【短編】不器用なラブレター
夜中の二時、俺は彼女が寝たのを確認し、こっそりとベッドを抜け出した。暗闇の中、慎重に進み、ドアを開ける。寝室を出て、ゆっくりとドアを閉め、リビングにこそこそと移動する。
リビングにでんと置いてある大きなテレビは、暗闇の中に溶け込むようで少し不気味だった。そんなテレビの前にあるソファに静かに座る。ソファの下に隠しておいたレポート用紙を取り出し、挟んでおいたボールペンを握った。リビングの明かりはつけない、すぐ隣で寝ている彼女を起こしたくないからだ。
ソファの横に置いてある照明のつまみを少しひねる。彼女が本を読むときに手元を明るくしたいから、と購入したものだ。
「明かりの調節ができるのがオシャレなんじゃない」
彼女が購入の際に言った言葉は、正直俺にとって意味不明だったが、それでも買ってよかった。まさかこんな形で役に立つ日が来るとは。
さて。
俺は小さく深呼吸をすると、レポート用紙の表紙をめくり、新品のそれに大きな字で「結婚してください」と書いた。
分かりやすい、ストレート一直線。よし、次。
「一生、俺のためにお味噌汁を作ってください」
結婚してください、の字の下に、自信のなさそうな文字が並ぶ。すぐに右矢印を書き、「古風」と付け足した。彼女は古風なものが好きだろうか? ……古風の隣にもう一度右矢印、「俺は好きだけど、あいつは多分、ふって笑う」。
次、「君との子供がほしい」――分かりやすいが、「プロポーズの言葉はもっとロマンチックなものがよかった」と一蹴されるだろう。書いてすぐに、隣にバツ印を書いた。
彼女はロマンチストなのだ。少女漫画をこよなく愛し、いろいろ買ってきては「この告白がいい」「この台詞がたまらない」と俺に見せてくる。男の俺からしてみれば、こんな男そうそういないよと思うのだが……一生に一度のプロポーズだ、勇気を出してロマンチックな台詞を言うのもありかもしれない。
場所は? 夜景のきれいな場所か、オシャレなレストラン、思い出の場所――とにかくメモだ、俺はボールペンを走らせる。
ロマンチックな言葉……「一生君の恋人でいたい、ずっと君の」ここでぐりぐりと書いた言葉を消す。だめだ恥ずかしい、なんか恥ずかしい! 「一生君の隣にいたい」この方がまだ言える。俺はその言葉を丸で囲った。気に入った。しかし、まだ考えるぞ。俺はもう一度深呼吸する。
「君を愛している、一生愛し続けると誓う、俺の傍にいてくれ」さっき似たような言葉を書いた気もするが、言い回しによってはロマンチックに変わるかもしれない――
「何してるの?」
ぎゃぁ! 叫んでしまいそうになった。部屋の明かりがつく。彼女が眠そうな目をこすりながらこちらに歩いて来る。起きたのか、気がつかなかった! 「おおう」と意味不明な声を出しながら、俺は慌ててレポート用紙を背中に隠す。
「何それ?」
「な、何でもない」
「うそだぁ」
彼女は俺に近づき、手を伸ばしてきた。
「やめろっ!」
「やだよ見せて、何? 浮気?」
「何でそうなる!」
「見せてよ」
「あっ」取られた。あっさりと取られてしまった。取り返す前に、彼女の目がすっと横に動いた。何度もその動きを繰り返す。なんてことだ……読まれてしまった。
「……何これ」
「………………ほんとね」
「……ほんと」
ふっと彼女は笑うと、そのレポート用紙で顔を隠した。俺は立ち上がり、「変なもん見せてごめん」と彼女からレポート用紙を取り返そうと手を伸ばした。
「待って、ちょっと待って」
彼女は慌てて、一歩後ろに下がった。その声が震えていたので、俺は思わず言葉を失う。言葉を探してるうちに、彼女がすんと鼻をすすった。それが合図となったかのように、彼女は肩を震わせて泣き始めてしまった。
相変わらず言葉が見つからない俺は、レポート用紙ごと彼女を抱きしめた。
「……泣くし」
柔らかい髪を撫でる。格好付かないな、俺。
「う、嬉しかった」
「ごめん、間抜けで」
俺の腕の中で、彼女はううんと首を横に振る。
「春也らしい」
だそうだ。俺は思わず笑ってしまう。
「俺らしいか」
「うん」
「夏美、まだ指輪もないけど、言うね」
「うん」
「俺と結婚してください」
「うん、結婚、する」
涙声で、彼女は言った。あぁ、と天井を見上げる。泣きそうだったが、なんとか抑えた。ここで一緒に泣いていたら、本当に格好がつかない。
彼女はそっと俺の胸を押し、少しだけ距離を取ると、俺を見上げた。
「春也のために、一生お味噌汁作ってあげる」
俺はきょとんとしてただろう。彼女は意地悪く、舌を少しのぞかせた。
ふ、と同時に吹き出し、二人で馬鹿みたいに笑った。
「古風なの、俺は好きだよ」
「知ってるよ」
レポート用紙を指差し「ここに書いてあるもん」とにやつく。
「……恥ずかしいから返して」
「やだ」
レポート用紙を背中の後ろに隠し、「こんな嬉しいラブレターはないからね」と彼女は笑った。