幕間 サーベラスの気ままな一日
少し肌寒くなってきた早朝五時丁度、サーベラスはお腹が空いて目を覚ました。
ベット以外何も置かれていない広間に皆が集まって眠っている。洋館2Fにあるこの大部屋は本当の意味での寝室となっていた。
サーベラスは自分のお腹を枕にして眠っているルナとキャロラインの頬を舐めると、横になったまま伸びをする。
「ん~、もう朝ですの?」
「準備していつもの狩りやで!」
「ワン」
急いで寝床を整えるとルナとキャロラインは食堂に向う。その二人の後を付いて歩くサーベラスは、他の者が起きない様に控えめに鳴いた。
無駄に広い食堂に入った二人と一匹は、椅子に座るとブラウニー達が朝食を用意するのを眺める。ルナとキャロラインは燻製場(教会跡地)でフェリが待っているので軽めの朝食を取るようにしていた。
ルナとキャロラインに用意された大皿にはバナの実の蜂蜜炒め・焼きたての田舎パン・季節の野菜を使ったサラダが盛られており、サーベラスの大皿には追加でコカトリス卵の目玉焼きが乗っている。
「うちもその目玉焼き食べたいな~チラッ」
「ワンワン!?」
ルナはヨダレを垂らしながらサーベラスの大皿を覗き込む。取られてはなるものかとサーベラスは大皿を前足で遠くにずらした。
「あまり食べたら狩りに支障が出ますわ。それに結構量が有ってこれだけでも十分……」
「キャロルは小食やな~」
ルナとキャロラインが朝食を取り始めたのを見てサーベラスもご飯を食べ始める。
「「「「「おはようございます!」」」」」
「おはようさん」
「おはようございます」
「ワンワン!」
食堂にゾロゾロとやって来たのはオーキッドのクラン員達で、ルナの燻製場の大事な作業員達だ。
オーキッドのクラン員は子供が多く、遠くに狩りに行けずに日々ラビッツを狩っていたのでルナが目を付けて燻製場の職場を紹介した。そろそろルナとキャロラインとフェリの三人では作れる量に限界があると感じていたので、丁度良いタイミングでクランの同盟が結ばれた事になる。
燻製場での仕事は簡単。毎日王都周辺で狩られているラビッツを集めて下処理をする事と、燻製室(元礼拝堂)にラビッツを吊るしてルナが燻製作りを始めるのを待つ事だ。
ルナとキャロラインと後で合流するフェリがフライングラビッツを狩りに行っている間に、ひたすらその仕事を繰り返していく。
時には持ち込みでラビッツを持って来る冒険者も居るので、状態によって値段を付けて引き取る事も子供達に任されていた。
買い取り価格は冒険者ギルドより安いが、イクスと一緒に渡されるラビッツ燻製の切れ端が人気の為、最近ではオストモーエアの街に入る殆どのラビッツが燻製場へと集められている。
「ご飯食べたら準備して出発やで!」
「ルナ、食べるの早い」
サーベラスはパン屑が付いたままのルナの頬を舐めると、尻尾を振って出発の準備を始める。
キャロラインはまだ食べていたが、クラン員達もまだ食べている途中なので放置しておく。ルナと一緒にサーベラスは洋館の外に歩いていく。
「ラビッシュ! ラビラビ!」
入り口で待つサーベラスの前を、目を真っ赤にさせたラビッツ達が走り抜けて行った。
夜更かしでもしていたのかな? と不思議がるサーベラスを余所に、ルナは洋館から出てきたソフィアと話をしている。
「ラビッツ達見ませんでした?」
「今さっき、目の前を通り過ぎて行ったで? 何か急いでたみたいやけど……」
「む~、ただ乗りして楽々依頼を受けようと思ってたのに……まぁ良いか、今日はレッティと商人ギルドに登録に行く予定もあるしね~」
いつの間にかレッティと仲良くなっていて、四六時中ベッタリなソフィアを見送るルナ。
急にソフィアが振り返るとルナに忠告をする。
「彼方の森には今変態が出るみたいだから、見かけたら全力で逃げなさいね?」
「分かったで!」
「ワン!」
元気に返事をするルナとサーベラスの様子を見て頷いたソフィアは、手を振ると洋館に戻っていく。
交替するようにして出てきたキャロラインとクラン員達の姿を確認すると、サーベラスは今日の仕事が始まったのを知る。
サーベラスの仕事は早朝のクラン員達の護衛とルナの縄張りの巡回だった。
――∵――∴――∵――∴――∵――
クラン員達を無事に燻製場へと送り届けたサーベラスは、日課となった巡回へと向う。
一番初めに向うのは冒険者ギルドの入り口横に設置された従魔の待機スペース。
サーベラスが冒険者ギルド前へと歩いて行くと、入り口には今から依頼をこなしに行く冒険者PTが二つ待機していた。
「サーベラスちゃん~♪ 綺麗にしましょうね~♪」
「ワン~♪」
冒険者PTの女性達は従魔待機スペースの前で寝転んだサーベラスに殺到して、自前の櫛で毛を梳いて行く。気持ち良さそうに喉を鳴らすと、されるがままになっているサーベラス。
「本当にそのおっかない従魔の毛が魔除けになるんだよな? ヒッ!?」
「ワッフン~」
愚痴を言いながらサーベラスの頭を撫でようとした男性の手は、大きく口を開けたサーベラスの欠伸によって引っ込められた。
見慣れた者にとっては可愛い犬型従魔だが、初めて見る者からすれば恐怖の対象でしかない。
ルナの従魔であるサーベラスは、地獄の番犬と名高いケルベロスの亜種――クリムゾンケルベロス。
顔が三つに、燃える様に逆立つたてがみがキュートな体長4Mを超す巨大な従魔なのだ。
「本当だって! この子の毛を編んで作ったお守りを持っていた子の周りにだけ、下級の魔物が寄ってこなかったんだから! 特にオークとゴブリンは何かに怯えて離れていくほどだったんだからね!」
「お、おう。それなら良いんだけどよ」
女性冒険者の剣幕に押されてタジタジな男性冒険者。オークやゴブリンくらいどうにでも、と呟く男性冒険者だったが、その場に居た女性冒険者全員にギロリと睨まれると無言で後ずさる。
オークはその見た目と他種族の女性を捕まえて自らの子を孕ませると言う習性から、女性冒険者に蛇蝎の如く嫌われている。
ゴブリンはその見た目と不快な匂いと何でも食べる習性から、大抵の冒険者はできれば会いたく無いと思っている。
「サーベラスちゃん~♪ これ食べて~」
「ワン!」
女性冒険者が寛ぐサーベラスの前に置いたのは、グリーンボールと呼ばれる植物性の魔物。
王都周辺で一般的に狩られている食用の魔物で、ラビッツよりは強いがゴブリン以下という微妙な強さを持った大きめのキャベツだ。
急所である芯の部分をレイピアで貫かれたグリーンボールを三つの頭で頬張るサーベラスは、尻尾フリフリで非常に嬉しそうだ。実はサーベラスは肉より野菜派なのだった。
次々と目の前に置かれる野菜や果物も次々と平らげていく。
「そろそろ時間だぞ?」
「はいはい。これアンタの分ね? サーベラスちゃんまたね~♪」
男性冒険者に促されて立ち上がった女性冒険者は、櫛に絡まったサーベラスの毛を丁寧に取り除くと、PTメンバーに手渡していく。
大きく手を振って離れていく冒険者PTを見送ると、サーベラスは巡回を再開した。
――∵――∴――∵――∴――∵――
巡回経路にある食べ物屋で色々なご飯を貰ったサーベラスは、ホクホク顔で大通りを歩く。
尻尾フリフリでルナの縄張りの端に到達したサーベラスは、大きくて黒い建物の前でカナタを発見した。
ベンチに座って何か呟いているカナタの様子を、サーベラスは建物の影からそっと盗み見る。
近寄って撫でて貰おうと思ったサーベラスだったが、カナタに近寄る謎の男性を見てその足を止めた。
建物の影から二人の会話を盗み聞きしていると、どうやら男性がカナタを誘って建物の裏道へと誘導している様子だった。思わず駆け出してカナタを止めようと思ったサーベラスだったが、背後に現れた女性によって動きを止められる。
「大丈夫、何か有る前にあの男を殺すから」
「ワン!?」
「しーっ、静かに。カナタにバレル」
サーベラスは首を傾げてその女性を見る。初めて見る女性だが、何故かカナタの匂いがする。
「ほほう、犬君は鼻が良いみたいだね! コレの匂いを嗅ぎ分けるとは」
チラリとサーベラスを見た女性は、満足気に微笑むと何故か自慢話を始めた。
懐から出したのは一枚の大きなバスタオル。綺麗に折られてアイロンがけされたそのバスタオルからはカナタの匂いがしている。
「これはね! カナタがお風呂から出て身体を拭いた時の物を、形状固定の魔法で固定化させた物なんだ。
いつまでもカナタの匂いが残っているし、どんなに使っても固定化した状態に自動で戻っていく。
これは神器! コレさえあればカナタを眺めるだけの日々でも耐えれる! ハァハァ」
この女性は危ない人だ、とサーベラスは野生の感で認識し、二歩後ずさるといつでも逃げれるように準備を始める。その間も女性のカナタ自慢は続いていく。
「一日、それも少しだけ目を放した隙に……カナタにかけていたスキルは効果を発動させた。その場に私は居る事が出来なかった……。
もう二度と放さないと決めていたのに、私はその場に居る事が出来なかったんだよ!」
「ワン!?」
突如、膝を地面に付いて涙を流し始めた女性を見てサーベラスは困惑する。とりあえず尻尾で頭を撫でると視線を大通りに向けてカナタを探す。
丁度建物の横道に入っていくカナタを見たサーベラスは、この女性をどうにか出来るのは自分だけなのだと覚悟を決める。
「ワンワン! ワン!」
「慰めてくれるの? こんな駄目駄目な私を……?」
涙で濡れる頬をペロリと舐めて尻尾で背中をポンポンするサーベラス。女性は驚いた顔でサーベラスを見ると静かに立ち上がった。
「そう……だね、次のスキル使用候補者が見つかるまでは私が二四時間ミッチリ側に付いて警護しないといけないよね! ありがとう犬君!」
「……ワン」
ただ慰めて欲しかっただけなのか、すぐに元気を取り戻した女性を見てサーベラスは帰りたくなった。
「私は井出愛、カナタを守護する者だよ! 慰めてくれた犬君には良いモノをあげよう」
愛と名乗る女性が懐から取り出した物はピンク色の液体が入った小瓶。サーベラスが匂いを嗅ごうと鼻を近づけると片手でそれを制する愛。
「どんな雌もイチコロの超強力媚薬だから、目当ての雌を見つけたら使ってみると良いよ?」
「ワン!? ワンワン!」
サーベラスは自分が雄だと勘違いされている事に気が付き、首を激しく左右に振る。
「ふ~ん? コレはお気に召さない様だね……ならこれを! 飛~空~石~!」
「ワン?」
愛は黒銀の鎖に繋がれた透明感のある青色の結晶体を取り出すと、サーベラスの首に巻いて固定する。
不安げな顔で愛を見つめるサーベラスは、不意に地面から足が離れていく感覚に陥り固まった。
「ふっふ~ん! その飛空石は最高傑作だと自負しているよ! 装着者が魔力を込めると、込めている間だけ足の下に空間を蹴る事ができる結界を生み出せるという代物さ! 正確には空を飛ぶんじゃなくて、空を走る感じかな?」
「ワンワンワンワン! ワンワンワン!!」
舌を出して尻尾フリフリで飛び跳ねるサーベラス。いつもルナが空を飛んでいるのをただ眺めていたサーベラスにとって、この飛空石はルナと同じになれる夢の様なアイテムだ。
喜びを身体全体で表すサーベラスを、よしよし、と撫でる愛。
「おっ、カナタが動くみたいだからここでサヨナラだよ? ばいばい犬君!」
「ワン!」
最後まで雄だと勘違いされたままのサーベラスだったが、もうどうでも良くなっていた。
カナタの追跡を再開した愛に尻尾を振ってその場を離れると、建物の屋根を見上げる。
普段まったく使わないので有り余る魔力を、ほんの少しだけ飛空石へと注ぐ。足の裏が地面から離れて少しだけその場に浮いた。
恐る恐る一歩、目の前の空間を蹴ると足元に感じる確かな感触。サーベラスは空中の足場を基点に建物の屋根上へと駆け上がる。
「ワン! ワオ~ン!」
建物の屋根の上に辿り着いたサーベラスは、全身に感じる不思議な感覚に身を震わせて遠吠えする。
ほんの少しの魔力ではそこまでが限界だったようで、足の裏が屋根の上を踏みしめた。
気分が良くなったサーベラスは、少しずつ魔力を調整しながら飛べる距離を把握し、スラム街にある洋館へと帰路を急ぐのであった。
「スタン兄! いま、今デッカイ犬が空を走ってた!」
「ん? なにバカな事言ってるんだ? 早く準備しないとアルフ兄に起こられるぜ! 急ごう」
たまたま近くを歩いていた少年が空を走るサーベラスを目撃する。隣を歩いていたスタンは急いでいたので、少年の話をスルーする事にしたようだ。
「明日から蟻塚への遠征か~腕が鳴るぜ! このスタンロード様の輝かしい冒険譚に新たな一ページが――」
「あの犬……どこかで見た事があるような気が?」
意気揚々と話すスタンの隣で、先ほどの犬をどこかで見た事があるのを気にする少年。
少年の背嚢には虫は詰まっておらず、良い香りを放つアプの実がぎっしり詰まっていた。




