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CASE9 女将:01

 クラブ・フィールドの事務室はその日、湿った空気に包まれていた。土砂降りの雨のせいで、室内までもがじめじめとしているのだ。

 梨恵は長テーブルの前に座り、膝の上で手を握りしめ、じっと座っていた。部屋の奥にある机に座った学登は、梨恵が話し出すのをパソコンを見ながら待っていた。

 店にやって来た梨恵は開口一番で「話があるの」と言った。そのため、梨恵と学登は事務室に入ったのだが、梨恵はなかなか話し出そうとしない。

 パソコンの動く音だけがむなしく店内に響く。


「梨恵ちゃん、お茶、冷めただろ? 入れ直すよ」


 重苦しい空気に耐えかね、梨恵に話しかけると、梨恵は小さな声で何かをつぶやいた。


「なに?」


 テーブルを見つめていた梨恵の目線が上がる。ゆるゆると涙がその目を覆っていた。


「私、相馬優喜に会ったの」

「え?!」

「その驚き方……。学ちゃん、やっぱり相馬優喜のこと知ってたんだね」


 思わず口を手で塞ぐが、あとの祭り。梨恵は鼻で息を吐き、学登から視線をはずした。


「カマをかけたのか」

「ううん。本当に会ったのよ」


 平静を装うため、温かいお茶を湯飲みに注ぐ。梨恵は一礼して、そのお茶をごくりと飲み込んだ。


「殺されるかと思った」

「何かされたのか?! 大丈夫か?! ……いや、大丈夫なんだよな。ここに来てるんだから」


 事態が把握できず、さっきから本音が零れ落ちまくっている。思ったことを隠せないことが自分の悪いところだと、学登は頭を掻いた。


「光喜が助けてくれたから、何とも無いよ」

「それで?」

「奈緒ちゃんのことを聞いた。……優喜は、奈緒ちゃんのこと殺したって言った。遺体がある場所も教えてくれた。だから、警察に連絡した。学ちゃんだけには報告しておこうと思って。総志朗には、言えなくて」


 すべてを吐き出す梨恵を前に、学登はどんどん眉間のしわを濃くしてゆく。まさか起こるわけがないと否定してきたことが、今現実となって現出してくる。

 言葉が見つからず、学登はうなだれることしか出来ない。


「学ちゃん?」

「やっぱり俺は間違ってた……」


 思い出されるあの頃のこと。突発的な感情でしてしまったことが、大きな後悔となって波打つ。間違っていないと、それは人間として当然のことと言い聞かせていたことが、崩壊する瞬間、学登は自らの過ちを悔いると共に、大きな苛立ちを感じる。


「梨恵ちゃん、悪いけど、一人にしてくれないか?」

「う、うん」


 戸惑いながらも事務室から出て行く梨恵。学登は梨恵が出て行ったのを確認すると同時に、近くにあったゴミ箱を蹴り上げた。

 ゴミ箱の中の紙くずが放射状に散らばってゆく。


「くそっ……! 俺のせいだ……! くそっ!」


 壁を拳で強く叩く。指の皮膚がはがれ、血がにじみ出ていた。







 薄暗い部屋で、オレンジ色の光がぼんやりと光る。石油ストーブから発せられる光だけしかこの部屋には無い。その昔、総志朗が住んでいた廃ビル。奈緒が訪れたこともあるこの場所で総志朗は物思いにふけっていた。


「こんなに探してもいないなんて……どこにいるんだよ、奈緒」


 こぼれる独り言。奈緒は殺されているかもしれない。けれど生きていると信じたい。それだけが今の総志朗にとっての原動力。

 どんなに探しても見つかることのない奈緒。希望を失いかけるたびに、梨恵の優しい言葉を思い出す。自分を心配してくれる梨恵の温かさを思い出す。

 梨恵をまるで本当の家族のように感じる。一度も味わったことのない家族の温かさを教えてくれている気がする。

 家族だから許しあえる関係。『好き』も『嫌い』も超えたところにある愛情。それが家族の絆だというなら、梨恵に感じるこの気持ちはきっとそういうものだと、総志朗は思う。

 時々邪魔に思うけど、やっぱり大切で、大事なもの。いつでも迎え入れてくれる居場所。


「よし。奈緒を探しに行くぞ」


 がばっと起き上がり、総志朗は大きく伸びをする。

 どこかに奈緒がいると、それだけを信じて。奈緒を探すために、深夜の街の中へ入ってゆく。







「はあ? こんな時に依頼?」

「こんな時もそんな時もあるか。仕事は仕事だ。文句言わずにやれ」

「今は仕事してる暇なんかねえよ。断ってくれ」


 学登が差し出した紙をつき返し、総志朗は椅子から立ち上がりかけた。その肩を無理やり押して、学登は総志朗をもう一度椅子に座らせる。


「もうOKしちまったんだ。俺の知り合いに旅館経営してるやつがいてね。人手が足りないから、二,三人紹介して欲しいって言われてるんだ。店によく来てくれてる裕子ちゃんがそこで働いてくれるって言ってる。お前も行って来い。それはその旅館の地図だ」


 つき返された地図の書かれた紙をもう一度総志朗に握らせながら、学登は有無を言わせない態度で説明を続ける。総志朗は地図を片手でつかんで、学登の説明を右から左へ聞き流している。


「スキー場が近いから夜はスキースノボやりたい放題だぞ」

「なんでこんな時にそんなとこに行かなきゃいけないんだよ。オレじゃなくてもいいだろ」


 不服そうに文句をたれる総志朗の肩を学登は思い切り叩いた。あまりの痛みに総志朗は顔を歪める。


「こんな時だからだ。仕事ついでに気持ちをリフレッシュして来い。明日から一,二週間、新しいバイトが入るまでの短期なんだ。奈緒ちゃん探しは俺にまかせろ」

「……黒岩さん、オレになんか隠してるだろ? そうやって妙に明るく振舞う時は隠し事がある時だって、オレ、知ってんだからな」

「お前に何を隠すんだよ」


 逆に質問されてしまい、総志朗は答えに窮して押し黙る。だが、普段よりも笑顔が明るい学登はやはり怪しい。


「急な依頼に俺の承諾もなしにOK出すなんて、黒岩さんらしくないんだよ。いつもは依頼人との交渉はオレにまかせてるくせに」

「しょうがないだろ。今回の依頼人は至急って言ってるし。お前ならすぐに旅館に働きに行けると思ったから、OKしといたんだよ。悪いが、俺の知り合いなんだし、頼むよ」


 総志朗は腑に落ちない気持ちを抱えながらも、仕方なく「わかった。行くよ」と答えた。









 近付きつつあったその瞬間。

 あなたがどんな風になってしまうかなんて、私だって学ちゃんだって、わかってた。

 一歩一歩歩み寄ってくる、希望を吹き消す瞬間を。

 あなたも私もただ待つことしか出来なかった。



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