6話 戦いの回想という名の説明回、あと肉弾戦を書くのは楽しいです
雷太の周囲に豚人の集団が次々と押し寄せ、片端から蹴散らされる。
射掛けられる矢も、投げつけられる投げ槍も、投石も、振り下ろされる戦斧も、彼に当たると同時に塵へと変わる。
そして逆に彼の掌底突きが、投げが、豚人たちの命を凄まじい勢いで刈り取っていった。
ここは光の塊――、精霊王ラーノに導かれて転移した先の異世界。
協会に引退届けを提出して急遽断髪式を行い、財産を処分し、与えられた知識を元に異世界で使えそうな道具を揃えて契約金代わりにと貰った魔法の鞄に詰め、転移を終了した彼の前に広がっていたのは、凍った白い川の上に展開された豚人の軍勢であった。
訳も分からずこんな所で死ぬわけにはいかないと、問答無用に襲い来る豚人たちから逃げようとした彼に、精霊王ラーノから現状についての知識が与えられたのは、その直後のことである。
――その瞬間、戦場に死神が降臨した。
雷太は真っ白い病室で全身を襲う激痛の中、泣き崩れる明理紗の顔を知っている。
死にたくないと、おばあちゃんになるまで、ずっと雷太と一緒にいたかったと慟哭する明理紗の手を、ただ握り続けるしか出来なかった、あの時の自分の無力さを、絶望を知っている。
だから、もし次があったなら、自分に出来ることがあるというのなら、どんな事でもすると決めていた。
たった今塵へと変わった、戦斧を持った豚人のベルトを掴み、“下手捻り”で転ばせ、間髪入れずに顔面を踏み砕く。
180kgを超える巨漢の踏み付けである。ぐしゃりと音を立てて血の華が咲き、雷太の足の裏に骨を砕く厭な感触が伝わる。
さらにそれと共に、命を奪ったという事実が口の奥に酸っぱいものをこみ上げさせる。
…………だが、それがなんだというのだ。
今、この世界に生まれ変わった明理紗が、この豚人の群れに殺されようとしている。
雷太の一番大切な彼女が蹂躙され、再びあの思いを味わうことになろうとしている。
――それに比べれば“殺す”という生理的な嫌悪感など、どうということは無い!
次から次へと豚人を殺し続ける雷太の前に、風変わりな一体が現れる。
ちょっと見には普通の豚人であるが、その全身からは薄く黒いもやのようなものが立ち上っていた。
(……これが“加護持ち”か?)
“加護持ち”と呼ばれる個体の情報は、光の精霊王ラーノから与えられた知識の中に存在していた。
並の個体をはるかに超える身体能力と“特定の武器以外は使えなくなる代わりに、その武器以外では傷つかない”という特別変異。
そして“加護”の正体とは、かつてこの世界そのものである2柱の精霊王……光と闇の精霊王が世界中に与えた祝福である。
自分そのものである世界に住まう生き物が、少しでも力強く生きられるように、少しでも平和に暮らせるようにという、そのはるか昔に全世界に向けて送った、祝福の力を宿すことが出来る“器”を持っているほんの一部が“加護持ち”の正体だ。
あくまでも平和に生きるための力として送られた祝福が戦争のために使われているのは皮肉なことであるが、それが抑止力となり、戦火の拡大を防ぐことになっているのも事実である。
そんな祝福の種類は全部で4種類。
“剣”、“槍”、“斧”、そして“戦鎚”。
だが“器”を持つ一部の個体も、そのほとんどはこれらの内一つだけを宿すだけで精一杯である。
……しかし極めて稀に、精霊王の力と非常に高い適応性を持った個体の中には、それら全ての祝福を宿す事の出来る者がいる。
それが“拳の加護持ち”である。
また精霊王の力とは世界を司る神の力。さらに、雷太の前職である力士……特に最高位である横綱は神の依り代であるとされている。
そんな雷太が“拳の加護持ち”となったのは必然だったと言えるだろう。
「BURUAAAAAAA!!」
怒声と共に殴りかかってくる豚人の拳を間合いを詰めて無効化する。
どれだけ強力な打撃でも、振り切れなければその威力の半分も出すことは出来ないのだ。
そこから手を伸ばし、豚人の顔面を両手で挟む。
さらにその体勢から首を捻り倒す“徳利投げ”。
ぼきり、と首の骨が折れる音が響き、地面に崩れ落ちる“加護持ち”の豚人。
……余談であるが、この“徳利投げ”という技は“合掌捻り”と混同されがちだが、前者は顔面を、後者は胴体を挟む技である。
1匹で並の個体1000匹分の戦力に相当するはずの“加護持ち”が瞬殺され、思わず豚人の軍勢が怯む。
雷太はそんな集団をゆっくりと見回し――、そして爆発に包まれた。
「うぉっ!?」
爆発の正体は、はるか上空を飛ぶ飛竜の背に乗った個体が落としたダイナマイト。
爆風それ自体は雷太の体を包む、彼にしか見えない光……、“加護”によって遮られる。
だが、彼の足場は爆発に耐えきることが出来なかった。
彼が今立っているのは、凍った白い川の上である。
いくら厳寒の辺境、その真冬の極東ロシアに匹敵する寒さで凍った大河といえども、岩をも砕くダイナマイトの爆発に耐えれるはずもなく、爆心地を中心に氷が割れていく。
「こなくそぉ!」
砕けていく足場を懸命に蹴り、必死の思いで雷太は岸に向けて走りこむ。
彼の足元に広がる氷の下の水は真冬の冷気で冷え切っており、そして流れる水は武器ではなく、“加護”が冷気を遮断することはない。
氷水の真っただ中に落ちれば、下手をすれば心臓麻痺。もし無事に岸まで泳ぎつけたとしても、冷え切った体で15万の軍勢を相手取ることは不可能だ。
落ちれば死ぬ。その思いで岸までの約200メートルを全力疾走。さらに上空からは、続けてダイナマイトの第二弾が落とされる。
しかし雷太は“加護”による肉体の強化がなければ不可能な速度で走り抜け、ダイナマイトが爆発する前に岸にたどり着く。
そのまま半ば無意識に手近な豚人を捕まえ、力任せに放り投げた。
無論、放り投げた先にいるのは上空の飛竜騎士である。
体重100kgを超えるはずの豚人が一直線に宙を舞い、飛龍騎士を撃墜した。
『おお、飛んだ!豚が空を飛んだ!飛べない豚は、ただの豚だ!!』
脳裏に響く、明理紗の声をした幻聴。
もし明理紗がこの光景を見ていたら、間違いなく言っていたであろう幻聴に思わず頬が緩み、少し気分が軽くなる。
そして軽くなった気分のままに、次々と豚人を捕らえ、残りの飛竜騎士目がけて投げつける。
空を行く飛龍騎士の悉くが墜落し、あるいは川の中に沈み、またあるいは地面に叩きつけられて肉塊に変わっていく。
……中には雷太に一矢報いようと特攻を掛ける個体もいたが、彼はその大型トラックにも匹敵するであろう飛竜の巨体を逆にぶちかましで弾き飛ばす。
そうやって何百、何千という敵を屠り続ける彼に、とうとう豚人の軍勢は背中を向けて逃げ出そうとし――
一体の上位豚人を前に立ち尽くした。
「BURUAAAAAAA!!」
その上位豚人は怒声と共に拳を振るい、逃げ出そうとした豚人を粛正する。
手近にいたその豚人は、たった一撃で顔面を砕かれ絶命した。
「BURURURURU…………、BUAHHAAAAAAAAaaaa!!」
それの着ている革鎧は深い紅。
それの羽織る外套は鮮やかな空色。
それは身長206cmの雷太とほぼ同等の背丈を持ち、
それは体重185kgの雷太よりも分厚い、固太りな体をしていた。
それは、醜く潰れて唯一残った右目に明確な殺意を込め、
それは――、『隻眼のアーグ』と呼ばれる豚人の大将軍は、雷太を殺すべく殴りかかった。
「ちぃッ!」
先手を取られた事に舌打ちをしつつ、突っ込んでくるアーグを真っ向から受け止める。
受け止めるといっても、アーグの拳を防ぐのではない。
一撃は貰うことを覚悟で、突っ張りを繰り出した。
下から上に突き上げる突っ張りがアーグの体を押し上げ、その体勢を崩す。
……だが、それとほぼ同時に、アーグの拳が雷太の顔面に突き刺さっていた。
目の奥に火花が飛ぶ。
大相撲の土俵の上でも、これほど強力な打撃は久しく喰らっていない。
アーグの拳は、空手家のそれのようにレンガさえも砕く、鉄槌のような一撃ではなかった。
拳闘家のような、鋭く、キレのある、急所を捉える一撃でもなかった。
ただ、力任せに振るうだけの、街の喧嘩屋と同種の拳。
だというのに、そこに込められた破壊力は決して劣ってなどいない。
もしも雷太が迎撃の覚悟を決め、その突っ張りが入っていなければ、続く二撃目・三撃目の拳が彼の顔面を砕いていただろう。
…………これは初めての同格の相手との“殺し合い”。
一般人であれば、その恐怖に耐えることなど不可能であったはずだ。
しかし、雷太は一般人などではない。
国技・大相撲において20年以上もの間、頂点に君臨し続けた怪物である。
ある時代は唯一の横綱として、またある時代は綱取りを狙う若手の前に立ちふさがる壁として、気が狂わんばかりの重責に耐え続けた鋼の心の持ち主である。
そしてなにより、今の彼の背中には愛する妻の、明理紗の命がかかっているのだ。……その事実の前には、たかが“殺されるかも”などいう恐怖など問題になりはしない!
「うおおおおおおおぉ!!」
雄叫びを上げながら体勢を崩したアーグに向けて、頭から突っ込んでいく。
その戦い方は『引かば押せ、押さば押せ』と言われる、相撲の基本にして、また同時に極意でもあるものだ。
雷太はその人生の大半を費やした“相撲”という技術に己の全てを賭けて、無数の命を刈りとった悪鬼に立ち向かった。