4話 ロリコンは病気です、罹患した場合はすみやかに治療を行って下さい。具体的に言うと、値段が高めのゾクフーに行ってお姉さんに相手して貰え……筆者はそれで治療した
相撲取りの朝は早いと言われている。
その理由としては、いわゆる『取付』と呼ばれる序の口・序二段の力士などは、朝の5時には起きて稽古の準備を始めなければならず、6時には稽古が始まるからだ。
だが幕下まで番付が上がれば、6時起きの6時半から稽古というのが一般的になる。
そして関取になればその多くは朝7時に起き、8時ごろに稽古を始めるため、相撲取り全員が朝早いというわけでもない。
雷太もまたその例には漏れず、普段の起床は朝7時ころ。
ほとんどの力士は筋肉だけでなく、脂肪も加えて効率よく体重を増やすために朝食は取らず、空きっ腹で稽古をして昼食と夕食をドカ食いする。
しかし脂肪がつきにくい体質のため、筋肉のみで体重を稼いでいる雷太の場合は起床後すぐに軽食をとる。
そういった意味では、雷太の生活はパワーリフティングの選手やオフ期のボディビルダーに近いものであった。
軽食の中身は、日本ではバナナとヨーグルト、そして激しい稽古に備えてBCAAというのが定番だったが、異世界にそんなものを持ち込むわけにもいかず、とりあえずは保存の効くスモークチーズやビスケット、ビーフジャーキーなどを“魔法の鞄”の中に入れてある。
異世界に転移したからと言って……否、異世界だからこそ、今まで鍛え上げた肉体を衰えさせることのないように、日本にいたころと変わらずに稽古を積み、そして食事を取らなければならない。
だから、いくら昨日20年ぶりに再会した明理紗と話し込み、また彼らの事情の説明に時間が掛かったからといって、稽古を休むなど出来るはずがない。
雷太は寝ぼけた頭でそんな事を考えつつ、客間の寝台から身を起こし――、彼の毛布の中に潜り込んでいた、温かく柔らかい存在に気が付いた。
「ん……。おはよ、らいちゃん。よく寝れたみたいだね」
その存在は……、一糸纏わぬ、生まれたままの姿をしたアリサは、寝ぼけ眼でそんな言葉を口にした。
腰を深く落とし、そしてゆっくりと持ち上げる。
ちょっとでも気を抜くと速くなりそうな動きを必死の思いでこらえつつ、全神経を下半身に集中させる。
丹田を意識し、腰の動きに細心の注意を払い、上下運動を繰り返す。
「フッ……、フッ……、フッ……!」
呼吸が荒くなるのを止められない。
しかし、動きそれ自体は一瞬たりとも止まることは無く、まったく同じ動きをひたすらに繰り返す。
両足を大きく開き、腰を深く落とし、そして持ち上げ――その勢いのまま、自然に足を高々と上げる。
決して揺るがぬ大木のように、地面と垂直に上がった足はその全ての重量を残った片足に掛ける。
そして一瞬の後でゆっくりと降ろされ、今度は逆足で同じ動きが繰り返される。
“四股踏み”
力士にとっては基本の稽古であり、そして最も重視される稽古でもある。
そのコツは、決して早く動かないこと。
ゆっくりと、そして休みなく動くことによって、足腰の深層筋と表層筋をまんべんなく鍛えることが出来るのだ。
さらに、足を大きく高く上げることによって股関節の柔軟性も、そして不安定な体勢を耐えることによって体幹も鍛えることが出来る。
負荷の軽い自重トレーニングと侮ってはいけない。
体重を全て片足に掛けるこの“四股踏み”は、一般人なら正しいフォームで行えば20~30回で効果があると言われている。
それを力士は一日最低300~500回。およそ一時間から一時間半かけて行うのだ。
もしも大相撲のTV中継などを見ることがあれば、彼らの太ももに注目して見てほしい。
平均体重160kg以上という、幕内力士の巨体を支える足腰の強靭さが理解できるであろう。
……なお余談ではあるが、“筆者”は『スクワットばっかで飽きた』と四股踏みをやった結果、50回ほどで立てなくなったことがある。
太ももの内側から股の付け根にかけて、主に体の奥深くに効くトレーニングはとても新鮮だったと、負け惜しみを言っていたのが印象深い。
…………見た目がよくなる表層筋の筋トレばかりやり、深層筋をまるで鍛えていなかったが故の結果である。
「失礼いたします、ライタ様!こちらにアリサ様はいらっしゃいませんか!?」
ただ黙々と四股を踏み続ける彼の元に、息を切らせたローザが飛び込んで来た。
そんな彼女の顔には色濃く焦りの色が浮かんでいる。
当然だろう、朝起きたら護衛対象が行方不明になっていたというのは、普通に緊急事態だ。
もしアリサに万一の事でもあれば、比喩抜きでローザの首が飛ぶ。
彼女の切羽詰まった声を聞いて雷太は振り向くと、無言で部屋の奥を指さした。
……そこにあるのは『みぎゃー!』と奇声を発する、人が一人入るくらいの、毛布で作られた巾着袋。
「らいちゃんー!出してー!いくら森妖精になって時間が出来たって言っても、放置プレイは嫌なのー!!」
それを見て無表情になったローザは、ゆっくりと巾着袋を開く。
「……アリサ姉、なにやってるの?」
「ぷはぁ!ありがと、ローザ。……なにやってるのって、なに言ってるの?たった一つの命を捨てて、生まれ変わった幼女の体!ゆーわくしないで何をする!!」
「…………ふーん」
「みぎゃああああああぁ!痛いっ!“加護持ち”の鉄の爪は痛いっ!!ギブギブギブギブ……みぎゃああああああああぁぁ!!」
「ライタ様、お騒がせをいたしました。それでは、また後ほど」
だらりと崩れ落ちたアリサを巾着袋ごと担ぎ、退出するローザ。
その姿を横目で見つつ、雷太は四股踏みを再開するのだった。
「ちょっと、らいちゃんってば冷たくない?長年離れ離れになってた夫婦がようやく再会したんだよ!?やることなんて決まってるじゃない!……さあそんな訳で、れっつ・めいく・らぶ!!」
「……せめて二次性徴を終えてからにしてくれ。今の明理紗に欲情できるヤツなんてのは、普通に病気だぞ」
「やせ我慢はよくないよ?……男はみんなロリコンだって、ばっちゃが言ってた!」
「アキ兄ちゃんの事を知ってて、それを言うか。……あと、ペ○ジーニ選手に謝ろうか」
「…………マザコンだとも言ってた!」
「ロリコンでマザコンか……、業が深いな。まさか、潜在的ホモでもあって、赤い色が好きとか言ってないよな」
「何故わかった!?」
「『赤い彗星』の方か、それともグ○リバボイスの『大導師』の方か……、いったいどっちだ?」
そんなアリサと雷太の会話する姿を呆然と見つめるのは、ローザを初めとするベラヤリカーの重鎮一同。
無理もないことである。彼らにとって、アリサは偶像であった。
普段はどこかズレてはいても、優しく穏やかで理知的で、絵にかいたような深窓の令嬢。
されど、ひとたび戦場に出れば兵士たちを鼓舞し、的確な用兵を見せる、稀代の戦術家というのが彼らのアリサに対する共通認識である……。否、で、あった。
今のアリサ……雷太の背におぶさり、子猫のような顔で話す彼女の姿は、彼らのアリサに対するイメージを一掃していたのだ。
「え……ええと、アリサ様……?」
「ん?ああ、紹介がまだだったね。このイケメンが、まい・すいーと・だーりん❤の馬坂雷太!いぇーい!!」
「…………家内がご迷惑をかけているようで……なんというか、申し訳ありません」
ひたすらハイテンションなアリサが爆弾を投下し、彼女とは対照的に一周回って冷静になった雷太が頭を下げる。
これはかつて二人が恋人だった頃、彼らの学生時代にもよく見られた光景でもある。
「……皆さんも言いたいことは山のようにあるでしょうが、現実的な話を致しましょう。一昨日の豚人の襲撃は、ライタ様の助力のおかげでかろうじて凌ぐことが出来ました。ですが、その代償として北西門は壊滅。復旧には2ヵ月以上は掛かると予想されます。また、城下町もおよそ4割が破壊され、さらにそれ以上が略奪の被害にあっています。詳細は未だに調査中ですが、『財産』と呼べるものはその大半が持ち去られたものと思われます」
昨夜に二人の掛け合いを目の当たりにし、わずかとはいえ耐性の出来たルイプキンが口を開く。
なお、本来ならば進行役を務めなければならない“斧の加護持ち”イリザロフ副騎士団長は、豹変したアリサの姿にショックを受けたまま、未だに立ち直っていない。
「幸いにも人的被害は少なく、復興計画についてはこれから詳細を詰める所ですが……、まずは街を救っていただいたライタ様へのお礼を決めねばなりません」
「だから気にすんなって。この街は、明理紗の街なんだろ?だったら、俺が守るのは当然だ」
いまさら何を、と言いたげな雷太だが、その言葉にルイプキンは首を横に振る。
「ライタ様はそれでいいかもしれませんが、それでは我らの不義理になるのです。恩人に礼もしない無礼者と、そのような悪評が立つのはこの辺境で致命的ですし、なによりライタ様への他領・他国からの引き抜きが多発すると思われます。……なので、アリサ様との婚約を持って我らの誠意とする、という方向で考えているのですが、いかがでしょうか」
「ひゅー!さっすがルイっち!わかってるねー!!」
「ああ問題ないな。どーせ、やることは変わらない」
「な……。少々お待ちください!アリサ様!!」
ルイプキンの言葉に諸手を挙げて賛成するアリサと雷太。そして寝耳に水の言葉に、思わず声を上げる重鎮一同。
『白の賢者』、『癒しの聖女』、そして『辺境の美姫』。これらの二つ名で呼ばれ、世界にその名を轟かせるアリサの婚約などそう簡単に決めれる話ではない。
事実、アリサにこれまで婚約話の一つもなかったのは、本人が拒み続けたという以外にも、各領地・各国の有力者が彼女を巡って牽制しあっていたという理由によるものである。
なのに、唐突に出てきた正体不明の男が婚約者となるなど、外交を考えると悪手としか言えない一手である。……しかし、
「ですが城下町が壊滅し、城の宝物庫の中身を全て復興資金に充てなければならない以上、ベラヤリカーにはライタ様へ謝礼を贈れる程の財産がありません。……なによりアリサ様ご自身が、ライタ様以外の相手との婚約など承知しないでしょう。また“拳の加護持ち”を自陣に引き入れたとアピール出来る事を考えれば、各領地・各国の有力者の一部を敵に回すだけの価値があると考えます」
しかし、“拳の加護持ち”にはそれを覆すだけの価値が存在する。
彼らは数十万人に一人という希少性に加え、たった一人で十万の軍勢に匹敵する戦力の持ち主である。
『軍隊』というものがどれだけの金食い虫であるか、そして金食い虫でありながらも、決して欠かす事の出来ない必要不可欠の存在であることを知っている彼らであるが故に、結局はルイプキンの言葉を認めざるをえなかった。
「にゅっふー!さあ、そんな訳で覚悟を決めるがいい、らいちゃん!『郷に入らば郷に従え』そしてここは、中世ヨーロッパ風のファンタジー世界!婚約した以上、夫婦の営みは義務である!だーいじょーぶ、天井の染みの数を数えている間に終わらせてあげ……」
「だが断る」
「みぎゃああああああああぁ!?」
鼻息も荒く迫るアリサに頭蓋締めを決めつつ、一刀両断に断る雷太。
だがその形は、掛け手の手首の横。骨が突き出た部分で相手のコメカミを絞る痛め技としての頭蓋締め。
前腕部の骨……橈骨を相手の頬のくぼんだ部分に引っ掛け、栓抜きの要領で首の骨を極める頸椎極めでない以上、本気ではなく、ただのじゃれあいであろう。
なお、これは“筆者”の体験談であるが、後者の頸椎極めは極められると、本気で身動きが取れなくなる。
首の骨を極められるというのは完全な“死に体”なのだと、否応もなく理解させられた瞬間であったという。
「なんでよー!ついこないだ本物の戦場を体験したあとでしょ?殺し合いをした後は、女が欲しくなるもんだって師匠も言ってたじゃない!そしてここに、らいちゃん専用の女がいるんだよー!…………次にお前は、女というのは“お赤飯”が終った後の人間だけだ、という!!」
「やかましい」
「みぎゃああああああああぁ!!」
まずは頭蓋締めの体勢から頭を絞っていた左手でアリサの襟を深く掴む。さらに右手を彼女の右腋の下からを差し入れつつ首の後ろに回して前に押し出し、同時に左手を引いて襟で彼女の首を絞める――
“片羽締め”
柔道でしばしばみられる絞め技の一つである。
形としては“送り襟締め”の変形で完璧に決まれば脱出は不可能に近い。
だが、複雑な形で締め上げねばならない為に難易度は高く、相応の実力差がなければ決まらない技でもある。
これはかつて、雷太と明理紗が子供だった頃に近所に住んでいた柔道家……雷太の武道家としての師から伝授された、隠し技の一つであった。
「さて静かになったところで具体的な話に、街の復興計画について話をしたいと思います。まずは、こちらの資料をご覧下さい……」
微妙な雰囲気になった空気をあえて無視し、話を進めるルイプキン。
そして気を失ったアリサをローザに渡し、ルイプキンの言葉に耳を傾ける雷太。
どうやら雷太にとって女性とは、あくまでも“お赤飯”が終った後の人間だけのようである……ハッ!
人物設定 ③
白川道明
現・白応竜部屋の親方、元幕内力士で四股名は白霊亀。最高位は小結。白応竜部屋の前親方、白応竜の長男。3才年下の弟に元十両力士で実業家の白鳳凰、9才年下の妹に白麒麟の妻、馬坂明理紗がいる。
身長 177cm 体重 146kg(全盛時)
得意技 押し、寄り、右四つ、上手投げ、呼び戻し
殊勲賞5回、敢闘賞2回、技能賞8回、金星6個。
元大関・白応竜の長男として生まれ、幼いころから相撲に親しんで育つ。馬坂雷太……白麒麟にとっては義兄であり、また幼いころから共にいた実の兄のような存在で、アキ兄ちゃんと慕われている。
当初は華麗な技を使う技巧派力士を目指していたが、近所に住んでいた柔道家から『道を極めたいなら、基本を極めろ』とのアドバイスを受け、卓越した基本の技術を武器にする玄人好みの力士に成長する。
……なお、その柔道家は雷太に『生涯勝てる気がしない』と言わしめた、道明、雷太、両名の武道家としての師匠でもある。
基本に忠実なそのスタイルから関係者の評価は高く、また勝ち負け以上に内容にこだわる彼の相撲は観客を魅了した。
白麒麟との同部屋による優勝決定戦の際、彼の掬い投げをこらえようとして左ひじから落下、左ひじの靭帯損傷と脱臼の大けがを負い、以降は脱臼癖に悩まされることになる。
その翌年、十両落ちが決定と同時に引退。タレントとして数年間活動した後で父の後を継ぎ、白応竜部屋の親方に就任する。
筆者の中での外見イメージは、『シックスパックの千○の富士』
妻は元タレントの、白川莉多……道明より11才年下の、雷太の妹である。
その実情は、外見詐欺の重度の腐女子であった彼女に恋人が出来ないことを心配した明理紗が、あの手この手を使ってくっつけた、というものであった。
……が、世間一般にそんな裏事情が伝わるはずもなく、結婚時は彼女が16才であったこともあって『合法神』『リアル光源氏』『事案力士』などの不名誉な仇名で呼ばれることとなる。
ちなみに、『ロリコン』でググると、『ロリコン 白霊亀』と出るくらいには世間に浸透している模様。
「おい雷太、何を落ち込んでるんだ、お前。これは真剣勝負の結果だぞ?グダグダ気にしてんじゃねえよ。つーか、手加減でもしてたら、それこそ義兄弟の縁を切ってる。俺の事なんて気にしないで、お前はただ、上だけを見て進め」