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CASE9 女将:09

 奈緒の家の前に梨恵と学登が立っていた。二人とも何もしゃべらず、じっと地面を睨みつけている。総志朗は二人の目の前に車を止め、急いで車から出た。


「奈緒は?!」

「――警察」


 総志朗は眉をしかめ、梨恵の肩をつかむ。総志朗を見据える梨恵の目は真っ赤に腫れていた。


「警察って、どういうことだ?」


 唇が震える。梨恵の表情がすべてを語っていた。けれど、聞かずにはいられない。真実が言葉になるまでは、それを受け入れるわけにはいかない。


「川で、遺体が見つかったの。だから、警察で司法解剖するって……」


 一気に目の前が暗くなった気がした。優喜の言葉がリフレインする。


――あんたを想って、眠ってる。この寒い真冬の空の下、冷たい水の中でね!


「嘘だ……」

「奈緒ちゃんのご両親が、遺体の確認に行ったって。本人だったって、言ってた」

「嘘だ!」

「総志朗、本当なの」


 総志朗は踝を返し、車にもう一度乗り込もうとする。梨恵は慌てて総志朗の腕を取った。


「どこに行くの?!」

「警察だよ! 確かめてくる!」

「だめよ」

「なんで?!」


 瞬きもせずに総志朗を見つめる梨恵の目から、大粒の涙が零れ落ちた。


「遺体の……損傷が激しいんだって。奈緒ちゃんのご両親が、総志朗には見せられないって。綺麗なままの姿で記憶に留めておいてほしいって。奈緒ちゃんもそう望むだろうからって」


 梨恵の手を振り払おうと力を込めいた腕から、ふと力が抜けていった。そのままどさりと地面に膝をついた。


「奈緒」


 呼びかけても返事をしてくれる人はいない。


「奈緒」


 あの笑顔はもう二度と見れない。


「奈緒っ!」


 もう会えない。触れられない。どこにもいない。もう、どこにも。

 生きていると、いつもの笑顔を見せてくれると信じていた。信じることしか出来なかった。


「いつもそばにいてくれたのに……オレを守ってくれていたのに、オレは、奈緒を守れなかった……」


 喉の奥から込み上げる嗚咽。目の奥が熱い。泣いていることに、頬に触れてみて初めて気付いた。


「オレの、オレのせいだ。オレが奈緒を殺した……!」


 小刻みに震える手。血がべとりと張り付いている気がした。


「違う。違うよ、総志朗。総志朗は悪くない」


 総志朗の前に跪き、梨恵は総志朗の震える体を抱きしめる。


「オレがいたから、奈緒は死んだんだ! オレが……。オレのせいで!」

「やめて、総志朗。総志朗のせいじゃないよ」


 梨恵の温もりを感じる。背中をなでてくれる梨恵の温かさを感じる。梨恵を強く抱きしめる。そうしなければ、崩れ落ちてしまいそうで。深淵の闇が足元に広がっていくようで。ただ、怖かった。


「大丈夫だから。私がいるから。大丈夫だよ。総志朗、大丈夫」


 梨恵の優しい言葉が心の奥に浸透していく。

 梨恵がいてくれてよかったと、心の底から思う。足元には飲み込もうとぱっくりと口を開けた闇が広がるばかり。梨恵の手が、総志朗を繋ぎとめる。


「奈緒を守れなかった。守ってやれなかった……」


 消えない後悔。奈緒の笑顔がよぎっては、かき消されてゆく。


「ごめん……。もう少し、このままで……」

「うん。大丈夫。そばにいるから。大丈夫だよ」


 梨恵のその手だけが繋ぎ止めてくれている気がして、総志朗は梨恵の腕を離せなかった。







 暖かな光が窓から入ってくる。白い太陽光線が朝を告げていた。総志朗は重い体を起こし、漂うコーヒーの香りを嗅いだ。

 梨恵が朝食の準備をしていた。あの後のことはあまりよく覚えていない。学登と梨恵に連れられ、梨恵の家に来たような気がする。どうやら、梨恵の家に泊まったようだ。


「おはよ。寝れた?」


 昨日よりも梨恵の目は赤く腫れ上がっていた。クマも出来ている。梨恵も眠れぬ一夜を過ごしたようだった。


「昨日は、悪かったよ」

「ううん。コーヒー、飲むでしょ?」


 もしゃもしゃの髪を手ぐしで直し、総志朗はテーブルにつく。梨恵の淹れてくれたコーヒーは白い湯気をあげ、香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。


「梨恵、話があるんだ」

「なに?」


 ミルクをかき混ぜながら、梨恵は総志朗の正面に座った。


「梨恵はもう気付いているだろうけど、オレの……オレの中には何人か別の人格が潜んでる」


 梨恵はごくりと唾を飲み込み、総志朗の目をじっと見つめた。色素の薄い茶色の瞳。縁取るような緑色。いつ見ても、やはり綺麗だと、梨恵は思う。


あきら統吾とうご、ユキオ、そして光喜。オレ以外に四人の人格がいる」


 総志朗は梨恵の目を見ることが出来ず、そっと目を伏せる。懺悔をしているような気持ちだった。


「光喜の存在はずっと知らなかった。いや、存在自体は気付いていたけど、それが『光喜』という人物だとは知らなかった」


 そっと左目に触れる。時折変わる左目の色。それは自分の知らないところでの出来事ではあったけれど、嫌悪の対象だった。だから、いつもサングラスをしていた。


「この左目は、相馬光喜という人物のものだ。相馬光喜と相馬優喜は双子の兄弟で……優喜はオレたちの秘密を知っている」

「秘密?」


 梨恵の問いかけに、総志朗は微笑みを浮かべる。今にも泣き出しそうな顔で。


「オレは、オレであるために今まで生きてきた。これからもそうやって生きていきたい。でも、光喜や優喜はオレを消そうとしてる。……奈緒が殺されたのは、そのせいだ」


 総志朗から語られる真実。梨恵は言葉を発することも出来ず、ただ総志朗のその目を見ていた。強い光と共に、崩れ落ちそうな淡い光を湛えた瞳を。


「オレの敵はオレの中にいる。だから、大切にしたいと思う人を作らないようにしてた。オレを壊すためなら、手段を問わないだろうから。だけど、オレは弱くて甘えてた。そばにいてくれる人を手放せなかった」


 総志朗の目線がすっと上がる。梨恵を強く見据える。


「梨恵もきっと、犠牲になる。でも、オレが守るから。何があっても、梨恵だけは守る」

「……うん」


 同じセリフを光喜も口にした。学登は光喜と優喜は梨恵を狙うだろうと言っていたが、梨恵は信じていた。総志朗も、光喜も。


「私も、守るよ。総志朗のこと、守るよ」


 総志朗は柔らかく笑う。梨恵もつられて微笑んだ。

 強い信頼。恋人より友達より家族より、深い絆がある気がした。







 守るよ。

 その気持ちは今でも変わらない。

 あなたを守るよ。

 ずっと。ずっと。



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