第143話 自由な人達
一度通った道を引き返すだけなので、帰り道は余所見をせずに走ることにした。
真っ直ぐ来た道を戻る途中、何故かオーキッドが脇道に入り込もうとしたので腕を取って来た道に戻る。
「いま、どこに行こうとしたの? こっちであってるよね?」
「……嫌な予感がしたかな」
「ふむ……」
いまサラッと自分だけ助かろうとしたのは指摘しない。オーキッドは元より本能に忠実なだけだ。
扉の前まで戻ってくると、あえて扉を使わずに壁伝いに洋館の外門の前へと回り込む。
オーキッドもボクも気配を可能な限り消し、門から中をそっと覗き込んだ。
「あの高級そうな馬車は……!」
「ガーベラも居るかな」
洋館の入り口には一度乗ったことのある馬車が見えた。
馬車を引く金色の巨大な狼は鼻をスンスンと動かして一瞬こちらをチラ見してきたが、特に騒ぐ事もせず大人しく地面に伏せている。
黒鉄杉材で作られた堅牢な馬車の出入り口にはガーベラが立っていた。
「そうか、あの時また後でって言ったのは洋館に来てたからなのか」
「あたい、逃げたいかな」
「何で逃げるのよ?」
腕を放すと今にも逃げ出しそうなオーキッド。
理由を聞こうと振り返るとミネルヴァが居た。
ミネルヴァは前見たドレス姿と違って、天使御用達の服を着て小さな背嚢を背負っている。
「また来ちゃった♪」
「……何でここに? いつも一緒のアテナは?」
「撒いてきたわ!」
「カナタ、馬車から人が出てくるかな」
今頃ミネルヴァを探して王都を駆けずり回っているであろうアテナに同情する。
オーキッドが馬車を指差しながら言った。
馬車から出てきたのは間違いなくクリスだ、機嫌が悪いのか出てくるとガーベラの頬に平手打ちをする。
嬉しそうに頬を擦るガーベラを見て溜息を付くクリス。
「うぁ……」
「何やったの? あんなに怒ってるクリスティナ初めて見るわよ……」
「ん……城からお散歩しに出て、そのまま戻るの忘れてた?」
「あたいは関係無いからそろそろ別行動かな? これで色々鋼材を揃えるかな!」
ただ逃げたいだけでは無いと言いたげな顔のオーキッドは、今朝渡した半金貨を掲げてウインクした。
「まずいわね……クリスティナに見つかると、間違いなくアテナに居場所がばれる。――用事を思い出したから帰るわ!」
そそくさと去って行くオーキッドを追うようにミネルヴァも姿を消してしまった。
「何しに来たのかな?」
「ウォオオオン」
「ん? 狼の鳴き声?」
聞き覚えの無い鳴き声に思わず門から顔を出して中を覗いてしまう。
金色の巨大な狼がこちらを見ながら吠えていた。慌てて隠れようにも振り向いたクリスと目が合ってしまう。
クリスに撫でられて嬉しそうに喉をならしている金色の狼。
「やぁ、クリス。元気にしてた?」
「帰るわよ?」
両手を広げて微笑むクリスを見ていると、何故か背筋がビクンビクンする。
「あ、カナタ! これ、メイトって人から初回の売り上げだって――何売ったらこんなに儲かるの? ルナが負けてられないって張り切ってたよ?」
洋館から飛び出てきたメアリーは、両手で皮袋を抱えている。
クリスの横を素通りして近寄ってくると、大きな皮袋の中身を見せてくれた。
銀貨や半銀貨が大半だが金貨も混じっていることを考えるとかなりの量が売れたのだろう。
「凄い量だね、後で冒険者ギルドに預けに行こうかな――」
「――こっちでクランの資産として運用するね♪」
「あれ?」
「ん? カナタはこれが必要なほど、前渡したお金使ってないよね?」
それはボクが売った物で得たお金だから、とは笑顔のメアリーに言えなかった。
毎日洋館でゴロゴロしていても、小言一つ言わない皆に意見することなどできない。
ちなみに、前貰ったお金とはオーキッドに渡した半金貨を含む愚者の王墓での報酬分だ。
「多分今夜荒れるマーガレットには私から言っておくから。クリスティナ様よろしくお願いします」
「今夜荒れる?」
メアリーが丁寧にお辞儀すると、クリスが背後から抱き締めてくる。
「メアリー、今更様付けしなくても良いわよ?」
「でも……私は平民だし、その――まだ子供だし」
「同じカナタの嫁じゃない」
「はい!」
いつの間に仲良くなったのか、ボクを抱き締めるクリスに抱き付くメアリー。
尻尾フリフリのメアリーは名残惜しそうに離れると洋館へと入って行った。
「ガーベラ、馬車をお願い。私はカナタと一緒に先に帰るわ」
「し、しかし「ガーベラ!」……はい」
これ以上は無いとでも言いたげに強めの言葉を投げかけるクリス。
後ろを振り返りながらガーベラの乗った馬車を引いていく金色の狼。
「馬車で帰るんじゃないの?」
「今朝洋館に訪れてから、メアリーちゃんとは色々為になるお話しをしたわ」
「ふむふむ?」
今朝訪れたということは、どこかでニアミスしてた? それともボクが眠ってただけで洋館の中に居た?
「すまほ、とか言う便利な魔道具の事もね?」
「うぐっ!?」
クリスの腕に力が込められる。逃げられないようにガッチリ掴まれているような気がするのは、気のせいじゃないようだ。
「その……スキルのランクが足り無いと数が出せないって言うか――」
「その事もメアリーちゃんが丁寧に説明してくれたわよ? 今王都にある魔水晶や欠片を全部集めさせているわ」
メアリーのさり気無いフォローに助けられた。クリスに渡す分の子機を用意しないといけない。
「取り合えず、戻るわよ?」
「了解?」
抱きついたまま離れないクリス。何かを待っているように背中にくっ付いたままだ。
「ん?」
「飛んで帰るのよ? メアリーちゃんから色々聞いたんだから」
「おぉう、了解~」
念の為にラビイチの毛を編んで作った縄でクリスを背中に固定する。
停止飛行で飛び上がると人目に付かない高度まで急上昇して一度停止する。そこから更に上昇して上空1900mほどの高さへと飛び上がった。
背中に括り付けたクリスの反応が無い。結界で外と内を完全に遮断しているので温度や気圧や体にかかる加速による負担など一切無いはずなのに。
「クリス、大丈夫?」
「何よこれ……楽しいじゃない! カナタ、止まってないで飛びなさい!」
「ちょ、暴れないで」
腰にガッチリしがみ付いたまま左右に揺れるクリス。
風に乗って飛んでいる分けでは無いので多少の揺れは関係無いが、縄がほどけて落ちると大怪我じゃすまない。
「これ、風を感じないんだけど、どうなってるのよ!」
「結界で覆ってるからね~」
「結界は要らないわね」
「え、結構寒いと思うよ? 一瞬で上がったけど、ここ上空1900mくらいあるよ?」
「良いの! 風を感じたいの!」
背中で暴れ始めるクリス。
ボクの背中にフニャンフニャンと心地の良い感触が伝わって来て、考えがまとまらずいっぱいおっぱいだ。
言われるままに結界を解くと、一瞬で体の芯まで凍りつきそうな冷たい風を全身に浴びる。
「無理、苦しい……さむい――結界! 早く結界を出しなさい!」
「自分で言ったのに……【治療B】これでもう大丈夫だよね?」
「……ありがとカナタ」
予想していたのですぐに結界を張りなおしたが、クリスの顔色が一瞬で青白くなる。慌てて治療スキルをかけるとすぐに元通りになった。
背中に抱きついて嬉しそうに微笑んでいるクリスを肩越しに眺めながら、軽く周囲を飛んで回る。
「あー天空の城があんな所に! あれって勝手に入っても怒られない?」
「ダメ! 絶対にダメ!」
「え? クリス、なんでそんなに怒るの?」
「あの城は絶対ダメなの!」
微笑んでいたはずのクリスは牙や角でも生えてきそうなほど怒り始めた。
ボクはクリスの突然の豹変に戸惑いを隠せなかった。
無言になり空を漂うこと数分。意を決したクリスが背中にのの字を書き始める。
「一番上の姉があの城に幽閉――住んでるの」
すぐに言いなおしたがクリスは幽閉と言った。
言葉の意味を考えると、あの逃げ場の無い城に押し込めて外に出れないようにする必要がある姉が居る?
何とも物騒な姉だ、係わり合いにならないようにしよう。
「ふむ、大丈夫! ボクはちょっと見てみたかっただけだから行かないよ? ここからでも見れるしね」
「あの黒い雲を見に行きましょう!」
これ以上話す事は無いとでも言いたげなクリスは、王都から少し離れた場所に浮かぶ真っ黒な雲の集合体を指さす。
風に流されるわけでもなく、その場に留まり続ける黒い雲。太陽の光りを吸い取っているかのように雲の下には濃い影が広がっていた。どう見ても普通の雲じゃない、稲光が無いのが不思議なくらいの雷雲だ。
「危なそうだよ、止めない?」
「ダメ、行くの!」
よほど空を飛ぶのが楽しいのか息を荒げて興奮気味のクリス。
躊躇していると天使御用達の服の両脇から手が突っ込まれる事態になってしまった。
「右を揉んだら右へ、左を揉んだら左に行って!」
「あ、ん。……上昇と下降は?」
「両方揉んだら上、下は……摘むわね♪」
「お手柔らかに……」
繊細なタッチで胸に触れてくるクリスの指示通りに空を飛びまわる。
停止飛行で出せない速度に達したので、風系統の魔法で結界を外から押しながら。
途中から一言も喋らなくなったクリスと一緒に黒い雲の集合体へと遠回りしながら近寄って行った。
「何があっても……絶対に一緒に居てね」
「うん?」
「視線、どこから? カナタ!」
背中に顔を埋めて呟いたクリスの言葉に返事をする前に、突如空に異変が起こった。
黒い雲の集合体が動き始めている、上に上に横に横にと広がっていく雷雲。
クリスが指差す方向にはただの黒い雲しかない。
「様子がおかしいけど、ただの雲じゃないってこと?」
「あ……あぁ。め――目が!」
背中にガッチリと抱き付くクリスは何かを見つけたようだ。
目を凝らして良く雲を見てみると僅かに光る丸い物体が一対浮かんでいるのが見えた。
「ラビッツの目……にしては大き過ぎるし、ここは上空2000mだってばよ!」
「稲光が! カナタ離れましょう」
黒い雲をかき分けるようにして顔を覗かせたのは耳が異常なほど大きいラビッツだった。
赤黒いその瞳には怒りの色が混じり、伸ばされた手足には稲光が走っていた。
このまま戦うのはまずい。空を飛べないクリスに危害が及ぶ可能性がある以上、撤退が最善手だ。
「「ラァァァビィィィ!」」
「何かいっぱい居る!? 逃げるよ!」
一匹だと思った巨大フライングラビッツは一匹ではなかった。黒い雲の集合体から次々と顔を出す巨大フライングラビッツ。
王都に迷惑がかからないように一度進行方向を東に変えて全力で逃げる。
結界を外から押す風魔法も攻撃魔法と遜色がないレベルに強めている。
「追って来ない? カナタ、大丈夫みたい。予定通り城に戻るわよ……早くお風呂に入りたいわ」
「ん、了解」
背中で震えるクリスはそれ以上何も言わない。
クリスが抱きついている腰辺りに温かい感触が広がっていた。
「大丈夫、もう追って来ないし――追って来たとしても絶対守るから! 怖かったね?」
「ち、違うわよ! 馬鹿! 飛ぶのが早すぎて怖かっただけなんだからね!」
「あ、そっちだったの?」
「バカバカバカバカバカ!」
クリスは多分真っ赤になっているだろう、振り向かなくても分かるくらい声に動揺が出ていた。
背中をポコポコ殴ってくるクリスを宥めつつ、高度を落としUターンしてクリスの城を目指し飛ぶ。




