幕間 雪とココ
カナタ達がダンジョンに潜っている時、雪は……!
私は豹屋敷雪、生まれる前の記憶を持っている。
自称神と言う胡散臭い天使に済し崩し的に転生させてもらい、イデア=イクス世界にやってきた。
正直に言うと日本での事は余り思い出したくは無い。毎日同じ仕事の繰り返し、歳と共に増えていく部下、バリバリ働くキャリアウーマン? ただ仕事しかする事が無かっただけだった。
事の始まりは良く覚えていない。仕事帰りに横断歩道を渡っている時、後ろから受けた重い衝撃と、頭に響いた耳障りなクラクションの音を最後に日本での記憶が途切れた。
地球を見下ろす謎空間で自称神と会い、数分の会話の後この世界に生れ落ちる事となった。
イデア=イクス世界、自称神とは違う神が作った世界。
私が生れ落ちた場所は、どこかの国の王都にあるスラム街で肥溜めの様な場所だった。
本当の親の顔など一度も見た事が無い、私を育ててくれていた娼婦は私を売る為に育てていると自分で言っていた。
内心自称神に文句を言ってやりたかったけど、どうする事も出来なかったのでその待遇を甘受する。
「……!」
ある日、寝床にしていたスラム街の片隅にあるボロ宿に戻ると育ての親が死んでいた。すぐに街の兵士がやってきて死体を片付けてしまった。
葬儀も無く、ただ宿を追い出され、その日を境に元日本人としての私の日常は非日常へと変わる。
生きる為なら殺し以外の大抵の事はやった。自分より弱い者への恐喝、盗みに詐欺、今思い出せば可愛い悪戯だ。
殺しをする度胸は無かったし、身体を売るには絶望的に肉が足りなかったと思う、骨に皮が張り付いたよりは少しマシなガキなど誰も見向きもしなかった。
「おい!」
自分で選択肢を選べる時はすぐに来た。
いつも通り弱者が通るのを物陰に隠れて待っていた時の事。初めてその青年を見た時は、荒ぶるケモノかと思った。
滲み出る殺気を隠そうともせずスラム街を練り歩き何かを探す青年。手には縄を持っており、縄には奴隷が繋がれていた。
引きずられている奴隷は、適当に選んだかの様に容姿・性別バラバラで、唯一の共通点は髪か瞳がグレーより少し濃い、黒に近い色をしている事。
目が合うと『ついでだからお前も試すか』と言い、私の手を引っ張りどこかに連れて行こうとする。抵抗しようと思い数秒考えるも、ろくに食べる物も食べていないこの体じゃ抵抗するだけ無駄だと思い直し付いて行く。
連れて行かれた場所は、生まれて初めて見るような高級宿。
入り口に強そうなガードマンが立ち並び、一般人は入れない貴族御用達の宿だった。
湯船に張ったお湯に入り、温かいご飯を食べ、部屋の扉が見える一番ベットから遠い床で丸一日死んだ様に眠った。
今思えば……この時が私の分水嶺だったのかもしれない。
「聞こえてねーのか! 姉ーさん……?」
翌昼、鉄臭い臭いに違和感を覚え薄っすらと目を開けた。周りには昨日の奴隷達の頭が転がっている、悲鳴を上げそうになる自分の口を無理やり閉じ、喉を握り潰し、周囲の様子を窺った。
青年が起きている奴隷に何か二言三言質問をして首を捻り切っていた。
目線だけで入り口の扉を見ると、逃げようとして殺されたのか上半身だけになった奴隷が転がっているのが確認出来た。
全神経を耳に集中させ、青年の言葉を盗み聞く……『お前の名前を言え、地球での名前だ……』始めは理解出来なかった。イデアイクス世界の言葉では無い、地球の数ヶ国の国の言葉で名前を聞いているのだ。
答えれなかった者、イデア=イクス世界の言葉で適当に名前を言う者は殺される、そう理解した私は生まれて初めて自称神に感謝した。必死で日本語を思い出す、発音を忘れ自分の名前すら言えるか怪しかった。
奴隷が残り二名になった時、残った二人の子供に質問し答えを待つ青年へと声をかける事にする、『私は豹屋敷雪日本人よ』と。
子供の様に笑い握手を求めてきた青年は、その握手した手で子供を殺そうとしたので思わず止めてしまう、意外そうな顔で『好きにしろ』と言い隣の部屋に移動した青年を追った。
その後、暗殺者としての才能を見出されて様々な技術を叩き込まれた。
来る日も来る日も行なわれる、厳しい修行と言う名の拷問。その時助けた子供に下の世話までして貰わなければいけなくなるほど厳しい日々が数年続く。
終わりは唐突に訪れる、青年が魔王に挑み死んだと聞かされた。
その言伝を持って来たのは、数日住みかを離れると言い青年が連れて行った子供の片割れで、それだけ言うと目の前から霧の様に消え去った。
もう片割れの子供に聞いても何も覚えていなかった。初めから一人だったと言う子供を前に、自分はもう壊れていたのだと自覚する。
「すいません~忙しい時に、このお客さん変なんですよ。ボーっとして話しかけても反応しないし、気味悪いし、商売上がったりで……警備隊の方の手を借りる事になってしまって申し訳ないですが、お願いします」
「この方ですか? ふ~ん? この装備? 何で?」
その後、残った子供に全財産を与え、まだ仲が良かった頃の隣国へと送り出す。
私は暗殺業に手を染め、坂を転げ落ちるかの様に暗い闇の底へと身を投じる。
気が付けば王都暗殺者ギルドで知らない者は居ないと言われるほど有名なクラン『影の牙』の長にまで上り詰めていた。
「もしも~し? 魂抜けてます?」
そして終わりは唐突に訪れ、カナタと言う者に呪いをかけられる。『罪を償い自分自身も幸せになる事。それまでは死ぬ事は許さないし、他人を悲しませることも絶対ダメ!』そんな夢物語、私に求めるのは止めて!
唯一の心残りはあの時の子供、名前はもう覚えていない。
「この服を着ているって事はカナタ様の身内の方ですね、ここは少しでもお役に立って甘味を差し入れて貰わなければ……」
私は王都に付くなりいきなり解放された。元仲間だったクラン員を城の兵隊に突き出すカナタを眺めていると、引渡しの報酬を丸ごと渡されてそのままポイッだ。
意味が分からなくて問いかけようとした瞬間、スマホを渡され『一応名前だけ注意してね? ユキ、もうスノウパンサーは居ないのだから。このお金は当面の生活費、少し一人で考えたい事も有ると思うから……宿の泊まり方とか分かるよね?』と言われ解放されたのだ。
「声をかけてもダメなら……実力行使します~。中々おっきいですっ!? 着痩せするタイプか~」
人が物思いに耽っているのに邪魔をされた。若干苛立ちつつも私の胸を揉みしだく小娘に意識を向ける。
「何をっ! え……!?」
「オーッと残念、これが無理なら自室に連れ込んでハァハァする予定がぁ~。目、覚めました?」
私の目の前には、顔の前で両手を振りニコリと笑顔で話しかけてくる小娘が居る。
この小娘、見た事がある? 違う、そんなはずは……でも?
「邪魔しないでくれる?」
「そう言われても、営業妨害で訴えられてます。少し移動しましょうか?」
私は報酬の袋から銀貨を1枚取り出しテーブルに置き、逃げる様に食堂から立ち去る。
「お客さん~! お釣り! 銀貨とか多すぎますって~」
耳障りな声は聞きたくない、気配を消し路地裏へと入っていく。
どこかに宿を取ろう、この街にもスラム街は有る筈だ。物取りが好みそうな、部屋に鍵も掛からない安宿を探そう、少し憂さ晴らししたい気分だった。
路地裏を走り抜ける、奥へ奥へ……見つけた。
どこの王都にも有る薄汚れた場所、掃き溜めとなったその街は懐かしい匂いがした。
思ったより浮浪者の数が少ない? 子供が見当たらない、奴隷商人が連れて行った?
わざと視線を彷徨わせ、辺りを仕切りに見回し迷子になった娘を演じる、これで人攫いが釣れるはずだ。
何故か反応が無い?
仕方ないのでスラム街の奥へと足を運ぶ、丁度良さそうな安宿を見つけ中に入る。
「一晩泊まりたい」
「……他を当たってくれるか?」
意味が分からず店番をして居る親父の顔を見つめると、視線が私の後ろに移動した。
「若い女性がこんな場所に泊まるとか言語道断です。……カナタ様の身内になにか有ったら甘味が貰えなくなるじゃないですか!」
「私の勝手でしょ? うざいんだけど?」
「はいはい、分かりました。一緒に行きましょうね? こっちです」
私の手を無断で握り、引っ張り走り始める小娘。思ったより体を鍛えているのか、手を握る力は強いし足も速い。
「どこに連れて行く気? もうほっといて欲しいんだけど?」
「はいはい、分かってますから。もうすぐ付きます」
話しを聞く気が無いのか無視されているだけなのか、私は手を引かれ古ぼけた孤児院へと連れて来られた。
「はい! マイスイートホームです! ここなら安全! お布施さえ貰えば無料で泊めてあげられます、ご飯まで出してくれます~」
「そう、じゃあね。サヨウナラ!」
私は手を振り解き走り出す、お布施を貰らう時点で無料じゃないとは突っ込まない。
後ろを振り返ると小娘が子供にお菓子を見せびらかしていた。
「集合~!! あのお姉さんを捕まえて来た人には、最後の一枚になったカナタクッキーを上げちゃうぞ~」
「「「「「「わぁーー!!」」」」」」
蜘蛛の子を散らすように間合いを広げながらも、私を狙い走り寄る子供達。
私は全力で走り出そうとするも数秒遅かった。石と縄で作った手製のボーラが四方八方から飛んで来て全身に絡まり、瞬きする間に動けなくなってしまう。
「子供に何教えてるの!? 解いて」
「全員で捕まえたのでこのクッキーは無かった事に――ちょ、待って! 嘘です、全員分あります!」
クッキーを貰えないと分かると、子供達は手の平を返した様に狙いを小娘へと変える。
袋から取り出したクッキーを半分に割り子供に配っていく小娘、記憶が正しければクッキーなどのお菓子は高級品で孤児院の子供がありつける代物ではない。
クッキーを食べて満足したのか子供達は孤児院の中に入って行った。
「さぁ、もうすぐ晩御飯の時間です。部屋は空きが無いので私と同じ部屋ですけど、良いよね?」
「これを解け! クソ! 変な所を触るな!」
絡まったボーラごと体を抱えられ孤児院へと引きずり込まれる。
「ふむふむ、この匂いは! 今日の晩御飯はラビッツシチューです! 早くしないと私達の分が無くなります!」
「はーなーせー!」
人の言葉を理解出来ていないのか、小娘はボーラの絡まった私を抱えたまま食堂へと入っていった。
食堂には大人が六人座れば満席になるくらいのテーブルが一個中央に置かれていて、子供が九人と老婆が一人身を寄せ合って座っていた。空いている席は一つだけ、何を思ったのか空いてる席に私を座らせると立ったままご飯を食べ始める小娘、誰も何も言わないし老婆は微笑んでいるだけだった。
私の前に置かれた木製のスープ皿には、ラビッツの肉と申し訳程度に葉野菜が浮いた薄いスープが注がれていた。ボーラが絡まったままなのでスプーンを持つ事は愚か、手を動かす事さえ出来ない。
「クソ婆、解け?」
「あらあら、まあまあ」
殺気を込めて老婆を睨んでやると、ニコニコ笑顔のままボーラを解いてくれた。
子供達の視線が痛い、これはどういうプレイなのか……
スプーンを手渡されたのでシチューを一口食べてみる。ラビッツの肉は不思議と美味しいが、スープは不味い、いや、味が薄い? 鳥のササミを薄い塩水で煮込んだ様な味だ。
スプーンを置き逃げようと席を立つと、子供達が一斉にこちらを睨んでくる。
「「「「「「お姉さん、食べないなら頂戴!」」」」」」
子供達が睨んでいたのはこのラビッツシチューだった。自分の勘違いに気付き顔に血が上るのが分かった。
無言で席を立ち食堂の出口へと向う、小娘が立ちはだかる。
面倒なのでもう一つあった扉を開け中庭に出る、周囲を見回し外に出て行けそうな場所を探す。何故この孤児院はこんなに塀が高いのだろうか……
外はもう暗くなっており、一日ボーっとしていただけなのに全身の疲労感が酷い。
「部屋に行くより先にする事があります!」
「もう良い、とりあえず明日出て行くから。今日は適当に廊下で眠らせてもらう」
手を引かれるままに付いて行くと、離れに建てられた少し大きな小屋へと連れ込まれる。
小屋の中は二室に区切られており、奥の部屋には大人が三人寝転がっても大丈夫なくらい大きく丈夫そうな桶が設置されていた。
桶の中には液体がなみなみと貯められており、薄っすら湯気が立っている様に見える。お風呂だ!
村長をやっていた時には、週に一度全員でSPを消費して大風呂に湯を張り、力の強い者順で入ったものだ。
「脱いだ服は籠に入れてください、足元滑るんでゆっくり入ってくださいね?」
小娘の言葉などもう頭に入ってこなかった。無理やり着せられた驚くほど着心地の良い服を脱ぎ、長年愛用した下着を投げ捨てる様に籠に入れると桶に飛び込む。
「キャァァァァッ!?」
「心臓に遠い位置から順番に浸からないと、体がビックリしますよ?」
真水だった――それはもう冷たい井戸水。知っていたのか悪戯が成功した子供の様に笑う小娘に殺意を覚える。
「ココねーがまたやってる~! 誰にでもやるんだよね~」
「ほんとココねーが一番子供だよね~」
「わざわざ湯気だけ作るとか無駄にSP使ってまで何してるんだか~」
子供達が部屋に一斉に入って来る、手には小さな桶を持ち、手拭いまで頭に乗せていた。
すぐ桶には入らず、手だけを真水に浸しそれぞれが生活魔法を使い始め、すぐに真水は熱いくらいのお湯へと変わった。
子供達が体を洗い始めたのを見て自分はそのまま桶に飛び込んだ事を思い出し、恥ずかしくなり一緒に並んで座り体を洗う。
ココと呼ばれた小娘が自分の桶から手拭いを二つ出すと一つ頭に被せてきた。
ありがたく頂戴して、頭の天辺から足の先までヌルヌルする植物の液体を使い洗う。
「最近の孤児院は、お風呂付で石鹸液まであんの? 贅沢ね」
「ヌル蔦の事ならメアリー様からの差し入れです、この大きな桶もメアリー様から、先ほどのクッキーはカナタ様から、常備されているラビッツの干物はルナ様から、出会ってすぐの赤の他人にこれほど良くしてくれる人に始めて会いました。この出会いをイデア=イクス様に感謝いたします」
目を閉じ両手を胸の前で握り、神に祈り始めるココを見ると何故か心がざわめいた。
――私にはそんな出会い無かった。
隣に座ったココの体には、訓練で付いたのか小さな傷があちらこちらに付いていた。
――私の体には二度と消えない拷問の傷がある。
屈託の無い笑顔を子供達に向けるココ、子供達もココを信頼し姉と呼び慕っている。
――私にはもう何も残っていない、あの時分かれた子供もどこかで野垂れ死んでいるだろう。
仲良くお湯に浸かり、鼻歌を歌う幸せそうな子供達……壊してやりたい。
「他人の施しを受け、惨めだとは思わないの? それとも育った子供達を、将来見返りとして奴隷に差し出すわけ? 慈善事業なんてこの世界には無い! どいつも腹の中にどす黒いタールの様な欲望を持っている! あのカナタって娘も何人もの嫁をはべらして、とっかえひっかえ欲望をぶちまけてるはずよ!」
私を見て怯える子供達、体の芯に熱い何かが溢れてくる。
「かわいそうな人……ユキには、神のお導きが無かったんですね」
ココの頬を伝う一滴の涙を目にした私は、両手を伸ばし、その細い首に指をまとわり付かせると徐々に力を込めていく。
「泣いて命乞いしなさい、ガキ共は目を閉じるな! 大事な大事なココねーが泣いて命乞いするのを見るんだよ!」
「――ユ、キ」
少しずつ抵抗が弱くなって行く、加減が分からず指の力を少し抜く。早く泣け……命乞いしなさい!
子供達は何故か動こうとしない、大事な姉を痛めつけられて逆上すると思っていた。
視界が狭まっていく、もう目に映るのはココの歪めた顔だけ。
「何故! 早く泣いてよぉ!」
「スノウパンサー!」
「え?」
力を弱めた指が解け、ココの胸が眼前に迫ってくる、温かな柔らかい感触、甘い匂い、不思議と心が落ち着いた。
「一番辛い時に一緒に居てあげれなくてごめんなさい。ユキがどうなってるか知っていたけど助けに行けなくてごめんなさい。私だけ幸せに生きてごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……」
何故、謝るの? 何故、私の名前を知ってるの? 何故、抱き締めてくれるの? 何故、何も無い私を?
鈍い金属の捻じ切れる音が聞こえ、冒険者リングだった物が壊れ指から落ちる。
隷属魔法がかけられ黒銀色になったそのリングの破片には、見た事も無い真っ赤な指輪の破片が混じっていた。
心の中に有ったざわつき、身体を内から焦がすような焦燥が嘘の様に消えていく。
見える世界が色付き、新鮮なモノに見える。狭まっていた視界が広がり、泣きそうな子供達の顔が目に入る。
遠い昔の記憶が脳裏に浮かぶ。
国境の村で離れたくないと泣き叫ぶ子供を、お金で雇った引退冒険者のお婆さんが宥めている光景。
私はその光景に目を背け、暗い闇の底へと歩んでいく。
私は逃げ出したのだ……どこかで心の支えにしていた青年を失い、心を守る為に見ていた偶像の子供を失い、最後に残った私を見てくれる唯一の存在を失う事に怯えて。
次々と浮かび上がる古い記憶、改竄された現実。
自称天使の言葉が耳によみがえる、『僕の駒となって世界を――神を滅ぼしてきてよ?』。
そして指にはめられた隷属の指輪。
自分の口が勝手に悲鳴を上げる、喉が潰れそうになっても止まらない。目から、耳から、鼻から、口から、全身から血が滲み出てきた。
真っ赤に染まった視界でその惨状を眺めると、泣きじゃくるココに一言謝りたいと思い、私は意識を手放した。
壊れたのはあくまで冒険者リングに見えていた『隷属の指輪』なので雪が死ぬ予定はありません。




