第129話 チェックさんとメイトさん
「薄気味悪い……魔女とか住んでそう」
目の前に立っている建物を見て呟く。東門のある城壁に沿って移動すると見えてきた商人メイトの住む店は一言で表すとそんな感じの建物だった。
城壁の影に入っている為に薄暗く、住宅街だと言うのに人の気配がない。
黒鉄杉で作られている建物の外観は煙突が一つの三角屋根の小屋で、正面玄関のすぐ脇に小さな窓が付いていた。
小屋の奥には住居が繋がるように建てられている。外から見る限り入り口は見当たらないので、もしかすると店内で住居と繋がっているのかもしれない。
庭には屋根の付いた井戸が一つと、赤・青・黄・紫色が混じった怪しい色の花が咲き乱れる畑が一つ。
街の中にも関わらずスラム街と同じようにこの店の周りだけ地面が剥き出しになっている。まるで境界線を引いたかのように店の周りには石片のタイルが敷かれていなかった。
恐る恐る近づくと、店の屋根の上からこちらを見る黒猫が一匹。
「ニャンコ! チッチッチッ、恐くないよ~おいでおいで~♪ アレ?」
思わずしゃがみこんで猫を呼んでしまった。
音も無く屋根から飛び降りてきた黒猫は、こちらを警戒しているのかなかなか近寄ってこない。
気のせいか、目の錯覚か……この黒猫サイズが大きいような?
「ナ~ン?」
「おいでおいで~」
一歩一歩確かめるように近づいてくる黒猫に右手の甲を差し出し待機する。
まずは匂いを嗅がせて敵意が無い事を知らせて安心させないといけない。
「フナーッ!!」
「うむ、この黒猫めっちゃでかくね?」
どう見てもサイズがおかしい。手の匂いを嗅いだ瞬間威嚇を始めた黒猫は、スリムながら大型犬くらいの体格をしている。ピンと立った尻尾は毛がモワモワに膨らんでおり、牙を向き出しにしてこちらを睨んでいた。
何故か怒っている猫を宥める為に黒バックからラビッツ燻製を出す。ピタリと唸るのを止めた黒猫の目の前で千切って一口食べる事にする。
「ほら~美味しいラビッツ燻製だよ~?」
「フゥ……シャァー!」
左手に燻製を持って右手で千切って与えようとしていると、黒猫は左手に持った燻製を狙って飛び掛ってきた。見事に左手を丸呑みにして牙を突きたてる黒猫。痛くは無いがガッチリ噛み込まれているので手から放せない。
左手に噛み付いたまま燻製を嚥下した黒猫はそのまま手にぶら下がって放そうとはしない。
「むむむ……飼い主に引き放して貰おう。おかしいな~猫には好かれる性質だと思ったんだけど……」
牙の食い込み具合から、無理やり放すと黒猫に怪我をさせる可能性があったので、この怪しい店の主人――メイトさんに何とかして貰う事にする。
なるべく引きずらないように黒猫を抱えると店の扉を足で押し開く。
「いらっしゃい。本日はどのような……何してんの?」
「あー、んー、何でしょう? 餌をあげたら食いつかれました」
番台に立っていたのは黒髪黒瞳の女性で、袖の長い白いローブを着ており、フレームにヒビが入った眼鏡をかけていた。後ろでひと括りにした長髪が尻尾のように背後に揺れている。
「んんん? お客さんには手を出さない様に言い聞かせてるんだけど……貴女何者?」
メイトさんだと思われる女性は、フレームを右手の人差し指で持ち上げて眼鏡を掛けなおすと、左手を番台の下へと移動させる。どうやら不審者だと思われているみたいだ。
「怪しい者では! とある人物から、ここなら塩胡椒を買い取って貰えると聞いたもので……」
「チェーック! チェック!」
突如叫ぶ女性にビビッて数歩下がる、店の扉は内開きの為、取っ手を引かないと外に出る事ができない。
ボクが逃げようとしたのを察したのか、女性は番台から飛び出ると笑顔で近づいてきた。
「どうせトルネコのやつでしょ?」
「えーっと、何で分かったんですか? あと、トネルコだって本人は言ってましたよ?」
「良いの良いの、あいつを見ると昔やったゲームを思い出すわ~」
今の発言でこの女性があちらの世界の住人だった事が分かった。女性はどういう訳か笑顔でこちらの背後に回り店の扉に閂をかける。
「あの……このニャンコ取ってくれません? 取り合えず、今日はそれで日を改めますんで……」
「まぁまぁ~もっとユックリして行っても良いんじゃない? 今、夫がお茶いれてるはずだし?
あ、コーヒーの方が良かった? それともお酒?
そうそう、塩胡椒ね? 現物が今ここに有るなら見せてもらえるかな?」
女性は何故か揉み手で近づいてくると番台の前に丸椅子を置き、猫を放置したまま座るように勧めてくる。
非常に好意的な態度が逆にボクを不安にさせた。そして何故かボクの背後を取りたがる女性。
「その……取り合えず猫をですね? ほら、左手が塞がってると困るでしょ?」
「良いの良いの、むしろ好都合――じゃなくて! ほらっ! キキの顔を見てよ。目がトロンとしてて気持ち良さそうに……魔力吸ってる?
ちょっと! キキ! 吸い過ぎじゃない!? 貴女大丈夫なの?」
左手に噛みついた猫は目をトロンとさせており、気持ち良さそうに左手をしゃぶっていた。慌てて猫を剥がしにかかる女性。
満足したのか、猫はすぐに手を放すと番台の上に飛び乗り横になった。
広めの番台だが、巨大黒猫が乗ると可哀相なくらい体がはみ出しており、寝返りどころか身動ぎ一つできそうにない、何故か猫は気分良さそうに尻尾を振っている。
「取り合えず、メイトさんですよね? 名前であってます?」
「さんは要らないけど、そうよ? 皐月五月兎、メイトは五月の兎と書いてメイトね?」
「なんと言うか……凄い名前ですね。映画に出てきそうな……」
メイトの両手が背後からボクの肩を強く握った。椅子から立ち上がる事ができないように上から力をかけてくる。
振り返るのが怖い、背後から『くふっ、くふっ』と聞こえてくるのは我慢したけど漏れたような笑い声。
「貴女日本人ね?」
「ひゃっん!?」
肩を押さえたままのメイトは、右肩に顎を乗せるようにして耳元で囁いた。
どうしてこうなった。ボクは混乱して猫に救いの目を向ける。勿論、猫は大きな欠伸をして知らん振りだ。
「見た感じこっちの人に見えるけど、天使転生組みじゃないの?」
決定的な言葉がメイトの口から出る。メイトは味方なのか……それとも天使の手下なのか?
「何を考えてるんですか? 何が目的ですか、ボクは素手でも鉄くらいなら引き千切れますからね?」
「な~んにも? 情報交換と品物を買取したいかな?」
メイトは肩に置いていた手を放すと、両手を横に広げて番台の内側に戻って行く。
拍子抜けするほど何も無く、変なスキルを使われた形跡も無い。ただし、ユニークスキルの類を貰っている可能性は否定できないので慎重に事を運ぶ必要がある。
「今の反応を見て分かったかな~。貴女……名前聞いてなかったわね?」
「カナタです。田中彼方、こっちではカナタ=ラーズグリーズです」
「ふ~ん? またえらいめんどくさい苗字に生まれたわね……。
率直に聞くけど、カナタも騙された口でしょ?」
メイトは両腕を組むと番台の上で眠っている猫の上にのしかかりこちらの様子を窺っている。
警戒を解く分けにはいかないが、反応を窺う限り敵対する気は無いようだ。
「メイトは――今、もと言いましたよね? そっちの事情を先に聞いても良いですか?」
「あっちゃー、私警戒されてる? まぁ、無理も無いか……良いよ、先にこちらの事情を話そうか。丁度お茶もはいったみたいだしね?」
「お邪魔だったかな?」
「エルフ……?」
番台の奥、住居エリアから現れたのはメイトと同じ袖の長い白いローブを身に纏ったエルフ族の男性。
手にはお盆を持っており、お盆には液体の入った湯のみと煎餅のような丸い焼き菓子が乗っていた。
「コレ、私の旦那ね」
「メイト、年上は敬うものだよ? コレは酷いんじゃないかな?」
「良いの、ちょっと商談があるから奥に篭るけど、店の方任せて良い?」
「調薬室は今入らない方が良いね、居間が開いてるからそこを使うと良い。私はチェックと言うしがない薬士さ。どうせお客さんはあまり来ないから、貴女もゆっくりしていくと良い」
「どうも。あ、お盆持ちますから」
チェックと呼ばれたエルフからお盆を受け取ると、靴を脱いでスマホに放り込み店の奥へと上がる。
さわやかな笑顔で居間を勧められ、気が付いたら住居へと足を踏み入れていた。
「こっちこっち、それアイテムボックス? 便利ね~」
「似たような物です」
気が付くとメイトに右手を引かれて案内されている。
なんと言うか独特な空気を纏った夫婦だ。何故かメイトを避けようとしていた自分が馬鹿に思えてくる。
内装は黒鉄杉をそのまま利用しているようで、木目が美しい廊下を渡る。
案内された居間は4条半間の広さで、畳みに似た物が引かれており、素足で踏むと心地よい感触が足の裏を刺激する。
先に今に入ったメイトによって座布団っぽい薄い四角の布が敷かれていた。胡坐をかいて座ると窓の外を眺める。
畑に咲き乱れた花々は、自己を主張し他に負けないように個性的な色形をしている。
「敵意が無い事の証明に、初めに言っておくから。私のユニークスキルどう?」
「はっ? えっ? 何かしたの?」
突然、悪戯を成功させた童女のように笑うメイト。お互い胡坐をかいて座ると、向かい合いお茶をすする。
身体に異常は無いし、肩を掴まれたくらいで特に怪しい動きも無かったはず?
キキと呼ばれていた黒猫がそっと背後から近寄ってくると、尻尾をボクの膝の上に伸ばして横で眠り始めた。
「特に異常は無いし……何かしました?」
「このユニークスキルの最大の長所は、いつ、どこで発動したのか分からせない事。
スキル名は【無敵の烏兎】――効果はごらんの通り♪」
メイトは満面の笑みで両手を伸ばしてくるので、取り合えず手を取ってニギニギする。何か変わった事でもあったかな?
「その格好であぐらかくと、色々見えそうで見えないね……」
「それはメイトにも言える事で……むしろこっちは万全の守りだけど、メイトのは色々見えてるからね?」
メイトがニコリを笑って煎餅を半分に割り、片方を自分で齧るともう片方を差し出してきた。手に取ろうとすると煎餅を加えたまま首を横に振るメイト。
仕方ないのでメイトが差し出した煎餅を首を伸ばして齧りにいく。
「煎餅じゃなかった! ホットケーキを薄く硬く焼いたような……何だコレ!? 少しだけ甘い」
「う~ん。そろそろ分からない? 私とベロチューでもしようか?」
「うん。良いけどどうしたの急に……えっ?」
極自然な会話、何の違和感も無く、何の疑問も浮かばずに答えた。ボクは自分が口に出した言葉に驚きメイトの顔を見て首を傾げる。
「出会って数分、この短い時間に私とカナタはもう大親友。このスキルの効果は絶対に敵を作らない、つまり無敵って事。
本来築き上げるのに時間がかかる信用や、これからも仲良くやって行きましょうっていう信頼も、このスキルの前では時間に意味を持たなくなる。
ちなみに一度に効果を及ぼせるのは一人だけ。けれど解かない限り効果は永続するし、解いても一度影響した者は私を敵に回せなくなる」
「マジでか~怖い――凄いスキルだね……」
この世界に来て色々あったが本気で人間相手に怖いと思ったのは今が始めてだった。冷や汗も動悸も何も起こらない。
何が怖いのか考える。話を聞いても何も思うところは無く、全て受け入れている自分が居る事に対しての恐怖だ。
「そのスキル、最強じゃない?」
「案外そうでも無いかな? 今カナタが私を殺そうと思えば何の抵抗もできずに私は死ぬ事になるし。
正直に言うとレベルはそこそこ上げたけど、新人冒険者相手でも五分五分で戦えるかどうかの戦闘力しかないから。
まぁ、その為にキキが居るんだけどね? この子は一緒に転生してきた私の家族。
今はこんななりだけど……元はただのペルシャ猫ね」
膝の上にのったキキの尻尾が大きく左右に振られた。伏せて眠っているキキだが、ちゃんと話を聞いているらしい。
「敵に回せないのに殺せるの?」
「そこが弱いところかな~。もしもの話し、カナタが今ここで部屋を温めようと火の精霊魔法を使ったとする。カナタは火に耐性を持っているので少し強めに精霊魔法を使った。私は火が苦手なのでこんがり焼けました。さぁ、カナタは私の敵でした?」
「敵に回せないって……めっちゃ曖昧だね。そんな弱点話して良いの?」
「何て言うかね? ゆっくり同郷の人と話すのって初めてで嬉しい、絶対に逃がさないとすら思ってるかな。
そして、塩胡椒と来たからには……何か他にも日本産の物を持ってるんじゃないの? 最近懐事情が思わしく無くないからね~商人としては逃せないでしょ」
そこまで話すと、メイトはお茶をすすって伸びをする。キキも触発されたのか大きく伸びをして尻尾を左右に大きく振りはじめた。
話の内容から考えると、メイトを信用しても良い気がする? スキルの効果がそう考えさせている可能性も捨て切れなかったが、動物好きに悪い人は居ないと思う。
「話を戻すけど、私の事情からね?
私がこちらに転生したのはもう二〇年も前になるかな。
天使から聞いていた話と現実は違って、生れ落ちた場所は最悪だった……」
「キツイところは話さなくて良いですよ?」
「ありがと……簡単に言うね?
生まれた瞬間から意識があった私と子猫に戻ったキキは、貧しい村で生まれて、平穏無事に過ごしてたわ。村が魔物の大群に攻め滅ぼされる前まではね?
村はほぼ全滅、助けに来た冒険者達は魔物を一掃すると、生き残った者達を集めて馬車に乗せてくれたの。
それはそれは皆感謝したわ……自分達が置かれている状況を理解するまではね?
生き残った村人は戦利品として輸送されているだけだったの。変態貴族様への貢物としてね?」
「もう大丈夫です……」
「今から良い所なの!」
気が付くとボクはメイトの頭を抱えるように抱き締めており、辛い過去を話す事を止めさせる。が、手を払いのけられて怒られてしまった。
「絶望と飢えに苦しんでいた私達の前に颯爽と現れて、冒険者を魔法で惑わすチェック!
冒険者には傷一つ負わせずに、私達の乗った馬車を奪って走り去るチェック!
外から格子がかかった馬車の扉が開いて、朝日を目にした時に私は思ったの! チェックは運命の人だと! 年の差なんて関係無い! 私はこの人と共に生きて行くのだと!」
謎にヒートアップしていくメイトは、ボクの両肩を力いっぱい叩きながら声に力を込める。
キキは慣れたものなのか平然と欠伸をして眠っている。
「自分の食べ物や飲み水を、私達に平等に分け与えてくれるチェック!
初めに立ち寄った街で私財を投げ売り、私達の装備を整えてくれたチェック!
ここはまだ近いからと、ペルシアン大陸からわざわざこちらの国まで移動してくれたチェック!
生まれて初めて、私の女の本能がこの人を放してはいけないと訴えかけてきたの!」
「ちょ! 苦しい! 抱き締めないでください」
さらにヒートアップしたメイトは、ボクを抱き締めて背中を力いっぱい叩いて体を揺する。
さすがのキキも数歩離れた場所へと移動して横になっていた。
「もう、これは運命! 散り散りになっていく村の仲間達の中で、私だけはチェックに付いて行く事を決めたの!
それからはこの国の各地を巡って行商し、少しずつお金を貯めていったわ! 二人の愛の巣を一番安全な王都に建てる為に!
やがて私の思いを拒み続けたチェックも、私を認めて受け入れてくれたの! フンフン!」
鼻息を荒くしたメイトが大声を上げると、店の方からチェックが大声を上げた。
「メイト、誤解を招く様な言い方は止めた方が良い。それと、押し倒して両手両足をベットに縛り付けるのは受け入れるとは言わないね。メイトを認めたのは真実だけれど……お客さんだよ?」
「今日は誰か来る予定じゃないはずなのに……誰?」
「ここで待ってるから先にお客さんの相手してきて良いですよ?」
「ごめんね~すぐ戻ってくるから」
メイトが謝りながら店の方へ走っていくと、キキも立ち上がり後を付いて行った。一人取り残されたボクは商品サンプルに塩胡椒・塩・砂糖・香辛料・黒砂糖を用意する事にした。
スマホから宝箱を取り出し中身を漁っているを店の方から聞き覚えのある声が……?
「とうとう……年貢の納め時ですの」
何故かマーガレットの声が聞こえた。急に嫌な予感がして、自分の心拍音が大きくなっていくのを感じる。
小さな足音が廊下から聞こえてくる、メイトは足音を立てていなかったので別の人物だ。窓は開かないのかな?
庭に面した大きな窓に視線を向けると脱出経路を脳内でイメージする。
背後で足音が止まった。漂ってくる甘酸っぱいような匂いはどこかで嗅いだ事のあるような……?
「見~つけた♪」
聞き覚えのある女性の声。その声を聞いたボクは、全身から滝の様に脂汗を流すとカチコチに身体が固まっていくのを感じた。




