第155話 獣の本能
半壊している城の庭でルナの叫び声を聞いた。
喉が潰れたようなガラガラ声で月に向って吠えるルナ。
ミネルヴァとアテナには下がっていて貰おう。
「ルナ? 大丈夫?」
「グゥウゥゥゥ」
地面にうずくまったルナの全身から真っ黒な体毛が伸び始めている。
猫耳が倍以上の長さに伸び、狼尻尾も太くしなやかに伸びていく。
近づこうとしたサーベラスにルナは右手を向けて静止させる。
まだ意識はしっかりしているようで、何かに耐えるように体を抱き締めて動きを止めるルナ。
「自称神! ルナに何をした!」
「聞かれて答える馬鹿が居ると思うかい? でも、今はすごく気分が良いんだ、教えてあげよう。その代わり、その悲痛な叫びをもっと聞かせてくれないか?」
「糞野郎……」
「ふふふっ、はっはっはっ。今どんな気持ちだい? 散々煽ってた相手に弱みを握られる気持ちは?」
自称神は相当腹が立っていたらしく煽りには煽りを、と言う事なのだろう。心なしか声が弾んでいる。
話している間にもルナの体毛はどんどん伸びていき、サーベラスに近い狼の姿へと変異していっている。
「運命的な出会い、偶然の産物、芽生える主従愛。全部ニセモノだとしたらどうだい?」
「なにを言っている……?」
耳から入ってきた言葉を頭が理解しようとしない。一瞬で脳裏に浮かんだ考えを振るい払い、自分をどう納得させるか考える。ルナが敵のはずが無い。
「終焉の獣の眷属を見つけるのは苦労したんだよ? わざわざ猫獣人を操ってね?」
「どういう事……?」
「現代っ子の癖に察しが悪いね……巷に溢れていただろう? ゲームやアニメや漫画なんかで」
「生憎田舎だったものでね」
話を聞いているふりをして愛姉にメールを送る、左手に呼び出したスマホ画面には送信できませんでしたの文字が映った。
「残念でした。ここにはボクの張った乖離結界が張ってある。アイツは入って来れないよ?」
自称神が指差す方向の空にはガラスにへばりついた様になっている愛姉がいる。
大きく体を動かし何かを言っている? 口の動きから察するに……に、げ、て?
「話を戻そうか? 実際初めはボクでもどうかと思ったんだよ。わざわざアイツの手に乗って転がる振りをするのは。そして使いもしない可能性の方が多いはずの手に、一つの種を丸ごと使うのは。まぁ、こっちの世界の事などどうでも良いんだけどね? ハッハッハッ」
軽快な笑い声が神経を逆なでする。自称神が言う事を頭の中で整理すると――。
「集落の中でわざと孤立するように仕向け、欲深き冒険者に集落の場所を教え、沢山の生贄を捧げてその瞳の色を朱に変え、ギリギリ死なないように飢え凍えさせるのはなかなか骨だったよ?」
「あなたがルナの故郷を!」
揺らぐ空間へと駆け出そうとしたキャロラインの手を掴んで止める。何か言いたげに振り返ったキャロラインは、ボクの顔を見るとその場に尻餅を付いて目を伏せた。
「お前、今言った事をルナにやったの?」
「良いね、良い! その表情が見たかったんだよ。怒りに身を任せて何でもやる人間の顔さ! 本来温厚な種族だったフェンリル達を血で血を洗う戦いに赴かせたのもボク! そして――そこのフェンリルの子供に封印を施したのもボクさ! 目覚めよ、そして皆殺しだ!」
「全員上空に退避! ルナはボクが抑えるから乖離結界を壊して!」
「るなぁぁぁー!」
尻餅を付いたままだったキャロラインを、サーベラスが咥えて上空に放り投げた。すぐさまキャロラインをキャッチするメアリー……いつの間にか姿を消していたメアリーが戻って来ている。
メアリーは非常にばつが悪そうな顔でルナを見ていた。
「ワンワンウォー!」
キャロラインを放り投げたサーベラスは、ボクの隣に並ぶとルナに一吠えして体勢を低く構えた。
尻尾でボクの背中をポンポンと叩いてルナの動きに注目するサーベラス。
「最悪スマホに収納する。サーベラスもなるべく怪我させない様に」
「ワン!」
変異を終えたのか、静かに体を起こすルナ。闇夜より深き漆黒の体毛、四本足で立ち、こちらに朱色の眼を向けるルナはまさに終焉の獣だった。
狼の姿になったルナは長い山猫耳をピクピク動かせ、剥きだしの牙の間から長い舌を出してペロリと顔を舐めた。
「ガァァオォォォーン」
ルナの遠吠えに空気が振るえ肌がビリビリしてくる。
「さぁ、本能のままに貪り狂え!」
自称神の言葉に反応して一歩前に出たルナは、大きく飛び上がるとボク達の2mほど前で突如真横に倒れた。
不自然なほど綺麗に横になったルナは右に左に体を捻りながら尻尾を振っている?
「ん?」
「何をしているんだい?」
戸惑い声で自称神が誰にとも無く問うが、答えれる者は居なかった。おもむろに近寄っていくサーベラス。
「ワンワンヲォー?」
「キュン! キュン!」
サーベラスが首を傾げながら吠えると、ルナは鼻から抜けるような声で小さく吠える。
両前足を丸く曲げたルナは舌を出してハァハァしながらサーベラスの足元に転がっていった。
前足でルナのお腹をなで始めるサーベラス。身を捩りながらもサーベラスの足にしがみ付いて嬉しそうに尻尾を振るルナ。
いったい何が起こったのか分からず固まる皆。
本能のままに暴れまわると思っていたので、怪我をさせないように捕まえるのにはどうすれば良いかと本気で考えていた。どうやらその必要はなさそうだ。
「本能のままね……最近忙しくて遊んでなかったし、ルナもまだまだ子供って事ね」
メアリーはそう呟くとサーベラスの側に下りていき寝転がるルナに抱き付いた。遅れて飛びつくキャロライン。
ルナはキャロラインの膝に頭を乗せると気持ち良さそうに寝息を立て始める。
まだ皆子供だ、本来この時間は全員眠っている。終焉の獣としての本能は、あっさり遊びたい欲求と睡眠欲に負けてしまったようだ。
「ボクを馬鹿にしてぇっ! 覚えてろよ!」
泣きそうなほど震えた声で自称神は捨て台詞を吐くと消えて行った。
どこに居たのかも分からなかったが、乖離結界が解かれたのでもう居ないだろう。
上目遣いでチラチラとボクを見ながら近寄ってくる愛姉。はっきり言って愛姉は今回何もしていない気がする。
「えへっ」
「えへっ、じゃないよ! 愛姉なにやってたの?」
「面目次第も無いよ……でも! これでアイツが関わっている事がはっきりしたし、こちらからも動けるって物だよ!」
「GOハウス!」
「待って! 私にはカナタを守る大事な大事な任務があるんだよ!」
「任務なんだ? そう、任務なら別に他の人でも良いんだよ? アウラ連れて来て。丁度縄や紐の原料が欲しかった所だし、愛姉大事な時に居ない事多いしね」
「ち、ちがっ。言葉のあやと言うか、カナタを大事に思ってるから!」
身振り手振りでどれだけ大事かを表現しようとしている愛姉。その様子を見ていた他のクラン員達から失笑が零れる。
「そろそろマオウさん弄るのも良いよね? ここに居てももう何も無いみたいだし戻って眠ろ……もう眠いよ」
「そうだね……明日は朝から冒険者ギルドに呼ばれてるし、流石にもう眠い……げっ、十二時超えてるよ」
メアリーの提案に頷く皆、放置されていたミネルヴァとアテナは意味が分からずにぽけっとしている。
「ふぁぁん……何事ですの?」
「何て微妙なタイミングで目を覚ますんだ……」
ソフィアとレッティが乗る馬にはマーガレットとロッティが一緒に乗っている。
目を覚ましたマーガレットはスルリと地面に降り立つと、ミネルヴァ&アテナを見て何故か大きく頷いた。
「貴女はその主と一生共に過ごす気ですの?」
「??? はい」
マーガレットは二人の側に歩いていくと、ミネルヴァを背に隠す様にして立つアテナの全身を舐めるように見つめるとそのお腹に手を置いた。
首を傾げる二人をそのままに目を閉じて集中するマーガレット。
「らめぇー! そんな所に入らない! むにゃ……」
「ロッティって寝言がエロイね」
「です……ずっとこうなんで困りますね」
ロッティを後ろから抱き締めて馬に乗っているレッティは、溜息一つ吐いてロッティのお腹を撫でる。
そうしている間にもマーガレットは何かやり終えたのか踵を返して戻ってきた。
残されたの二人は固まって動かない。顔面まっかっかで爆発するんじゃないかと言う程顔を赤く染めたアテナと、完全に薬が抜けたのか反動で体をだるそうにしているミネルヴァ。
「ここどこですの? まぁ良いですの。戻りますわ」
「えっと、色々聞かなくて良いの? 何故眠っていたのか、とかここはどこなのかとか?」
「? 寝不足はお肌と胎教に悪いと思いますの。また明日お願いしますわ」
首に手を回して抱きついてくるマーガレットを抱っこする。一瞬お腹に大丈夫なのかと心配するも背負うよりは良いだろうと思いそのまま歩く事にした。
「あぁ! 忘れてた……というか、ぼぼぼぼぼぼ、ボクの子供? まじ、りあり?」
最高の笑みで微笑むマーガレット。一瞬愛姉の顔色を窺うが普通で逆に怖い。
視線に気が付いたのか愛姉が近寄ってきた。
「どうかした?」
「え、っとその……ボクの子供が二人いるらしいんだけど。なんと言うか、ごめん?」
「え? 何で謝られたのか分からないんだけど……あぁ! 子供ね可愛い子が生まれてくると思うよ? なんたってカナタの子供だからね!」
そう言ってマーガレットのお腹を撫でる愛姉。予想以上に普通な対応に拍子抜けする。
何故か、どうして、ボクの事は本気じゃない? 愛姉の気持ちが分からず少し不安になった。
「あっ、そう言う事。私はカナタが誰かを孕ませようとかまわないよ? 近づく男は皆殺しにするけどね♪」
「え、笑顔で皆殺しとか怖いんですけど。……本当に良いの?」
時が来ればルナやメアリーや他のクラン員達とも色々する事になるだろうし、待って貰った責任は取るつもりだ。愛姉は自分が好きな人が他の女と色々するのに抵抗が無いのだろうか?
「カナタの言いたい事を当てて見せようかな? どうして愛姉はボクを好きになったの? でしょ!」
「え、違うけど――」
「な、なんだって!?」
おどけた感じで両手を上げる愛姉。
今愛姉はボクの緊張を解そうとしているのか。
肩の力を抜いて前を向いて歩く。腕の中のマーガレットはまた眠ってしまった。
隣に並んで歩く愛姉がボクの頭を撫でてくれた。
「その考えは、五十年も生きれるかどうかの人間の考えだね。私は――カナタがこの地に来るまで長い月日を待った。その間、そばで支えてくれる子もいたし引っ張ってくれる子も居た。皆大事な嫁だよ? カナタは嫁に嫁が居たら嫌?」
「難しい質問だね……」
愛姉の城で過ごした短い時間に何人もの愛姉の嫁を見てきた。
全員良い人だし愛姉の横で眠る嫁達を想像しても嫌ではない。
皆、愛姉を支えて来てくれた大切な人達だ。
「ぶっちゃけ、多分カナタは元が男の子だからハーレムとかOKじゃないかな? って思ってたんだよね!」
「良い話だったのに台無しだよ!」
鼻の下が伸びきっただらしない笑みで笑う愛姉の手を、頭を振って跳ねのける。
くだらない話をしながら天空の城の縁まで歩いて来た。
後は洋館に戻って眠るだけだというところで不意にソフィアが口を開いた。
「あの……」
「どうかした?」
「今日声だけ聞こえたアイツが敵なんですよね?」
「そうだね。アイツをどうにかしないといつ何時また襲ってくるか――」
「――良かった」
空飛ぶ馬にのる皆から安堵の吐息が聞こえてきた。
「今回はカナタを立てる為に手出ししませんでしたけど、次は皆黙っていませんからね」
「は、はい」
ソフィアの気迫に思わず生返事で返してしまった。
明日は色々と忙しい日になりそうだ。
サーベラスの背に乗って眠っている獣化ルナの事も何とかしないといけない。
それに捕まえてあるどこかの諜報員の尋問も……。
「あぁぁっ! 色々忘れてた!」
適当に拘束して置いた諜報員はギルドに置き去りになっているはずだ。
酷い拷問とかされてないと良いけど……一応顔を出しておこう。
夜空に浮かぶ二つの月を見ながら明日の予定を組み立てていく。
一瞬首を傾げそうになるが、よく見るとサイズの違う三つの月がそれぞれ別々に動いているようで、一番小さな月が中ぐらいの月と重なっていた。
「はぁ……のんびりしたい」
心の底から思う本音がつい口から零れ出た。全てが片付いた暁には皆でダンジョンキャンプに行こう。




