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CASE8 リクルーター:09

「光喜!」


 梨恵をかばうために前に歩み出た光喜の腕から、血が滴り落ちる。アスファルトの上に落ちた血は闇夜の下では、真っ黒に見えた。


「おやすみ。梨恵さん」


 満足げな薄笑いを浮かべ、優喜はナイフをぎらつかせたまま家の中に戻ってゆく。梨恵は彼を追おうとしたが、足が動かなかった。体は未だに震えている。光喜がいなかったら、あのナイフの餌食になっていた。そう思うと、心の芯の部分から震えがやって来る。


「光喜、大丈夫?!」


 腕を押さえてひざまづいた光喜の肩を抱く。光喜の腕からは血がぽつりぽつりと落ちていた。


「どうして、ここに来たの? どうして私のことをかばったの?」


 ハンカチで傷口を押さえながら問う。なぜこんなことが起こったのか、梨恵は涙が溢れそうになるのを、必死で我慢していた。

 総志朗も優喜に襲われ、光喜もやられた。その場にいたのに、梨恵は何も出来なかった。後悔が押し寄せる。


「言ったはずだ。梨恵。あんたが好きだ。守るって、言っただろ」

「だからって……!」


 光喜の手が、梨恵の頬に触れる。その瞬間、我慢していた涙がぼろりとこぼれた。光喜は冷え切った手で、その涙をそっと拭う。


「好きだ」


 エメラルドの左目が、梨恵の目を捉える。まるで壊れ物に触れるかのような、優しい口付け。


「あったかい……」


 その手は冷たいのに、唇はほんのりと温かい。梨恵は自ら求めるように、光喜にキスを返してしまった。

 もう止めることは出来ない。好きになってしまった。梨恵はそれを知ってしまった。

 何度も交わすキスは甘く、体を、心を内側から溶かしてゆく。






 温もりを感じて、ふと目を覚ます。安らかに眠る光喜の腕が梨恵を抱いていた。

 そっと腕をどかし、体を持ち上げる。裸のままだ。それに気付いた瞬間、急に寒さを感じた。

 布団から這い出て、ストーブのスイッチを入れる。鈍い音をたてて動き出したストーブが点火するにはまだ数秒要するだろう。

 昨晩のことを思い返す。

 傷を負った光喜の手当てのため、梨恵と光喜は梨恵の家に戻った。病院に行こうとしたが、光喜はそれを断固拒否し、仕方なく家で包帯を巻くにとどまったのだ。

 光喜は梨恵を抱きしめ、梨恵にはそれを拒否する理由はなくなっていた。彼は総志朗だ。だが、総志朗ではない。『光喜』という一人の人間に他ならない。

 気持ちが彼に傾く。感情は彼を拒まない。お互いを求め合う気持ちは高まり、そうして体を重ねてしまった。

 ぼっとストーブに火がついた音がした。


「梨恵?」

「ごめん、起こしちゃった?」

「いや、平気」


 擦り寄るように、光喜は梨恵の背中に口付けを落とす。そのくすぐったい感触に肩をすくませながら、梨恵は光喜の方に向き直る。

 左目は透き通るグリーン。遠い外国のどこかの海の色。

 梨恵はそれを確認して、ほっとする。総志朗の笑顔を思い出し、罪悪感が生まれたが、すぐにそれをかき消した。

 一人の人間として、光喜が好きになった。罪悪感を感じる必要なんてない、と言い聞かせる。


「梨恵」


 とろけるようなキスの味を、何度も何度も確かめる。


「好き」


 自然とこぼれる言葉。

 求めることを我慢できずに、二人はまた強く抱きしめあう。








 公衆電話の前で、梨恵は唾を何度も飲み込んだ。

 携帯電話ばかりを使っていたから、公衆電話を使うことなんて何年ぶりだ。

 十円玉がかしゃんと公衆電話に飲まれる。


「もしもし、警察ですか」

「はい。何か事件ですか?」


 事務的な声だが、安心感を感じる優しい声が電話の向こうから聞こえてくる。


「あの、死体があるんです」


 川の場所を説明する。電話の向こうから何か言っているのが聞こえるが、梨恵は受話器を置いた。入れた十円玉が戻ってくる。百十番は無料の番号だ。そのことを思い出し、梨恵は十円玉を入れたしまったことに苦笑する。

 本当は優喜のことを通報するつもりだった。だが、光喜にそれを止められてしまった。


「人を殺したやつのことをしゃべるなと言われても困ると思う。でも……優喜のことを警察に言わないでくれ」


 哀願する光喜を目の前に、「No」と言えなかった。

 電話ボックスから出ると、光喜が待ってくれていた。何も言わず、梨恵を労わるように抱きしめてくれる。

 奈緒が死んだことが信じられない。笑っている奈緒の姿が脳裏をよぎる。優喜の言葉を信じまいとする自分がまだいる。


「奈緒ちゃん……!」


 殺意に満ちたあのナイフを向けられ、奈緒は何を思っただろう。優しいあの子が最後に願ったことは、何だったろう。

 梨恵はとめどなく溢れる涙を、光喜の胸に預ける。

 光喜の手が、梨恵の背中を優しくなでてくれた。

 どこからか川のせせらぎが聞こえてくる気がした。






 恋は落ちるものだ。

 どこかで聞いた言葉を、何度も何度も反芻する。

 私は落ちた。

 好きになってしまった。

 止められなかった。

 たとえ、嘘だったのだとしても。

 私は好きだったの。

 恋に落ちてしまったんだよ。

 間違っていたなんて、思いたくないんだよ。






The case is completed. Next case……女将



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