9. 夜会
煌めく数多のシャンデリアが広々とした舞踏室を煌々と照らしている。最新のドレスを身に纏った令嬢達が、華やかなその場にさらなる華を添えていた。
波のような騒めきの中で一番の話題はその日の主役、遠くラティスハルクからやってきた令嬢の噂話だった。迎えに行った騎士団の噂話に尾ひれがついて、曰く、星々の瞬きさえ恥じらう美しい少女であるとか、遠くから見かけた者によると、曰く、白髪の老女であったとか。
好悪賛否両論ではあったが、いずれも興味深々でその令嬢の登場を待っていた。
と、ざわめきが波のように引いていく。
一点に集められた視線の先、入口階段上に姿を現したのは、本日の主役、イスファン国第三王子とその婚約者の姿だった。
一段高らかに鳴り響いた音楽がピタリと止み、高らかに読み上げられた名前に再び騒めきが戻る。
(なんと、あれがロスガルドの姫君か)
(…美しい…)
(…ラティスハルクの人質姫)
(なんと可憐な…)
(素敵なドレス)
リュスタークにエスコートされて階段を下りながら、リディアンリーネは緊張の極地にあった。若干15歳。デビュタントも済ませていない少女の初の夜会が、故国から遠く離れた遠い異国の地。しかも自分が唯一の主役である婚約発表の夜会。緊張するなというのが無理な相談だった。
のせらた手から体温が引いていき、かすかな震えが伝わってくる。リュスタークは握るその手にそっと力を入れる。
(…あちらを…あそこにエルンハルト殿が…)
耳元で囁かれゾクリとしたものの、その視線の先に兄の姿を見つけ、リディアンリーネはホッと肩の力が抜けるのを感じた。見ればその周囲にラティスハルクの貴族が何人かいる。
花がほころぶように笑い、感謝の視線を向けるとスイと視線を逸らされた。
海が割れるようにできた道に足を踏み入れ、好奇、好意、嫌悪、悲しみ、喜び、賞賛、嫉妬…様々に混じる視線を引き連れて王の元へと進む。
挨拶、紹介……リディアンリーネの緊張は、ファーストダンスが近づくにつれ、再び高まってきているようだった。
(…大丈夫、お国のダンスです…)
再び落ちてきた囁きに、リディアンリーネはびくりと肩を震わせる。
(ステップを間違えたら、フォローはお任せしますね)
くすりと笑いながら膝を折る婚約者をリディアンリーネはまじまじと見つめた。
砦での練習で、リードさえして見せたリュスタークが、ステップを間違えることなどあるわけがない。
「私と踊っていただけますか?婚約者殿?」
「喜んで」
破顔一笑。差し出された手を取るリディアンリーネにつられてリュスタークも笑顔を返えした。流れ出したラティスハルクの曲に背中を押されるように、リディアンリーネはフロアへと移動する。
滑るように、軽やかに踊りだした二人への好奇の視線は、やがて賞賛へと変わっていった。
「リューク」
踊りの輪から抜け出し、用意したストールをリディアンリーネに掛けているところへ、後ろから声をかけるものがあった。
「叔父上」
嬉しそうに振り返ったリュスタークの視線の先には、長身のリュスタークよりも更に頭一つ分長身の、というよりも巨漢の男が立っていた。年の頃は50代半ばか。浅黒い褐色の肌、眉間に深く刻まれた皺が男の厳しい人生を物語る。みっしりと筋肉のついたその身体には、正装用の式服が窮屈そうであった。
「久しいな。戻ってきたなら顔くらい出せ」
「申し訳ありません。帰ってきたら書類が山積みで…って、叔父上。叔父上の所の書類も大分ありますが。明日にでも顔出しがてら差し戻しても構いませんか」
「ん?悪いな、明日から居留守だ」
「いるじゃないですか!」
「まぁまぁ。それよりこちらの美しい女性に紹介してもらいたくて来たのだ」
ニヤリと笑いながら催促する。
「失礼しました。叔父上こちらリディアンリーネ・フェイ・ロスガルド公爵令嬢。遥々ラティスハルク国から来られた我が婚約者殿です。リディ、こちらトゥオマス・ラ・アスピヴァーラ公爵。王弟殿下で元将軍。現軍事顧問をされている」
「初めまして、リディアンリーネ嬢」
「お目に書かれて光栄です閣下」
滑らかな動作でリディアンリーネの手を取ると軽く持ち上げる。
「こちらこそ。こんな美しい人を婚約者に迎えることができるとは、我が甥ながら運のいい奴です。旅の疲れは少しは取れましたか?」
「はい。お陰様をもちまして。今はお国の細工に圧倒されております。どちらを向いても本当に美しくて。湖面を走る小舟も、我が国とは違って興味深うございますし、色々見せていただけるのを、今から楽しみにしております」
「ご令嬢は舟遊びがお好きか?」
「はい」
「カティ湖は風も穏やかで舟遊びにはもってこいだ。いつか連れて行ってもらうといい」
「舟といえば叔父上、ベルガから舟が来たそうです」
「ふむ、聞いた。なにやら書状が来たとか」
「はい、西の護岸工事の催促かと思われますが、なにやらここのところ川の水位が上がっているとか」
「む、例年より早いな」
「雨季まで2ヶ月を切っておりますし、対策が必要かもしれません」
「明日は時間が取れるか?」
「では昼過ぎに」
「待ってる。あぁ、余分な書類、持ってくるなよ?」
「仕方ないですね」
苦笑するリュスタークの肩を、去り際ぐいと掴む。
次の挨拶を受けているリディアンリーネの方へと視線を遣り
「いいのか?」
「叔父上」
「すまん…じゃぁ、明日」
「はい」
リュスタークは去っていく叔父の背中をチラリと見送り、リディアンリーネの傍に戻った。
二時間程挨拶を受けていただろうか。
少しその足が間遠になったところでリュスタークはリディアンリーネに声をかけた。
「そろそろ疲れませんか?」
「はい、少し」
「テラスで少し風にあたりましょう」
失礼、と声を掛けリュスタークはその腰に手をまわす。
急に近くなった距離にドキマギしながら周りを見回すと、こちらに来ようとしていた招待客が数組足を止めたのを見て力を抜いた。
―――なるほど…こうやって人払いをするんだ…
リュスタークに導かれるままにテラスに向かう。
案内されたテラスは二階になっており、爽やかな風が吹いていた。
「涼しい…」
「飲み物を取ってきましょう。何かお好みがありますか?」
「あ…果実水かお水を…」
「わかりました…こちらでお待ち下さい。動かないで下さいね?」
「はい」
その背を見送り、窓が閉まると大きく息をついた。
「はぁ…緊張するなぁ」
つぶやきながら月を見上げる。空には細い三日月が昇っており、地上を冴え冴えと照らしていた。暫くぼんやりとと月を眺めていたが、ふと、下で争う男女の声が耳に入ってくる。
―――え?
「やめてください」
「分かっててきたんだろ」
「そんな…」
「来いよ」
―――ぅわ、ロクでもなっ
「…大声を」
「出してみろよ」
―――えぇ…っと…助けないとマズイよね…場所は…真下か…
慌ててストールを外している間に何かが叩かれる音と女性の短い悲鳴が上がる。
―――まにあえまにあえ…
「やぁっ…んっつ」
バサり
「な!?」
―――よし、ちゃんと落ちたみたい
「すみませ〜ん、ストールが風に飛んでしまって。お怪我はありませんか?」
「え?えぇ…」
「今侍女が取りに向かってますので、渡していただけますか?」
「チッ」
バタバタと走り去る音がする。
「あ…あの」
ホッとした様子の声が涙を含んだ様子で問いかける。
「大丈夫ですか?ドレス、破れてないですか?ここからじゃ見えなくて。侍女、向かわせましょうか?」
「だ…大丈夫です」
「そのストール良かったら差し上げますので、打たれたところ隠して早く帰ったほうが良いですよ?」
「はい、ありがとうございました」
「いえ、無事で良かったです」
「あの、お名前を…」
「…ん〜…名乗り合うの、やめましょうよ。こんな思い出、残るの良くないです」
「…」
「早く帰って寝て、忘れちゃいましょうよ」
「…はい…あの…本当にありがとうございました」
「はい。気をつけて帰ってくださいね」
小さな足音が去るのを聞いて、ホッと一息つく。
―――酷いのがいるなぁ…うまくいって良かった……
「お待たせしました」
「ひゃっ?」
「失礼、驚かせましたか?…グレープフルーツと白ぶどうとライチの果実水です」
「ありがとう存じます」
グラスに口をつけると爽やかな酸味の果実水が喉を潤し、甘やかな香りが鼻腔をくすぐる。
「美味しい」
「お気に召しましたか?」
「はい」
「?…ストールはどうされました?」
「え?あ…風に…」
リディアンリーネはそっと中庭に視線を逸らす。だから気づかなかった。ストールを止めていたはずのブローチに、リュスタークの視線が注がれていたことに―――
「…そうですか。寒くは?」
「…大丈夫です…」
「温かい飲み物のほうが良かったかもしれませんね」
「いえ、これ大好きです」
「そうですか?…中に入りますか」
「……はい」
ちょっと肩の落ちたリディアンリーネからグラスを受け取るとその腰に手をまわす。
「お疲れのようですから、部屋に引き上げましょうか」
「え?」
見上げる少女の顔が喜色を孕む。
―――分かりやすい
コロコロ変わる表情に、どこか安心感を覚えながらリュスタークは軽く頷いた。
「主役とはいえ貴女はデビュタント前ですからね。大丈夫ですよ」
陛下に挨拶に行きましょう、と促しながらフロアへの窓を開けた。
「セヴェリ」
国王に退出の挨拶をし、その後王太子妃に捕まったリディアンリーネを横目にリュスタークはセヴェリを呼んだ。
「はっ」
「ここ一時間の中庭の出入り、調べられるか?」
「はい、扉付近には騎士が詰めておりますので」
「では頼む。男女二人で出て行ってどちらかしか帰ってこなかった者、バラバラで帰ってきた者を調べてみてくれ」
「はっ。何かございましたか?」
「さて…何もなければ良いが」




