CASE9 女将:10
澄んだ空気が気持ちいい晴れ渡った空。奈緒の葬儀の日。
葬儀場には奈緒の友人らしき制服を身に纏った少女達が声を限りに泣き、親族たちがハンカチを握りしめ、何も言わずに佇む。
本来ならあとで行われる棺に釘を打つ作業は、葬儀が始まる前に奈緒の両親の手によって終わっていた。
川にうち捨てられていたために遺体の損傷が激しかった。奈緒という人間の記憶を、綺麗な姿のままにしてほしいとの遺族の配慮だった。それがいっそう事件の凄惨さを物語る。
車のクラクションの音が、青い空に響く。奈緒との最後の別れ。その場に残る者たちはその音を涙にくれながら聞き届けた。
梨恵と総志朗は奈緒の火葬に参列した。お坊さんの低い読経の声の下、荼毘に付される奈緒の棺を見送る。憔悴しきった奈緒の母親は棺が納められた瞬間、膝から崩れ落ち、小さく悲鳴をあげた。
「奈緒ちゃん……」
遺体を見ていないせいか、未だ現実感がない。梨恵は、奈緒の母親が涙に暮れる姿を映画の一場面を見ているような気分でぼんやりと見つめていた。
火葬の最中、遺族たちは控え室に案内され、食事を取っていた。総志朗は控え室には行かず、葬儀場の中庭で薄いブルーの空を眺める。
一月の冷たい空気。けれど太陽光線はほんのり暖かい。風も無い穏やかな天気。茶色くなって枯れてしまった芝生に寝転がり、太陽を仰ぐ。まぶしい光が目に刺さる。
「総志朗……」
控え室に顔を出さない総志朗を心配した梨恵が、総志朗の横に立っていた。総志朗は何も言わず、体の向きを変えて梨恵に背中を見せる。「一人にしてくれ」と訴える。
梨恵はそれに気付き、「元気出して」とだけつぶやいて行ってしまった。
体を横にした瞬間、涙がこぼれそうになる。日差しが目に痛い。
「……奈緒」
呼びかけても、返事をしてくれる人はもういない。どんなに探しても永遠に見つからない。
浅はかだった自分。考え無しの自分のせいで命を落とさせてしまった。
後悔は後から後から溢れ出て、心がぐちゃぐちゃになる。
どんなに後悔しようとも、もう奈緒は戻ってこない。こんなにも奈緒の温もりを背中に感じるのに、それはただの幻想で、夢でしかない。
「君が、加倉君?」
顔をのぞきこむ影。総志朗は慌てて涙をぬぐい、体を起こした。四十代後半位のたれ目の男がそこにいた。
奈緒に似ていた。いや、奈緒が似ているのだ。この人に。
「奈緒の父の、白岡栄介です」
「奈緒の?!」
慌ててスーツについた枯れ草を払い、姿勢を正す。栄介は「改まらないで」と笑って、総志朗の横に腰を下ろした。
「ずっと君に会いたかったんだよ。お礼を言ってなかったから」
「お礼?」
何のことかわからずに首をかしげる総志朗。栄介は中庭に咲く名も知らない白い花を見つめながら、総志朗に語りかける。
「君は知っているだろうけど、奈緒は中学生の頃いじめを受けていたんだ。情けないことに、私や美咲……ああ、奈緒の母親の名前だ。私と美咲は奈緒がどんな気持ちでいたか気付いてやることも出来なかった。奈緒は何度もSOSを出していたのに、私も美咲もそれを重要視してやれなかった」
枯れた芝生に視線を落とす。蟻が一匹、総志朗の手の上をよじ登っていた。
「奈緒は苦しんでた。自殺までしようとした。君はそれを止め……止めるだけでなく生きる力を奈緒に与えてくれた」
「そんなだいそれたこと、オレはしてないですよ」
蟻を振り払う。しばらく行ったり来たりしていた蟻は、そそくさとどこかに歩みだす。なんとなく、微笑ましく思う。
「人は、ささいなことで傷ついたり、なぐさめられたり勇気付けられたりするものなんだよ。奈緒は君の優しさに触れて、生きる力を得られたんだ。君のおかげなんだ。ずっと、お礼を言いたかった。今日会えて、良かったよ」
栄介の目は遠いどこかをさまよう。生前の奈緒の姿を彼も追っているのかもしれないと、総志朗はふと思う。
「本当にありがとう」
真摯なお礼の言葉が胸に沁みこむ。お礼を言われるようなことはしていない。罵詈雑言を浴びせられてもおかしくないことをしてしまったのに。
「せっかく君が救ってくれた命も……たった十八歳で結局失ってしまう……皮肉なことになってしまったが、私も美咲もずっと君に感謝し続けるよ」
胸が苦しくなる。奈緒が死ぬ羽目になったのは自分のせい。感謝されるような立場ではない。奈緒の父親を前に溢れる言葉。罪の意識が声を震わせる。
「オレの方こそ、オレの方が、奈緒……奈緒さんにたくさん救われていたんです。オレにとって奈緒は本当に大切で、奈緒にいつも笑顔を分けてもらっていたんです。なのに、オレは……奈緒に何もしてやれなかった。傷つけることしか出来なかった。オレが奈緒を……」
殺したんです。最後の言葉は声には出なかった。ひりひりと痛む目から涙が落ちそうになる。人前で泣きたくはなくて、総志朗は必死にこらえる。
「君に会って、奈緒はとても幸せそうだったよ。君は充分奈緒を救ってくれた」
栄介は微笑を浮かべ、総志朗の背中を軽く叩いた。背中から優しさが伝わってくる。
「奈緒は君といて幸せだった。君にたくさんの思いをもらって、幸せだったんだ。だから、君は何も後悔することないんだよ」
雲ひとつない青い空。冬だけが持つ澄んだ空気。冷たい中にあるからこそ感じる太陽の暖かさ。
見上げればそこに、奈緒の笑顔がある気がした。
ゆっくりと目を閉じる。喉を通っていく空気を肺に充満させ、吐き出す。心が澄んでいく気がする。
大丈夫だ。まだ、まだ生きていける。
そう思う。まだ心は闇に飲まれない。
奈緒ちゃん、笑ってたよ。
「総ちゃんが一番好きだよ」
そう言って、すごく幸せそうな笑顔をしていたよ。
あなたがいたから、奈緒ちゃんは幸せだったんだよ。
The case is completed. Next case……夫婦