第156話 平穏が訪れる
「「「リンご~ん♪ リンご~ん♪ 朝を告げる鐘の音だよ♪」」」
「うぇっはっ!?」
頭を内側から殴られているかのような衝撃で目を覚ました。周りには誰も居ないがここは洋館の寝室だ。
時刻は五時三〇分。
目の前には小さな鐘を両手に持った青い髪青い瞳の小さな天使達が飛んでいる。浮かぶ天使達を手で払いのけるが、実体が無いのか手が素通りするだけでその場から動く事は無かった。
「何だこれ! めっちゃ五月蝿い」
「「「りんゴーン♪ りんゴーン♪ 朝を告げる鐘の音だよ♪」」」
「頭が割れそうだYO!?」
再び小さな鐘を振りかぶって頭をどついてくる小さな天使を恨めし気に見つめると、夜の事を思い出す。
昨日は天空の城から戻って捕虜の二人を回収してオーキッドに世話を任せて……?
記憶が曖昧だ。眠気を我慢できずに目覚ましをセットしてベットに入ったところまでしか記憶が無い。
「そうか――目覚ましだコレ!」
眠る前に起動したスマホスキル【アラーム】を解除する。残念そうな顔で空気に溶けて消えていく天使達。
昨日の夜に気が付いた事だが、【アラーム】には警戒エリアを広げる以外に時間指定の目覚まし機能も付いていた。
「音量調整が四段階あるのを見て怪しいと思ったけど。音量三でこれならMAXはどうなるんだ……? ん? なんだこの毛……」
ベットの周りに散乱する漆黒の毛……何か忘れているような?
独り言を一通り言い終わると誰も居ない寝室から外に出る。
廊下には人の気配は無く、1Fから騒がしい話し声がここまで聞こえて来ていた。
廊下を抜けて階段を下り、すれ違うブラウニー達に道を開けて忍び足で食堂を目指す。
「結構賑やかだけど何かあったのかな? それにしても皆早起きだね~まだ一度目の鐘が鳴る三〇分前だと言うのに……」
昨日遅くまで起きていた他のクラン員すら全員起床している。
昨日一緒に眠ったルナでさえ……!
賑やかな話し声に混じって女の子の悲鳴が聞こえた!
「ルナは終焉の獣化したままだったはず――まさか!」
脳裏に最悪な状況が思い浮かび咄嗟に停止飛行で食堂まで全力疾走する。
食堂の扉を体当たりするように開けると、小さな女の子にのしかかる漆黒の狼の姿を見つけた。
「ルナ!?」
「ダメですっ! ルナせんぱい、もうありませんよ♪」
「わんわん~♪」
「どういう事だってばよ!?」
のしかかられた女の子は両手を頭の上に挙げて両手を広げている。顔は見た事が無い気がする。
女の子にのしかかったルナは嬉しそうに二本の尻尾を左右に振ると、女の子の手の平を舌で舐めていた。
突然のボクの登場で、食堂に言いようの無い静寂の海が訪れる。
「あ、あの人って……」
「俺朝起きてる姿を初めて見るかも……」
「眠りのカナタが朝起きてるなんて……」
「今日は良い事あるかも……」
「だ~め、カナタ様が見てる♪」
静寂の海とは打って変わり、潮が満ちてきたかのように騒がしさを取り戻す食堂。
あちらこちらから聞こえてくる眠りのカナタという言葉……ボクはいつの間にかどこぞの銘探偵になっていたらしい。
喧騒の中、ルナの下から這い出た女の子は、こちらに小さく会釈すると狩りの準備を終えたと思われる三人組みの子供達と食堂を出て行った。
残念そうにその姿を見送ったルナは足音を立てずにこちらへと忍び寄ってくる。
背後に回ったルナは、後ろから両足の間に体を突っ込んできた。
前に動くとそのままピッタリ付いてくるルナ。
「ルナ? 意識は戻ったの?」
「わん? わんわんうぉ~♪」
問いかけても首を傾げて嬉しそうに付いてくるルナ。どんだけ小刻みに動こうが走ろうがピッタリ両足の間から出て行こうとしない。足を踏みそうだと思ったがその心配はなさそうだ。逆にどんだけ踏もうとしても絶妙なタイミングで動くので、まるでルナに乗って移動しているかのような錯覚に陥る。
「遊んでないでこっちをどうにかして欲しいかな……」
食堂の隅にグッタリと力なく椅子に座るオーキッドが居た。向かい合う席には昨日捕虜にした疑惑の女冒険者二人組みの一人だ。
確か――【魂盗人】とか言う謎のスキルを使用した方だったはず?
目が爛々と輝いていて、何故かこちらを凝視してくるので少し怖い。
「あれ? もう一人は?」
「引き出せる情報は全て引き出したかな。……コレに書いてあるから後は任せるかな」
目の下にクマを作ったオーキッドは、小さな文字でびっしり何かが書かれた紙を十枚ほどボクに手渡すと食堂を出て行った。
残された女冒険者は、皮のベルトを縫い付けてボタンで留めただけのような雑な作りの首輪を付けている。
首輪から伸びだ鎖はどこに繋がれるわけでも無く、テーブルの上に無造作に放置されていた。
鋭く険しい表情を作った女冒険者は、椅子から立ち上がると床に正座しこちらに頭を下げてくる。
「私は貴女の奴隷です。戦闘時の肉壁からトイレの後始末、ストレス発散のサンドバックに性欲の処理、いつでも何にでもナニにでもこの身をお使いくださいませ」
「変態だ!? オーキッドー!! 何したの!? どうしてこんな事になった!」
大声で叫んでもオーキッドは戻ってこなかった。回りを見回すと我先にと冒険に旅立つ子供達。
手渡された紙の束にはこの女冒険者の事が事細かく書かれていた。任務の内容から個人の年齢・趣味趣向、果ては好きな食べ物や好みのタイプ……性癖まで書かれてある。
「全部勝手に話し始めたんだよ? オーキッドが全部纏めてくれたから、後でお礼言っておいてね」
「メアリーおはよう。オーキッド頑張ったのか……」
「昨日は……ごめんなさい」
「ん? 何の事?」
迷うように目線を合わせずに手をニギニギしているメアリーを抱き締めて頭を撫でる。
メアリーは抱き締めた瞬間背中がピクリと反応して強張ったが、すぐに力を抜いて頭を撫でるがままにされていた。
「私とレイチェルがマリアに大量生産を頼んでた回復Pをミネルヴァに売らなかったら……もっと簡単に方が付いていたかもしれないんだよ?」
「まぁ、後から言ってもしょうがないし。お得意様なんだよね? 仲直りもできそうだし問題無いんじゃ?」
「ありがと――」
俯いて一言ありがと、と言ったメアリーは尻尾をフリフリしながら食堂から出て行った。
食堂に残されたのは正座して頭を下げたままの女冒険者とボクとルナの三人だけだ。
あれほど騒がしかった食堂がまた静寂の海に逆戻りだ。
「ちょっとトイレに……」
「お手伝いします! 前の方ですか? 後ろの方ですか!?」
「いや、遠慮しときます――そうだ! 冒険者ギルドに行かないと……」
「お供します!」
かしずく様にして首輪の鎖を手渡してくる女冒険者。両足の間をクルクル8の字に回るルナ……何がどうなっているのか?
紙の束に目を通して行く事にする。
「えっと、ドロシーさん? ペルシアン大陸からの使者って事であってます?」
「はい、よろしければドリーとお呼びください。親しい友人はそう呼びます」
「ドリー? 羊みたいな名前だね」
「山羊ですか……? あんな恐ろしいモノに似て……?」
「気のせいだったみたい! 気にしないで」
目を輝かせてこちらを見上げてくるドロシーを立たせると椅子に座らせた。
「相方の人は?」
「任務失敗の報告に戻りました」
「ん? 逃げたの?」
「いえ? あの方は定期報告を入れないと妹の身に不幸がおとずれると、上から言われておりましたので……先ほどの獣人の方が解放してくれました」
「それ完全に脅しだよね? 人質取られて他国にスパイ――間者に出されるとか、何か悪い事したの?」
どうやらもう一人の方はメアリーが逃がしたようだ。紙の束にはペルシアン大陸からの使者と書かれているが、やっている事はコソコソスパイ活動。何か悪い事でもして左遷された口なのだろうか?
「私には仕えるべき主も、養うべき家族も、居ません。この度の戦いを平和的に終わらせる為の使者だと聞かされていましたので」
「ふむふむ、その平和的な戦争の終結の為に有力クランや冒険者の情報を集めていたと?」
「そしてヨサゲな人が居ればコレを使って良いと……あっ、壊れていましたね」
ドロシーの掲げた腕にはもう【魂盗人】と呼ばれた銀色の腕輪は無い。
オーキッドがまとめた内容によると、あの腕輪はMPを吸収するマジックアイテムで、吸収分に足り無いMPはHPから無理やり奪い取るらしい。過去に使われた者は干物のように干乾びて即死したとか。
「首が千切れても即死しない冒険者を殺すとは……そのマジックアイテム危険過ぎじゃない?」
「とある聖遺物のレプリカらしいです。使用制限が幾つも有り同期しているので同時に一つしか起動できないと聞かせられました。ここで一つ壊れたので残りのレプリカも今頃使用不可能になっていると思います」
「聖遺物か……レプリカでコレなら、オリジナルはボクでも吸い殺されるんじゃ……見つけ次第封印しよう、そうしよう」
「ワン! ワンワン~!」
真面目な話をしていると、足元でお座りしていたルナがシビレを切らして吠え始める。
両後ろ足で器用に立つと背後から抱きついてくるルナ。
上目遣いにこちらの様子を見ているドロシー。
「もう悪い事しないなら帰って良いよ。これだけ情報貰えばギルドに提出する分にも事足りるし、奴隷にするとか生に合わないから。あ、そうだ――うちの子達に手を出したら、そっちの王城ぶっ飛ばすって言っといてくれると嬉しいかな?」
どうやら今回の騒動とは関係なさそうだ。こちらに明確な被害は出ていないのでお帰り願おう。マジックアイテム壊したけど正当防衛の不可抗力だと思う。
「たまらないんです……」
「はぁ?」
頬を染めて両手をお腹の下辺りで握ってモジモジし始めるドロシー。背後のルナが首筋をベロベロ舐めてくる。
「貴女の魔力が体を突き抜ける感覚が――もう、一生付いていくのでもう一度!」
「やっぱり変態だ!?」
「ワン!」
「アウチ」
飛び掛ってきたドロシーの額にルナの右ストレートが炸裂した。分厚い肉球でプニプニぽよんだ。
床に尻餅を付いて額を触っているドロシー。羨ましいとかじゃない、ちょっと触らして欲しいけど取り合えずここは逃げよう。
「これだけの大所帯だから、別に帰りたくないなら住んでも良いけど悪い事しちゃダメだよ? 多分普通に戦うと皆の方が強いからね。あとブラウニーに逆らったら酷い目を見るからね……じゃ! 今日も一日冒険頑張るゾーイ!」
額を左手で触ってモジモジしているドロシーを放置して玄関へと急ぐ。
朝ご飯を食べていないが、ブラウニーが厨房に居なかったので出してもらえない気がしたから我慢だ。後で露天で何か買おう。
凄まじいスピードで足の間を8の字に回るルナの毛がワサワサして変な感じがする。
「早いけど冒険者ギルドに行こうかな~」
「アンタ、久しぶりに顔見るねぇ。これ食ってきな!」
「あれあれ、こんな朝早くからどうしたんだい。これ持ってきな!」
「カナタ、朝から顔を見るなんて珍しい日もあるんだねぇ。これでも食べな」
「よう、飯食ってるか? こっちは大繁盛してるぜ! チェックの旦那にコレを安く卸して貰えて助かってるぜ! 一本食ってけよ」
「おぉう、皆ありがとう……量が凄いね!」
中央広場の露天街へと向う途中、知り合いや焼き鳥やのおっちゃんから両手一杯の食べ物を貰ってしまった。
露天で買う必要が無くなったので食べながら冒険者ギルドへと向う事にする。
「ワンワン~ワン!」
「ん? ルナも食べる? そっち行きたいの?」
何故かルナが服の端を噛んで引っ張ってきた。
素直にそちらに足を向けると先行して歩き始めるルナ。このまま行くとリトルエデン燻製工場に辿り着くはずだ。
「ワ~ンワン!」
今日ももう創業が始まっているのか、煙突となった鐘突き塔の部分から煙がモクモクと出ていた。
「ワン!?」
何故か煙を見ると焦り気味に走っていくルナ。意思が戻った?
追いかけていくとすぐに追いつく事ができた。
ルナは燻す肉の準備をする部屋の前で、中を覗きこんで固まっている。
「師匠があの様子なら、うちらでここを乗っ取とれるな! 明日からは林檎の園印のラビッツ燻製が市場を塗り替えるんだな!」
「どうなっても知らないから……」
「……傷は、大丈夫なのか?」
「指を数本切られただけだから……男の人は怖いけど」
「あれだな。ルナに娶って貰えば良いんだな!」
「えっ、ルナとは……そんな中じゃないですよ」
「もっと打ち解けても良いな。ほら笑って欲しいな!」
「励ましてくれるの……ありがと」
兎耳の獣人ファイとフェリが仕事後の雑談をしていた。いつも暴走気味の姉妹の姉――ファイは、ああ見えて面倒見が良いらしい。
指はミネルヴァに切られたにしてもあの変態の怪しい宝物庫に捕まっていたのだ。寂しい思いをしたのだろう。フォローを入れてくれたファイには後でお礼を言っておかないといけない。
入り口から中を覗いていたルナが唐突にファイに向って歩いて行った。
「ワン~ワン~♪」
「おはよう、二人とも元気?」
「おはようございます」
「おはよ……あれ? なんでうちだけひっぱっていくんだ?」
「……さぁ、気に入られてるんじゃない?」
「ワン~♪」
ルナはファイの服の端を咥えて、調味料などの材料を保管している地下倉庫の階段を下りて行った。
気のせいかルナの意識が戻っているような?
「体は……大丈夫みたいだね。その――ミネルヴァはボクと戦うためにフェリを攫ったみたいだし、ごめんなさい」
「えっ!? カナタ様は何も悪くないです!」
「ん、様とかいらないよ? フェリは大事な家族だと思ってるし。その、ね……もしもの時の為に、眷属化受けてくれない? ルナの方でも良いし。どこに居るかお互いに分かるし便利なスマホも渡せるから」
「カナタさん……私、ルナの眷属化を受けようと思います。それと……ラーズグリーズの町に戻りたいです。私に冒険者は向いてないと分かったので、マリアンさんの宿を手伝っている時が一番楽しいんだって思えたんです」
目を伏せて握った拳を振るわせたフェリは、叱られるんじゃないかと怯える子供の様に見えた。今にも泣きそうなフェリを優しく抱き締めて背中を撫でる。
「分かった。大丈夫だよ。フェリの好きな事をすれば良い。戻る時はアヤカに頼んでミミアインの輸送を使うから一瞬だし、今は護衛も付いてるようだしね?」
「えっ?」
ボクが指差した先にははめ殺しの大きな窓があった。フェリは気付いていなかったようだが、そとから中の様子を窺う気配が多数ある。
「甘いモノがあるよ~♪ 入っておいで」
「「「「!?」」」」
カナタ芋スイートポテトを人数分だけ取り出すと、風向きを操り甘いニオイを外に届かせる。
すぐにヨダレを垂らした子供達が無言で部屋に入ってきた。
「ルナの命令?」
「違う、全員、自分の意思」
「貴族語上手くなったね」
フェリが半泣きで入ってきた子供達を抱き締めた。スキルの効果が効いているので普通の言葉に聞こえたが今のは日本語らしい。冒険者になるのなら貴族語は覚えておいて損は無いと、皆でお勉強会も開いているようだ。
抱き締められた子供達は、嬉しそうに、恥ずかしそうに微笑むと鋭い視線をお菓子に向けてくる。
「ちゃんと上げるから大丈夫だよ?」
「ぷっ、あははっ、食い意地は良い事ですよ」
冒険者ギルドへの呼び出しは三度目の鐘がなった時だ。昼間ではのんびり過ごしても罰はあたらないよね。
新たに取り出したお菓子を綺麗に片付けたテーブルの上に並べると、フェリが入れてきたお茶を飲みながらのお茶会になった。
暫くして地下室から出てきたルナとファイは入る前と少し様子が違っていた。
「ひっく、うちは、師匠の足元にも及びません。ひっく、うちらは余計な事を考えずに、日々燻製作りに精を出します」
「ワン!」
頬を紅葉させ半泣きなファイは、全身ヨダレまみれで衣類が乱れていた。
何故かドヤッ顔なルナは満足気に鳴くと、テーブルからカナタミルクの瓶を取り、器用に両前足で掴んでラッパ飲みし始める。
「……ルナ――意識戻ってるでしょ?」
「ふごっ!?」
ルナが盛大に噴出したカナタミルクが、部屋の中に居た者を等しく白く染めていく。
回れ右をして部屋を出て行こうとするルナの尻尾を掴む。
「わん? きゅ~ん」
首を傾げて可愛く鳴くルナ。
「そう、元に戻ってないのか……もう狩りには連れて行けないね――」
「――ち、違うんやで! 姿が元に戻らないんやで! 騙してたわけじゃないんやで!」
どうやら本当に意識は戻っていたみたいだ。必死に言い分けするルナを見て笑いを堪える。
狼フォームで土下座するルナを前でも、お菓子を食べる皆の手の速度は緩まなかった。
 




