幕間 ラビッツは穴を掘る
前話のカナタが起きる少し前の話です。
カナタ達が秋の特別初心者講習会から戻ってきた翌日の朝の事。カナタが朝起きる少し前。
洋館の地下、ラビッツ達の巣穴から繋がる新たな通路には、せっせと穴掘りに汗を流すラビッツ達の姿があった。
時刻はまだ三時、外は朝日も昇っておらず薄暗い。明かりの無いあなぐらを掘り進むのはラビイチで、背後には掘削により出てきた土や岩などを仕分けして運び出すラビニとラビサンの姿があった。
ラビイチを先頭に三匹のラビッツは巣穴の拡張工事を行っていたのだった。
エウアの所有するこの洋館は、元は地下深くにあるダンジョンを監視する為に作られた施設であり、そのダンジョンとの間にある岩盤も非常に硬い。ボロボロになる爪の治療の為、時折交替しながら掘り進むラビッツ達の目指す行き先は、ラビッツうどん屋の裏手にある古ぼけた井戸。
現在その井戸は水が枯れて使われておらず、上手く繋げれば緊急時の脱出口になるとラビイチは考えていた。
ラビイチは一応の使用許可をうどん屋のおばちゃんに貰っている。
勿論、おばちゃんにラビッツの言葉が分かる訳も無く、ひたすらラビラビ鳴きながら蓋を閉じていた古井戸に出入りするラビイチを見たおばちゃんが、何かを察して『好きに使うと良いよ』と言ってくれたに過ぎないのだが……。
「ラビ? ラビ……!」
掘り進むラビイチは周りの土が軟らかくなってきた事に気が付き手を止める。
背後に居たラビニとラビサンも小さく頷くと、一本道で掘ってきた通路を小部屋に改造し始めた。
どうやらラビッツ達は出入り口付近に小部屋を作りたいみたいだ。掘り広げては体当たりして壁を整えていく。
時折洋館側へ続く通路を心配そうに見るラビサンだったが、この拡張工事の音を聞きつけて皆が起きて来る気配は無かった。三匹のラビッツの中で、ラビサンは一番心配性だった。
「ラビッシュ! ラビッシュ!」
元気良く鳴くラビイチの方へと集まるラビニとラビサン。どうやらレンガ作りの壁に辿り着いたようだ。拡張工事にかかった時間は約三時間。ラビッツ達は徹夜で掘り進み、テンションが高いままそのレンガの壁を丁寧に壊していく。
隙間から見えてくる明かり、やっと外に繋がったとラビイチはテンションMAXに尻尾を振り壁を壊す。
少し考えれば分かったはずの事が、今の徹夜明けのラビッツ達には理解出来ていなかった。
朝日も昇らない時間に、何故明かりが見えてくるのかという事に……。
「……何してるんだい」
「「「ラビ?」」」
開通した通路の先は井戸の中ではなく。
般若の如く顔を歪めたうどん屋のおばちゃんが仁王立ちする、店の地下倉庫だった。
部屋の明かりは天井に吊るしてある苔の入ったランプから漏れている。
「こんな朝日も昇らない朝っぱらから、ガンガンドンドンガリガリガリと五月蝿いと思えば……これはどういう事だい? 答え様によっちゃぁ……ただでは済まさないよ――」
「ラビ……」
揃って再びおばちゃんを見たラビッツ達には、片手にうどん切り包丁を持つおばちゃんの姿がどんな魔物よりも強大に映る。つま先から耳の先まで震わせたラビッツ達は、思わず逃げ出しそうになりながらも状況を整理しようと顔を見合わせた。横目で倉庫内をチラ見するラビッツ達。
地下倉庫には昔使われていたと思われる古いテーブルや椅子が沢山押し込めてあり、元はお酒を出す店をやっていたのかバーカウンターが設置されている。
背後は小部屋と洋館まで続く新たな通路。井戸とはほんの少しの位置ずれだったが、後の祭りである。
どう考えても言い訳が出来る状態ではない。そもそも言葉が通じない訳なのだが。
「ラビラビ!」
「「「?」」」
普段は頭を使わないラビニが不意に鳴くと、机を並べなおしバーカウンターに手製の木製コップを並べていく。ラビニは暇な時、トレント材を削ってコップや皿などの食器を作っていたのだ。
首を傾げて成り行きを見守るおばちゃんとラビイチ・ラビサン。
一通り配置し直したラビニはバーカウンターに入ると、並べた木製のコップにカナタ芋を突っ込んでおばちゃんの方へスライドさせる。ニヤリと笑って尻尾を振るのも忘れない。
首を傾げるおばちゃんとは対照的に何かを理解したラビイチとラビサンは、テーブルに木製の皿を並べるとカナタ芋の茎や森で採って黒バックに収納しておいたキノコを並べていく。
「「ラビッ! ラビッ!」」
ラビイチは椅子をおばちゃんに勧めると、目の前皿を移動させ後ろに下がって小さく頭を下げる。
ここまで来ると何を言いたいのか察したおばちゃんは、椅子に座り、包丁をテーブルに置くと静かに考える。
コトリとテーブルに置かれた包丁を見て全身を震わせるラビッツ達。
「人手が足りないねぇ……」
チラリとラビイチを見て呟くおばちゃん。その言葉を聞いたラビイチは、洋館に住むオーキッドのクラン員を思い浮かべる。
カナタのおかげで衣食住に困らなくなったのなら、カナタの為に働いても良いよね? と結論を出すと、黒バックから薄く削った木の板を出しオーキッドの似顔絵を描いていく。
ラビイチは書き終わった似顔絵を自慢気に掲げるとおばちゃんの顔を見る。
「確かに、あの子の所の子供なら働き先を探していたねぇ……」
再び静かに考え始めたおばちゃん。
ラビイチは生唾を飲み込むと緊張した面持ちで返事を待つ。ラビサンは洋館へと続く通路から小さな気配が近づいてくるのを感じて首を傾げている。考える事を止めたラビニは、お腹が空いてきたのかじーっとコップに刺さるカナタ芋を見つめていた。
「酒を出すなら暴れる客も出てくるよ。ずっと私が付いて居る分けにもいかない、用心棒に冒険者を雇うのもねぇ……」
再びラビイチの顔を見て呟くおばちゃん。
ラビイチは両前足で頭を抱えるとキョロキョロと倉庫内を見まわした。不意に通路から走り出てきたブラウニーにラビイチとラビサンの視線が集中する。
これしかないと思ったラビイチはブラウニーを抱え上げるとおばちゃんの前に持って行く。
不意にブラウニーが見える様になったおばちゃんは、動くヌイグルミが赤木の棍棒を片手にこちらを凝視しているのを直視してしまう。
「……アレだね。小さい頃、見た事あるよ。家を守る精霊だったかねぇ……強いのかい?」
「ラビッシュ!」
強さを肌で感じ取れないおばちゃんに、ラビイチはもどかしく思いながらも元気に鳴いて返事をする。
唸り始めたおばちゃんを見たラビイチは、足元にブラウニーを置くと数歩下がり前足の指でチョイチョイとブラウニーを呼ぶ。余裕満々の笑みでブラウニーを挑発するラビイチ。
ブラウニーはいきなり挑発してきたラビイチを無機質な目で見つめると、赤木の棍棒を振りかぶってファイティングポーズを取り、静かに睨み合う。
「ラビョー!? ビー、ビー、ビー!」
睨み合いは数秒、一瞬即発かと思われたラビイチとブラウニーの戦いは、ラビイチの悲鳴で突如幕を閉じた。ラビイチとブラウニーの位置は変わっていない。
一歩も動かずに何をしたのかと首を傾げるおばちゃん。ラビイチは突如痛みの走った自分の足元を凝視する。
ラビイチの足元には赤木の棍棒を持ったブラウニーが二匹居た。上手い具合にラビイチの後ろ足の小指を棍棒で強打するブラウニー達。
背後から聞こえてくる足音に、ラビイチは顔色を青くして振り返る。
「ほぉ……これは凄いねぇ」
洋館へと繋がる通路からはブラウニーが無数に顔覗かせて棍棒をチラつかせている。
一対一だと思っていたラビイチの裏を付く攻撃。ラビイチの目の前に立ったブラウニーが棍棒を振り上げるとラビイチは顔を強張らせて固まった。
「なかなか強そうじゃないかい。見た目も悪くない、言葉は理解出来るんだね?」
おばちゃんはラビイチとブラウニーの間に割ってはいると、腰を曲げて目線をブラウニーと同じ高さにして問う。小さく頷き棍棒を下ろすブラウニー達。
ほっと胸を撫で下ろしているラビイチの肩に手を置いたおばちゃんは、『今回は許すけど、次からはちゃんと木紙に書いて知らせておくれよ?』と言い立ち上がった。
ラビイチは静かにその場を離れると、ブラウニー相手に報酬の話を始めたおばちゃんに敬礼して来た通路を戻っていく。
ラビイチの後を追おうとしたラビサンは、通路の存在について考え、入り口に扉を付ける事にした。
一際太いトレント材を黒バックから取り出すと、表面を爪で削っていくラビサン。削りカスを食べながら扉を作っていくその手際の良さは、熟練の職人が見れば顔を青くさせたであろう匠の技。
ラビニがコップに刺さっていたカナタ芋と皿に乗ったカナタ芋の茎やキノコを食べ終える頃には、頑丈でどこか風格のある巨大な扉が出来上がっていた。
通路で待つラビイチが穴から生えてきたラビッツを食べていると、仕事を終えたラビサンと食事を終えたラビニが揃って後を追ってきた。
「誰かー! 誰か居ないの?」
ラビッツうどん屋の方から聞こえてくる女性の声。こんな朝早くに来る客は居ない。
かなりフライング気味の女性の声に、おばちゃんは交渉を中断されて溜息を吐く。
無言でラビイチを睨みつけて顎で階段を指すおばちゃん。ラビイチはさっさと撤退すれば良かったと思いつつも、小さく頷いて階段を上がっていく。
「遅いじゃない! って!? ラビッツ? ……従魔ね?」
「ラビラビ?」
外へと繋がる番台の窓から顔を覗かせたラビイチは、黒いフードを被って周りの目を気にしながら話す女性を見て首を傾げた。
「ここらへんで、こんな女の子見なかった? カナタって名前なんだけど……。
スッゴイお人よしで、誰にでも優しくて、結構強いのよ? 回復スキルまで持ってて……。
でも、多分アレは将来女誑しになるわ! 今のうちに私が躾けてあげないといけないの!
分かる? この子は女の子だけど、性別くらいどうにでもなるわよ? それに、私が子供を産めば王位継承権もちゃんと子供に生まれるんだからね?」
「ラビ……」
女性が色々とまくし立てる間、手書きと思われる女の子の絵を見て眉を潜めるラビイチ。カナタと言う名前の女の子なら自分の主なのですぐに分かる。
何故ラビイチが眉を潜めたのかと言うと、女性の書いた絵のカナタは胸が平らだったからだ。それはもう一切無く、絶壁と言われても仕方が無いくらいのまっ平らだった。
「はぁ……私何やってるんだろ。噂話を真に受けて、こんな朝早くに屋敷をこっそり抜け出して――ラビッツに愚痴るなんて……」
「ラビ?」
ラビイチは右前足で顎をかきながら絵と睨めっこをしていた。
女性が勝手に何かに納得して溜息を付いたのを見て再び首を傾げるラビイチ。
首を傾げたラビイチの視線の先に有ったのは、うどんを茹でる釜と具が殆ど浮いてないうどんの出汁が入った鍋。
愚痴を続ける女性のお腹が『キュ~』っと可愛く鳴ったのを聞き逃さなかったラビイチは、生活魔法を使い手早く熱湯を釜に入れ、準備してあったうどん玉を一掬いうどん揚げに入れると釜に火を入れる。
一瞬でぐらぐらに沸騰した釜の湯へと揚げを入れ、足でリズムを刻むラビイチ。
「何してるの? 別にお腹が空いたわけじゃないんだからね!」
「ラビ、ラビ」
愚痴るのを止めた女性は、ラビイチの手元に視線を固定すると釜の中で茹るのを待つうどんを盗み見る。
言葉で否定しても体は正直な様で、再び『キュ~』と可愛くお腹を鳴らす女性。
「ラビッシュ!」
ラビイチはかけ声と共に揚げを掲げ水分を飛ばし、生活魔法で作り出した氷水を張った桶へと潜らせて丼へと移す。麺が延びないうちにと出汁をかけたうどんを女性の前へ差し出した。
「へぇ……ラビッツうどん屋って書いて有ったけど、ラビッツが作ってくれるとは思わなかったわ」
素直に受け取ったうどんを食べ始める女性を見てラビイチは考える。自分は何をしているのだろうか? と。
ラビイチは無言でうどんをすする女性をボーっと見つめながら、今日はどうやって依頼を受けようかと考えるのだった。
「ごちそうさま。前来た時はすいとん屋だったと思ったのだけれど……まぁ、美味しかったわ。
その紙はあげる。これお代ね? お釣りは要らないから」
「ラビ?」
ラビイチは女性に手渡された銀貨を掲げて首を傾げる。番台の側の木板にはうどん一杯銅貨1枚と書いてあった。
ラビイチは銅貨と銀貨の価値の差がわからず、同じ物を出して貰えるように木板を指差し銀貨を番台に置く。
少し困った顔をした女性に、ラビイチは何か失敗したのかと不安になり、おばちゃんを呼ぶ事にする。
階段を下りて行ったラビイチを見た女性は、番台の内側へ銀貨を移動させると静かにその場を離れて行った。
「ラビ! ラビ!」
「どうしたんだい! 手を放しておくれ!」
ブラウニーを抱えたおばちゃんを抱えたラビイチが階段を上がってきた頃には、店の前に人の気配は無く、返却用桶にどんぶりが一つ浮かんでいるだけなのであった。
「銀貨1枚? あんた何したんだい?」
番台の内側に置かれた銀貨1枚を手に取りおばちゃんは問う。ラビイチは両前足を上げると顔を左右に振る。
うどん玉が一つ減っている事に気が付いたおばちゃんは、まだ湯が張ったままの釜を見て何かを察した。
「あんたもなかなかやるみたいだねぇ……取っときな!」
「ラビッ!」
ラビイチは投げてよこされた銀貨を両前足でキャッチすると素早く階段を下りていく。
これ以上用事を任されるのは困る、と思ったラビイチは通路前に待機していたラビニとラビサンを引き連れて洋館へと戻る通路を疾走するのだった。
おばちゃんとブラウニーの交渉が続く中、ラビッツ達は今日の狩りへと向う。
一応完成したリトルエデン緊急脱出通路の出入り口には、『関係者以外、出入り禁死』と彫られた巨大な扉が立てかけられていた。




