SS 最後の罠と師匠の嫁
王都東街の外から少し歩いて彼方の森との中間地点へと向う。
積もった雪は踏みしめるとキュッキュと鳴ってうちは楽しくなった。
青空の下でのんびり雪遊びする。今日は天気やね。
「ルナ? なに黄昏てるの? 今まで休み無しで働いてたんだからお休みだと思えば良いのですわ」
今日は燻製工場をファイに任せられるようになったので、キャロルとサーベラスを連れてお散歩中や。
キャロルがうちに雪球をぶつけてくる。
寸前で右前足を前に出して結界を張り雪球をキャッチした。
うちの体は今狼モードになっている。変身した瞬間はあまり覚えてないけど、悪いやつに何かされたらしい。
「ワンワンウォー!」
「サーベラス、その虫売れるし食べれるらしいで?」
「ワンッ!?」
元気良く飛び跳ねて雪に隠れた虫を潰していたサーベラスは、足元に広がった汁を二度見して慎重に足先を舐める。
ペロペロと足先を舐めていたサーベラスは、目をキラリッと輝かせて雪原を走り回り始めた。
器用に前足で虫を蹴り上げて左右の口でキャッチして黒バックに収納するサーベラス。頭が3つあるとこういう時便利やね。
「雪虫? 雪……なんて名前やったか覚えてないで」
「る~な~♪」
キャロルが雪山を作って洞窟を掘っていた。うちは本能が刺激されて雪かきを手伝う事にする。
「何故か分からないけど楽しいな~♪」
「後は毛皮を敷いて~♪ 小型の携帯火鉢を置いて~♪」
雪の山には完成した洞窟がぽかりと穴を覗かせていて、穴の中にはキャロルが用意したくつろぎスペースになっていた。
「ワン~♪ ワン~♪」
「サーベラスも帰ってきた事ですし、色々焼いて食べますわ!」
「たまにはこんな日が有っても良いかもしれんで!」
甘い匂いと臭くも芳しきチーズの香りがうちとサーベラスの鼻を刺激する。
キャロルが焼いてくれたアプの実やとろけるチーズを乗せたパンは最高に美味しい。
「よう、かまくらか? おっ!? 良い物食べてるじゃないか」
「雪原の小さき精霊よ! かの者に集まり、束縛する枷となれ!」
「うぉーっ!? 氷の鎖が、ちょ、待てって! 冷たい! 凍るって、凍える助けてくれ!」
洞窟の中を覗きこんできたおじちゃんに見覚えがあった。キャロルの精霊魔法でがんじがらめに拘束されるおじちゃん。
うちはキャロルが使った氷の精霊魔法に結界をぶつけて氷を砕いていく。
不満そうにこちらを見ているキャロル。おじちゃんはキャロルに怨まれているみたいやけど、何かしたんかな?
「なになに? そっちのちびっ子と狼二匹はお友達? ねぇ、触って良い? 触るくらい良いよね?」
「ちょっと待て! この姿を見て助けるとか無いの!? おじちゃん悲しいな……」
「ごめんー、モフモフに勝る物は無し。ちょっとだけ、ほんの先っぽだけで良いからもふらせて?」
見知らぬ女の人が洞窟へと侵入してくる。
女の人は背が高く、2m近くある身長に細めの手足がすらっとしてて真っ白の毛皮から除く首元にはキラリと輝く鱗が生えていた。髪の色は毛皮と同じ真っ白やね。
うちはサーベラスに合図を送り毛皮と火鉢を回収する。
すぐにサーベラスもキャロルを乗せて入り口とは反対の壁に体当たりして外に出た。
「逃げるの~? 良いわね! お姉さん燃えてきちゃうわよ!」
「おい馬鹿! 止せ! そいつらはさっき言った【絶壁】の――」
「絶対にもふる! ついでにそっちの子も撫で回すわよ~♪」
「話を聞けーー!!」
うちが結界を張り時間を稼ぐ。サーベラスは少し離れた場所にキャロルを降ろすと、爪をニョッキと出し前かがみになりいつでも攻撃出来る体勢になった。
「馬鹿! 待てって! そいつはルナの友達だ! 本人に挨拶する前に厄介事を起こすなよー!」
「あんたの言葉でもこれだけは譲れないねぇ! さぁ、痛い事はしないわよ? ちょっとモフモフするだけだからね!」
「そこの人はおじちゃんの知り合いなん?」
「ん? 今ルナの声が聞こえた気が……」
両手を怪しく動かす女の人から間合いと捕りつつおじちゃんに問いかける。おじちゃんは一瞬目をこすってうちの後ろの方を見て首を傾げていた。
「サーベラス、少しの間そっちの相手頼むで!」
「ワンワン!」
果敢にも女の人に飛び掛っていくサーベラス。狙うのは手足、特に足にダメージを与えようとしている。
「なかなか戦い慣れしてるわね! 狼くん! お姉さん頑張っちゃうわよ?」
「サーベラスは雌やで!」
「んん? ルナ?」
「おじちゃんの知り合い止めた方が良いで? サーベラスを怒らせると大変やで!」
サーベラスの飛びかかかり前蹴りを軽々と避けた女の人は、両腕で抱き締めるようにサーベラスへと飛び掛る。
おじちゃんはうちを見てまた目をこすって回りを見回していた。
「雪原の小さき精霊よ! かの者に集まり、束縛する枷となれ! 氷華乱舞!」
キャロルの放った精霊魔法の氷の鎖は、地面から舞い飛ぶ様に無数に現れ女の人に襲い掛かる。
女の人から余裕の笑みが消えて真剣な表情になった。
「あー、やっちまった。おじちゃんもう知らないからな……」
「良いわねぇ、その歳でその魔法。よほどの才か師が良いか……躊躇わずに撃てる度胸も気に入ったわよ!」
「氷の鎖を食べた!?」
キャロルが放った氷の鎖を噛み千切った女の人は、頬が釣りあがった笑みを浮かべると口から小さな火を吐いた。
「絶対に傷付けるなよ! 弟子の友達に傷を付けたとかルナに合わす顔が無くなるからな!」
「わかってるよ! ちょっと撫でてやるだけね♪」
体にまとわりつく氷の鎖を引き千切り食い千切りながらキャロルへと接近していく女の人。
うちは背後に忍び寄り背中にキツイ一撃をお見舞いするで!
「サーベラスタイミング合わせるんやで!」
「あ、ルナが喋ると……」
「ワン!?」
「今度は同時攻撃ね~♪」
女の人の足に飛びついたサーベラスが左右の頭で両足に噛み付き地面に固定する。すかさず手足に巻き付いた氷の鎖。
うちは振りかぶった右手を右肩の先の方に当たるように全力で振るう。
攻撃が当たる瞬間に女の人は空へと飛び上がった!?
「は、羽が生えてるで!?」
「もう良いだろ! 下りて来いジルコーニャ!」
白い毛皮が肌蹴て女の人=ジルコーニャの背が見えるようになった。
ジルコーニャの背にはドラゴンに似た白い翼が生えており、白い鱗が方周りと腰に少し見えている。
暖かそうなモフモフの狼毛皮の腰巻からは鱗に覆われた短い真っ白の尻尾も生えていた。
「竜人族の女!? 逃げてサーベラス!」
「逃がすわけないじゃない!」
「ワフン!?」
大声で叫ぶキャロル。
足に噛み付いたまま宙ぶらりんになっていたサーベラスがジルコーニャに捕まった。
真ん中の頭に鉄色の環をはめられたサーベラスが力なく地面に落ちていく。
助けに飛び出したキャロルは背後から抱きとめられる様にジルコーニャの両手に捕縛されてしまう。
「おーなかなか良い肉付きね~♪ さすが黒髪の貴族様」
「触らないで! サーベラスに何したの!」
「サーベラス!? 【一匹の犬の戦い】!!」
「わん……」
キャロルが目でサーベラスをお願いと合図を送ってきた。すぐに召喚でサーベラスをジルコーニャから遠ざける。
目がクルクル回ったかのように頭をフラフラさせるサーベラス。頭にはまった環は手で千切ろうにも硬くてピッタリくっ付いたかのようになっている。
「イヤッ! 氷柱縛鎖!」
「おぉっと!? 無詠唱精霊魔法なんてできるのね。ますます興味深いわ~♪」
「氷華絶景!」
キャロルの魔法が氷の鎖でできた柱を足元から無数に這やし自分ごとジルコーニャへと攻撃する。
ジルコーニャはキャロルのお尻や胸を弄っていたようで、頬を真っ赤にしてカンカンに怒ったキャロルが続けざまに無詠唱精霊魔法を使い吹き飛ばした。
「サーベラスに付けた環を外してや!」
「どうしようかな~♪」
「ん!!!? やっぱりお前がルナか?」
地面に下りたジルコーニャがもったいぶる様に少しづつうちに近づいてくる。おじちゃんもやっと狼バーションのうちに気が付いたようでこちらに歩いて来た。
「モフらせてくれたら解放するわよ?」
ペロリと唇を舐めて言うジルコーニャ。
うちは背筋に寒気を感じて思わずキャロルと反対方向に逃げる。キャロルには目でサーベラスをお願いやで、と合図を送っておく。
「あー、その、なんだ……ルナ、少し我慢してくれたら穏便に済むんだが……」
「嫌やで! そっちの人はカナタを見てニヤニヤするマオウさんと同じ雰囲気してるで!」
おじちゃんは少し考えて肩を落とした。
うちはニヤニヤしながら無言で追って来るジルコーニャを見て、尻尾の先から頭の先まで貫くような言い様の無い不安感に襲われる。
「ルナ! サーベラスを回収したら洋館に逃げ込むから。絶対に捕まらないで! 氷板!」
「分かったで! 後で合流やね!」
まんまとサーベラスの元に辿り着いたキャロルは、氷の板を作り出しサーベラスを乗せて滑り出した。
おじちゃんは溜息を吐いてその場に座り込み、ジルコーニャはこちらを追って来ているので安全やね。
「ばぁ」
「なん!? いつの間に!」
余所見していたらうちの隣にジルコーニャが居た。広げた翼を斜めに広げて地面スレスレを飛ぶ様に滑って来ていた。
うちの肩を掴むように伸ばされた右手、遠くに見えるキャロルとサーベラスの背中。
うちは最後の悪足掻きで地面を蹴ると飛び上がり空へと逃げようと……して捕まった。
「今何しようとしたのかな? お姉さんワクワクしちゃったけど、そろそろ旦那も怒るから逃がさないわよ?」
「うちは美味しくないで?」
ヨダレを垂らして抱き締めてくるジルコーニャから逃れようともがく。
予想以上に力が強くうちが暴れても押さえ込まれてしまう。
全力で暴れると逃げれるかもしれない、でも攻撃してくる様子は無いので、うちは少し様子を見る事にした。
この時の決断を、うちは数秒後に後悔する事になるとは思わなかった。
「はんっ、いや、ダメやで! そんなとこ触ったらメッやで! 止めてや!」
「良いでは無いか♪ 良いでは無いか~♪」
首筋を、お尻を、背中を、脇腹を、お腹を、縦横無尽になで回るジルコーニャ。
ゆっくり歩いてくるおじちゃんに助けを求める視線を送っても目をそらされた。
「すぐに満足するはず……諦めてくれ」
「師匠の裏切り者! あっん、ん!?」
「ほうほう、ここが良いのね♪ ほらほら~♪」
「あんっ、ひゃ!?」
尻尾の上辺りをジルコニアの手が通り過ぎる度に全身に痺れるような感覚が襲い掛かる。
力が抜けていき尻尾がだらりと垂れたままになる。
「ん~? そう言えばこの子の尻尾二本あるわね?」
「ん!? んっんん!?」
ジルコニアの手がうちの尻尾を握り締めて根元から先へと艶かしく動く。
うちの足がピンと伸びて頭の先まで突き抜けるような甘い感覚が連続して訪れる。
歯が痒い、何故か犬歯がむず痒くて堪らない。
「おい、ジルコーニャ。ルナの様子が変だぞ!?」
「あらら? やりすぎちゃったわね」
「違う! 離れろ!」
おじちゃんの声が遠ざかっていく。うちは白く染まる意識の中で目の前に浮かんだ美味しそうな物にカブリ付く事だけを考えた。歯が痒い。
「ふふふふ、やっとだ! やっと発動した! この時を待っていたんだ! 終焉の獣よ! 愛しき者を喰らい尽くせ!」
「この声は……」
「ジルコーニャ! 離れろ、マズイぞ!」
うちは伸びてくる犬歯を目の前の肉の塊に突き立てる為に大きく口を開く。
慌ててうちを放り投げるジルコーニャ。歯が疼く。
「終焉の獣の牙は特別な意味を持つ。どんな神話体系の神の加護だろうが貫く神殺しの牙さ!」
「どこかで聞いた事の有る声よね……」
ヨダレが止まらない、伸びた牙が痒い、ただただ噛み付きたい。
「ルナの目が異常だ! ジルコーニャ本気でマズイぞ!」
おじちゃんが後ずさっている、おじちゃんはまずそうやね。目の前のジルコーニャの方が美味しそう……?
うちが食べたいのは……カナタ?
「さぁ、我慢しなくても良いんだよ! さぁ! カナタの柔肌に牙を突き立てて貪るんだい!」
「あぁ! あの時の自称神? あんた、ちょっと短剣を借りるわね!」
「おぅ、切れるのか?」
ジルコーニャはおじちゃんの腰にある鞘から短剣を抜き放った。
ギラギラと光りを反射する銀色の短剣を構えて無造作に歩き寄るジルコーニャ。
うちがカナタの匂いを確かめるように嗅ぐと、街の中――洋館の方角から薄っすらと匂ってくるカナタの匂いを感じる。
「どうしたんだい! 早く目の前のカナタに牙を……?」
「おひさ?」
「お前は……はっ! カナタはどこだよ!?」
「さっきからギャアギャア五月蝿いガキだな? お前が俺の弟子にチョッカイかけてるやつか?」
「お前も……! 何で、出来損ないと出来過ぎの竜娘が一緒に居るんだい! ルナにかけた最後のトラップは発動したのになぜ!」
うちは自然とカナタの匂いに釣られて歩き出す。近寄ってきたジルコーニャが短剣を振りかぶっても気にせず、ただ愛しき人の元へと歩きだす。
「少し痛いかもしれないわ。我慢してね? 【神技:一の絶ち】」
ジルコーニャが何か言って短剣を振りぬいた。口の中で衝撃が走り何かが雪の上に二本落ちる音と水が流れる音が頭の中に響く。
「カナタが終焉の獣に手を出したが最後、神殺しの牙でその息の根を止める計画がぁぁぁ!!」
「あんた。この声はあんたの敵だよ!」
「あぁ、今思い出したぜ! 俺をこの世界に連れて来た糞神様の事をな! どこだ! 出て来いよ!」
頭が冴えてくると同時に襲ってくる痛み。目の前がチカチカと点滅して歯が折れたような痛みがする。
「あぁもう五月蝿い! お前がルナに手を出したのかい!」
「いや?」
「ただ軽く撫で回しただけよね?」
痛い、イタイイタイ。水の音は雪原を赤く染める自分の血の出る音。
うちの鼓動と共に体の中から大事なモノが零れていく感じがする。
「何て事を……最後の力を込めて用意したトラップが――!」
「何か知らんがご愁傷様だな! 笑いがとまんねぇぜ!」
「アナタに力を貰っておいてなんだけど、どうやら契約内容に嘘偽りがあるようね? お姉さんは降りさせてもらうわよ?」
「クソッ! 何から何まで! どうしてこうも上手くいかないんだい!」
歯が……無い。血が……止まらない。うちは……何してるん?
「もういい……次の手を打っておいて正解だったよ。カナタさえ消せばその世界は勝手に消えてくれる。あの憎き魔王さえ消えればボクが次へと進めるんだ……」
「何を言ってるんだ? それよりお前どこだよ! ぶん殴ってやるぜ!」
うちの中から何かが抜け出ていくのを感じた。嫌な感じだったのでうちはほっとして目を覚ます。
「もう居ないわね……気配すら残ってないわ」
「いひゃい……」
「おっ、ルナ大丈夫か!?」
おじちゃんが心配そうにこちらを見て頬を引きつらせる。
うちは足元にできた自分の血溜まりを見て呆然とする。
「いひゃい! いひゃい! いひゃい! いひゃい! いひゃい!」
「落ち着いて、死ぬような怪我じゃないわよ?」
うちは痛みでチカチカする視線で地面に落ちた自分の牙を見る。
歯の根元から綺麗に抉られた犬歯。大事な二本の牙が無造作に雪原に突き刺さっていた。
「アッーーーン! いひゃい! いひゃい! いひゃい! いひゃい! いひゃい!」
「ちょ、待って、暴れるんじゃない。落ち着こう、な? おじちゃんが良い薬持ってるから落ち着こうな」
牙が無くなって痛い気持ち、また操られて悔しい気持ち、カナタが居なくて寂しい気持ち。
うちの中で色々な感情が混ざり合って涙になった。
「あんた……街の方から何かヤバイモノが来るよ!?」
「るーーーなーーー!」
「さっきのルナのお友達が誰か連れて来たみたいだな……気のせいかめちゃ怒ってる気がするぜ?」
「あんた……ここは旦那が出る幕だよ――」
「え、ちょ、ま、ええぇ!?」
師匠が指差している方角からカナタとキャロルとサーベラスの匂いが近づいてくる。
「あんた……死ぬ前に一発やっとけば良かったと後悔しているわ――」
「おいおい……竜人族のシキタリを破ったらえらい事になるんじゃなかったのか?」
「この距離でも心臓に突き刺すような殺気を放ってくる相手よ? ……短い間だったわね――楽しかったわ」
「アーーー! イタイ痛いイタイ痛いイタイ痛いイタイ痛いイタイ」
うちは気絶する事もできない痛みで、近寄ってくる愛しい人の匂いで、ただ涙を流していた。




