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CASE9 女将:07

 頭に強烈な痛みが走る。何度も何度も際限なく。


「いってぇな!」


 がばりと顔をあげると、篤利が嬉しそうに手を挙げていた。振り下ろそうとしていた手を総志朗の頭の上に掲げたまま、頬を丸くしてにやついている。


「てめえ」

「起きないから仕方なく叩いたんだよ。死んでんのかと思った」


 仕方なく、というよりは、喜んで叩いていましたという顔のまま、篤利は手で総志朗の肩を叩いた。ウェアに埃のようにたまっていた雪が落ちる。

 膝を抱えた体勢だったため、体が強張って痛い。伸びをしようとするのだが、ここにはそんな広さは無かった。


「え? あれ?」


 違和感に気付く。白い着物を着た女の声に誘われ、かまくらから出たはずだった。なのに、今いる場所は篤利と裕子がいるかまくらだ。戻った覚えもない。女が「さあねえ」と言って笑った後の記憶がぷっつりと無くなっている。


「夢、だったのか?」


 豪雪の中、彷徨った記憶も、あの女の声もリアリティがあった。夢とは思えない。だが、こうしてかまくらにいるということは、夢だったというのか。


「総志朗? とにかく来いよ。朝日が見えるぞ」


 すでにかまくらの外に出ていた篤利の手が「おいでおいで」と誘っているのが見えた。頭だけかまくらから出してみる。

 徐々に昇り始めた太陽が雪に反射してきらきらと輝いている。乱反射した光で目が開けられない。


「うちら、寝ちゃったみたいだけど、助かったんだよ。今の内に帰ろう」


 裕子が腕を伸ばしつつ爽やかな笑顔を総志朗に向ける。総志朗は何度も目をしばたかせながら、かまくらから這い出た。

 あの吹雪の時も真っ白な世界だと思ったが、それとは違う白い世界。太陽と雪だけが光り輝き、まばゆい光が覆い尽くしている。


「この崖から落ちたんだよね。ってことは、こっち? わかんないや。篤利君わかる?」

「あっちかな? オレもわかんねえ」


 裕子と篤利が帰り道を探して話し合う傍らで、総志朗はじっと一点を見つめていた。光が煌く世界のその先に、溶け込むように存在する女が東を指差したのが見えた気がしたのだ。


「向こうだ」

「え?」

「あっちに進めば、帰れる」


 確信に満ちた言葉を発し、総志朗は歩き出した。迷い無く歩き出した総志朗の後を、裕子と篤利も戸惑いながらも追いかける。

 しばらく歩くと、赤い鉄塔が見えた。リフトだ。


「やったぁ!」

「帰れるねっ」


 歓声をあげ、手を取り合って喜ぶ篤利と裕子。


「やっぱり、夢じゃなかった」


 雪山の向こうで、白い袖が揺れている。雪と同化する真っ白な着物を纏った女が、にやりと笑い、総志朗に向かって手を振っていた。






「あんたらーっ! 心配してたのよっ! 救急隊の人たちも来てるのよ! ああ、帰ってきました。ありがとうございますぅ。帰ってきて良かったわ!」


 雪が止んだため捜索に出ようとしていた救急隊のメンバーが、「よかったよかった」と笑顔で去っていく。それを女将の雪子は何度も頭を下げて見送り、三人全員に何度も抱きついた。


「ごめんなさい。心配かけて」


 裕子が半泣きになりながら謝ると、雪子は滝のような涙を流して「いいの、いいの」と裕子の頭をなでる。

 なぜだか感動的なシーンが出来上がってしまい、篤利まで涙ぐんでいるが、総志朗は苦笑いを浮かべている。


「てめええええらあああああっ」

「「「ごごごごごめんなさい」」」


 ヤクザ顔の定男がどすどすと勢いよく血走った目で走り寄ってきたので、総志朗たち三人は声を合わせてどもりながら謝った。


「どれだけ心配したと思ってんだあぁ。こんちくしょうおうおぉ」


 定男はおんおんと泣き出してしまった。三人、黙って目を見合わせる。篤利が総志朗にこっそりとつぶやいた。


「鬼の目にも涙、だな」


 顔を真っ赤にして泣きじゃくる定男に目を向けた瞬間、総志朗はぶはっと吹き出してしまった。赤鬼が泣いている。


「てんめぇえええ、なに笑ってやがる」

「笑ってないです。咳。咳ですから」

「咳じゃねえだろお。笑っただろうがあああ」


 赤鬼が角を出した。総志朗は走って逃げた。







 午前中ゆっくりと休んだ三人は夕方から仕事を始めた。せっせと料理を運ぶ裕子。篤利は大きなゴミ袋を抱えて勝手口から外に出て行った。

 おしんこを小皿に盛りながら、総志朗は大切なことを忘れている気がしてぼんやりしていた。大切なことのようで、どうでもいいようなことにも思える。篤利のことの気がするのだが、それ以上は思い出せない。


「ぼーっとしてんじゃねえ!」

「すんません」


 定男に怒られ、ハッと我に帰る。


「定男さん、オレ、見ましたよ。雪女」


 いたずらを考え付いた子どものような笑顔を定男に向けると、定男は半眼でしらけた顔をして見せた。


「雪女なんているわけねえだろ。何言ってんだ」


 雪女の話をしたのはお前だろ! とつっこみたかったが、つっこんだらどんな目にあうかわかったもんじゃないので、総志朗はぐっと我慢する。


「でも、オレ見たんですよ。白い着物着た女が、リフトの方向を指差して教えてくれたのを。だから、帰って来れたんです」


 細くて鋭い目をまあるくして、定男は総志朗は見つめる。総志朗が「本当だってば」と言いかけた時、それと重なるように定男は大笑いした。


「それ、看板だよ。見て来い! ぶくく。雪女がいるとか真顔で言ったよ。こりゃ傑作だ」





 その夜、一人スキー場に向かった総志朗は唖然とした。

 そこには『リフトはあっち』とでかでかと書かれた看板があったのだ。確かにしっかりと白い着物の雪女がリフトの方向を指差している。


「絶対、夢じゃなかったって」


 自分に言い聞かせるが、もう自信は無い。狐につままれたような気持ちでがっくりと肩を落とした時、思い出した。

 今日で連休は終わりだ。明日から篤利は学校のはず。篤利はまだ旅館にいる。


「やばい。忘れてた」


 もう寝てしまった篤利を叩き起こして帰るしかない。そう思って旅館に帰ろうとした時だった。篤利が走ってくるのが見えた。


「総志朗!」

「篤利、お前、明日学校……」

「梨恵さんから電話!」

「え?」

「梨恵さんから電話来てる。急ぎだって」


 足元がぐらりと揺れた気がした。見えない穴が足の下に広がっていて、飲まれていくような感覚。

 至急の用事。それが何なのか。脳裏に浮かぶのは奈緒のこと。奈緒の居場所がわかったのではないのかと、そう思った。








「そばにいてやってほしい」


 学ちゃんはそう言った。

 それが、責任だと。

 私、わかってなかったの。

 あなたの本当の気持ちを。

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