団の主な騎士から隊長に至るまで、多数の者から病欠届けが出ている。理由に心当たりは?」
「さて」
苛立たし気な様子のシグルドに反して、きょとんとさえしている様子のリュスタークに、背後に控えていたアークがこっそりと声を掛ける。
「主。昨日のお祭り騒ぎのせいでは?」
「途中で切り上げたが、そんなに酷いことになっていたか?」
追加訓練の始まりに顔を出しはしたものの、その後ベルガ川の視察に出かけたリュスタークは、昨日朝から王都を離れていた。片道1日の距離を馬を変えつつ強行軍で踏破し、視察まで終えて帰ってきたリュスタークは、城門をくぐったところでシグルドの近衛に捕まり、そのまま執務室に連行されたのだ。昨日から一睡もしていないどころか、旅の埃すら落としていない。
「昼を挟んで夕方まで続いていたそうです」
「なっ…バカかっ!」
追加訓練と称して行われた『女性を横抱きにして場内一周』は、最初こそ訓練の体を成していたが、時間の経過とともにお祭り騒ぎへと移行したらしい。面白半分に覗きに来た侍女や女官の中に目当ての女性がいれば、騎士の矜持に下心が手伝って否やはいえなかったとか。結果犠牲になったのが物言わぬ彼らの腰。いや、今せいぜい文句を言っているようだが…
閑散とした城内と打って変わって、城下の診療所が今日はお祭騒ぎとか。
「本来なら一度にこれ程大量の欠勤届など受け付けぬが、動けぬものは仕方があるまい。敗戦の理由が騎士たちの腰痛など冗談にもならぬわ。以後あのような訓練はやめるように」
「はっ。申し訳ございません」
あまりのことに頭痛を感じながら、リュスタークは神妙な面持ちで頷く。
「…で?」
打って変わってにやりと笑うシグルドにリュスタークは首を傾げた。
「で、とは?」
「そなたは何周したのだ」
「は?」
「騎士たちの腰痛の原因は耐久レースだったそうではないか」
「耐…久…?」
「侍女を横抱きに何周できるか競ったのではないか?そのように報告を受けている」
「はぁっ?」
思わず上がった不敬の声に慌てて口元を抑える。
―――何やってんだ!!
「いえ、私は一周するよう指示しただけです」
「ではそなたも一周しただけか」
「いえ、元々私に勝てなかった者への訓練ですので、私はしておりませんが…」
「なんだ。ではこの事態への罰として、そなたも何周かしてこい。確か最高が5周だったそうだから、とりあえず6周な」
軽く指示するシグルドに、リュスタークは思わず眉根を寄せた。
「我が婚約者殿を見世物にするのは気が進みません…」
「なんならそこのメッツァラ伯の5男殿でもいいぞ」
―――ひぃっ!
チラリとアークを流し見る二人に思わず後ずさる。
「で…殿下、無理ですからね。肋にヒビ、入ってましたから!」
「……ちっ」
―――主っ!!!
シグルドはリュスタークに視線を戻し、再び人の悪い笑みを浮かべた。
「ロイマランタ公爵とキヴィコスキ侯爵への、いい牽制になるんじゃないか?」
「兄上、何処でそれを」
「夜会からどれだけ日が経っていると思ってる」
ぴりと空気を張るリュスタークに呆れたような声を掛ける
「あー…そうですね。善処します」
「どちらを」
「どちらも」
「助力が欲しい時には声をかけろ」
「ありがとうございます。ご用件が以上でしたら私はこれで」
「ああ、下がっていい」
カッと踵を鳴らして敬礼し、リュスタークは踵を返す。
「兄上」
扉で振り返り、リュスタークは何かを思いついたようにシグルドに声を掛けた。
「なんだ?」
「後ほど本日腰痛が原因で休んだ者のリストを下さい」
「いいが、どうするんだ?」
「扱きます」
(ひぃっ!!)
ドスさえ効いたその声に、扉付近で控える近衛の肩が小さく上がったのは、決して見間違いではなかったはずだ。
アークはそれを視界の片隅に収めながら、不幸な欠勤者の行く末に小さく合掌した




