12.お誘い
遅くなりましたm(__)m
日はとうに登りきり、そろそろ中天にさしかかろうとしている頃、少女は淡い微睡みの中を揺蕩っていた。
どこかでカーテンと窓を開ける音がして、涼しい風が優しく頬をくすぐっていく。
甘い紅茶の香りが鼻腔を掠めた。
「姫様、もうお昼が参りますよ」
「ん………ひ…る……昼!?」
慌てて起きたリディアンリーネの前に、温かい紅茶が差し出される。
「どうぞ。昨夜は初めての夜会でお疲れでしょう」
「ぁ…ふ…、ありがとう。何をしたわけでもないんだけど…とても緊張して疲れたみたい。今日の予定は?」
「マナーと、ダンスの先生が午後から見えられます。あと、お茶会と夜会の招待状が早速何通か来ておりますわ」
マルヴィナが読み上げる名前の幾つかに聞き覚えがあったが、特に親しく話たものがいるわけでもないリディアンリーネには選べるはずもなかった。
「夜会は殿下にご相談申し上げるにしても、お茶会は…お兄様じゃなくてお姉様がついてきてくださってたら直ぐに相談できたのに…」
「無茶を言ってはなりませんよ。兄君様は姫様についてきたのではなく、外交官として着任されるために来られたのですから」
「は〜い」
「姫様?」
「はい!」
「あと、殿下からカードと花束が」
ふわと目の前にと差し出された花束を、紅茶と交換に受け取ると、カードを抜いて花束を返す。
カードには、流麗な文字で簡潔に、夜会の労いと、本日の訪問伺いが記されていた。
「あら、今日おいでになるみたい」
「え?」
「時間がわからないそうだけど、午後からですって」
授業と重なったらどうしよう…と呟きながらベットから降りると、カードをマルヴィナに渡し、着替えを始める
「食事はどちらでとられますか?」
「天気いいみたいだからテラスで食べたいかな」
「かしこまりした」
リュスタークの訪いはちょうどダンスの授業の時だった。
軽いノックの音に音楽が止まる。
「失礼、シルキア夫人」
「いいえ、殿下。伺っておりますわ。それより、この度はご婚約おめでとうございます」
「ありがとう夫人。ご覧の通り美しい人なので、ダンスなど出来ない方が安心なのですが、立場上そういう訳にもいかないのが辛いところで」
艶のある光を宿した目で婚約者に流し目を送るリュスタークに、夫人は興奮気味に頬を染めた。
「まあ、殿下。残念ながらリディアンリーネ嬢は、とても物覚えが良くていらっしゃるわ」
軽く肩をすくめると、ゆったりとした足取りでリディアンリーネに近づき、その両手を攫う
「それは残念。リディ、授業はどうですか?」
「とっ……とても楽しく教えていただいております、リューク様」
「貴女はダンスがお好きなようですから、我が国のダンスも気に入ってもらえると嬉しいですね。ところで夫人、授業はどうですか?私が婚約者どのを攫ってしまってもかまわない?」
抱き寄せて夫人を振り返ると
「ええ、ええ殿下、もちろんです。では私共はこれで失礼いたしますわ。あとはお二人でごゆっくり」
満面の笑みを浮かべたシルキア夫人が頷き、楽師達を引き連れて足早に退出していった。
扉が閉まるのと同時に腕の中が重くなる。見下ろせば首まで赤く染めたリディアンリーネがくたりと寄りかかっていた。
「姫様!」
「主」
「言うな」
「…やり過ぎ」
「分かってる」
慌ててソファに座らせるとグラスを渡す。
渡された水をゆっくり飲みながらリディアンリーネは頭の中で数を数える。
―――……9…10…大丈夫、何でもない、何でもない。普通、普通…ふつう…
「大丈夫ですか?」
「はい。すみません、ご迷惑を…」
「いえ、こちらも配慮が足りませんでした。落ち着かれましたか?」
「はい。あの…今朝は素敵なお花、ありがとうございました」
おずおずと礼を述べるリディアンリーネに思わず笑みがこぼれた。
「お気に召したなら良かった。初めての夜会は緊張の連続で大変でしたでしょう」
「はいとても。緊張のしすぎでご挨拶いただいた方が何方が何方だったかすっかり混乱してしまって」
一組に2分で計算しても、二時間で60組120人だ。3分でも80人。どちらにしても初対面で一度に覚えられる人数を超えていた。しかも述べられるのは、どの面々も婚約の祝辞。印象に残るはずもなかった。
「一度に大勢にお会いになったのだから無理もありません。よろしければリストを差し上げますから目を通してみてください。大丈夫。これから何度も会うことになりますから、嫌でも覚えることになりますよ」
「頑張ります」
励ますように重ねられた手がとても温かい。リディアンリーネはコクリと頷くとリュスタークを見上げた。
「アスピヴァーラ公爵は覚えてらっしゃいますか?」
「はい、殿下の叔父上、ですよね?最初にご挨拶いただいた」
「あの時舟の話をされていましたので、明日のバザール、ご一緒にいかがかと思いまして、今日はお誘いに上がったのですよ」
「バザール?」
不思議そうに尋ねるリディアンリーネに、リュスタークは楽しげに頷く。
「ええ、水上バザールなので小舟で回ることになるのですけど、賑やかで楽しいですよ?」
「ぜひ!!」
リディアンリーネの顔が輝いた。
「リディは町の者の格好をすることに抵抗はありますか?」
「いいえ?」
「良かった。では明日は微行で、楽しみましょう」
「はい」
「朝食は抜いて待っていてくださいね。衣装は後で届けさせます」
「楽しみにしてます!」
「では明日」
「どうされたんです、急に」
自室に戻り、軍の正装に着替えるのを手伝いながらアークが声をかけた。
「どっちが」
「両方、ですかね」
「前半は、分かってるんだろ?」
片眉をあげたリュスタークに、人の悪い笑みで応える。
「もう接触がありましたか」
「呆れたことに婚約者発表の夜会でな」
「早耳ですねぇ」
「内示もまだなのにな。警戒しておいてくれ」
「因みに何方が?」
「ロイマランタ公爵とキヴィコスキ侯爵だな」
「かしこまりました」
「辞退できれば話が早いんだが…」
「ロスガルドの姫君の婚約者が無位無官では外聞が悪いでしょう」
「外聞て、私は一応第三王子なんだが?」
「身分と官位は別でしょう。こうなった以上逃げられるとは思えませんねぇ」
「…同感だな…まぁ、どうせもともと軍属だし、職務自体はいいんだが…」
「はい」
言葉を切ってリュスタークは大きなため息をついた。
サイドボードに寄ると琥珀の液体を二つのグラスに注ぐ。
「……」
「……」
「補佐官やらないか?」
アークに片方のグラスを渡しながら尋ねた。
「ご遠慮申し上げます」
「職能給別途つけるぞ?」
「無才の身なれば」
「部下を各一人づつ」
「ご自身におつけになる方が宜しいのでは?」
「育てる暇ないな」
「私にもございませんよ」
「……」
「……」
「従者として常に側にいるなら、結局手伝うことになるぞ?」
「……」
「誕生日?」
「……」
「有給?無給?」
「…くっ……有給でお願いします……」
「っし」
リュスタークは無理矢理グラスを合わせると中身を煽った。
「…内示受けついでにねじ込んでこよう」
意気揚々と出て行く主を見送りながら、アークは小さなため息とともに中身を干す。
「あ、増員提示わすてれた…」




