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0.幼少期 発端



カメリア大陸のやや西方、隣り合うラティスハルク国とイスファン国は、建国当初からの因縁の国。発端は一人の女性と取り合ったと云われているが定かではない。数百年の歴史の中で、大きな戦が数度。国境の小競り合いは数限りなく繰り返されていた。――が、ここ半世紀はその規模も徐々に縮小され、この数年に至っては小競り合いも起こってはおらず、時たまの緊張状態も国境を挟んでのにらみ合いで終わっていた。


戦がなくなれば国は富む。流通が良くなれば国が栄える。


そんな当たり前の事の実現に向けて、この度国境にて停戦協定を結ぶ運びとなった。争いに依らぬ富国。男の長年の夢であった平和が、ようやく形作ろうとしていた。

豪奢な書斎で男は感慨深くため息をつく。


「はぁ…ようやく、ここまで…」


深々とソファに腰を掛け、天井を仰いだ顔を片手で覆う。


「お疲れ様でした」

「マリアンヌ」


琥珀色の酒の入ったグラスを渡しつつ、マリアンヌと呼ばれた女は男の隣に腰掛けた。


「いや、まだだ。実際に協定を結ぶまでは気は抜けぬ。約定を細部まで煮詰めねばならぬし、それに…停戦協定では終わらせぬ。いつかこれを終戦宣告に変えて、子供や孫に戦禍のない世を渡したい。その為には――」

「分かっております、あなた」

「苦労を掛ける。七日後には出立するが、一月になるか二月になるか、はてまた半年になるか……いずれにせよ締結を見届けるまでは帰らぬ」

「お待ちしております」

「子供たちを頼む」

「はい」


男は干したグラスを置くと、マリアンヌの腰を引き寄せた。




「ひ・め・さ・ま」

「ひぃっ」


扉からこっそり中をのぞいていた幼い少女は、乳母の声に文字通り飛び上がる。久しぶりに帰宅した父親の元へ来た少女は、声を掛けるタイミングを失っていたのだ。


「マルヴィナ…」

「お行儀が悪いですよ、姫様」

「だって…」

「だって、ではありません。カミラ先生が姫様をお探しでしたよ。ダンスのレッスン、すっぽかしましたね?」

「うっ…も…もう踊れるもの」


形の良い唇とつんととがらせて少女が言うのへ、マルヴィナは片方だけ口角を上げる。ギクリと後ずさる少女の横に立ち


「では、旦那様に成果をご覧に入れましょう」


にっこり笑いながら扉をノックする。中からの応えに扉を開けると、マルヴィナは恭しく一礼した。


「マルヴィナ」

「お帰りなさいませ、旦那様」

「リディも。どうしたの?」

「お嬢様が旦那様に、ダンスの成果をお目にかけたいそうです」

「!」

「まぁ、素敵」

「お相手願えるのかな?私の小さなお姫様」

「……はい、お父様」





「ラーナ、ラーナ、聞いて」


寝衣に着替えた少女はベットの上でポンと跳ねる。


「リディアンリーネ様、危のうございますよ」

「今日はお父様とダンスをしたのよ。お母様の伴奏でね、途中でエル兄様もお帰りになって、ディオーラ姉様とイェシカ姉様とも踊ったの。いつもこんなダンスのレッスンだったらいいのに」


ポンポン跳ねるリディアンリーネを横目にラーナはシーツに手を掛ける。


「めくりますよ」


ラーナの合図に一際高く飛ぶリディアンリーネ。めくられたそこへ着地すると、クッションを抱えて横になる。


「それはよろしゅうございましたね。レッスンの成果はありましたか?」

「うーん…多分?」


枕を整え、上掛けを掛けると、ラーナは小首をかしげた。


「おや?」

「上手には踊れたの。でも、ディオーラ姉様やイェシカ姉様みたいにキレイには、踊れなかった」

「お二方は今でも熱心にレッスンされていますからね。姫様も社交界デビューまでには、同じように素敵に踊れるようになられますよ」

「毎日お父様がお相手してくれればいいのに。そしたらもっと上手になるわ」


ラーナの慰めにリディアンリーネは眉根を寄せる。


「お父様、またお出かけだって…今度はいつまでか分からないって。エル兄様は明日から寄宿舎。アル兄様はお父様の代わりに王様の所だし、姉様たちはこの冬デビューだから最後のおおづめなんですって。おおづめって何つめるの?」

「う~ん、知識、ですかね?」

「ふぅん?」

「ねぇ姫様」


上掛けをポンポン叩いてその眉間のしわに触れる。


「こんなに眉を寄せていられては、大きくなって王子様に逃げられてしまいますよ」

「!」


ラーナの見せた絵本に思わずその眉間を両手で押さえる。その絵本はリディアンリーネのお気に入りで、金髪の王子様が困難を乗り越えお姫様を迎えに行く話だった。特にお気に入りが最後の結婚式のダンスの場面で、ここ最近はいつ王子様が迎えに来てもいいようにと、一際ダンスのレッスンに力を入れるリディアンリーネだった。


「今日もこちらを読みますか?」

「ん、今日はもう寝そう…」


とろんとしてきたリディアンリーネに一礼し


「では姫様。お休みなさいませ」

「夢の中でも…レッスン頑張るわ」

「お相手が王子様だとよろしいですね」


リディアンリーネはくすりと笑うラーナに小さく握った拳を見せ、重みを増してきた瞼をおろした。





じっとりと汗ばんだ身体が熱を持ち、渇いた喉が浅い呼吸を繰り返す。体が揺れているのは気のせいか、間断なく襲いくる頭痛のせいか。素敵な王子様とのダンスどころか、水牛の群れが頭の中でダンスをしているようだった。

どれ程そうしていただろう。指すら動かすのが億劫なリディアンリーネの頬を、涼やかな風が通り過ぎた。爽やかな草の香りが鼻腔をくすぐる。

遠くに聞こえる怒声や慌ただしい気配を夢心地に聞きながら、リディアンリーネは朦朧とした意識を何とか浮上させようと苦戦していた。


「ィ!…ディっ!」


よく知ったような声が聞こえるのと同時に、ふわりとした浮遊感に包まれる。

その声に安心したように、リディアンリーネの意識は深く沈み込んでいった。




渇いた喉を通る甘露。幾度目かの嚥下でリディアンリーネは薄らと目を開けた。


「リディ!気が付いたか?」

「お…父様…?」


リディアンリーネの口元に当てていた椀を傍らの机に置くと、背を支えたまま楽に凭れられるよう枕を整える。覗き込んだ父親の顔が、仕事で何日も帰宅しなかった時より憔悴して見えた。


「良かった、このまま目を覚まさなかったらどうしようかと…」

「…わた…し……?」

「本当に、どうしてこんな事をしたんだ。衣装箱の中でお前が意識不明だと聞いた時には、心の臓が止まるかと思ったぞ」


父親の言葉に、組んでいた両手に力が入る。

出発の日、リディアンリーネは南へ出かける父親について行きたくて、こっそり衣装箱の中に潜り込んでいたのだ。中は狭くて思いのほか暑くて、段々息苦しくなるにつれて朦朧としていった。早めに見つからなかったら―――


「……ごめんなさい…」

「リディ」


促され、白くなった関節にほたりと涙が零れた。


「だって…お父様はいつ帰ってくるか分からないお出かけだし、アル兄様もエル兄様もいないし、ディオーラ姉様とイェシカ姉様はデビューの準備のおおづめだって。お母様もその準備で忙しいし……だったらお父様について来れば夜だけでもお話しできるかなって……」


ぽつりぽつりと消え入るような声に、父親はしばしの沈黙の後、小さく嘆息をつく。


「リディアンリーネ」


堅い声で名を呼ばれ、リディアンリーネはびくりと肩を震わせた。


「そなたは幼くとも公爵家の娘だ。臣下筆頭の地位にあって、やるべきこと、やらぬべきことを見分けるのに年齢は言い訳にはならぬ。そなたの父はここに遊びに来ているわけではないのだ」

「はい」

「爵位も職責も、ましてこの度の陛下の名代という重責も、いずれも軽んじられるべきものではない。隣国イスファンとの此度の協定は、両国の平和、民の幸福に繋がる何ものにも代えられぬもの。その隊の足を、そなたは半日も止めたのだ。これがどういうことか分かるか?」


父の言葉にリディアンリーネは黙ったまま頷く。


「これ以上そなたの為に遅滞するわけにはまいらぬ。更に此度は迅速さも求められるため、人数も最小限で動いている。つまり、そなたの世話に割ける人手も、そなたを送り返す為の人手も物資もないということだ」

「はい」

「よってそなたは帰還までの間家には帰れず、隊の中にあること。その間ロスガルドの家名を名乗ることは許さぬ。隊の者として自分のことは自身ですること。滞在場所ではある程度の自由を与えるので、民に混じり一人の民”リン”としてその生活を見てくること。以上をそなたに与える罰とする。よいな?心して見てくるように」

「はいっ」


涙の乾いた瞳で応えを返すリディアンリーネに重々しく頷き、表情を緩めるとその小さな体を抱きしめた。


「お転婆は程々にしておくれ。目を覚ましてくれてよかった…」






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