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CASE9 女将:08

 クラブ・フィールドの事務室。梨恵は震える手を抑えながら、電話が鳴るのを待っていた。

 総志朗が依頼で仕事に行っている河野旅館。総志朗は不在ということでかけ直すと言われた。電話を待つ時間が異様に長く感じる。

 電話をじっと見つめて佇む梨恵を、学登は壁に寄りかかり腕を組みながら眺めている。


「梨恵ちゃん、わかっているのかい? 総志朗に言ってしまうことがどういうことなのか」


 我慢できず、学登は梨恵に声をかける。梨恵は振り返ることなく、電話を見つめたまま答えた。


「このまま言わないでおくの? 言わないでおいたって、いずれわかることだわ。そうやって遠ざけたって、どうしようもないじゃない。……それにちゃんと別れずにいることの方が、酷だよ」

「だが……」

「私、総志朗と奈緒ちゃんを会わせてあげたいの。お別れを言わないと、総志朗、ずっと奈緒ちゃんを探し続ける」


 ずっと、梨恵はそうつぶやき、学登を一瞥した。学登は壁に預けていた身を起こし、胸ポケットにしまっていたタバコを取り出した。


「梨恵ちゃんがそうしたいなら、そうすればいい。しかし、責任は取ってくれ」

「責任?」

「……そばにいてやってほしい」


 一人でいたらつらいだろう、と学登は独り言のように言うと、タバコに火をつけた。ほわりと炎が舞い、やがて消える。先端だけが赤くじりじりと焦げる。

 梨恵はぼんやりとそれを眺めていたが、目をつぶり、ゆっくりとうなずいた。

 その時。電話が大きな音で鳴り響いた。受話器を持とうとした梨恵だが、一瞬躊躇するように手を引く。だがすぐ思い直し、受話器を取った。


「もしもし」

『梨恵? 用事って何?』


 総志朗の声は荒い。梨恵は本当のことを言ってしまうことに戸惑いを覚え、言葉を紡ぐことが出来ない。学登を見ると、学登は火をつけたばかりのタバコも吸わずに、床にじっと視線を落としていた。


『梨恵』


 電話越しの総志朗の表情を想像し、梨恵は涙が出そうになった。だが、それをこらえて小さく息を飲み込んだ。

 言わなければ。


「総志朗。あのね」


 息を吐き出し、それと共に言葉も吐き出す。残酷で深刻な真実を、梨恵は口にした。


「――奈緒ちゃんが見つかったの……」








 電話を静かに置く。頭の中が真っ白で、何も考えられない。何をすればいいのかもわからない。


「総志朗? 至急の用事って何だったんだ?」


 放心状態の総志朗に、篤利は必死で声をかける。総志朗は視線を右往左往させた後、くせっけの髪をぐしゃりと握り、ぎゅっと目をつぶった。

「落ち着け、落ち着け」と自分に呼びかける。今何をすべきか考える。とにかく帰らなければ。


「オレ、東京に戻る」

「え?!」

「定男さんと雪子さんに話してくる。お前は部屋に戻ってろ」

「でも」

「事情は後で話す」


 篤利の肩をポンと叩き、総志朗は定男と雪子がいる食堂へと向かった。

 食堂では、定男と雪子が仲良く一緒にお茶していた。


「定男さん、雪子さん」


 せんべいをかじっていた雪子が「どうしたの?」と優しい笑顔を向ける。定男は何事かと眉をしかめていた。


「すいません。友人に不幸があって……今すぐに東京に戻りたいんです。中途半端で申し訳ないんですけど……」


 定男と雪子は目を見合わせた後、すぐにうなずく。雪子は総志朗の肩を優しくなで、「気にしなくていいんだよ」と言葉をかけてくれた。


「連休も終わってお客様も減るし、裕子ちゃんと篤利君がいてくれるから大丈夫。定ちゃん、お給料出してあげて」


 定男は慌てて奥の部屋へ行ってしまった。封筒を手に戻ってくると、総志朗の手を取り、握らせる。


「給料だ。あと、これは香典だ」


 封筒とは別に、定男は財布から一万円を取り出した。総志朗は「それは受け取れませんよ」と手を振る。


「いいんだよぉ。これはこっちの気持ちなんだから。あんたはきっちり働いてくれたし、一緒に働けて楽しかったんだから。ありがとうね。いつでもまた遊びにおいでね」


 無理やり握らされた一万円。その手を雪子はぎゅっと握りしめた。温かい乾いた手。かさかさの手が、総志朗の心までも温かくしてくれた気がした。


「すいません。ありがとうございます」





 荷物をまとめ、ベンツに飛び乗る。定男と雪子、裕子と篤利も総志朗を見送るために旅館の外に出てきてくれた。今日は雪は降っていないが、外気は凍りつくほど冷たい。もうしばらくしたら雪も降り出しそうだ。


「総志朗君、あとは私が頑張るから大丈夫だよ」


 裕子が心配そうにしながらそう声をかけると、総志朗は「ありがとう」と裕子に頭を下げる。


「じゃあ、お世話になりました」


 車のドアを閉め、エンジンをかける。排気孔から煙があがり、エンジンは鈍い音を立てた。


「総志朗!」


 心配をかけまいと笑顔を無理やり作っている総志朗の姿に居たたまれなくなり、篤利は車の窓を叩いていた。肺の中に不快な空気が入り込んだよう。不安が膨れ上がっていく。


「総志朗! 平気なのか? 大丈夫なのかよ?!」


 窓の向こうで、総志朗は泣きそうな顔で微笑んだ。篤利の呼びかけに答えることなく、車は動き出す。

 篤利に向かって、「大丈夫だ」というようにうなずいてみせ、総志朗はアクセルを踏み込んだ。

 去っていく車を見送る。白い煙を吐き出しながら、車はどんどん見えなくなってゆく。

 篤利は事態を把握することも出来ず、不安感だけをどんどん胸の内に広げていく。


「学ちゃんの言うとおりになったわねぇ」


 雪子はぽつりとそう言って、腕をさすりながら旅館に入っていった。篤利は慌てて雪子の後を追う。


「ねえ! 言うとおりって?!」

「知り合いに不幸があるかもしれないから、少しだけ総志朗君のこと預かってほしいって言われてたのよ」

「依頼じゃなかったの?」

「人手は足りなかったから依頼はしたど、働く子は一人でよかったのよ。学ちゃんがどうしてもって言うから、ね。総志朗君もかわいそうにねえ……」


 自分の知らないところで何かが起こっている。起ころうとしている。何の光もない闇夜が広がっているような気持ち悪さが、篤利の腹の底でくすぶっていた。









 見なければいい現実なんて山ほどあって。

 私は目をそむけることも出来ずに、体当たりするかのように真実にぶつかっていった。

 周りも見ることもせず。

 それが誰かを傷つけることもわからずに。

 

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