A current scene8 始動
題名に「A current scene」とつくものは、現在(梨恵26歳)のストーリーです。
現在編のおさらいです。
浅尾梨恵
26歳。私立の中学校で教師をしている。
浅尾浩人
梨恵の息子。3歳。
黒岩学登
38歳。クラブ・フィールドの元オーナー
日岡篤利
高校2年。便利屋でバイト中
関谷唯子
22歳。ユキオの彼女?
ユキオ
香塚病院の医師と看護師を殺害している?
加倉総志朗
浩人と遊園地に行った?
?がいっぱいですね(^^;
謎はこれから解けていくので、今はこの辺でご容赦を。
ドアが開く音が聞こえて、彼は体を起こした。コンクリ打ちっぱなしの壁は背中に冷たい。
「警察はまだ犯人を確定出来てないみたいだね」
ミルクティ色の長い髪を手で梳きながら、唯子は彼の元へと歩み寄った。キャラメル色のふわふわしたくせっけをなでる。唯子は彼の髪に触れることが好きだった。
「あと何人? 岡田に宮間、あと瀬尾。三人殺したんだから、あと二人だね」
壁に身を預け、眠たげな表情をした彼の上に跨って座ると、彼は唯子の顎にそっと吸い付いた。唯子はクスクスと笑いながら、彼にキスのお返しをする。
「香塚病院の連中、やっと少しは警備を増やしてたけど、穴だらけだよ。楽勝で次も殺せるよ」
彼の耳に吐息を吹きかける。彼は何も感じていないのか、それには反応を示さず、唯子の首筋に何度もキスを降らす。唯子は体が熱くなっていくのを感じながら、それでも何でもないようなふりをして、彼の顔の間近でポツリとささやいた。
「あたし、会ったよ」
「誰に」
「浅尾梨恵」
彼の動きが不意に止まった。
「綺麗な人だね。あたしのこと、奈緒ちゃんって呼んできたよ。誰? 奈緒って」
「……知らねえよ」
唯子から身を離し、彼はまたコンクリの壁にそっと寄りかかった。服ごしに伝わってくる壁の冷たさは、先ほどから全く変わらない。
「なんで梨恵さんのこと怖がるの? それに昨日の昼、どこに行ってたの?」
「知らねえよ」
「ユキオ」
彼は遠くを見る。遠く、遠く。ずっと前の記憶の彼方。
そこにいる、あの男。彼は目をつぶり、彼を追い詰めたあの日を思い起こす。
彼はもういない。勝者は己。
腹の底からわき上がって来る笑い。彼は唯子の腕をつかみ、押し倒した。床に散る唯子の長い髪が綺麗だと、彼は思う。
クラブ・フィールドは数年前閉店し、そこには居酒屋が出来ていた。竹の飾りや障子で和風を装う居酒屋だ。
久しぶりに短くした黒髪を少し気恥ずかしく思いながら、男は個室へと入っていった。
予約を済ませていたため、男はすんなりと店内に案内される。
障子で囲まれた室内。一枚板のテーブルの下は掘りごたつになっていて、そこで少年は寛いだ様子で、すでに出されていたお通しをつまんでいた。
「あ、黒岩さん! 久しぶりです!」
少年はつんつんと立てた髪の毛を整えながら、にっかりと笑う。あの頃と変わらない、つり目の瞳ととんがった眉毛。黒岩学登は懐かしさで笑顔をこぼしながら、少年に向かって「よう、篤利」と手を上げた。
「まさか連絡くれるとは思ってませんでしたよ」
少年――篤利はお辞儀をしてすぐに、またお通しを食べ始める。
「最近日本に帰ってきたんだ。えらいニュースが流れてるから、驚いてな」
「え?! 海外行ってたんですか?」
「まあな。仕事でアメリカにな」
おしぼりを持ってきた店員にビールとウーロン茶をたのみ、学登は篤利の前に座る。
「仕事って」
篤利が苦笑いをしているのを見て、大昔のことを思い出す。総志朗が篤利を連れてクラブ・フィールドに訪れた時、彼が見たのは、フィールドの裏の顔――銃の倉庫だったのだ。篤利にとって学登の仕事といえば、そういう仕事なのだろう。
「想像通りのそっちの仕事だよ。長いことあっちに行っていたから、こんな事件が起きているとは思ってなかった」
「黒岩さんはどう思ってんですか? 香塚病院の事件の犯人……」
個室なのだから声が漏れることは無いのだが、篤利は誰にも聞かれたくはないのか声を低く小さくする。
篤利が疑っていること。香塚病院の三人の医者と看護師が殺され、連続殺人事件と見て捜査されている。その事件の犯人。それが、彼なのではないかと疑っているのだ。
「俺もお前と同じ意見だ。犯人はユキオだろう」
「……オレ、この間、見たんだ。総志朗を。香塚病院の近くで。少ししか見えなかったし、すぐに見失ったけど、あれは総志朗だった」
店員が茶室のような小さな扉から顔を出し、ビールとウーロン茶を出してくれた。まずはそれで乾杯を交わす。篤利はビールではなくウーロン茶であることに不満そうにしながらも、ごくごくとウーロン茶を喉に流し込んでゆく。
「黒岩さん、髪の毛短くなって若返りましたね」
「お前こそ、しばらく見ないうちにでかくなりやがって。今は高校生か?」
「そうっすよ。高ニ。けっこう頭いいとこ入れたんだよ。おかげで勉強にバイトに毎日ハード」
十一歳のときに知り合った篤利。あの頃は頭ひとつ分以上小さかったのに、今は学登の身長にかなり近付いている。高校生らしく、しゃれっ気に目覚めた髪型をぐしゃぐしゃにしてやると、篤利は「あー! せっかくちゃんとセットしたのに!」とぶうたれた。
「バイトって? 何してるんだ?」
「便利屋。総志朗の真似事だよ」
篤利は嬉しそうに自慢げに笑う。総志朗のまねをして、何でも屋の仕事を手伝っていた篤利の幼い頃を思い出す。大きくなったものだ、とまるで父親のような気持ちになってしまう。
「じゃあ、便利屋の篤利に依頼するか」
「まじで?!」
「依頼」という言葉に対する反応が総志朗と一緒で、学登は吹き出してしまう。懐かしい、そう思う。
ビールをぐいっと飲み込み、口元に残る泡を手で拭う。学登は真剣な目つきを取り戻し、篤利を見据えた。
「総志朗を探して欲しい」
篤利の表情もぐっと引き締まる。学登を見つめ、篤利はゆっくりとうなずいた。
「わかった。必ず、見つける」
私たちは彼の運命を垣間見る。
あなたの笑顔を。
あなたの涙を。
あなたの嘆きを。
あなたの喜びを。
かみ合っていく歯車は、もうその動きを止めることは無い。