第105話 洋館の主
「なんだこれ」
「目がー!」
「眩しいかな!」
両脇に抱えたメアリーとオーキッドが両目を押さえて呻いている。広間に突入してすぐ上昇すると、天井スレスレにくっ付き結界を張りながら広間を見渡した。
円形の広間は円柱状の形をしているらしく、入ってきた入り口は丁度中央くらいの高さにあった。
部屋の真ん中には、葉っぱの無い光る木が生えており、神々しい光りを放つとその葉の無い枝から光りの粒を振りまいている。
円柱状の部屋の壁は何故か滝の様に水が流れており、天井付近にある光る水晶からその水が出ているのが確認出来た。
広間には色々な場所から様々な植物が生えており、その多種多様な形状と色合いで目を楽しませてくれる。
そして一番ボクを驚かせた事は、部屋が綺麗に四分割されている事だった。
入って来た場所は優しく暖かな風が草木を揺らし、花びらが舞う春のエリア。
左手側では降り注ぐ太陽光に似た何かが植物に漲る元気を与え、青々とした葉を生い茂らせている夏のエリア。
右手側では紅葉が始まり、様々な植物の実が生り、収穫の秋を迎えたエリア。
そして正面一番奥には、大粒の雪が地面から舞い上がり、最奥の部屋を守るかのように氷雪に閉ざされた冬のエリアが見える。
「マスター……」
入り口から飛び出てきたラミアは、重力に身を任せて落ちていく。幸い円柱の部屋の底には、透明度がやけに高い地底湖があるので怪我はしないだろう。
「一応声を出さないように。あとちょっと冷たいけど我慢してね」
小脇に抱えたままの二人に一言声をかけると先ほどと同じ方法で体温を下げていく、今度は体の表面に水滴を纏い氷の膜を形成する。
「ちょっと!? 何処に顔突っ込んでるの!」
「寒いかな……」
寒さに慣れていないのか、オーキッドがボクの胸元に鼻先を突っ込んできた。
シャバシャバと水をかく音が聞こえ、眼下に広がる湖を眺めるとラミアが体をうねらせて器用に泳いでいるのが見える。
「蛇って泳げるのか。いや、手を使ってるしラミアだから?」
「昔食べた川蛇は美味しかったかな」
オーキッドは昔食べた川蛇の味を思い出したのか、胸元で喉を鳴らすと自分の鼻先をペロリと舐める。
ラミアの行方を目線で追うと、部屋の真ん中に生えている葉っぱの無い木の根元へと一直線に向っているようだった。
木の根元には大きな洞が有り、中に誰か居るのか人影がゆっくりと動く。
ラミアは洞の中を覗き込むと、上半身だけを中に入れ両手で何やらモゾモゾやっている。
「あんっ、こらぁ、やめるのじゃ。まだ明るいではないか……もう少し眠らせて――」
「――何かエロイ声が聞こえる。聞き覚えがあるような?」
洞から聞こえてくる嬌声にも似た甘い声は、ラミアがモゾモゾする度、次第に大きくなっていった。
「これ以上聞いているのは不味い気がする。今のうちに逃げるのを提案するかな?」
「私もその意見に賛成、カナタはまだ居たい?」
「賛成であります! 決してそんな事は……でも聞き覚えがある声の気が?」
顔を赤らめたオーキッドがモジモジし始め、メアリーが牙を剥いたまま問いかけてくる。メアリーは尻尾で太股を叩く事も忘れない。
「そんなっ、舌がぁ、そこは舐めちゃ、んんっ……ん?」
「あ、バレたかも?」
声が止まると同時に刀身が真っ黒なレイピアが一本、風を切りこちらに向かって飛んでくる。瞬きする間も無く爆音と共に結界に衝突したレイピアは、黒い煙となって視界を覆いつくした。
衣類を直す衣擦れの音が聞こえ、『ご飯……ご飯♪』とラミアの嬉しそうな声が聞こえてくる。こちらに向けられた殺気にも似た視線。本能が撤退という選択肢を選ぶよりも先に声がかった。
「カナタか? 出てこんのなら、次は全力で結界を壊しに行くからのう……」
低い、途轍もなく低い声での問いかけに背筋が凍る思いがする。実際、体を覆う氷の膜が冷たかったのも有るかもしれない。
「何も聞いてないとか、しらを切るつもりは有りません。でもここに来たのは、そこのラミアに追われて仕方なくですね……」
「姿が見えんのう……出てこんのじゃな? 『闇の深遠よりいずるは我が祖アイ――」
言い訳を聞き入れてもらえるとか、もらえないとか、そんな話しじゃなかった。
結界を解除すると部屋の真ん中寄りの地面に飛び降り、フライング土下座で着地する。メアリーとオーキッドの二人は、着地する前に背後の草花の前に降ろしておいた。
エウアの唱えた何かの詠唱は、ガチでヤバイ分類の魔法か何からしく、全身から冷や汗が吹き出て体温が数度下がった気がする。
「で?」
「で? とは?」
恐る恐る顔を上げると、頬を赤く染めたエウアが、背中にくっ付くラミアの頭をチョークスリーパーしている謎の光景を目撃する。
「わざわざこの屋敷の上部を提供してやったのじゃ。何故結界で封印された地下の通路に入り込んだ? 何も知らせていなかったとは言え、アレだけ厳重な結界じゃ……オイ? カナタ、まさか……!?」
一人で話し始め、何かに気が付き顔色を青く変え、手元に魔法陣を描くエウア。置いてけぼりである。
「どうやった? いや、この場合、何故壊したと聞くべきかのう……アレだけ厳重な封印の結界をわざわざ壊す馬鹿が……ここに居ったようじゃのう。はぁ……」
「マスター……ご飯……」
悲しげに泣くラミアを放置したまま、エウアは一人溜息を吐いた。どう考えてもこちらに非は……有るかもしれない、けど情状酌量の余地は有ると思われる。
「とりあえず盾ぶつけたら壁が壊れたので探索に来ました。結界壊して、すみませんでした」
奇妙な生物を見る様な目でこちらを凝視してくるエウア。照れくさくなり視線をそらすと溜息を吐かれた。
「はぁ……盾をぶつけたくらいで壊れるやわな結界じゃないんじゃがのう。
オーキッド、今後とも屋敷の上半分はカナタの指示に従い好きに使って良いぞ? メアリーも教会跡地の地下に穴を掘るのは良いが、下手に掘ると地下ダンジョンに繋がりかねん。あとでレイミーに案内させる、屋敷までなら掘る事を許す。
ここには来てない様じゃが、ルナに会ったら言っておけ。大きなサイフを他人に持たせたまま商売はするなとな。
それで、カナタは何の用かのう?」
無言で両手を上げて万歳するオーキッドと、罰の悪い顔で小さく肯くメアリー。色々助言をくれると、まるで心でも覗いたかのように、ボクの顔を見てニヤニヤと微笑むエウア。
「お腹……空いた……」
レイミーと呼ばれたラミアが、その長い舌でエウアの腕をペロペロ舐めている。
「あの、先にご飯を食べさせてあげた方が良いと思います。えっと、席外した方が良いですよね?」
「何を勘違いしとる!? さっきのはじゃれて来ただけじゃぞ! レイミーのご飯は魔力か魔力の篭った血じゃからな!」
顔から火でも噴出しそうなほど顔面を真っ赤に染めたエウアは、ホールドしたままのレイミーのオデコをペシペシ叩く。
エウアは自らの人差し指を親指の爪で傷付け、薄く血が流れたその指をレイミーの口に突っ込んだ。
「んちゅ、ぺろ、ちゅぱ、ん~、ちゅっちゅ……あぁん」
一心不乱に指を吸うレイミーは、エウアが指をゆっくり離すと、残念そうに指先を見つめたまま項垂れる。
「そういえば、何で従魔のレベル999で止めてるんですか?」
「なんじゃと!?」
何気なく聞いた一言に予想外の反応を返してくるエウア。
レイミーを放り出し、土下座したボクの目の前に正座すると、両肩をガッチリホールドして息のかかる距離から睨みつけてくる。
「いや、レベル1000で更に進化しないのかな~って思っただけですから。何か変な事聞いたのなら謝ります、ちょっと近いですって!」
「つかぬ事を聞くが、カナタの従魔のラビッツは――今レベルいくつかのう?」
無理やり笑みを作り、小首を傾げる可愛らしい仕草で聞いてくるエウア。だけど油断出来ない、目が獲物を前にした狩人の目だ。夜のマーガレットは、ボクをよくこんな目で見てくる。
何か不味い事を聞いたのか、それとも……もしかして?
「レベル1000前後で今の体型に進化してからはステータス確認していないので。多分今はもっと上かな? もしかして、レベルの上限とかあるんですか?」
「ほうほう……魔力の差か? それとも……血か、両方か? その質問についての答えなら、上限は有る。個別なのか、種族固有なのか、はたまた生まれ持った素質なのかは分からんが、成長が止まる事は有る」
エウアは笑顔のまま両肩に爪が食い込むほどガッチリホールドしてくる。まるで絶対に逃がさないよ、と言うかのように。
「レイミーの為に、血を一滴欲しいんじゃがのう……」
「とりあえず両手を離してください、あとレイミーが背後に回りこんで舌をこっちに伸ばそうとしてるので止めてください!」
従魔は主に似るのか、いつの間にか背後に回ったレイミーは尻尾でこちらを包囲し、長い舌をチョロチョロとこちらへ伸ばしてきている。エウアとレイミーのコンビネーションでいつの間にか逃げ場が無くなってしまった。
ここで押し切られて対価無しに血を提供するのはダメだ。スマホの中で苦しんでいる――時間が止まっているのでそのまま待機しているソフィアを、何とかする方法と引き換えかな!
「交換条件があります!」
「言ってみるが良いぞ? 今なら何でも言う事聞いてやっても良いかもしれん」
「あぐあぐ……歯が立たない……」
エウアの爪が激しく肩に食い込み、レイミーがうなじ辺りに噛み付いてくる。どう考えてもこの二人、交渉前に血を奪う気満々だ。
「こそばいから離れててね?」
「結界? いや、物理保護魔法? うむ……何でも聞くと良いぞ?」
「しょぼん……ご飯……」
残念そうに手を、口を離す二人。背後ではメアリーとオーキッドが周囲の探索を始めていた。
「吸血鬼化が進行中の人間を何とかする方法が知りたいです。可能であれば最善は人間に戻す、次点で吸血鬼化の停止または吸血鬼化しても意思を保てるようにする。最悪は……」
「皆まで言うな、分かっておるからのう。進行具合が知りたい、何処に居るのじゃ?」
エウアの視線が部屋を探索中のメアリーとオーキッドを追う。
流石に他人の庭で採取を開始するほど二人も礼儀知らずでは無い。メアリーがスマホのメモ帳に色々書き込んでいるのが若干不安ではあるけれど。
「スマホから出して、見て、OKならすぐスマホに戻すので言ってくださいね? 行きますよ?」
「ん? すまほ? どういう事じゃ?」
クエスチョンをいっぱい浮かべ首を傾げるエウア。レイミーは探索するメアリーとオーキッドに興味が移ったのか、二人の後を付いて周っていた。
エウアの丁度前、草がクッションになる地面にスマホからソフィアを出すと、念の為に手足を結界で固定する。
「あ、そと? うぐっ!」
あたり前だが、ソフィアはあの時のままだ。苦しそうに何かに抗う姿を見て、思わず治療をかけそうになり寸前で思いとどまる。吸血鬼、不死者、アンデット、治療が害になる可能性がある。
ボクは手を握ってあげる事しか出来なかった。
「聖遺物――いや、こんな効果を持つ物など聞いた事が無いのう……神器か!?」
「ボク以外使えない能力です、厳密にはスキルでも無いので多分盗む系のスキルでも取られません。取り合えずそんな事どうでも良いので、状態を確認してください!」
多少怒気をはらんだ催促の声に、エウアは頭を左右に振ってソフィアの状態を確認する。
「もう分かった。戻して良いぞ?」
ソフィアを軽く眺め、口内を確認したエウアは、冒険者リングに触れ何か小声で呟くと検診を終了する。
時間にして数分、簡単に眺めて触れただけの様に見える。
「で、どうなんですか? エウアは真祖だとマーガレットが言っていましたよね? つまり最悪人間に戻せなくても、自由意志のある吸血鬼には出来るって事ですよね? どうなんです! 報酬は血で、なんだったら一滴と言わず二滴くらい――少量なら追加で差し出します……噛むのはダメですからね!」
「落ち着け! 手を離せ、馬鹿力すぎるぞ? ん!?」
気が付くとエウアの両手首を痣が出来るほど力いっぱい掴んでいた。
反射的に痣を治療で治すと、エウアがこちらを見て驚愕しているのに気が付く。
「治った?」
「危ない! 危うく【治療C】で削り殺す所だったかもしれない……吸血鬼にも回復スキルって効果あるんですね?」
自分の手首を擦りながら顔を青ざめさせたエウアに、ボクは大変な事をしでかしたのだと遅れて気が付いた。咄嗟に媚び媚びな笑みを浮かべると、精一杯可愛く首を傾げる。
「何が、ね? じゃ!! 真祖になって初めて死の恐怖を感じたぞ! トンでもない魔力で治療しおって、浄化されでもしたらどうするつもりじゃった!」
「す、す、すみませんでした!」
こめかみに血管を浮かび上がらせて、両の拳をプルプル震わせながら握るエウアに、どうして良いのか分からず土下座する。エウア激オコ、メアリー助けて!
横目でメアリーとオーキッドをチラ見すると……二人はレイミーの背中に掴まって秋エリアに移動し、収穫の秋を満喫中だった。
「カナタ? 今後何かあった時はヨロシク頼むぞ? 嫌とは……言わぬよな?」
「サーイエッサー!」
「変な返事じゃのう……まぁ良い。考え様によっては、最高の万能薬と無限の吸血元を手に入れたも同然じゃ。嬉しいのう~♪」
「……無限じゃないデス」
「ん? 何か言ったか?」
「滅相もございません! ソフィアは助かるんですね?」
若干頬を赤らめ、口の端からヨダレを一滴溢しながら何か危ない未来を妄想するエウア。
口答えすると更に酷い事になりそうだったので話題を戻す事にした。
「方法は三つじゃのう。まず一番簡単なのからじゃ。
一つ、このエウア=エデンの眷属に加える。
二つ、カナタの血で吸血鬼化を促進させ従魔として迎え入れる。
三つ、これは一番難しいが効果は折り紙付きじゃ。真祖に転化させる。
報酬は奮発して貰うんじゃ、好きなのを選ぶと良いぞ?」
「少しだけ考えさせてください」
当然の如く、人間に戻すという選択肢がエウアの口からは出なかった。
鼻歌を歌いながら虚空からワイングラスを取り出し、ボクの血を虎視眈々と狙うエウア。
一つ目は一考の余地がある。眷属化ならボクも使えるので眷属にすれば良い?
二つ目は……ソフィアは明確な意思を持つ吸血鬼として生まれ変わる? 元人間を従魔として扱って良いモノなのか、これはボクの気持ちの問題だ。
三つ目は一番可能性がある。真祖に転化出来るのなら逆は? もしかすると人に戻れる?
「聞いても良いですか?」
「なんじゃ? 久しぶりに思う存分、新鮮な血を堪能できるのじゃ。何でも聞くが良いぞ?」
バーテンダーの様に、空のワイングラスを布でキュッキュと拭くエウア。
いつの間にか一滴二滴では済まない話になっている。どうしてこうなった!
「眷属化ならボクも使えるのでそれで良いのかと、真祖になるメリット・デメリットと、真祖から人へ戻れる可能性の事です」
「……眷属化が使えるのなら構わんぞ? カナタは真祖をどんな存在だと思っておる? 話はそれからじゃのう……」
一瞬驚いた表情を見せるも、葉っぱの無い木を見上げて問いかけてくるエウア。
どんな意味の質問なのか? 遠くを眺めて問う一人の少女の声は、どこか悲しげで、泣き言のようにも聞こえた。
「真祖……魔法や何らかの方法で自ら望み吸血鬼になった者? 弱点がほとんど無くて、吸血して眷属の吸血鬼を量産出来る者? 永遠を望み、世界の行く末を監視する存在?」
「……知らん様じゃな。――概ねその通りじゃが、最後のくさい詩の一片はどうなんじゃ?」
ニヤニヤした笑みに戻り、鼻を両手で隠しながら茶化してくるエウア。思いつきで言った事は認めるけど、そこまで過剰に反応されると困る。
呟くように漏らした始めの一言は、聞こえなかった振りをする。エウアは何を知っている?
「取り合えず! 眷属化するとどんな感じになるんですか?」
「主の存在で上書きされる。吸血鬼化中のその娘に使えば、カナタと言う存在で上書きされるのう」
「えっと、意味が分からないんですが。人間と言う種族で上書きされる? 元に戻る? んん??」
エウアの言葉の意味が分からない。単純に考えると吸血鬼と言う種族を人間と言う種族で上書きする?
現在眷属のうちのルナとメアリーは獣人のままだ。従魔にも眷属化は使ってある。
「――まぁ気にするな。いずれ分かる時が来るのじゃ。今後、多用するのは控えた方が良いかもしれんのう」
「はぁ……それでは今すぐに使っても良い感じですか?」
「ちょっと待て! 良い場所があるのじゃ! そちらに移動してからするが良いぞ? なに、目と鼻の先じゃからのう」
急に慌てて立ち上がると、お尻に付いた草土を払い、こちらの手を引いて部屋の奥に向い始めるエウア。
ぎこちない笑顔が怪しい、何か企んでる顔だ。
大分時間も経っているのでそろそろ戻りたい、上で待っている皆もお腹を空かせている頃だろう。
エウアは怪しいが、こちらの害になる事をするとは思えない。
ボクは秋エリアで収穫中のメアリーとオーキッドに手を振ると、エウアの向う先に目線を向けた。
 




